宮津エコツアー · yasuda

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中橋京子さんが、「白木蓮の大樹に会いし 蔵の町」と詠まれた白木蓮の大樹とは、どんな大きさだったのか想像するしかないですが、思うに、日置のハクモクレン、それに匹敵するのではないでしょうか。

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ハクモクレン(白木蓮、学名:Magnolia denudata)と「モクレン」は、同属別種、花の色はもちろんちがいますが、成長力も違います。樹高が10-15m程度まで成長するのがハクモクレン。大きなお屋敷、広い野にあう木です。

白木蓮・ハクモクレンは、俳句では「ハクレン」と短縮することもあります。

ハクレンの 日置に落ちる 花の滝   世屋野蕪村

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日置平野の春のシンボル、伊根通いのバスからも見えます。

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民家もすっぽり隠します。

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花木蓮 天に献ずるかに 真白   門田窓白

 

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吹雪をついて快走する丹鉄ラッピングカー

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信号ランプの点滅しているこの踏切。

大宮町口大野の南端付近から大宮バイパスに通じる道を横切ります。

さて、この名を「くじら踏切」といいます。

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理由は、ここの小字が「鯨」なのです。

昔、このあたりは海でなぁ、鯨が泳ぎよったんだ!という説明をあほなぁとは思いつつ否定するのも大人げないとそのままにしておりました。

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そんなおり、nhk『人名探究バラエティー・日本人のおなまえっ!』11/9。

鯨さんという名字の方がいらっしゃると。

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栃木県鬼怒川流域の方なのだそうです。

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その支流、小貝川付近には、『鯨』という地名があり、その川はよく氾濫して土地がえぐられていたというのです。

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えぐるという意味の言葉に、くじるというのがあると、漢字の専門家がおっしゃっていると紹介していました。

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そういえば、ここも大宮町の『鯨』も竹野川の側にあります、

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大雨の際には堤防をえぐられることもしばしばでした。竹野川は暴れ川、そんな災害の記憶を忘れるな、と地名として伝えているのなら、昔海だったからというのをそのままにしておいたのはとんでもないことだったと思いました。

 

 

 

 

やはり、「あか」ですか!

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やはり赤・朱「あか」ですね。

色彩が人の心理に与える影響などを研究する色彩心理学では、

1.アドレナリンを分泌して興奮を促す

2.ポジティブな気持ちにさせる

3.食欲を刺激する

4.目を引く

5.温かさを感じる

6.時間経過を早く感じさせる

というようなことが認められといいます。

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赤は太陽や火の熱く活発なイメージを思い浮かべることから、赤色は火を連想するものです。火は、人にエネルギーを与えることもあり、熱気を感じる場に変えるなど「やる気スイッチを押す」色なんだそうです。

言葉でいえば、膨張、進出、興奮、アクティブなどと結びつく、ある意味怖い色のです。

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こういう効果に関連して、実験でも確かめられているそうです。

色によって変化する筋肉の緊張度合いを計測するという実験があります。

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「ライト・トーナス値」と言われているものですが、赤色は橙色を抑えてダントツの緊張状態を作ることがわかっています。ベージュや青が通常の状態と変わらない弛緩状態なのに、赤色だけは20ポイント近く数字が跳ね上がっているのです。赤はそれだけアドレナリンを分泌させていると。

※『意識的な行動の無意識的な理由』(越智啓太 著/創元社)など参照

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丹後随一のパワースポットには、科学的な計算と仕掛けがあるのです!

さて、このような寺社の建物の朱塗りについて、その原料はなになのでしょうか。

探してみると、日経新聞の春日大社の造替のさいの記事に紹介されているのがわかりやすかったです。

「本朱は硫黄と水銀の化合物で「丹(に)」とも呼ばれ、真っ赤な粉末状だ。これに、にかわを溶かした湯を少しずつ流し入れ、こん棒で練り合わせていく。

春日大社で本朱を使うのは、行儀良く東西方向に並ぶ本殿4棟と、境内の南東にあり、藤原遠祖夫妻の子を祭る若宮神社の全部で5つだけ。60を超す摂社・末社の中でも特別扱いだ。

