食糧をしっかり準備して冬を迎える、それは里の暮らしの常識でした。

干し柿作りも冬への大切な仕事です。
けれども里の人は、小鳥への心遣いや、来年への期待を込めて全部取り尽くしませんでした。

(↑二枚 大宮町森本にて)
そうして梢に二つか三つ残されている実のことを木守柿(こもりがき)」といいました。冬の季語です。
「どの径を 行つても着くよ 木守柿」 鬼頭桐葉
「木守柿 たちまち深む 山雨かな」 石川 克子
最近は、多くの木がなっても採られないまま鈴なり状態。木守柿の見られる木が少なくなりました。
食糧をしっかり準備して冬を迎える、それは里の暮らしの常識でした。

干し柿作りも冬への大切な仕事です。
けれども里の人は、小鳥への心遣いや、来年への期待を込めて全部取り尽くしませんでした。

(↑二枚 大宮町森本にて)
そうして梢に二つか三つ残されている実のことを木守柿(こもりがき)」といいました。冬の季語です。
「どの径を 行つても着くよ 木守柿」 鬼頭桐葉
「木守柿 たちまち深む 山雨かな」 石川 克子
最近は、多くの木がなっても採られないまま鈴なり状態。木守柿の見られる木が少なくなりました。
「5月末から6月にかけて、散歩の途中甘い芳香に誘われて近づくと、白と黄色の花を同時に付けるスイカズラと呼ばれる花と出会う。」と www.geocities.co.jp/NatureLand-Sky/5106/sub172.htmさん。すごい嗅覚!けれどゆっくり歩くとそうなのかもしれません。その花がつける実がこれです。

これから冬、ですけれど実の横についている葉は落ちません。寒いのにまあよう葉を落とさずに!という感動から、「忍冬」。

この実で果実酒、というのは聴いたことがありません、花の「甘い芳香」が酒には向いているようです。
そのノウハウと感想「スイカズラの開花期に花とつぼみをとり、容器に入れて、金銀花(きんぎんか)100グラムに対して1.8リットルの割合でホワイトリカーを入れて、砂糖を金銀花(きんぎんか)の3分の1程度入れて、1ヶ月以上熟成させます。
美しい、淡黄色の忍冬酒(にんどうしゅ)が出きます。特有の甘い香りはすばらしいものがあります。また、みりんに浸漬けてもよいでしょう。
忍冬酒(にんどうしゅ)には、利尿作用があり、膀胱炎、腎臓病、各種の皮膚病、強壮、強請にも効き目があるとされます。」
こんな香りと薬効のあるものなら、シャーベットにもなり得るでしょ、来年の、『ウオーク&ウオーク』のテーマですね。
取り入れもすんだ!

スノーポールが立った

積雪計も立った、、、

1年の暮らしぶりを物語る砥石を濡らすうらにしの雨、、、

休憩所の訪問・交流ノートにこんな一句を認めておいてくださるお客様がいらっしゃいました。
「冬ざれて 里に生く人 とほとけれ」
冬ざれ は 草木の葉も落ち冬の眠りにつこうとする様子のこと。
「冬ざれや 木々数うべき 筑波山」 与謝 蕪村

「冬ざれや 梢に赤き 残し柿」 世屋野蕪村
「かの日よりぬけがらの街冬ざるる」 寺杣啓子
山でであうと何とも風格のある生き物です。

遭遇し、カメラを向けても、何しに来た!といわんばかり。
おちついた風情で、身を隠すことなく土を掘り、餌をあさってらっしゃいました。

、お召し上がりになっているのは、クズか何かの根っこのようです(^.^)

「春期(5、6月)にタケノコを、夏~初秋期(7~9月)に双子葉植物を最も多く採食すること、秋期(10~12月)に堅果類および動物質、晩秋~冬期(11~4月)に根・塊茎の採食量が増加する」( 環境省特別鳥獣保護管理計画)ということ。

ちなみに世界に広く分布しますが、ニホンイノシシは固有種とされています。 積雪深30cm以上が二ヶ月、70日以上続くとさすがに生育出来ないそうです。

また、朝、荒らされていたことに気づくので夜行性かと思います。人様の物をいただきに上がるのは昼間は気が引けるようです。しかし、本来は昼行性、餌探しは基本的には日中にします。
下世屋で、ふるさと会議世屋企画の、細川ガラシャさんに関する紙芝居と講演の会が催されました。、、、、、

いきなりですが、おたまさん、「 繊細な才能と天ぴんの才による知識において超人的」であったと伝えられているそうですね。 イエズス会宣教師フロイスさんも 「彼女は多くの質問を修道士に持ち出し、さらに霊魂の不滅性、その他の問題について禅宗の幾多の権威をふりかざして反論を試みたが、修道士は彼女の頭脳の敏活さに驚いて、後ほど、自分は過去十八年の間、あらゆる宗派についてこれほど明晰かつ果敢な判断ができる日本の女性と話したことはなかった、と漏らしたくらいであった」と高い評価を与えています。

お玉さんの賢さ、聡明さはマリア・キュリーさんレベルだった(^.^),、そんなことでふと思いました。 明智たまさんは、1563年うまれ。その二十年前に 地動説を残してニコラウス・コペルニクスさんが没っしてらっしゃるのです。その当時日本人は月がなぜ満ち欠けするかについて「月には三十人の羽衣を着た天女がおり、十五人は白衣、十五人は黒衣を着て、毎日入れ替わり制で月に立っているのだ」、と信じていたといいます。 お玉さんもおそらくその域にあったのでしょう。そんなレベルのお玉さんに、修道士たちは、「宇宙の中心は太陽、そのまわりを地球をはじめとした惑星が回転している」という宇宙の姿を説いたのです。 お玉さんはそれをどう受け止めたのだろうかと、、、、、 敏活な頭脳の持ち主にとってそれは[正しいこと]と衝撃的に理解できたのではないでしょうか。 関白秀吉さんも、その限りにおいては海外事情に耳を傾け大坂教会にも通ったということです。

