「この川の名を、なんとか申す?」
は、古くは、倉梯川、今は野田川と申しております!
「ほう、それもよかろうが、この夕陽のみごとさ、」
「どうじゃ、与謝野夕陽川と名付けては!」
それはなかなか風流ですなあ、ではさっそく、看板をたてましょう、、、。
2月20日17時26分54秒、与謝野町かぐや橋付近から、
サケの稚魚が橋立の海へと下っていくのも今頃です。
信じませんよ、光秀さんが生きている、なんて。
『兼見卿記』 『公卿補任』 『言経卿記』 『多聞院日記』『華頂要略』など、公家さんたちの日記に、本能寺事件は記されているということ。
なかでも、生々しいのは、『言経卿記』。ここには、光秀は醍醐の辺りに潜んでいるところを郷人が討ち取って、首を本能寺に献上した。6月17日、光秀の家臣・斎藤利三は近江堅田(滋賀県大津市)に潜んでいるところを探し出され、京都市中に乗り物で移動し、六条河原で斬られた。
7月2日には、、光秀と利三の首は胴体と接続させて、京都粟田口で磔にされたという。そのほか光秀方の将兵の3000余の首については、首塚を築いたと。
光秀さん生存説は「妄説」。亡くなっているのです、、
けれども、「麒麟」は死んではいない、もうすこしいえば、
光秀さんの体からは離れたけれども、ということでしょうか。、
「みつひでさまをおまもりするようにといえやすさまから」
『麒麟』様が次に付くのは、いえやすさま、というメッセージ。
池端さんの脚本の元に、役者照明音楽道具衣装すべてのスタッフいったいとなった仕事に、ブラボー!ブラボー!
麒麟は不滅なのです、なぜなら、麒麟は「希望」なのだから。
希望を持つ限り、麒麟は生きていて、私たちのそばにいる。
ひょっとして、光秀さんもその側にいらっしゃるのかもしれない、、、、、
信長のような人、世界中にいっぱいいるじゃないですか
その陰で涙を流している人たちを押さえつけるような体制もつづいていて、戦争も紛争もたえないじゃないですか。
けれども、若者たちは向かうのは希望の光の差す方向。
そんな彼らのために、「光秀さんは、殺してはいけない、うらぎりものとして、檻に閉じこめてはいけない、光秀さんは、いきていて、野に放たれた、それは、希望に向かって歩む者への応援歌、それが、大河の役目だろう、、、と思いますから。
さて、丹後半島ガラシャロマン学の立場からは、生きていて欲しい。なので、芦田まなさんの演じる玉さんのういういしい健康なイメージと重なって、哀しみの中にほわぁぁっと温かみのあるエンディングはたいへんよかった。
、、では、生かしたのはだれか、その黒幕は、、、朝廷であり、細川さん、あなたではありませんか。
光秀を救え、、、当面の敵は信長打倒、光秀には不安がある。保険を秀吉にばかりかけていては危うい、徳川殿も恐るべし、局面を藤井そうた八段のように読み切ったうえ、光秀生かすべし、極秘裏に動いたのです。
しかも、その場所は、丹波の山奥に、、、
ではないだろう、都に近すぎる
玉とともに、自らの国・丹後は与謝郡の山奥、味土野に隠したのです
根拠は!
味土野には、城が二つといいます。
女城と男城です。不思議がられています。男城には警護の侍が詰めていたと説明は、不自然、離れすぎていると。城というかぎり、城主と目される格式の男がいると考えていい。
女城の城主は、玉。男城の城主は、光秀、、、、、、、。この功績により、細川家は、今日までキングメーカーとして、続くことになった。
ね、、、、■◆■さん
光秀丹後の味土野潜伏の事実は、歴史家によって、完璧に拭き取られたのです。
(ひていできませんね、ほそかわけならやりかねない、まあ一次資料をさがしましょう)光秀丹後の味土野潜伏の事実を、完璧に拭き取り、
明智光秀公辞世句
「心しらぬ人は何とも言はばいへ 身をも惜まじ名をも惜まじ」
「順逆無二門 大道徹心源 五十五年夢 覚来帰一元」
順序正しい道もそれに逆らった道も、同じ一本道に変わりはない。
(明智軍記)
などと、光秀さんの言いもしなかった歌を捏造し、真実をゆがめたのは後世の歴史家たちなのです。
あらためて、麒麟が来るの光秀さんから、、世を平らかに!そして、和やかに!
青を衝けのえいいっつぁんに送られたメッセージ、楽しみたいですね。
シキミ、、、、、か?、、、、、、!