本朱が異例なのは春日大社の話にとどまらない。身近な寺社の鳥居や柱などの朱塗りは鉛入りの鉛丹や酸化鉄を含むベンガラなどの顔料が使われるのが一般的だ。量産に向くが、時間がたつとオレンジに近い色や黒ずんだ色になる。」20年ぶり 目覚めた(時の回廊): 日本経済新聞www.nikkei.com

では、創建当時、格式のある国分寺や成相寺の五重塔などはやはり朱で塗られていたのでしょう。としたら、その原料はどこからどうやって手に入れていたのでしょうか。

そんなことを思っていたら、縦貫林道、成相線の崖に赤い土の露頭を思い出しました。

IMG_3139.jpg赤土

この色をみていると、ひょっとして、空海さんもここに立ち寄って、この土を使いなされと指示なさったのかと怪しい木になりますから、重ね重ね「赤」は、怖い色です。

 

「皆々様がたは、つつがなく、健やかにお過ごしでござりましたかな!」と里に下りてこられた山の神様。

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(↑ 西国三つ葉ツツジ)

おかげさまで家族一同、、と感謝申し上げるのか゛ほんらいなのです。しかし、今年の春のお答えは、

「それがまあさっぱり、つつがありありダニおりおりで、春が来るのをたのしみにしとる矢先のことでさあよわっとるですわなぁ!」

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(↑ ワサビの花 芳香成分には殺菌作用をもつと言われます)

「それはいけません、そんなことでしたか、わたしがワサビやクロモジや、タムシバや、おとぎなどを差し向けて、コロナウィルスとやらを封じ込めてさしあげましょう、今しばらくご辛抱くだされ」に言い聞かせてやりましょうなんとか収めてやってください。」

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(↑ 籠神社祭礼 4月23,24日)

春の祭りが近づいておりますが、神様がそんにきばっとくれるなら、『自粛』なんていうとれんですぞ。

さて、人の歴史はこのような流行病との闘いの歴史。

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明智玉さんにもそれに関わるエピソード。玉さんが、隠棲中、里に流行病が広がったおり、歌が詠め字の書ける教養人の玉さんに歌を詠んでもらえんかと頼んだところ、こころよく書いておくれた、

♪いかでかは 御裳濯川の 流れくむ 人にたたらむ 疫れいの神 ♪

それを戸口に貼り出したところ、治まったもんで不思議な力をもった人だと言い伝えたということです。

しかし、ふつうのレベルの頭では消化不能です。

この歌の意味と解説については

『この歌の類歌として嵯峨天皇の御製があり、ガラシャはそれを借りたのかもしれません。「御裳濯川」は伊勢神宮内宮の境内を流れている川で、「御裳濯川の流れ」とは天照大神の子孫、皇孫を指す言葉であり、味土野とは直接の関係がないからです。「疫れいの神はどうして御裳濯川の流れを汲んでいる人にたたることがありましょうか、いやありません」といったような意味です』

関ヶ原の残党、石田世一(久富利行)の文学館


石田三成の実像141 「細川ガラシャ忠興と三成」9 ガラシャ夫人が幽閉されていた時期

を参考になさってください。

なんだか意味不明、しかしこの謎のエピソードのには興味深い中味を含んでいるかもしれません。

ちなみに、御裳濯川は五十鈴川のこと。

五十鈴川の画像

(↑ 五十鈴川 ネット画像)

うぃきぺでぃあは、「伊勢市南部に源を発し北流。伊勢市街を流れ、伊勢湾に注ぐ。倭姫命が御裳のすその汚れを濯いだという伝説があり、御裳濯川(みもすそがわ)の異名を持つ[1]。古くから清流とされ、和歌にも多く歌われた。神路山を源流とし、支流島路川と合流、皇大神宮(伊勢神宮内宮)の西端を流れており、御手洗場(みたらしば)が作られている。この御手洗場では、かつては手洗いだけではなく、口濯ぎまで行われた。現在でも伊勢神宮の公式ウェブサイトで「神聖な川、清浄な川として知られる五十鈴川の水で心身ともに清めてから参宮しましょう」「天気のいい日は五十鈴川「御手洗場」で、口と手を清めることをお勧めします[2]」と記載され、推奨されている。 」と、ご聖水の流れる川と紹介しています。

