宮津エコツアー · odani

Articles by odani

大天橋ではここしか見当たらない すいかずら科サンゴジュ。

花は枝先につき円錐状。実が赤熟、珊瑚のように美しくこの時季よく目立つ。海水浴場近くの店舗横、観賞用に植えられたもののようだ。「おいしそう! ブドウみたい」とは、若いカップルの立話。

廻旋橋や大天橋の橋上から見るクロダイの群れは実に悠然としている。

釣れるものならお試しをと言われているようで、王者の風格?がある。 それを仕留めた太公望がいた。

エサは近くで獲ったイワガ二(イソガニ?)とのこと。時にはサナギであったりするらしい。滋賀県に凱旋できるとご満悦。

 

体長 40cm余の釣果

釣果があった大天橋反対側の太公望 狙うは大物

 

一声の江に横たふやほととぎす   芭蕉

千貫松のすぐ近くにある松尾芭蕉の句碑 一声塚。なぜここにあるのでしょうか。

元は智恩寺境内の水戸を望むところに建立(明和4(1767)年)されていた。開眼師は京都の俳僧中川蝶夢、大津義仲寺にある芭蕉墓の土をもってきて魂入、供養されていた。

移設の経緯 明治40年(1907)大正天皇が皇太子として山陰巡行、傘松公園に行啓された際、ご上陸地点近くの現在地に一時的に移設され現在に至っている。(丹後俳諧史研究家 花谷道恵氏)

現在の所在地

元の所在地図 智恩寺境内の水戸(運河)側に描かれている

京の人々があこがれた天橋立。文人墨客の往来が絶えなかった。

エコツアーガイドといえども、歴史、文化の知識が必要。見過ごしがちであった智恩寺境内から大天橋の句碑・歌碑について、丹後俳諧史研究家花谷道恵氏に手ほどきを受けた。

天橋立周辺では古くから俳句を楽しむ人々が多く、風土に合った地方色豊かな宗匠俳句が盛んであったようだ。何度かの隆盛期を経て、その歴史を物語る句碑・歌碑が建立されている。

 

智恩寺境内で先生の話術にも引き込まれる

 

橋立の海をめぐりて山眠る      山添山青   現与謝野町岩屋 実業家

橋立や何でとしよる渡し守      花之本梅通  京都の宗匠

橋立や松を吹き井の浦千鳥      黒田芝英   宮津 実業家

橋立や幾松が根の友がらみ      荒木萬籟  宮津荒木家5代目(荒木別荘建立先祖)

末期には死にたはごとを月夜哉    斉藤徳元   丹後俳諧の元祖といわれている

 

斉藤徳元(斉藤道三の曾孫)の句碑

 

小雨はれみどりとあけのにじ流る 与謝の細江の朝のさざなみ   与謝野寛

ひと押して廻旋橋のひらくとき くろ雲うごく天の橋立               与謝野晶子

 

与謝野寛・晶子夫妻の歌碑

芭蕉句碑 一声塚前

 

天橋立ガイド部会の研修日に合わせて、乙姫さんの特別の計らいで竜宮の門が開けられたらしい。

「タイやヒラメの舞い踊り・・・」いや「タイやコアジの舞い踊り・・・」

 

大天橋 橋上から見たクロダイの大群  体長約40cm(9/20の釣果40cm余)廻旋橋 橋上から見たアジの群れ

宮津産アサリは、春と秋の二回産卵する。その産卵期に入りおいしい時期。

阿蘇海と宮津湾の汽水域 潮の流れのよさが好漁場の理由。黒みがかった貝殻は、貝殻に含まれている鉄分が、海底から発生するわずかな硫化水素と結びついて硫化鉄になる(「京のお魚大集合」)ためらしい。

 

掘り上げたアサリと砂利の選別作業

天橋立の風物詩「アサリ堀り」は、通常小型舟上から行われる。

この時期だからこその船外活動風景。

ベテランの漁師さん曰く「寒くなってからの足腰痛が出なければよいが・・・」

この忠告 当たらないことを祈っています。

熟してたわわになっていた天橋立唯一の「ヤマナシの実」が、全くない。

上世屋のヤマナシがそろそろ熟れだしそうな報告。

8月31日の早朝 まだまだ大丈夫と見上げていたものが、9月7日 楽しみが一変した。

公園管理者によると、3日(月)朝 一面が落果で埋まっていたとのこと。これを見逃したことへの反省とカラスの鳴き声が無性に気になる天橋立散策でした。

9月7日現在

8月31日現在

 

小天橋運河側の小群落  個体差いろいろ(9月7日)

子どもの頃は、お盆を過ぎると海に入ってはいけないと言われた。

クラゲが出る、波が高い。川では「ガタロ」(カッパのことか?)が出る。

真夏日が続く毎日、この気温も時代も変わってきた。

 

いずれも天橋立 9月7日のひとこま

« Older entries § Newer entries »