急激な水温低下で南海へ帰れなくなったタルイカ、今日も宮津港へ。
散策中の小天橋北端近くの波打ち際、3m~10m前後の幅で南(宮津方面)へゆっくり移動する生き物発見。(12/13)
タルイカ捕獲得意な知人に連絡、20分後に到着。この間、磯から沖へ行ったり来たりしながら宮津方面へ移動、小天橋南端から二つ目の堤防に近付いたところを捕獲。水温低下で反応がかなりにぶくなっているようだ。
水揚げの瞬間 墨をはくと同時にキュー?の鳴き声。胴長61cm、全長111cm、体重9.2kg
2012/12/21
午前0時から2時を子の刻といいます。では、師走の12月、この月を「子の月」という!ほんとかうそか、ほんとです。
干支を数えてみましょう「ねずみ、うし、とら、うさぎ、たつ、蛇、うま、ひつじ、さる、とり、いぬ、いのしし」。ねずみ・子の刻は、午前0時から2時。了は終了の了、一は一とも読みます、一二三四、、、∞の始まりをそれぞれ意味します。子は、了と一の組み合わせなのです。1年12ヶ月の終わりと始まりがあるのは12月、昼が最も短い冬至、明日から昼が長くなり始めます、その冬至のある12月が、本当の意味の1年の始まりです。 だからこの月を子の月とします。
このように冬至のある12月は、小さな動きだけれど大きな変化の始まりを告げる月なのです。そこで、そんな特徴をもつものを生き物の中からさがすとしたらなにがいるか、ということです、いるじゃあありませんか、「ねずみさん」!この子の多産ぶりたるや「ねずみ算」といわれ豊穣の命のパワーシンボルとされます。
そんな訳で、干支十二支の生き物は、「 移り変わる季節の風景的印象のシンボル」として選考されたものだといわれます。そこで、来年の干支のヘビ、年賀状に、置物に出回っているのはかわいいマスコットになったもの。しかし、里山に生きているものは水田の生態系の頂点の生き物なのです。
(↑ 5/17 産卵に集まるモリアオガエルのメスを捕獲したところ)
このヘビの月は、 5月にあたります。なぜ5月のシンボルとしてヘビが選ばれたのかを、小夜子姉貴さんはホームページで、次のように解き明かしてくれています、すなわち、、、、。
「ヘビは巳と書きます。この文字は「起」に通じます。巳の月(5月)は陽の気が立ち上がって天まで届き、最盛期へ向かっていく季節。世界は陽の気一色となり、陰の気がまったく隠れてしまうときです。
(↑ 4/21 初見 ノギクの坂の石垣)
そんな陽の気に誘われて、万物が身を起こして地表に出現するときであり、普段はひっそりと生きているヘビまでが地上に出てくるのです。
巳という文字は、現われたヘビが屈曲して、尾を垂れた姿を象っているとされています。」と。
そんな訳ですから、巳年の今年は、里山の歳。特に日本の里百選世屋の里はヘビの宝庫。
【4月5月に貴巳ヘビに会うツアー】を企画します、
待ってるよー(^.^)
ちなみに、小夜子姉貴とは、山口小夜さんのこと。1980年代の鳥取を舞台にした伝奇物語『鳥取物語』では、こんなことを語る人。
、、、、、、、、
さて、食べ物といえば・・・相生村では、食べ物のことを「賜ぶ物(たぶもの)」と言います。食べ物は「賜(たまわ)り物」に他ならないのです。
これは、人々が口に入れて栄養となるものを、神々からの贈り物と実感してきたからなのでしょう。
いうまでもなく、人は毎日、タベモノを頂いています。
そして確かに、とちの実やマツタケなどは、ある時期から突然に山から「賜う物」です。
食べることは食べられることにも通じています。
けれども、食い食われることは罪悪ではなく、自然の基層です。
過酷だけれど、豊饒。
そういう連鎖は、現代にあっても時々刻々と起きています。
、、、、、、、
(↑ 川北亮司さん 撮影 1980年冬)
この1980年代というのが、世屋の里に当てはめれば、現代人が、化石布・藤布を織っていた「かわいい、やさしい不思議な鬼婆」たちに出会った時代といったらいいのでしょうか!
2012/12/21
天気は再び冬型。日本海には筋状に雲が発生しています。幸い今日は宇川に行く都合がありました!雲を見ない手はない、ということで、以下そのレポートです。
まずその雲がわいているところ。
(↑ U中の高台から 11;00)
空をみていたら、屋根にサル。サルがいってました、
「外で遊ぶ子がおらんようになったなあ!」
「学校に教えにいったろか、木に登ったり、屋根に上がったりする方法教えますって」
「ようこそ、先輩っていってくれるやろかなあ」
、、、、
雲は風に押されて山を越えます。
(↑ 上世屋 15;45)
塊は若狭湾を埋めていきます。
(↑ 日置 15;12)
雪雲の底面高度は700M 宮津がぺちゃんこになる!