水戸というぐらいでその地を流れるのは野間川野源流の味土野川なのです。本来なら、「味土野川の流れくむ」にしなくちゃならないところです。それをなぜ「御裳濯川」としたのか?味土野衆が、伊勢の神につながる皇孫、と自らの出自を語ってらっしゃったかもしれないのです。その当時、村ぐるみ一族ぐるみの広域移動は日常茶飯。事実、近辺の下世屋の城主前野一族は、尾張からやってきた、一色氏もそっちから。なので丹後弁と名古屋弁は似ているといいます。忠興も、尾張岐阜伊勢のつながりで味土野衆と光秀とはつながっていることを知った上で、味土野を選んだという線が浮上するからです。味土野には、木下姓を名乗る家もありました。羽柴秀吉も、元は木下藤吉郎。同姓なのです!味土野衆の木下さんと羽柴の木下は、同郷の流れをくむものであった可能性がある、仮説は大胆なほどいいのです、なにか匂いませんか?

加えて、光秀は、本草学つまり漢方の医者をしていたとも伝わります。

本能寺サミットでも話題として取り上げられていました。

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信長に登用される以前、光秀は朝倉家の医者を務めていた可能性がある!

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その証拠を、学芸員の石川さんが、針薬方という古文書に見つけたというのです。

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娘の玉も父から多くのことを教わり、味土野の危機に際し、適切な指示や薬草も紹介したのではないでしょうか。

もちろん、励ましも大事です。

味土野衆の方々、あなた方は伊勢の御裳濯川のほとりからやってきたのです、「疫れいの神はどうして御裳濯川の流れを汲んでいる味土野の皆さんにたたることがありましょうか、いやありません」元気をだしてしっかりなおしましょう。

そう呼びかけられた村人たちの心は想像できます、

たまさんの歌は疫病神を退散させたのです、

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(↑ クロモジ くろもじエキスがウイルス対策に効果があるとする宣伝もあります。)

どうですか、お玉さん!

 

※ 光秀医者説は以下のサイトでも紹介されていますよ

明智光秀を知将に育てたのは福井県だった!~光秀が再起を誓っ …

www.kk-bestsellers.com/articles2020年1月14日-そこから分かったのは、光秀朝倉家の秘薬を知っていたということです。それは光秀朝倉家の直接的な接点を裏付けています」. 学芸員の石川美咲さんが説明してくださった。館内には『湯液本草(とうえきほんぞう)』という医学書が焼け残っ …

 

N旅行様へ

『海の京都・エコツアーガイドの初夢! 』(1月2日 アップ)の見果てぬ夢の続き!の続き!!

平安時代の書、「梁塵秘抄」が、当時知られた修験の霊地として挙げているのが、
『四方の霊験所は、いつのはしりゐ しなののとかくし するかのふじのやま はわきのおおやま 丹後のないあひとかや とさのむろふと さぬきのしとの道場とこそきけ』の7カ所。

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「丹後のないあひ」というのが、成相寺のこと。西国33ヶ所巡礼の28番目の札所として信仰を集めたこの寺は、山田断層の活動による隆起で作られた急な断層崖の山麓、標高約350mにあります。

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現代の参詣者は当然ながら、バスやケーブル利用で登り、そして下ります。

しかし、その崖に削るようにつけられた道を「行」として登った昔の参詣スタイルにも魅力があります。

両方を楽しむ方法はないだろうか、、、ありますよ、二倍楽しむ方法が!

