宮津エコツアー · 世屋・高山ガイド部会

世屋・高山ガイド部会

世屋・高山ガイド部会の活動ブログ

2012/05/26
苗代で育てられていた苗、20センチくらいになったでしょうか・葉も4、5枚見えます。もう本田へ移し替えても大丈夫です。真砂会・効力の家のふすま絵を描かれた先生主催絵画教室)の皆さん一行の田植えです。

大きな歓声が上がりました。足が抜けなくて尻餅ついちゃいました!

泥パックってのもあるしね、水着着用してくればよかったね。

次に来られるのは?

秋です、

さいさいきたくださいよ

忙しくて、

聞こえないようにいいました。「いや、絵が変わりますよ」

(誰かが誰かに言われた言葉です、写真が変わりますよガイドが変わりますよ その通り、自分が変わるのがエコツーリズムです、ソウでないと地域は帰られません)、

s さん、どうしたんですか、黒マルチ節約ですか?

雑草と戦ってみよう、いや共生してみようと思って。

さすがにエコツーガイドです。(でも、無謀ではありませんか、こなぎぐらいなら取って食べさせてもらいますけど、)

光をあびて大きくなれよ!と祈りながら、根をしっかり広げがんばれよ!気持ちを込めて、一本一本植え付けていきます。

約三ヶ月で穂が出て花が咲きます、刈り取りは約四ヶ月後。お百姓と稲と、そしてお日さんと水と生き物達とのドラマのスタートです。

 

2012/05/26
畑は坂の里。

田んぼは段々田んぼ、畑は山に。


おばあちゃん、いくつになられました?
80何歳、忘れたがな!


今日も元気に畑に向かいます、子供達が贈ってくれた電動車で。

2012/05/26
「なる」と言う地名は、丹後各地にある。畑の「なる」は成相山の山麓にある。里からは、一つ向こうの谷になる。そのため、直接は見えない。小さいが峠を越えていく。

山親爺は、その峠の切り通しの右手に立っている。

ご機嫌はあまり麗しくないようだ。

20年ごとぐらいにかまってくれたが、とんと音沙汰がない、どうなってんだと。

山親爺の下には、檻がある。去年は熊が入った。そこを右に上がれば、成相寺へ、左の先には、「なる」田んぼが広がる。

圃場整備をした、整然とした美しい棚田だ。

この田を潤す湧水の一つが、観音名水。里では、末期の水としたほどうまい水だ。

2012/05/25
道ばたに標語の立て看板。天橋立を校区にするF小のPTAなのでしょうか。「心持ち橋立のごとくまっすぐに」。横一文字観大内峠展望台の視点です。確かにまっすぐです。
ところが、上から見るとまっすぐではない、弓なりにも見えます、いろいろに見える、そこが橋立の良さです。このときどう言ったらいいんでしょうか、「いいんだよ少しぐらい曲がったって。」よくないよくない!
けど朝日天声人語」2012/05/25「人は一生の間にどれくらい罪を犯すものだろうーと、故井上ひさしさんがユーモラスな筆致で書いていた、と。彼もいろんな罪を犯して大人になったと。たとえばスカートめくりなど。そんなことをトータルすると犯した罪は、総刑期50年を超すという。

それはそうと世屋の里にも、天橋立。

2012/05/25
世屋高原で群舞しているウスバシロチョウが、朝日新聞によって紹介されました。一方、大分あたりの海岸では、すなびきそうの蜜を吸うアサギマダラの群舞が見られるとのこと、南西諸島からの北上が始まっています。どこからどこへ、何日でどれくらいなどアサギマダラの渡りについての実態は、マーキングという方法で情報交換(アサギマダラネット)が進み、ずいぶんと明らかになっているようです。


(↑ 林道 10,10,3)

よくしらべられるなと不思議だったのですが、おもしろいのは、その捕獲手段。聞いてみると、「白いタオルの一方をつかんでぐるぐる回すとアサギマダラが寄ってくる」というのです。そんなこともあって、夏に日本本土で発生したアサギマダラは秋になると南西諸島や台湾まで南下、繁殖した子孫が春に北上し、日本本土に再び現れるという行動形態、また直線距離で1,500 km以上移動した個体や、1日あたり200 km以上の速さで移動した個体も確認されたといいます。
それにしても、渡りには危険が伴います。しかも、これ見てくれ、といわんばかりの色。国蝶の有力候補にも推薦されたそうですよ。ここに逆手の発想があると言います、間違ってもあいつを食うな、心臓麻痺を起こしたくなければ、渡りを可能にしているのは、目立つ色と体に秘めた武器、つまり毒。その成分は、アルカロイド。彼岸花にも含まれているものです。それを含む草を、幼生は食べ、それを含む花の蜜を成虫は吸うのです。それが、ガガイモ科の植物だったり、サワヒヨドリやフジバカマだったりするというわけです。間違ってもあいつを食うな、心臓麻痺を起こしたくなければ!これは、ウスバ白蝶が氷河期から生き抜いた知恵と共通します。


