「ため池晩秋」とでも題しますか!
散るも地獄散らぬも地獄、それぞれのスタイルで冬に向かおうとしている里山の声が聞こえるような農業用溜め池。
さて、霜月末の日曜日、上世屋では雪囲い。
今年は多雪の冬らしいで、しっかり囲っておかないと、ということでした。
2016年度の第9回世屋の森・研修教育プログラムができました。
今回は加悦・宝厳寺の小野住職をお招きして、「里山・暮らしの精神世界」のお話です。この他に世屋の里で生まれた歌とハープギター演奏あり。
そして定番の森の再生現地学習も!
どうぞご参加ください。
観音様になって、石もうれしいでしょうね。
(上 加悦町 宝厳寺)
未来永劫、見守り続けてくださいよ。
さて、松尾の入り口の石碑は同じ石でも、、、、、。
戦争が直次郎さんを奪ったこと、未来永劫に伝えてくださいよ。
ところで、喇叭の次の「卒」の意味。①脳卒中 ②卒業式 ③一兵卒 それぞれに使われている「卒」、その意味は当然ながら違います。①は急な にわかな ②は終わる ③は兵士、しかも下級の兵士という意味。ですから、この「ラッパ卒」の「卒」は③に当たります。
階級や身分を表す言葉で、明治維新後、明治新政府によって旧武士階級を旧身分を反映させるために、華族,士族、さらに三つめの身分に分けるさいに卒族という言葉が用いられたと言うことです。
石碑の下に咲く野菊。
奥さんなんでしょうか、子どもさん、あるいは、、、、。
松尾道を辿るとあずま神社さん。
ずいぶんと無事を祈られたんじゃなかったですかと訊ねると、豊作はうけあうけれども、兵隊の生き死に、戦争の勝ち負けはうけあえん、せんそうはあかんちゃぁ、社から、そんな声がきこえたようでした。
11月16日”杉山の尾根を歩こう”が実施されました。当日は朝は曇り午後から晴れで宇野ガ岳からは素晴らしい眺めが展望できたそうです。
宇野ガ岳より宮津湾と天橋立
スギヒラタケ・・・前は食べていたそうですが毒キノコとされています。
尾根より南側舞鶴・綾部方面
紅葉は少し遅かったようですが残りの紅葉で楽しめたようです。参加者の方がFacebookに様子を載せていただいているので綺麗な写真が載っています。是非ご覧ください。 ぶら丹後花鳥風月 の杉山ウォークです。
世屋の森の「ムンクの木」
いつ誰がどんなことを思ってこの「木像」をつくったのでしょうか!
さて、ムンク、叫びは市役所の薄暗い廊下にも。
世屋の森と市役所の廊下、それぞれの場所はちがいますが、もともとのムンクは、どんな気持ちで描いたのかその制作にあたってのムンクの事情や過程をチェックしてみました。
、、、、、
以下うぃくぺでぃァ、
幼少期に母親を亡くし思春期に姉の死を迎えるなど病気や死と直面せざるを得なかった1890年代のムンクが、内面の不安をテーマとして制作した作品とされています。
丸く落ちくぼんだ目、開いた口、頬に当てられた手、痩せた体、、、、極度にデフォルメされた独特のタッチで描かれた人物、血のように赤く染まったフィヨルドの夕景と不気味な形、赤い空に対比した暗い背景、遠近法を強調した秀逸な構図の作品であるが、この絵は、ムンクが感じた幻覚に基づいており、ムンクは日記にそのときの体験を次のように記している。
“ 私は2人の友人と歩道を歩いていた。太陽は沈みかけていた。突然、空が血の赤色に変わった。私は立ち止まり、酷い疲れを感じて柵に寄り掛かった。それは炎の舌と血とが青黒いフィヨルドと町並みに被さるようであった。友人は歩き続けたが、私はそこに立ち尽くしたまま不安に震え、戦っていた。そして私は、自然を貫く果てしない叫びを聴いた。 ”
つまり「叫び」はこの絵で描かれている人物が発しているのではなく、「自然を貫く果てしない叫び」に怖れおののいて耳を塞いでいる姿を描いたものである。
、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、