うっそー、、、ですね。
大半のウエブが「春に直径3cm程の淡黄白色の花を咲かせます。」といっています。
『日本野生植物館』では3~4月と幅を持たせてはいます。
が、今、いつだと思ってんですか
12月ですよ。
なにかあるんですかねぇ。まさか、わたしには新型ウィルスに効く成分がある、わたしを使いなさい、というわけでもないでしょうし、、、。
葬式花、墓花と思ってましたが、それも違うようです。
□奥山の しきみが花の 名のごとや しくしく君に 恋ひわたりなむ
(「万葉集」巻20-4476)
□しきみおく あかのをしきの ふちはなく 何にあられの 玉と散らまし
(「山家集」下)
□帯うちして、拝み奉るに、「ここに、つかうさぶらふ」とて、しきみの枝を折りて持て来たるは、香などのいと尊きもをかし。
(「枕草子」116段)
こ、これは!
本能寺の変を丹後に知らせた早馬!
嘘でしょ!
(イエス、イーバイク)
こ、これは!
味土野の空に麒麟の光臨を見た玉の、喜びの涙!
(嘘でしょ)
いえ、小春日の空に、玉さんは、麒麟の来る国を夢見て果てた父光秀を見たのかもしれません。
こ、これは!!
小春日の味土野で、小笠原少斎とガラシャさんが語らっているのです
、、、
あれでよかったのでしょうか
それしかなかったのです
麒麟は降りてこられたのでしょうか
戦国の世を終わらせ、麒麟の降りてこられる道を拓いたのです
、、、、。
『麒麟が来る』も、いよいよクライマックスへ。芦田真菜ちゃんが玉さんを演じるそうですね。
この味土野へはイーバイクがいいですよ!
色づいた森本田圃に舞い降りたコウノトリ。
お・ぬ・しー 米、食い荒しに来たかぁ!
お、ノーノーノ!
稲刈りの手伝いにきてくれたか!
ノーノー
米を食うのでもなく稲刈りの手伝いでもないとしたら何しにきた?
のっしのっしと迫る大きな体に驚いて飛び出す無数の虫、イナゴ。それをついばんでいるのです。
人の健康にいい農法は、「害虫」も発生させます。しかし、その大発生は、他の生き物のありがたい食料となり生物多様性を育みます。
コウノトリ田圃の豊作のお相伴にあずかることを楽しむように、無心についばんでいました。
さて、猛暑でも8月は終わり、花暦は確かなもの、
サルスベリが9月の始まりラッパを吹き、
コスモスが、フルートを吹いて、交響楽「四季・秋」が始まります。
夏緑樹林(かりょくじゅりん)の森を見学に来たのに、目の当たりにしたのは、秋でもないのに緑の葉を褐変させている中心樹種のコナラやミズナラたち。
ナラ枯れ、この暑さが進行を加速させたのでしょう。
どうする?
どうしようもない、様々な生き物、植物や動物や菌類が協力し、競争し、利用しあいして複雑なネットが張り巡らされているのが森だ。特定の物に人が安易に肩入れしてその関係を崩すことが多い、
カシノナガ木食い虫も子孫を残すためによく進化した虫で、彼らにも理屈がある。
ミズナラなどが攻撃されるのを喜んでいる樹があるかもしれないってこと?
あるかもしれない、あえて手をいれないことも大切。
ほっとくの!
ドングリがならないから森の生き物は食料危機に見舞われる。
地球の酸素が少なくなる。
ナメコがたくさんはえるぞぉ!、、、、それ不謹慎。
夏緑のかりょくが枯れ木かれき樹林になっちまうのも、景観上よろしくない
、、、、、、
町にコロナ禍、森に樹食い虫禍、始めは点、それが面になって広がっていく光景も衝撃です
木を一本守れば、それで生き延びるネズミやヘビがあるかもしれない。
巻いてみるかぁ、時期を失したかもしれないが!
この木で遊ぶ子どもがいるかもしれません
※本種は「養菌性キクイムシ」と呼ばれるグループに属し、幹に掘ったトンネル(孔道)の内壁に繁殖した菌類(酵母)を食べて生活している。体には、マイカンギアと呼ばれる菌類を保持する特殊な器官があって、枯れた木から生きている木へと菌類を運ぶ。本種と強く結びついている菌類としては、カビの仲間であるRaffaelea quercivora[1](俗に「ナラ菌」と呼ばれる)がよく知られる。
このナラ枯れの発生は、林道沿線に一昨年から散見されており、警報レベルの情報はだされておりましたが、いやはや!という感じです。
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以上、夏山リポートです。猛暑の影響を受けての被害が出ているとはいえ、丹後の誇る夏緑樹林の木立を渡る風は下界とは比べられません、上がってこられてはいかがですか。
ここのウオークが9月連休に海星公園スタートであります。ご利用ください。
全国各地から届けられるアジサイ名所の花便り。
丹後でも梅雨の季節のうっとうしさを癒すように、先の見えないコロナ禍の不安を励ますように咲いています。
京丹後市大宮町出会いの踏切のアジサイ。
天橋立、溝尻付近のアジサイ。
大宮町五十河、小町公園のアジサイ。
与謝野町岩滝の阿蘇海臨海公園のアジサイ。
さて、これらの様子を見ながら、不思議に思うのは、いまどき、シカやイノシシ対策無しで里山は成り立たないのに狭苦しい電気柵やメッシュ柵で囲まれるのはご免だと言わんばかりに のびのびと咲いていること。
弥栄町野中の堂々としたアジサイ。
スイス村では、アジサイはロードフラワーです。
シカにしてみたら、葉も柔らかそうで、カラフルな花は美味しそうにみえるのではないですか。いかにもどうぞ食べてくださいとさらけだしているのに、シカが手を出した様子が見られないのです。
なぜ?