成相寺まで登山道で直行→車を駐車場に→参詣→ウオーク(五重塔経由山門→登山バス専用道経由笠松展望台→石段大谷寺道 → ケーブル府中駅→藤織り土産店→つるや食堂→籠神社

→ケーブル府中駅)→ケーブルカー利用し笠松公園→登山バス利用で成相寺へ。

成相寺探訪が二倍楽しめる、これのおもしろさをおしえていただいたのはオーストラリアからいらしたお客から。

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要するに、自家用車で350mまで登っておいて、そこからウオークで、麓まで下りて、それからケーブルと登山バスで登って、自分の車にもどるという方法です。東京タワーに例えれば、高速エレベーターで第一展望台へ一気に上がって、そこから第二展望台へおりて、そのあと外についている階段を歩いて下りるようなものです。成相寺から籠神社まで距離2キロ弱。重力に身を任せて下るのですから楽勝です。

参考までにその様子と所要時間です。

五重塔 付近 スタート 0分

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1 龍神のタブ 限界標高に生育する胸高周径665cmの巨樹です、

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2 山門付近 7分

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3 登山バス道からの展望  17分

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4 バス登山道の様子

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5 股のぞき発祥の地 笠松公園 28分

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脳が勘狂うという景色です

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6 石の階段の道に入ります 標高差約150mの石段は、山形の立石寺のようですよ。

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7 登って来られた方に出会いました。一段一段見つめてらっしゃるのは足下!、、、

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8 シイやカシなどの緑豊かで潮風を一杯吸えば気分はリフレッシュ

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9 麓におりてきました!  47分

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10  一服していきましょう つるや食堂さんで!

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戻りは、ケーブルと登山バスを乗り継いで成相寺へ。片道料金と言ってください。

1400円程度です。

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必ずケーブルカーですよ、

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だまされたと思って、~まあ成相寺を知り尽くしたガイドの言うことです、~試してみてください!

ご案内も出来ます、お問い合わせは、丹後半島エコミュージアムサービスまで

問い合わせ先 09031624499 (オーガニックライフクラブ 川内)

海の京都・エコツアーガイドの初夢! 』(1月2日 アップ)の見果てぬ夢の続き!

京都で開催される研究学会に集う皆さんに、海の京都の自然と歴史と景観を楽しんでもらいたい、ついては、軽登山を含むウオーク、トレッキングのレクレーション紀行の出来るプランを紹介してほしい、というの問い合わせを頂きました。

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それを受けた森の知恵者、ブナガマは考えました。

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「①天橋立成相山 ②舟屋奥伊根蝙蝠岳 ③上世屋高山 ④上宮津杉山」がまず考えられるだろう、①②は海の京都の名所、伝承があり、国際的なシンボルエリア。

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③④の世界のローカルな味には定評がある、

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どのタイプかは好みだ。しかし、50人規模で、全国から、、年齢の幅、男女構成は不明!ということなら、無難なのは「◆天橋立成相山 もしくは◆舟屋奥伊根」この二つだろう。

どちらも「海の京都」の顔。甲乙つけ難し!

◆「天橋立籠神社成相山成相寺・国宝雪舟天橋立絵図」コース

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(↑ 宮津 成相山 天橋立大観望)

京都→(バス)→①智恩寺→(自転車・橋立松並木)→②籠神社→(ハイキング雪舟橋立絵図コース 絵図の解説 鈴屋 森さん)→③成相寺→(バス)→④大観望展望台→(バス)→⑤丹後ふるさとミュージアム→お土産・ヤマイチ 橋立ワイナリー等 →(バス)→京都

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◆「舟屋奥伊根・浦島太郎、除服伝承」コース

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(↑ 舟屋の里 伊根湾内)

京都→(バス)→①丹後ふるさとミュージアム→→(バス)→②浦島神社 玉手箱を宮司さんに話してもらう→(バス)→③本庄 浦島の浜→(ハイキング・ウオーク→野室→泊→)

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(↑ 新井岬)

④新井・除服神社→(バス)→⑤伊根舟屋の里、向井酒造など→(バス)→京都

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(↑ 撮影;山田眞一さん 蝙蝠岳から伊根湾 与謝の海を見る)

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こんなアイデアをくれました。

そういう提案をしてみたところ、、
◆「天橋立籠神社成相山成相寺・国宝雪舟天橋立絵図」日帰りツアー

こちらに関心を持っていただきました。30名規模の見込みで進めていってくれというオーダー。

現状、妥当な選択をいただいたと考えます。

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(↑ 天橋立の渚)