里山ブナ林は、芸術の面でも「エコミュージアム」です。
紅や黄色や茶色、それぞれに色づいた晩秋の里山落葉広葉樹林の今年のフィナーレがたのしめますよ。
そんななかで、そもそもだれが世屋の森の「ムンクの木」をつくったのか、「自然を貫く果てしない叫び」はどこから、誰から発せられたものなのか、温暖化酸性雨まつのざいせいちゅう豪雪、、、、戦争、、人と森が離れていく、、、そんなことに思いを巡らすのも一興じゃないでしょうか。
11月6日、「平成28年度紅葉の内山ブナ林観察会」の観察会のガイドを、菅谷、三宅、安田3人が務めさせてもらいました。
その目的。
「本市が誇る豊かな自然環境に触れることで、地域の環境価値(環境資源)の再発見をするとともに、地球温暖化対策につながる自然環境の保全意識の醸成、普及および啓発をはかる」。
(↑ 11/1 下見事前ウオーク)
先日、丁寧な礼状をいただきました。
その文面。
「今回の観察会においては、総勢17名の参加を得て、秋の訪れとともにいままさに色づき始めたブナ林内に生育す動植物の生態等について興味深い説明をいただくなか、予定していた観察会の全日程を無事に終えることができました。
(↑ 雨粒があたったらほこりのような胞子をふきだすんですよ)
中略 丹後の豊かで貴重な自然環境を身近に感じることのできるこの内山の森を理解し、保全していくことは、丹後に暮らす私たちの責務であると考えます。
本観察会を通じて、自分たちの身近にはここんなに豊かで貴重な自然環境が存在し、その自然環境から自分たちがこれまでどれたけ多くの恩恵を受けてきたか、そして、その自然環境を次代にしっかりと引き継いでいくことの大切さを再認識していただく機会となったとおもいます。
(↑ フォークとスプーンの葉っぱ!だんこうばいという木です。)
今後も講師の皆様のお力添えをいただきながら、本事業を継続して参りたいとかんがえております。、、、、」
そして、お客さんのアンケート。
◆年代 小学生1 20~30代2 40~50代2 60~70代6 70以上5
◆感想 たいへんよかった 10 よかった6 ふつう0 よくなかった0
・お話が楽しくてモミジがきれいでよかったです
・丹後の自然を満喫しました。自慢の森です
・ガイドさんの知識がすばらしかったです。等々多少照れるような感想があったということもいただきました。
「丹後の豊かで貴重な自然環境を身近に感じることのできるこの内山の森を理解し、保全していくことは、丹後に暮らす私たちの責務であると考えます。」というこの某「本市」の行政上の志の高さをたかく評価するとともに、今後も声をかけていただけるようにガイドの会としてもインタープリテーションの研鑽をさらにつんでいきたいとおもいました。
せや姫モミジ!
宮津随一と折り紙のついた大モミジです
けれども、、、、。
くるぅしぃいー!
うめく声がきこえるようになりました。
それは年ごとに大きくなるようなきがします。
せや姫さまは女神様なので、モミジを植えられた、いわばご神木。
一方、檜は社殿の修理立て替えに必要なので、と植えられたもの。
どちらも大事なのです。檜の方が後で植えられたのだけれども成長のスピードは圧倒的にはやいので、、、、。そういうことは氏子の皆さんが話し合って整備すればいいのですけれど、かたれる氏子さんたちがいない、音頭取りがいらっしゃらなければ話がすすまない。そういう現状です。
この状況をおいておけば、里の名前にもなっているせや姫さまが、数年で檜に埋め殺されてしまうかもしれません。なんとかしなければ、、、、。
里山景観は人が知恵だし汗をだして維持保全してきたものです。おりから、かまびすしいヒヨドリの群鳴き。それが里山の仲間たちとせやひめもみじをどうやって救うか、その相談をしているように聞こえました。さて、どんな知恵をだしてくれたのでしょうか。