2012/08/10
選手の皆さん、佐々木監督はじめコーチスタッフの皆さんご苦労様でした!
あらためて、おめでとうございます。
勝負では「銀」でしたが、皆さんの胸に輝くメダルは、それこそ「金」より「良」い値打ちのなでしこ色のメダル!
それにつけても思うのは、人間の心や体の強さしぶとさや優しさは、人と自然が仲良く暮らせる環境があってこそ育まれるもの、光にあふれ、風吹く大地を走り回る女子サッカーの歩みは、環境保全、生物多様性の維持、持続可能な暮らし、その課題と並行しているということです。
その視点から、里山の変化と歩みと符合しているなでしこジャパンのメダルへの歩みを振り返ってみました。
日本ではサッカー競技を行う女性が見られはじめたのは、1960年代から70年代にかけて。
この頃、ナデシコの咲く中山間地集落の衰退。
女子サッカーのほうは全国各地でチームが結成され、地域ごとの小規模なリーグによる試合が展開され
1980年には 全日本女子サッカー選手権大会の開催。
以後
1989年「日本女子サッカーリーグ」が誕生 略称 「JLSL」
1990年 第11回アジア競技大会で女子サッカー正式種目
1994年 略称を「L・リーグ」にプロ契約選手も登場
「世界最高の女子リーグ」の評価
と成長。
一方この年、生物多様性条約.第1回締約国会議 (COP1)開催。あらゆる活動の前提に生き物との共生が配慮されるべきだと。
1996年 アトランタオリンピック 日本女子代表3戦全敗
シドニーオリンピックへの出場権穫れず
バブル経済崩壊 企業チームの解散相次ぐ
などによって、冬の時代へ。リーグ維持 女子リーグ活性化の苦闘続く
この頃、1997年 気候変動に関する国際連合枠組条約の京都議定書(京都議定書)によって、地球環境の持続可能な見直しがあらゆる点から始まった。
一方の女子サッカー。 2000年 シドニーオリンピック アジア予選敗退。
この冬の時代に、2002 安藤梢 2003近賀ゆかり Lリーグ各新人賞など今のナデシコの中心メンバーは芽を出している。
2004年 8月 アテネオリンピック本戦
日本女子代表に「なでしこジャパン」の愛称 ベスト8
9月「なでしこリーグ」の愛称を採用。
ここで、ナデシコが、女子サッカー振興のシンボルフラワーに選ばれた。
そして、 この間、北京オリンピックの惜敗はあったものの、2005 大野忍 2006 澤穂希 2007 大野忍 2008 澤穂希 2009 安藤梢とナデシコリーグの最優秀選手賞を獲得した選手たちが世界の頂点に立つ志を持ち続け、
2010年、 2011 FIFA女子ワールドカップ優勝
この年、11月26日 – 国連,生物多様性条約第10回締約国 会議(COP10)が名古屋市で開催、日本は里山の大切さをアピールしました。
そして、2012年 ロンドン五輪銀メダル獲得
オリンピックは終わりました。しかし、ナデシコたちの問うたものは大きく、せやなでしこの旅も終わりません。なでしこジャパンの新しい歩みを追っかけながら、世屋のなでしこを守り育てていきますよ。
追伸 世屋なでしこの花がまもなく、種をつけます。
一つの鞘にたくさんの種が入っています。ご希望の方には、おわけします。ご連絡ください。
なでしこジャパンの志の詰まった種です。夢の花、あっちにも、こっちにも咲かせましょう。
80円切手をはって、送り先を明記した封筒を同封のうえ、下記へお送りください。
〒 629-2501 京都府京丹後市大宮町口大野350 世屋高山ガイド部会 安田潤