このコースで可能な限りバラエティーに富んだ内容を組んでみます。

【あらためてお題の確認】
① 日程 7月中旬
② 人数 30人程度
③ 発着  京都駅付近 ホテル
④ 日帰り(泊無し)ホテル発 8;30 同帰着 17;00
⑤ 参加者 年齢 40代 男女混成 体力普通
⑥ 内容 海の京都の自然と歴史と景観が楽しめる軽登山を含むウオーク、トレッキングを含むレクレーション紀行
⑦ 目的 ある学会のため全国から参集された方々の親睦と慰労とリフレッシュ
無理が無く疲れが残らないことに配慮されたい

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(↑ 橋立明神付近)

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上記のお題を踏まえて、さて、

夏期  7月中旬  という暑さが予想されます。本来ならこういうところがいいのです。

IMG_2723.jpg夏

(↑ 味土野ガラシャ大滝)
コロナなどの今般の状況を考えれば、最大に優先させるのは健康管理、 風、日陰、涼しさなどだと考えます。従って、例えば、軽登山を含むウオークについては、疲労、消耗の予想されることは極力避けて頂いて、「低いところから高いところへ登る」のでなく、逆に「高いところから低いところへ下る」と言う形で考えることにしたいと思います。智恩寺から一宮・籠神社までも、松並木をウオークするのは避けたいところ。松並木を自転車で走り抜ける方法と阿蘇海を観光船で渡る方法との二つの移動方法がありますから、そちらを使う。発着地がほぼ同じなので、体力、希望に応じて選択してもらうことが出来ます。
【コース具体案】
京都(8;30発)→(バス)→
①智恩寺 駐車場着(10;30) トータルコーディネータ合流
境内散策 (① 雪舟絵図地蔵 ②稲富一夢齋 墓③文樹)
→対岸へ移動 11;00発
※選択 ア(自転車・橋立松並木 20分)
イ(観光船で一宮 12分) →

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②籠神社 参拝 経由
③昼食(つるや食堂)11;45着 →籠神社駐車場 →バス 12;30発

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④成相山大観望12;50着  13;05発→バス
⑤成相寺 13;15着  参詣

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→(成相参詣古道・下りウオーク 股覗き発祥の景観経由)

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→笠松公園→(リフト利用)→

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一の宮駅 14;30 →バス 14;35
⑥海鮮お土産店・やまいち 見送り15;00 トータルコーディネータ下車

バス→京都着17;00

■ 阿蘇海観光船11:00 ※所用12分 30分間隔      運賃600円
■ レンタサイクル 2時間400円
■ つるや食堂   0772-27-0114
天橋立観光協会www.amanohashidate.jp/food/turuyasyokudou/
※観光バスの動き

①智恩寺駐車場で下ろしたあと、籠神社駐車場に移動して待機。
②昼食後の一行を乗せて橋立大観望へ移動、その次に成相寺まで移動。ここで一行は下車。ケーブル一宮駅近くの駐車場で待機。一行を乗せて、お土産処やまいちへ移動。

※担当 ■トータルコーディネータとして 全行程に同行させていただきます
(2人)日当 一人 10000円

以上起案 丹後半島エコミュージアムサービスでした

楽しい旅をして頂くことを願っています。

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、、、、、ここで目が覚めました。

昭和41年の味土野の里の写真です。

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野間・洞養寺の本堂に掲示されているのを撮影させて頂きました。

村の活気を写し取った貴重な記録です。

お玉さんも一時、身を寄せたこの里については、

□「戸数はどれほどじゃ」「せいぜい、二十戸もござりましょうか。山伏寺などもござります、。三浦綾子

■あちらに一棟こちらに三棟と山の中腹に立てられた茅葺き小屋を寄せ集めても十棟とはないこの山の部落 伊崎義明

□お玉が始めて味土野の地を眼にしたのは、だから、一夜明けてからだといっていい。奥丹後の中央と言うべき山の中で、幾つめかの峠を越えて、やや下り坂になったところに小川を巡らした小さな大地があり、そこにささやかな小屋がひとつ。それがお玉の棲家だった。荒れた山寺と、流れに身をのりだすようにしている貧しげな数軒の百姓家のほかは、天に梢をさしのべた樹々によって区切られた静かな空のひろがりがあるばかりである。 永井路子

