夜!
朝!
現在130cmです、
昭和年代は160cmというのが、平均積雪でした。
よく降ったなぁ!感はありますけれど、ようやく平均に近づいたというところですか
平成28年大雪として語り継がれるには今ひとつ努力不足!
(いやいやそんな努力はしてほしないない!)
水面に広がる波紋!
こちらでも。
こちらでも。
産卵に現れたヤマアカガエルの雌の奪い合いなんです。くるるるぅ くくくくぅくくっくくっくくるぅ
にぎやかですよ。
決着はあっさりしたものです、一匹の雌に雄一匹。ペアーが決まったら邪魔はしません。
春のファンファーレは花屋から、とおもっていませんか!

ちがうんです、春の一番ファンファーレを吹くのは、ヤマアカガエルたち。
世屋の谷ではもう産まれていますよ、春のこどもたちが。
ちなみに、2月8日は暦では立春の次候。啓蟄は3月になってからです。
| 如月 | 立春![]() |
初候 東風解凍 | 2017/02/04 | 二十四節気の最初の節。この日から春。 |
| 次候 黄鶯睍睆 | 2017/02/08 | |||
| 末候 魚上氷 | 2017/02/13 | |||
雨水![]() |
初候 土脉潤起 | 2017/02/18 | 雪が雨に変わり、雪や氷は溶けて水となる。 | |
| 次候 霞始靆 | 2017/02/23 | |||
| 末候 草木萠動 | 2017/02/28 |
「僕の前に道はない」
深い真実を単純な言葉で表す、それが詩というものです。
「僕の後ろに道は出来る 道は僕のふみしだいて来た足あとだ」
高村光太郎の詩『道程』の一節です。
さて、12日に予定で冬の森を案内するのは、高校生たち。みんな進学を目指しているということですが、すでにきまった生徒さんやいままっしぐら、あるいは模索中、いろいろですが、とくに自然や歴史などフィールドを学びの場として探求することに熱意を燃やしている皆さんということなので、楽しみにしています。
歩く道を求め拓き歩いていこうという彼らには、雪山を、この『道程』を吟じながら歩くことを勧めますね。100行を越える長編ですけれど、思い当たる場面に遭遇するかもしれません。
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どこかに通じてゐる大道を僕は歩いてゐるのぢやない
僕の前に道はない
僕の後ろに道は出来る
道は僕のふみしだいて来た足あとだ
だから
道の最端にいつでも僕は立つてゐる
何といふ曲りくねり
迷ひまよつた道だらう
自堕落に消え滅びかけたあの道
絶望に閉ぢ込められかけたあの道
幼い苦悩にもみつぶれたあの道
ふり返つてみると
自分の道は戦慄に値ひする
四離滅裂な
又むざんな此の光景を見て
誰がこれを
生命(いのち)の道と信ずるだらう
それだのに
やつぱり此が生命(いのち)に導く道だつた
そして僕は此処まで来てしまつた

此のさんたんたる自分の道を見て
僕は自然の広大ないつくしみに涙を流すのだ
あのやくざに見えた道の中から
生命(いのち)の意味をはつきり見せてくれたのは自然だ
これこそ厳格な父の愛だ
子供になり切つたありがたさを僕はしみじみと思つた
たうとう自分をつかまへたのだ
恰度そのとき事態は一変した
俄かに眼前にあるものは光を放出し
空も地面も沸く様に動き出した
そのまに
自然は微笑をのこして僕の手から
永遠の地平線へ姿をかくした
そしてその気魄が宇宙に充ちみちた

驚いてゐる僕の魂は
いきなり「歩け」といふ声につらぬかれた
僕は武者ぶるひをした
僕は子供の使命を全身に感じた
子供の使命!
僕の肩は重くなつた
そして僕はもうたよる手が無くなつた
無意識にたよつていた手が無くなつた
ただ此の宇宙に充ちみちてゐる父を信じて
自分の全身をなげうつのだ
僕ははじめ一歩も歩けない事を経験した
かなり長い間
冷たい油の汗を流しながら
一つところにたちつくして居た
僕は心を集めて父の胸にふれた

すると
僕の足はひとりでに動き出した
不思議に僕は或る自憑の境を得た
僕はどう行かうとも思はない
どの道をとらうとも思はない
僕の前には広漠とした岩畳な一面の風景がひろがつてゐる
その間に花が咲き水が流れてゐる
石があり絶壁がある
それがみないきいきとしてゐる
僕はただあの不思議な自憑の督促のままに歩いてゆく
しかし四方は気味の悪い程静かだ
恐ろしい世界の果へ行つてしまふのかと思ふ時もある
寂しさはつんぼのように苦しいものだ
僕はその時又父にいのる
父はその風景の間に僅かながら勇ましく同じ方へ歩いてゆく人間を 僕に見せてくれる
同属を喜ぶ人間の性に僕はふるへ立つ
声をあげて祝福を伝へる
そしてあの永遠の地平線を前にして胸のすく程深い呼吸をするのだ