(↑ 宮津市役所横広場)
しかし、宣教師のあとに西洋人が大軍を連れて支配しに来るという話から、キリスト教布教は拒否されることになります。 一方、お玉さんには、政略政争に振り回され、親も夫も神も仏も救ってはくれない不信と不安の日々を過ごさなければならなかったという特別な事情がありました。繊細な感受性の持ち主だったとも伝えられます。絶対的な安住を求める気持ちに傾いていったことは容易に理解できます、、、

会場が下世屋で、というのは、逃避行が下世屋経由であったと語り伝えられているからです。 下世屋を中心にある前野姓は,かって美濃地方からやって来た一族だということです。明智光秀さんも美濃は土岐氏の流れといいます。お玉さん輿入れのさいの付き人たちの一族なのかなと想像します。なら、危急の時、前野一族の皆さんが守護にあたるのは当然などと思いました。

※ 前野氏入世屋の経過、細川家との関係、本能寺の変後の動き方などに関しては、『私たちの小さな宮津 松尾史』(小谷信一郎氏編)に納められた「丹後前野氏簡易年表」での前野勝志氏の論究が興味深く一読をお奨めします。
細川ガラシャさんの話、想像の余地の多い話なので、海外文化との出会い方の一つとして、つい想像の世界に引き込まれました。
「細川ガラシャ 日本の歴史 雑学の世界」 www.geocities.jp/widetown/japan_den/japan_den110.htm が詳しくておもしろいです。
下世屋の金さん。※

上世屋の金さんと同い年。梅本勝治さんの寄贈になるものです。
紅葉を明かりにして読書です。

石工さんはどうなんでしょう、下世屋にも石工さんはいらっしゃったのでしょうか!
※11/24 旧下世屋小学校 世屋地区公民館にて
雲というのは、詩的な比喩の世界では、日を遮る障害物! 陽に対する陰、太陽を隠す、心が曇る マイナスイメージを持つものとして扱われます。

「時は今 雨が下しる 五月哉」

(↑ 二枚 撮影日時 2013/11/21 )
明智光秀は、心に湧いた主君信長に対する反逆の雲、もうこらえることはできない、集中豪雨となって降るだけだ!と心を気象に託して表しました。

「出雲」の国というのも、朝廷に背く心を持った国という意味を含んでいたのかもしれません。うらにしの雲。恐ろしや恐ろしや、

,けれども、ここはそういうことはおいといて、雲というのは、どんな形であれ、地上付近の空気が上昇させられると気圧が低くなり、空気は膨張して気温が下がり、水滴や氷になるそれだけのこと、

(↑ 三枚 11/22)
気象科学としてみれば、初冬特有の丹後の雲は一見の価値あり、実に興味深い物です。
宮津市指定の天然記念物「オオモミジ」。

これが色づけば、いよいよ師走、社も雪囲い、冬を待つばかりです。

ちなみに、「オオモミジ」は[ヤマモミジ]とイロハモミジを親にする兄弟。その兄弟の分布について、ヤマモミジは、日本海側を中心、オオモミジはイロハモミジより北まで生えるが、日本海側の多雪地帯には無いとおっしゃる方があります。※

その説によると、日本海側の多雪地上世屋にオオモミジがあるということは、「謎」ということになるのかもしれません。
世屋高原「しおぎり荘」のモミジ。

丹念な整備に答えるかのように美しく色づいています。

また館周辺には、シデを中心とした里山落葉広葉樹林が、良好な状態で保全されています。

それぞれの木が黄色に赤にオレンジに特有の色に染まります。下草に目をやれば、、、サルトリイバラ。

有名なモミジスポットは幾つもみてきた、神社仏閣の素敵なお庭も拝見した、さて、今年はどこか一つ新しいスポットを開拓してみよう!、、、、そうお思いの方には里の暮らしと自然が作り出した紅・黄葉樹林の秋がお奨め。

さて、24日、このしおぎり荘ホールでピアニスト、福島ゆきさんを招いたコンサート。

聞いてくださるのは世屋の里の皆さん。

かってしおぎり荘で働いたおばあちゃん、

世屋の里を守るお婆ちゃん。

日本の調べを弾く福島さんの指は、お婆ちゃんたちの体と心に流れるメロディーをつむぎ出し、織り、染めるようでした。

温かいピアノコンサートでした。
ちなみに、この「日本の調べ」は、世屋高原休憩所でもCDで聴いていただくことができます。
金さんのそばでYさん。金さんの読んどんなる本、欠けとろうがな、それはわしのつれの所作だ、もうあれもおらんようになったでいうてもええだろう!ここにもたれて鉄棒持って地面をつついていたら先があたったんだ。わしは、中学校分校の昭和29年卒業生、その頃のことだ、

、、、、金さん、、、そうだった(^.^)
もう一つ、彫られた方は地の石屋さんだということ。ということは、石も地元に産した石、世屋高原には、化石とともに今の高さまで隆起する以前に崩落し埋まった花崗岩がたくさん出てきます。その中で石屋の目で吟味して質のいい石が選ばれたのでしょう。

石屋さんは前田さん。その娘さんが上世屋で産婆さんをされていました。二つ目、寄贈は小川仙次郎さん、勝巳さんのお父さん、忠義君のおじいさん。