、、、、、、などと書かれています。せいぜい、二十戸とかあちらに一棟こちらに三棟と山の中腹に立てられた茅葺き小屋を寄せ集めても十棟とはない、とか、実態に合ってはないのではないかと、写真を見ながら考えました。貧しげな数軒の百姓家と言うにあたっては、幽閉という状況の厳しさを表すために、と言うことでありましょうが、村の状況がゆがめられているような気がして、不本意だと写真は言っているようにも感じます。

まあ、それも想像と表現の自由の範囲ですけれど、それがほんとだと思われるのは迷惑だというのも理解できます。

さて、そのお玉さんを、2019,4.3放送NHK英雄たちの選択が取り上げていました。

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その中で、紹介されていたのが、永青文庫に保存されている露払いという織物。

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そのナレーション。

「夫忠興のために自ら織り、仕立てたと伝わる麻の服」そして、「防水効果のある柿渋でそめられ」と ナレーションでは語っていらっしゃいました。同館副館長の橋本さんは、「婚家での立場を確立するために」玉は頑張ったのだろうとコメントを添えていらっしゃいます。

そのナレーションを聞き、あれ!と思いました。

というのが、そのお玉さん制作の露払いにつては丹後では「藤」。藤のツルから取り出して糸で織る藤織りと理解されておるからです。。この出典は、梅本政幸氏『細川ガラシャの生涯と婦人をめぐる人々』です。「味土野で織られたと診られる藤布 手織りの手縫露払」と写真のキャプションにしるしていらっしゃいます。録画しておりましたので、再生し、生地をよく見ました、麻かなぁ、これは?と感じました。梅本氏は元中学校校長を務められた教育者でかつ緻密な調査で誠実な郷土史家として信頼の厚い方です。

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テレビ画像の露払の生地の荒さは、藤布に良くにておりました。そして、柿渋採取、これは丹後の山村の大切な副業でもありました。

玉が織物を織ることが出来る技を持っていたということは、三浦綾子さんの記述に、父光秀は、人生には困難な事がおきるであろうからとしっかりと生きる技は教えたとありますから、確かなことだとかんがえていいと思います。

はたして、玉が織ったとされる露払いは、いつどんな状況で織られたのでしょうか。

許されて、大名夫人に戻ってから織りあげられたものなのでありましょうか、

それとも、幽閉中の仕事であったのでしょうか。

丹後人としては、味土野での生活中の仕事で、味土野衆の女たちと一緒に糸を績み、織り上げた藤布であって欲しいところです。

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梅本氏は希望的に藤由来とお考えになったのでしょうか、あるいは、里の語り伝えのなかにそのような伝承を聞き取られたのでしょうか、実際に同館を訪れて手にとって確かめ、これは藤であると確信されたのでしょうか、定かではありません。

味土野での、玉さんと藤とのかかわりについては、中江忠宏氏も『丹後思い出散歩 あのころへ』のなかの、細川ガラシャの稿で取り上げてらっしゃいます。なんでも、熊本テレビの取材のさいのこととして、地元のかたとして中江氏は、「シデの大木に巻き付いている大きな蔓を指さし『この蔓は、ガラシャが女城にいた時、自ら植えたと伝わっている藤の蔓です。春にはきれいな薄紫の藤の花がシデの木いっぱいに咲きます』というようなことを話した」とおっしゃっています。

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玉さんはなぜ藤を植えたのでしょうか?花を見るために、ではなく、藤の蔓の皮から糸を取り出すためではなかったのでしょうか。

細川護貞氏は、「我が家の正史綿考輯録を繙いてみてももっとも知りたいガラシャの動静は一番わかりにくかった。結婚の前後の事情と最期の様子とし実にはっきりしているが、そのほかはまったく知ることができないことにキリシタン関係のことは霧の彼方である。キリシタン大名の影響、侍女の介在などは「稗史野乗」(民間で編纂された雑史)と!

洞養寺には、味土野の行者さんの像も預かっておられます。

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麻由来か藤由来か、真実をご存じなのは、このこの行者、えんのおづなさまかもしれませんね。

五十河から味土野へかけての尾根筋に巨樹があったはず、、、!