僕の眼が開けるに従つて
四方の風景は其の部分を明らかに僕に示す
生育のいい草の陰に小さい人間のうぢやうぢや這ひまはつて居るのもみえる
彼等も僕も
大きな人類といふものの一部分だ
しかし人類は無駄なものを棄て腐らしても惜しまない
人間は鮭の卵だ
千万人の中で百人も残れば
人類は永久に絶えやしない
棄て腐らすのを見越して
自然は人類の為め人間を沢山つくるのだ
腐るものは腐れ
自然に背いたものはみな腐る
僕は今のところ彼等にかまつてゐられない
もつと此の風景に養はれ育まれて
自分を自分らしく伸ばさねばならぬ
子供は父のいつくしみに報いたい気を燃やしてゐるのだ
ああ
人類の道程は遠い
そして其の大道はない
自然の子供等が全身の力で拓いて行かねばならないのだ
歩け、歩け
どんなものが出て来ても乗り越して歩け
この光り輝く風景の中に踏み込んでゆけ
僕の前に道はない
僕の後ろに道は出来る
ああ、父よ
僕を一人立ちにさせた父よ
僕から目を離さないで守ることをせよ
常に父の気魄を僕に充たせよ
この遠い道程のため
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この冬の森「岳山」で待っていてくれるのは、「高村光太郎」その人かもしれませんね。
※ このツアーの様子は、15日(水)夕方六時からの番組でnhk 京都放送局から紹介される予定です。
逆さ「内山」!
人は流水に鑑みるなくして、止水に鑑みる―人莫鑑於流水、而鑑於止水―
□[原文](荘子 内篇 徳充符篇 第五)仲尼曰、人莫鑑於流水、而鑑於止水、唯止能止衆止。
□[書き下し文]仲尼曰く人は流水に鑑(かんが)みるなくして止水(しすい)に鑑みる。唯(ただ)止(し)のみ能(よ)く衆止(しゅうし)を止(とど)む。
□[原文の語訳]孔子が言う、人は誰も流れる水に真影(実物そのままの姿)が映らないから鑑とはしないで静止した水に自分を映してみる。そうした、ただ止水のような静かな心をもっていれば世間一般の真の姿をとらえることができる。
□[解釈]明鏡止水動揺している時は心を落ち着かせて冷静に。客観的視点で。定点観測することで見えてくること、違いに気づけることがあります。情報が氾濫する現代、情報に流されることないように自分のアンテナをきちんと立てておきましょう。波静かな湖でさえ、水辺を覗きこむと、わずかな波風でも自分の顔が歪んでしまいますが、そんな時でも遠く湖全体を見れば湖面に映る景色はそんなに歪んでは見えないものです。全体・大局観を見る余裕を持ちましょう。
【Author:narupara Category:今日の一言 】
なぁあるほどぉぉお!「止水のような静かな心をもっていれば、、、」ですかぁ、なかなかそうはいきません。
では、次のa ・bのうちどれが股のぞきの内山?
a
b
ヒントはこれ、
つまり正解はb。
この水田で栽培されるお米が正真正銘の「内山ブナ米」です。
眼下に若狭湾、宮津湾。
丹後半島世屋高原、
右端金剛童子山の山麓に「味土野」。
さて、425年前、戦国の世に走った激震本能寺の変は、多くの戦国人の運命を変えました。信長の媒酌で明智家から細川家に嫁いだ明智たまこと細川たま、後の「がらしあ細川」もその一人。光秀勢には加わらなかった細川家ですが、「たま」を救うために全力を尽くします。その第一策が「離婚」の上、味土野幽閉!眼下に見える下世屋→上世屋→駒倉がその味土野への宮津城からの移送コース。
きびしい寒いとかつらい気の毒、、わたしたちはとかくそんな想像に陥りがち。
ですけれど、「たまさま、うさぎがとれやした。せいをつけてくだせぇ」
「まあ、ありがとう、それにしてもどうやってこんなにすばしこい物を獲るの?」
「ばいというものをなげますばい、」
。 、案外充実した日々ではなかったのだろうかと思ったりします。
たまこさんが二回過ごした丹後半島最奥部の冬、スノーシューウオークで体感しませんか。
東京新聞が【ふくしま便り】として2015年7月14日付けで配信した{カエルの詩人が愛した里 帰村4年目・川内村の誇り} というタイトルの記事、これはカエルファンには見過ごせないすてきな記事です。
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東京電力福島第一原発から三十キロ圏内の川内(かわうち)村。事故直後は全村避難となったが一年後に帰村宣言をし、新たに村づくりを始めた。その川内村で今夏もちょっと変わった祭りがあった。カエルの詩人、草野心平をしのぶ天山祭りだ。
さて、どんな祭りだろう。
十一日、草野心平の蔵書を収めた「天山文庫」の庭に数百人もの人が集まった。献花の後、小学生らが詩の朗読や踊りを披露。鏡開き、乾杯と続き、婦人会が用意した手料理を肴(さかな)に、飲めや踊れやのうたげとなった。
実行委員長の石井芳信さん(70)が「こんなに楽しい思いができるのも心平先生のおかげだ」と笑った。蝉(せみ)時雨の下で、人の数だけの笑顔がはじけた。
草野心平と村人の交流は一九五〇(昭和二十五)年に始まった。カエルが大好きでカエルの詩を好んで作った草野が、ある新聞のエッセーに「モリアオガエルの生息地があったら教えてほしい」と書いた。これを読んだ村の長福寺の矢内俊晃和尚が招待の手紙を書いた。何度か手紙のやりとりがあり、五三年八月、ついに心平先生は村へやってきた。早速村人に案内され、モリアオガエルの生息地である平伏(へぶす)沼へ足を運んだ。
平伏沼は海抜八四二メートルの平伏山の山頂にある。集落から七、八キロもあり、当時の山道をたどるのは、なかなかの苦労だったろう。たどり着いたカエルの楽園の風情に草野は心打たれた。