また、白いまわるものに寄る、どんな体験がすり込まれているのでしょう。何が渡りに駆り立てるのでしょう、不思議です。ちょう語がわかる方、教えてください。


(↑ 手前 フジバカマ )

さて、それはともかく、世屋高原を訪れるあさぎまだらを迎えるために、フジバカマやサワヒヨドリたちが世屋高原休憩所で成長を始めています。この子たちと一緒に白いタオルをぐるぐる回して迎えてやりたいと今から楽しみにしています。ちなみに、アサギマダラの、アサギとは、「浅葱」。青緑色の古称なんだそうですね。

 

2012/05/24
店名どうり、宮津湾の西側の海岸にたつ。向かいは、栗田半島、漁村田井。開店以来30年。丹後半島観光のお立ち寄りスポットの老舗中の老舗。


マスターは玩具コレクター。店はコレクション展示を兼ねる。マスターのこだわりは昭和30年代。あちゃこ、ひこうめん、ぽんぽんじょうき、月光仮面の仮面、その年代へのこだわりを私はわかる。戦争の時代の世代がせんそうを知らない世代に希望を託した時代だからだ。
しかし、新たな戦争は芽を出していた。マスターの挑発なのだろうか、コーヒーの深い苦みが、胸をかきむしる。私たちは、どう時代と向き合ったのだろう、真剣にいきたのだろうか。


マスターはしたたかに計算している。甘い砂糖とまろやかなクリーム!あんたはよくやった、そっといやしてくれる。もう少しがんばってみよう、あの鉄腕アトムのように。


必読とか必見とかいう言葉はある。必訪という言葉はあるだろうか。なければ新たに辞書に登録してほしい。団塊世代、必訪の店。奥様と、あるいはおまごさんと。


世屋の里は、ここから八キロ。アトムが蘇らせたかった命の世界が息づいている。

本日 午後1時過ぎ
上世屋棚田の代掻き仕上げ風景です。
いよいよ26日より田植え開始です!

2012/05/24

エッエムさん、すぐ行ってください、ロッローソンに、
(なんですいなまあ 息を切らしておちついてゆうてみにゃあな)
のんきげなこというとったら売り切れますで
(売り切れるって新商品でも出したんですか)
シンブン シンブン
(新聞!家も新聞なら取ってますで、)
その新聞が違う!いうとったでしょうが、A新聞もとんなれちゅうて
(ガイド料が入るようになったら取らんことないけど)
さあ、そこそこ、ざくざく入ってくる話!Mさん ウスバシロチョウの勉強勉強!
(ウスバってあかねの丘にとんどるやつですかいな、)


それそれ、A新聞にとまって、じゃない のってる すぐ行ってつかまえてじゃない、飼ってじゃない、買ってください、

2012/05/24の「朝日」アットワンスーゴーツーザローロンローソン!
・・・・お後がよろしいようで、、、

2012/05/24
草刈り機の音がやんだ、
かわって沢の水音が聞こえてきた。
草笛のような鳥の声もした、

さくっさくっ 音がし始めた
照美さんが、畑を打ちはじめたのだ

あっちにいたと思ったのにもうこっちの畑だ

いそしさはおばあさん譲りだ
雨をみない日が続いている

さくっさくっ

音がかわいている
水の音と鳥の声と鍬の音
世屋の里の音

2012/05/24

「のうだ」から「馬場」にかけての最も世屋らしい美しい棚田を経営しているのは、一本一本苗を指す二人の手だ。

地滑りによってブナ林道通行不可になった際、その棚田を見る里コースについて、いつでも草道を通っても差し支えないと開拓に協力してくれたのも彼らだった。感謝してもしたりない。
世屋の里の農は、地元農家経営に加えて、現在お酢米栽培する飯尾醸造と放棄田の再生に取り組む合力の会との三タイプで維持されている。あとの新規参入がなめらかに地域に定着したのは彼らの理解と協力があってのことだ。


畜産と米作りの複合、それが僻地農業の生きる道だ、というのは、世屋の暮らしと自然と景観をこよなく愛した父親S,O氏の信念だった。NHK新日本紀行「小さな花の歌」でのエンディングで、耕耘機を動かす青年の姿を映し出していた。約30年前のことである。そのころ父親の信念を継ぐ決意をしたという。

世屋の里が、「日本の里100選」なら、里の柱のこの二人は、まごうことなく「日本の百姓100選」!

 

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