宮津エコツアー · 海軍省上世屋特設見張り所も昭和16年!

海軍省上世屋特設見張り所も昭和16年!

河辺飛行場建設と同じ、昭和16年、「大日本帝国海軍省」は、世屋高原にも、サーチライトを空に向け、耳をダンボにして音をとらえるための見張り所を特設していたのです。

160209_1719_001遺跡記事

二つの施設の距離、直線で約10km程度、機能的に一体のものでしょう。つまり、舞鶴の工廠と海軍基地を守るべく丹後半島全域の基地化が進められていたのですね。

この見張り所については、2021年7月11日にアップされた YouTube「nacre tango 【戦争遺跡】日本軍の防空のためのサーチライトや巨大聴音機が置かれていた戦跡〜宮津市上世屋|丹後の歴史」で見ていただけます。

いせき 001

戦争と平和に関することはささいいなことでも言い継ぎ語り継ぐことが大切なことは言うまでもありません。貴重な仕事です。ぜひご覧ください。

せやがわしんryuuiki川学miharisyo

京都府各市町もみな非核平和都市宣言を採択し掲出という形や慰霊祭などで、その仕事をされています。

平成19年3月29日 与謝野町議会 「非核・平和の町」宣言に関する決議
恒久の平和と核の廃絶は、人々の共通の想いです。しかし、依然として核兵器の脅威は平和を、世界の命を脅かしています。核兵器や戦争からは何も生まれないということを私たちは知っています。
今こそ国家、文化、イデオロギーの壁を乗り越え、平和への誓いを立てることが必要です。
未来の子どもたちが穏やかに暮らせるよう、すべての命に平和の光が射すように、恒久平和の理念を掲げ、私たちのまち与謝野町は、「非核・平和の町」としてありつづけることをここに宣言します。

~文体がですます調で柔らかく、文言も、未来の子どもたちが穏やかにくらせるよう、すべての命に平和の光が射すように、など平易簡潔ですね。~

平成 23 年(2011 年)3 月 20 日 京都府京田辺市 非核平和都市宣言
やすらぎと希望に満ちた平和な日々を送ることは、世界の人々の願いです。
しかし、いまも世界のどこかで人間(ひと)の命の尊さを踏みにじるような争いが続き、人類は、核兵器の脅威にさらされています。原子爆弾による広島・長崎の苦しみや悲しみが、二度と繰り返されることのないよう、私たちは、日本国憲法が掲げる平和理念に基づき、非核三原則を守り、非暴力と対話で、核兵器の廃絶と世界の平和を訴え続けなければなりません。
「戦争の悲惨さと平和や生命(いのち)の尊さを、次代を担う子どもたちに伝えたい」
「ぼくたち、わたしたちも平和な未来のためにできることをがんばります」
世代を越えて受け継がれる『平和への思い』が、世界平和への希望の光となることを信じます。
私たちは、木津川と甘南備山に包まれた豊かな自然と先人が築いてきた歴史や文化を大切にし、互いに尊敬しあい、家庭から地域、地域から世界へと笑顔と思いやりの輪を広げながら、一人ひとりが平和の実現に向けて努力することを誓い、ここに京田辺市が非核平和都市として歩むことを宣言します。

~文体用語の平易柔軟さ、視点の優しさがさらに家庭の茶の間に掲示していいほどにこなれて、家族三世代が折に触れ語り合う様子が浮かぶほど、思いが豊かに結晶した感があります。~
そして、宮津市!さらに早く昭和62年3月27日に非核平和都市宣言。
真の恒久平和は、人類共通の念願である。しかるに、核・軍備の拡張は依然として強まり、世界平和、人類の生存に深刻な脅威をもたらしている。我々は、世界最初の核被爆国民として、核兵器の恐ろしさと、被爆者の今なお続く苦しみをかみしめ、この地球上に再び広島、長崎の惨禍を繰り返させてはならないと、あらゆる国の核兵器の廃絶と軍縮を全世界の人々に訴えるものである。また、非核(作らず、持たず、持ち込ませず)の完全な遵守を求め、戦争の悲惨さを伝え、日本国憲法に掲げられた恒久平和の理念を日常の市民生活に生かし、子々孫々継承するた
め、ここに非核平和都市たることを宣言する。

「である。しかるに、てはならない 子々孫々、、、、」いまなら子ども、女性に受け入れられるか不安な固い語調ですが、それが昭和62年の時代性。

400px-Nuclear_use_locations_world_map かく実験

↑ ウィキペディア

1945年に初めての核実験が行われて以降、アメリカ合衆国・ソビエト連邦を中心にさらに英仏中、インド、パキスタン、北朝鮮が加わり 約2,000回もの核実験が行われていたことを踏まえれば、宣言に強い言葉が必要だったとは頷けます。

戦没者追悼式

↑ 宮津市広報

慰霊祭も毎年、執り行われています。

「10月28日、宮津市戦没者追悼式をみやづ歴史の館で行いました。参列されたご遺族等61人が、先の大戦で尊い命を失われた宮津市の戦没者1484人の冥福を祈り、平和への思いを新たにしました。
式典では、昭和20年にルソン島で義父を亡くされた宮前睦子さんが、遺族を代表して登壇され、「私達は平和の中で生きていますが、薄れゆく戦争の悲惨さや平和の尊さを語り継ぎ、二度と戦争はしないと強く思い戦没者の方々のご冥福をお祈り申し上げます」と話されました。
城﨑市長は、式辞で「令和の時代においても戦争のない時代となるよう、恒久平和への誓いを新たにいたすとともに、ふるさと宮津の限りない発展のため、市民の皆様と共に力を合わせて取り組んで参ります」と述べました。」と宮津市広報。

IMG_6545

こういう宮津市ですから、特設見張り所跡について、存在を示し、内容を説明するものがあってもよさそうなものです。しかし、ないのです。

IMG_7751
一方、世界の平和をめぐる情勢はどうでしょうか、新しい戦前、、、第三次世界大戦、、、そんな言葉が出るほど逼迫することとnacre tango、その視聴が宮津市の人口の二倍を超える40000回を超えていることとは、無関係ではない,強く深くつながっていると思います。

160209_1718_001

人を殺し、わが身は生き残ることを教える戦争の愚は許さないと、行政の力でしっかり調査をし、整備すべきは整備して、紹介看板を一本くらい立てておいても つまらないことをしたものだと責められることは、まずないのではないでしょうか。

このページのトップへ