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思い立って訪ねてみると、大イタヤカエデが迎えてくれました。

苔の付き方が月日を物語っています。幹周り400cmはあるでしょうか、

植林禍を免れた一角に、山の王者のように根を張っていました。

迎えてくれたのは、もう一つ。頭上を影がはしりました、

?!

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(↑ネット引用画像)

クマタカです。たしかにこんな様子でした。

遠望する尾根は内山高山山塊。

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環境省カテゴリー絶滅危惧ⅠB類(EN) クマタカがこの森に棲んでいるというので、京都府の自然200。

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(↑ネット画像引用)

『比較的険しい山地に生息し、森林内の急斜面にある大きな樹木に営巣する。森の中に住む様々な中小型の動物を獲物として、森林内のけもの道や林縁で狩りを行う。主な餌はノウサギ、ヤマドリ、ヘビなどである。』(京都府レッドデータ)

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そのクマタカを頭上をかすめるようなところで見せてくれたのは、森林内の急斜面にある大きな樹木に営巣すると言うこの大イタヤカエデだと感謝しました。大きな鳥には大きな樹と大きな森が必要なことを、しっかりと確認出来ました。

 

 

丹後のツバキを見るなら、野間、青龍山洞養寺。

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整った樹形に一杯に付けるのは大ぶりの八重の花。

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「野間川の つらつら椿 つらつらに 見つつ偲はな 巨勢の春野を」といった風情でしょうか!

※本歌「河の辺(へ)のつらつら椿つらつらに見れども飽かず巨勢の春野は
春日蔵首老(かすがのくらのおびとおゆ)巻一(五十六)」

「つらつら椿」たくさんの花または葉の連なった椿。「つらつらに」念入りに。
「偲はな」〈しのふ〉はここにないものを思い浮かべる。〈な〉は希望または勧誘。

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土地誉めは、土地土地の地霊や道の神々のご加護を得て旅の無事を祈るためには欠かせません。ツバキの背後には丹後の山。二つの三角形、ツバキが真似たのか山が真似たのか、見事です。山から里に下りてこられる春の神様の依り代として、咲き誇る洞養寺ツバキ、見逃せませんよ。

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その山の中の味土野の里も、春。

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城跡に咲くマメサクラやダンコウバイ、

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お玉さんも手にとったのでしょうか。

 

 

 

加悦町江山文庫でひらかれている企画展が、すてきですよ。

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字は「書く」もの、「打つ」ものと思っている私たちには、不思議な感じになることうけあいます。

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取り上げられている短歌や俳句は、それ自体厳選された作品で味わい深いのです。たとえば、

「たのしみは朝おきいでて 昨日まで無かりし花の咲ける見る時」橘曙覧の名歌です。

植田さんの手を経ると、色が見え、香りや音が蘇ってくるようなのです、言葉に籠もる魂を引き出していらっしゃると言うのでしょうか、字で「描いて」いらっしゃるといえばいいのでしょうか。

展覧会のタイトルは水茎春秋。「水茎」は知る人ぞ知るといった言葉。「みずくき」と読んで、筆、毛筆をさします。

□水茎(みずくき)の、岡の葛葉(くずは)を、吹きかへし、面(おも)知る子らが、見えぬころかも

〔語源〕「水茎」は、(1)「瑞茎(みずみずしい茎)」の意で、筆のたとえという。また、(2)古く手紙は梓(あずさ)の枝に玉をつけたものを持たせてやったことから、その使いを玉梓(たまずさ)の使いというが、その梓を「みずみずしい茎」としたことから手紙のことをいい、転じて、筆跡、また、筆の意になったものという。

□意味と用例(1)筆の跡。筆跡。「書道展で見た、かな文字の水茎の跡には、ただただうっとりといたしました」 (2)文字。また、手紙。「今は亡き祖母の水茎の跡を時折眺めては、優しかった人柄をしのんでおります」

この展覧会のほかの展示もおもしろいですよ。

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江山文庫、

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小さいけれど濃い中身の文学館です。ぜひ訪れてみてください。

 

 

 

 

 

 

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