キブシ。この花、おひたしやテンプラにと春の山菜になるとのこと。
ブドウのような房の実をつけますが、その実を粉にし鉄を浸けた食酢液に混ぜるとお歯黒液。虫歯予防にもなったそうですし、男のちょんまげとともに明治政府が禁じるまではお歯黒が美人の条件。そんなことですので、10日、11日と戻りの大雪を降らせた雪女
彼女もお歯黒美人だったのでしょう。
今冬最後!
ということで気合いがのってたのでしょうか、
けっこういい仕事をしてみせてくだいました。
空からは去って行く雪女の笑い声!
雪解けの沢水が美しくほとばしる畑の里。
さて、畑と言えば紙漉き。
黒皮から紙漉き用の白皮にするのに必要なのは大量のきれいなさらし水。
この水が畑で紙漉きを地場産業として発達させたのです。
その歴史をひもとくと、明治時代には輸出品としてまた、丹後縮緬機業関係との需要と結び付いて発展し、大正11年には「畑製紙組合」を結成。機械化による省力化も進められ、その繁昌は大正8年に水力発電を自前で導入するほど。また、戦前には火薬包装用にと軍需産業の指定も受けて増産に追われたともつたえられます。
洋紙に押され、縮緬産業の衰退などもあって、地域の産業としては幕を閉じたのは残念なことです。
けれどもその技術や用具は詳しく聞き取られ残されて、新しい活用者を待っています。
フクジュソウの群生。
生えているのはだいたい湿り気のある半日陰で土が軟らかい草地と決まっています。こういうところが好きなので群生するのだろう、とか、地下茎で繋がっているのかも、、とか考えていました。
けれど、ちがうみたいですね(^.^)フクジュソウはアリを使って種まきをしているのだと昆虫写真家の海野和夫さん。納得、カタクリやスゲなども同じです。その種にアリがおびき寄せられる理由については、種の周りに甘み成分を着けてという説が一般的です。
しかし、海野さんはさらに別の説を紹介しています。
「種についているエライオゾームがアリの幼虫と同じ匂いを持ち、アリは種を見つけると慌てて巣に運ぶ。数日するとその匂いは幼虫が死んだときの匂いに変わり、アリは種を巣の外に捨てるのだという。」※
(↑ いずれも京丹後市大宮町 3/8)
甘みに加えて臭い!これだけ手の込んだことを植物がやるのぉ、と心では絶句するほど衝撃をうけてその説読みました!
ちなみに、このアリ搬送説は種の皮をむいたのと剥かないのとのふたつを準備して、アリの対応を観察したことによって確かめられたということです。
発芽して開花するまでには、5年くらいかかるという噺にも感動。種の発芽力が、アリによって種皮か゛剥きとられたものと剥きとれていないものとて゛はちがうのかと゛うか、などは不明、知りたいところです(^.^)
※フクジュソウの種を撒くアリ – 海野和男のデジタル昆虫記 www.goo.ne.jp/green/life/unno/diary
「雪畑を耕して何を植えなるですかぁ」とちょうけると、よういいなるわぁといような表情しながら「ほんまになんぞええもんにゃあですかえ!」と笑いながら付き合ってくれるTさん。
鎌と鍬だけを使って手塩にかけて作物をそだててきたTさん、本能のレベルにまでしみこんでいる1年の段取りプラン、1日でも早く土に向かい合って畑仕事を始めたいのです。雪の下の土の声が聞こえるのでしょう。
それをしみこませたのは、戦争中の食糧難の体験。供出、米つくっとったって食えることない、決められた分だすと食べるものがのうなる、なんだって食べたジンネゴ(ササの種)、これも粉にしたです、ほて゛もこれがなるとササが枯れ、屋根がふけんことになりましたし、、それとオノハ(リョウブのこと) 若い芽を蒸して乾かして、ご飯に混ぜて、、
そのTさんから、ジャガイモを頂きました。
有毒な芽が出ていない艶と張りのあるきれいなイモでした。芽掻きをちゃんとするという手間がかかっていなければとっくにしわくちゃになっているはず。春の種芋にしなるのを!というと、それは農協から買う、冬を越したのは種芋にはしない、木が弱々しく、出来たイモも小さかったりするのだということ。
だから、食べきらんなんのだと。
ありがたくいただき、煮物に。さすがに世屋ジャガ!ホコホコ感がしっかり残っていました。
京都市内や亀岡からやってこられたそうです。
フクジュソウが自生している山里が宮津市にあるといって、、、。あいにく寒気が残った曇り空、咲いてはいません、つぼみでよかったらと、つぼみが顔を出している所へ案内してさしあげましたら、こちらが照れるほどの歓声をあげて見ておられました。
さて、京都縦貫道が全線開通、20分短縮との報道。京阪神都市圏から時間距離短縮効果が見込まれます。ちょっと見にいこう、こんなお客さんが増えるのではないでしょうか。
さて、懸案で上世屋里内の府道雪崩対策、杉の林が除伐撤去され、段が刻まれて雪崩れ防止という所与の課題に対する基本的な形状が姿を現しました。滝道からは広々として往年の里景観をみることが出来るようになりました。映画のセットのような里山景観、これもちょっと見にいこう!という対象になるでしょう。
けれども多少残念なのは全面の家々が廃屋寸前の空き家であること。それらの家々はあくまでも個人の資産、処分などへの他人の関与は難しく置いておかざるをえない、と言うのが実態。
が、そこでとどまっていたら「イノベーション」は進まない、景観資産に選定した京都府、「日本の里100」に選定した日本森林協会もたしょうイニシアティブをとられて持ち主も地域住民も、研究者も協同して知恵を出して保全と発展をテーマにイノベーションの絵が書けるように支援されるべきだろうなぁと思ったりします。