ここは、シカに直撃取材です、
その秘密を尋ねてみたところ、確かに食わない、あれはあかん、毒があるといって、富山大学和漢医薬学総合研究所の数馬恒平先生紺野勝弘先生が、 厚生労働省のプロファイルに書いてらっしゃる「自然毒のリスクプロファイル:高等植物:アジサイ」という記事を読め!と教えてくれました。
それを見てみると、こんなことが書いてありました。「1920年にアメリカで馬および牛のアジサイ中毒の報告があります 。これによれば 、動物は下痢 、体温上昇 、呼吸数および心拍数の増加 、骨格筋の強い収縮などがみられ 、山羊のように足を突っ張って飛び上がったりしました」
なるほど、、、そういうことがあったのですね、
チョウやカエルが毒を持って身を守っている訳ですから、アジサイが毒をもって身を守っていることは納得できます。うすばしろチョウはもたもたと飛ぶチョウです。けれども鳥は襲いません。うすは白チョウはヶマン草などケシ科植物由来の毒を身に溜めているからです。アジサイは日本原産のエゾアジサイが元、改良されてジャイアンな姿になっていますが、原産のニホンアジサイは可憐なか弱い植物です、ライオンとネズミくらいの違いがあります。ネズミ時代のニホンアジサイが身につけた知恵なのかもしれません。
ところが、被害を受けている名所もある、近くの玄武洞などでもそうだといいますから、話は単純ではありません、
どうも、数ある鹿の中には、その「中毒感」がいいとかいう変なやつが生まれているのかもしれません。あるいは、シカ自身の本能が、外敵に襲われないように、「毒」を体にため込もうと試みているのかも、、、。
(↑ 弥栄町舟木 那具神社のアジサイ)
自然の行うことは人知を越えていますので単純に納得することは出来ませんが、丹後に、アジサイ毒に中ってらりる感を楽しもうなどという変なシカの侵入していないことを願うばかりです。また、漢方では、アジサイそのものが八仙花(はちせんか)と呼ばれる生薬で、抗マラリア剤とされるそうですから、こんなコロナ禍ですので、新型コロナウィルスに効くかもしれないと、期待をしてしまいます。
高校生たちの夢が奪われる、あり得ない、信じられない流行病禍の深刻さに打ち砕かれる思いです。電話や携帯で交わされるのは、連休には帰るよ、あかん、帰ってこんでもでもええよ、、、そんな言葉ばかり。
旅人もあしどめ、旅立ちたいのに改札口は閉まっている、季節は旅のシーズン。しかし、けれど、動くな、交わるな、いまは耐え難きを耐え、忍び難きを忍んで、一億総ステイホームの呼びかけに従うしかありません。
丸い卵も切りようで四角!石になれ、じっとしていろと言われてじっと石になっているのは苦痛です、しかし、意志で石に化するのはまたちがうもの。座禅!座禅!一億総ステイホームを一億総座禅運動!と読み替えることにしましょう。
いまは、眼をつむるとき。心の眼を開くときです。
そして、眼をつぶれば、いつでも、そこに花、そこにふるさと、
この歌が 『旅立ち』の改札口を開けてくれますよ。
♪雪解け間近の北の空に向い
過ぎ去りし日々の夢を叫ぶ時
帰らぬ人達 熱い胸をよぎる
せめて今日から一人きり 旅に出る
あゝ日本のどこかに
私を待って咲いてる花がある
いい日 旅立ち 夕焼けをさがしに
母の背中で聞いた歌を道連れに・・・
岬のはずれに少年は魚釣り
青いすすきの小径を帰るのか
私は今から 想い出を創るため
砂に枯木で書くつもり“さよなら”と
あゝ日本のどこかに
私を待って咲いてる花がある
いい日 旅立ち その花をさがしに
父が教えてくれた歌を道連れに・・・
あゝ日本のどこかに
私を待って咲いてる花がある
子供の頃に歌った歌を道連れに・・・
!!
♪ 眼閉じれば、閉まった改札もフリーパス!
※谷村さん、ごめん、
歌詞を一部いらいましたよ!