<うまわるや 森の蛙は 阿武隈の 平伏の沼べ 水楢(みずなら)のかげ>と詠んだ。その歌の碑が沼のほとりに立っている。
その後、名誉村民になり、毎年木炭百俵を授与されることになると、さすがに数の多さに驚いて一年だけで辞退し、お礼に蔵書三千冊を村に贈った。村人は労働奉仕で庵(いおり)を建築し、本を収めた。草野はシルクロードの天山山脈をイメージし、天山文庫と命名した。
詩人は、それから夏ごとに三、四カ月も天山文庫に滞在した。創作に疲れると村の野球大会をのぞいたり、庭を造ったりした。夜は白夜と名付けたどぶろくを楽しんだ。
村役場の若い職員だった石井さんは、心平先生のお気に入りだった。「朝から電話で呼ばれてね。行くと、今日は庭木を切るから手伝ってくれなんて話だ。悪いと思ったのか、あとで書を書いてくれた。その書は、今も額に入れて飾ってあります」と目を輝かせて振り返った。
詩人を訪ねて川端康成や棟方志功などが来た。そうした名だたる文化人と言葉を交わすのも楽しみだったという。
石井さんは役場勤めを続け、原発事故の当時は教育長の要職にあった。遠藤雄幸村長が帰村宣言し、小中学校を再開したときも最前列で采配をふるった。
「あれは厳しい仕事だったな」と言葉少なに振り返った。当時は子供を帰村させることの是非にも議論があった。神経をすり減らすことが多かったろう。
そんな話をしていると、役場の二階からドヤドヤと十人ほどの子供が下りてきた。学校が終わった後に、村営の学習塾を開いているのだという。「村は着実に復興していますよ。これからは原発災害の村ではなく、天山文庫の川内村でPRしていきたいんだ」と胸を張った。

平伏沼に行ってみた。ミズナラの木の葉に白い泡のようなカエルの卵が幾つもぶら下がり、遠くから見ると花が咲いたようだ。沼は水不足で干上がる寸前だが、水たまりには元気にオタマジャクシが泳いでいる。
村委嘱の巡視員である猪狩四朗さん(55)は「卵塊は二百個以上確認されました。平年並み。来月には立派なカエルが巣立っていきます」と、こちらも誇らしげに話した。
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名誉村民には、毎年木炭百俵を授与される、このエピソードいただきますね。ウオークのガイドネタにさせてもらいます。
ところで、モリに棲む青がえるなので、「モリアオガエル」。さて森にはもう一種類すんでるんです、
ヒキガエル!どこにいるかわかりますか。
太い木の右上のうろ。
川にも棲んでますよ、カジカガエル。
さすがに海に進出したものは聞いていませんけれど。
おぉーいぃー!
(↑ 冬の上世屋の里)
~どこにいるんだぁー!!
(↑正面の山の山頂 637m)
岳山だぁー!
~なにがみえるー?
たんばもわかさもたじまもみんなみえるー展望がすごぉーいぞぉー!
一本一本形の違う葉を落とした木もあじがあるぞー
~雪がつもっとろうがー どうやってそこまでいったんだぁ?~
ス・ノー・シュー!
~それってなんだぁー!~
雪の上を歩くスリッパぁ
、、、、雪の積もった冬の森のうれしいのは、コース取りの自由なこと。
よく発達したピュアーな里山落葉広葉樹の春を待つ気配を五感で感じることができるのが、せや高原岳山スノーシューウオーク。
2月5日、12日を予定しています。
耳を澄ませば、津軽山歌がきこえてくるかも、、、
お問い合わせ下さい。