松尾棚田の秋、夕景!
「松尾地区の棚田は、一本桜とともに宮津湾を望むことができるのが特徴で、無農薬・無化学肥料を徹底した棚田米の栽培やブランド化を行っているほか、冬季の間も棚田を湛水化することで生物の多様性を維持するなど、自然環境を保護する活動も行われています。」
この棚田は、東に向いています、もと東野という村の跡地を農地改良したものです。
その《東野の概要》
東野村は、江戸期~明治22年の村名。「慶長郷村帳」の世野村のうち。はじめ宮津藩領、延宝8年幕府領、天和元年以降宮津藩領。
市の北部で、世屋川およびその支流域、汐霧山(624m)の西麓に位置する。松尾の西方標高380m前後の地域。
幕末の草高は25石余、年貢率は定免で5割1分8厘。高掛物14石、山手運上米4斗余、稲木運上銀など4匁余。戸数6ですべて百姓、人口32(与謝郡誌)。明治4年宮津県、豊岡県を経て、同9年京都府に所属。同21年の戸数6。同22年世屋村の大字となる。
東野は、明治22年~現在の大字名。はじめ世屋村、昭和29年からは宮津市の大字。
《主な社寺など》東大明神
過疎により廃村となった。
論文「丹後地方における廃村の多発現象と立地環境との関係」によると、明治初期8戸、昭和38年5戸、昭和39年に無人化(市史によると3月)。のち新規転入1戸。
、、、、、、、、、、、、、、
この海山空の連続した農業景観を作り出したのが『新規転入1戸。』の決意、、
なにがうれして、なにが哀して、、、、と、よく言いますが、それはともかく、その決意を見守ったのが、松尾の一本桜。
花は、生きる力、、、昨年亡くなったテルミばあちゃんも、鎌で草刈りしながらそういってらっしゃいました。
こんな棚田がタイや台湾、中国には今も現役だといいます。
かって里山カメラマンを名乗った皆さん、そういうかたたちは、そちらへ流れましたね。
丹後へ大阪から来るより台湾に飛ぶ方が安い!
しかし、問題は、そこでしょうか!
『「棚田は、急斜面の山間部ゆえに、その保全が年々厳しくなりつつありますが、環境保全の重要な役割を担っているため、これからも守り続けていくことが大切です。」』
一本桜二世が、力強くスタンバイしています、
棚田景観の価値と意義、我が国の問題として足元をしっかり見つめたいものです。