(↑宮津湾 16;13)
阿蘇の海も波高し。
難波潟短き蘆のふしの間も 逢はでこの世を過ぐしてよとや、、、。
日はおちました。日没は 16時53分。、
雲すだれの下は霰模様なのでしょう。右をみてください。斜めに光る筋。飛行機雲崩れなのでしょうか。
雪雲と太陽の織りなすさまざまな表情、冬の空から目が離せません!寒いからといってしたばかり向いていられないじゃないですか。
ちなみに今日(21日)は冬至。とうじは湯治にかけているのだとか。
日照時間は9時間45分。寒い長い夜はゆず湯がいいようです。
、
2012/12/21
冬風に揺れる枯れ鞘。
地味そのもの。振り向かれることはない!ヤツデの花。
どちらも何の変哲もない、「つまらない」もの。
それを組み合わせると!
(↑ 12/20 U中の玄関の飾り花)、
この鞘、ふるさとは台湾のタカサゴユリ、種は風にのせます。。その特徴はといわれれば、植えた覚えがないのに芽を出し花をつける!厚かましさ、荒れ地に群生するしぶとさ、つまりたくましさ。
一方ヤツデ日陰にも強い植物。冬に花を咲かせていいの?暖かい日にハエなど飛ぶ昆虫がいるから大丈夫。他に競合する花もないので、はででなくてもいいと頭も良い。手に似ている大きな葉は、幸福をまねきいれてもらいたいとの期待にこたえるのに十分。
此の二つの組み合わせ、さらに、アケビのツルの鉢。実に深いメッセージと味を表すことに成功しているようです。
、、、、と庄司信洲先生ならおっしゃるのではないでしょうか(^.^)
2012/12/20
マツカサぼうや(かさぼう)!
フム
最近中国や韓国からのお客に対するダブルの国際案内看板が常識。さて、このマツカサぼうや、各国語では、、、。
中国語
松球 sōngqiú ソンチュウ
松塔儿 sōngtǎrソンターェ゛ァー
韓国語
솔방울 ソルパンウル
英語
pine coneパイン・コウン
ロシア語
шишкаシーシカ
、、、だそうです。
では、
日本語では、
まつかさ、漢字では松毬 松笠
(↑ 橋立ワイナリー 農産品販売所)
まつだんご
まつぼくり まつぼっくり まつふぐり、
『松ぼっくりがあったとさ~た~かいおやまにあったとさ~』のまつぼくり、
漢字では、 松陰嚢 ハハハ!「いぬふぐり」よりなまなましい!
さて、かさまつこうえん、マツカサ公園ではありません。そしてこの字は、笠松ではありません。
傘松と表記しなければなりません。
宮津藩主本庄某様が、成相寺詣での途中雨に降られた、その時一本の松がわたしをカサ代わりにしてくださいと申し出た、殊勝な松じゃとこれから、そなたはかさ松と名のれと名前をいただいたのだそうです、
そこで、かさというのはどのような字を書けばよろしいのでありますか、とおたずねしたところ、唐傘の「傘」がよかろうとおっしゃられたのです。
さすがに陣笠の「笠」を、とはいえないじゃありませんか!
殿様はさらに付け加えられたのです。「これからも世の中の傘になれよ」と
森進一に遡ること200年も前のことです。
さすがに名君。ということで、かさまつこうえんは「傘松公園」
※ ちなみにこのエピソード、太田道灌とヤマブキのエピソードに煮ていなくはない。雨に降られた道灌ににこの時娘の差し出そうとしたのは、蓑。蓑がないのでヤマブキ。山の松が差し出すとしたら、果たして、とは思います(^.^)
※ ここまでは天橋立観光協会情報を元にした「傘松」語源話。そこへおいおい、君たちねと割って入るのが、澤潔先生。(探訪丹後半島の旅 中)「かさ」とは、傘や笠ではないぞよと。加佐郡という言葉を引き合いにだして、「か」と「さ」に分かれる、とかんがえて見なさい!かとは上、さとは方という説もあるそれに従えば、上の方に生えている松となる。そう考えれば、殿様命名説は、「かさ」の音からかぶりものの「かさ」を連想してそこから作った物語であろうということになります。。「かさなる」という言葉もある。山谷が複雑に重なる地形を「かさ」ともいいます。
ガイドとしては、お客さんに、様々に考える視点を提供することが大切だと思います。