2013/04/27
総苞の形以外に、外来種セイヨウが昆虫に頼らずとも花粉なしで自己結実ができるのに、在来種カンサイは花粉を運んでくれる昆虫がいないとできないという違いがあります。増殖力に圧倒的な差を見せつけられるのはそのためです。さて、この二つ、交じって雑種を作る可能性があると言うのです。
今年はタンポポがようめだちますなああとてるみさん。カンサイタンポポは、小ぶりなはず!鎌で草刈りをしてきたてるみさんの観察は鋭いです、
ちょっと不安な事でもあります。
2013/04/27
ヤマフジが満開となっています。
ただ少し残念なのは、写真を、藤棚状態にしか写せないこと。昨春はスラーの立ち上がった姿を観賞できたのですが、絡み樹のケヤキが折れているのです。
原因は、今冬の雪。密に絡んだ蔓に積もる湿り雪の負担に耐えられなかったのでしょう> けれども、やはり、西国系のものあたりのノダ藤はつぼみまだ固しの状態なのに、美しい藤色の存在感は揺るぎません。
さて、フジも花食可です。天ぷら、あえもの、酢の物など花の香りが楽しめます。このフジをお寿司に生かすことを創案されたのが、我が部会の國村さん。元伊勢「篭神社」はフジをご神木にするお宮です、周辺のレストラン等ではフジを食に生かすアイデア、取り入れられたら、お客さんへのイートパフォーマンスになるんだろう、どうなんでしょうなど、はなしています(^.^)
2013/04/26
ナシは、魔除けの縁起樹とされています。災厄無しに通ず!上世屋にはそのヤマナシが、里を囲むように4本生育し、今盛り!
そのうち二本は、府道の道端にあります。 かなりの高木です。多くの実をつけます。食べるのですか、と尋ねても、古老は美味くない食べた記憶は無いと。しかし、場所的に意図的に保存がはかられている様子がうかがえます。
いつからなぜ、ふと思い付いたのはこの出来事、、、、。
、、、、70軒以上の家が軒を接していたと言います。その里から火が出ました。残ったのは民家一軒と学校のみ。上世屋大火!昭和19年9月2日の事です。火元となった家の方は、ナワを腰に巻いて謝罪にまわられたということです。 神仏も見放したかと思う惨事。里の人は、復興に人事を尽くす傍ら、思うことは、火魔の侵略をなぜ許したのか、です。 そして、その結論の一つは、「風水では、東南・西南の方角から、「衰」の気がやってくる、その方角に怠りがあったのではないか。 火魔はこの方角から入ってきた!」ではなかったのでしょうか。
ヤマナシの咲くのは、村の中心部から見ると東南・西南のようです。
ナシは水気の多い実です。 火魔の侵入を防ぐ守りの樹として、祈りの木として、風水の考えに従って世屋の人はこのヤマナシを植えたのだ、、、、。
確信に近い思いで、毎年の花を撮っています(^.^)
2013/04/26
「差し向かう 心は清き 水鏡」 土方豊玉。
豊玉は俳号、本名は歳三。幕藩体制の末端の若者たちが闘いあったのが幕末の動乱、その片方の雄土方歳三さんは俳句を趣味とされたと言うことです。わたしの心は水鏡のように微動だにしておりませんよ、と解釈したらいいのでしょうか!
ところが、彼の句の実力、あまり上手くはないと評するのが、司馬遼太郎さん。たしかに、俳句と言うには生すぎますよ。第一に季語がありません。というのは、水鏡という言葉は一般的には、季語として位置づけられていません。風さえなければ、いつでもどこでも起こる現象ですから。それを田植え前から田植え直後にかけてのみ見られる現象として、季語と理解していたのなら、歳三さんも、根はお百姓なのでしょう。
けれども、そのたんぼの水に映る景色への感動、共有できます。文句なく美しいです。
ところで、このように、たんぼの水に光景が映るということは、そこからの光りだけが届くと言うことです。
そのためには、一定の角度、一定の距離が必要なのです。
一番美しく見えるポイントを求めて、その角度、距離を測りながら動くのも、楽しいことです。
2013/04/24
府中の里一帯に太鼓や笛の音が響き渡っていました。
篭神社の春祭りです。
このお祭りは藤祭とも言われ、神主さんの冠には藤の花が飾られます。
花の美しさはもちろん、よく延び茂りる蔓は延命・子孫繁栄・商売繁盛、万物繁盛に通じ、また「フジ」の字は不二・無事に通じる事で御神木とあがめていると言うことです。
太刀をを奉納する子どもたちのりりしい鉢巻き姿、
お守りと一緒に緑のもの。
それは藤の新芽なのです。藤の霊力が子どもさんの一年の無事と活躍を守ってくれます。
藤織りの里、上世屋にまもなく現れる藤衣をまとって田の仕事をする人が、異常にタフなのは、藤の霊力によるものなのかも(^.^)