2012/08/03
合歓の巫女の話からです、追っかけになったのは。
ここは、原生の森を切り裂いた道の崖。たしかに合歓は暮らしの跡、人が傷つけた跡に咲いているのです。合歓には何かある!カメラマンの直感ていうのですか、何でもいいのですが、心の花になったのは合歓の巫女からです。

ところで、俵万智さんとずいぶんおつきあいをしてきました、教科書でですけど。そこでこの光景を彼女風に!
♪山に合歓を 海に岬を 空に雲を
置いてみようと 置いたのは誰!
世屋・高山ガイド部会の活動ブログ
2012/08/02
夏の里の風景になじんでいるこの花。
和名は、姫檜扇水仙。
しかし、外来種なのだそうだ。しかも、来日したころが特定できる。1879年にフランスで南アフリカ原産のヒオウギズイセンとヒメトウショウブ(姫唐菖蒲)が交配されできたものが姫檜扇水仙。
1879年といえば日本では文明開化にわく明治の初期、ショッキングオレンジと表現する人があるくらいアピールする色は、暗い封建時代を打ち破る西欧文明を象徴する花として、歓迎されたに違いない。
ところで、森の民の村・木子の方言に「すってんしょ」という言葉があることを木子小学校に赴任した先生が記録している。駅という言葉があるのに、木子ではすってんしょと言っていると。1872年(明治5年)に開業した鉄道はイギリスからものも人も言葉もセットで導入した。「ステーション」は文明開化の感動を伴って全国津々浦々に広がった。姫檜扇水仙も鉄道網の広がりと共に全国に広まったのではないだろうか。
2012/08/02
石造りの橋が世屋川の深い谷に、美しいアーチをかけている。
下側橋。現在宮津に残る石作りアーチ六橋の一つ。
明治19 ~大正後半の完成とされる。時は「新しい物流」時代。幅の狭い丈夫ではない木橋から、幅の広い堅牢な橋を求めた。その石は、宮津湾を挟んだ対岸の栗田に撥雲洞トンネル(旧栗田トンネル)を開削したさい出た石が使われたと伝える。
このトンネルの余材として出た石が大手橋の掛け替えなどにいかされ、新しい交通時代をひらいたのだ。
アーチ橋は谷に車輪を半分にしたような木枠をつくり、その上に石をのせていく工法だという。石を積み終わったら、その枠を外すのだ。
ブナ林の水はこの橋をくぐり海に行く。
夏はここで松尾の子供たちが、水浴びをした。
2012/08/01
日本に近づく台風も寄せ付けないほど勢力が強い太平洋高気圧。
海も
(↑ 上世屋 はぎわらの田から高山ブナ林を望む)
こんな時の見所は、「 青い空が好きなんです 私は夏の子」といわんばかりに咲き誇る花たち、
オニユリ 花言葉は「愉快」「華麗」「陽気」には納得。
(↑ 下世屋 はなうた農園 奥の山は松尾たんぼ)
「賢者」というのもある、うーむ。心頭滅却すれば猛暑も涼し!ということか、、、、
そして合歓の花。
「胸のときめき」が花言葉。「創造力」もあるとか。こりゃあ見に行かずばなるまい!
今日から八月、7日はもう立秋。秋の「花野」の七草も楽しみどころ。
キキョウ

ハギ
オミナエシ
下世屋の高崎農園、お盆の迎え花も花盛り。