三菱眼の山爺!
ちゃいろい顔は朴の葉、あか髭はウリハダカエデ、きいろい口はウワミゾザクラ、燃える目はヤマウルシ。「みんなちがってみんないい!」 
ブナ林観察道は落ち葉の絨毯。麓からは見えませんが想像以上に紅葉が進んでいますよ、
11月の中旬まで、さらに厚く積もります。
ついでに、エコツアークイズ!
これ、なんの葉?、
世屋・高山ガイド部会の活動ブログ
天橋立はよく花火をするところです!
「あまのはしだてにははなびがにあう」
冬が来る前にもういちど橋立花火、それで「冬花火」なのかなぁ、、、
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天橋立 冬花火2005年10月19日 14:45
ネットにはこんな書き込みものこっていました。
そのあいだの事情を翌日の京都新聞、「こハクチョウ飛来の妨害にならないように時期をはやめた」ということ。
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環境と観光の両立が、秋の冬花火だったということです。
里では、秋晴れの空に白い打ち上げ花火!
カラスザンショウ。温暖化に伴って温帯の里山林に進出した新しい仲間です。
植物は虫や菌や他の動植物から、身を守らなければなりません。臭いや忌避物質をだして身を守ります。サボテン タラノキ ユズ、カラタチ、、、ハリギリ、サンショウ、ノイバラ、キイチゴ・・・これらは刺を持っています。食害から身を守る、そのために武装進化した気持ちは理解できます、
でも、カラスザンショウの無数の鋭い針、これは、、、過剰防衛じゃないですか、
林の黄葉の撮影で位置取りのために体を支えようとしたのです、危ないと気がついたときには体は傾いていて、まともに手をついたのです、ちょっとした拷問でしたね(´・ω・`)なので、わたしは、新たに名前をつけました、「山の針万本」。
このところの冷え込みで上世屋の大ブナもいよいよ黄葉モード。
高山山塊にも色づいた木々が目立ちます、
そこから降りてこられた方たち、約30人。京都山遊会とおっしゃるグループなんだそうです、
それこそ、山遊びを楽しむ会!「ブナ林を見にいってきた、いいおやまでしたよ」と感想。
なんでも中型バスで見えたもので、バスを新観音前に置いて、往復約6km、お疲れ様でした。
新観音、滝の上のブナのところで丹後半島のは゛あいはこのあたりから生育しているとお話ししたら、ポケットから高度計をとりだされて、「420mですね、クルってなければ!」。
なんともかっこよかったです(^.^)
橋立を見て京都へ帰られるそうです。
「箍」!読めますか(^.^)クイズ番組ぴったりの漢字じゃないですか(´・ω・`)たが、箍をはずす、箍をはめる、のタガがこれ、箍。
竹冠に手偏に箱構えの上なしに市。樽や桶を縛るものです。ちなみに「箍が外れる!」というのは,こういうこと!

木桶は、石油製品に置き換わる前の暮らしの道具用具です、それが、会の事務所の入っている古民家の物置にはわんさかのこっているです。味噌樽、洗面桶、肥え桶、牛用の飼い葉桶は2、3センチもある板で一抱えもあります、縦長で蓋に穴のあるのは肥え桶、、、、それらを割りました!割って気がついたこと、厚みのある板は一枚一枚が竹串でとじ合わせてあること、箍だけではないのですね。
桶職人さんの息づかいが聞こえるような気がして、お酒を供え塩を撒きましたよ、、、(^.^)
古民家はタイムカプセル、時々の暮らしの状況が地層のように重なっています。
日置河口から世屋川筋を緩やかに辿って約4キロの下世屋は河岸段丘の里、さらにV字の谷の斜面にひっかいたように着けた道をうねうねと約3キロ、地滑りによって作られた世屋姫神社の棚田が広く明るく開けます。世屋川はその端を何段もの滝を連続させて村から流れて来ます。ブナ林の保全される高山稜線までを区域とする「上世屋」と出会いの場所、世屋姫棚田群の標高は約350m。
冬季、この付近で雨が雪に変化し積雪も増えるように、ここから気候は温帯から冷温帯に変わります。
そんな特徴を証明するのが、「 ブナ林域などの冷温帯の渓流」を自生地とするカツラ。
かってはこの付近からブナ林だったんだぞ!と語るように、里山に冬への備えを促すように黄葉しています。
アントシアニンが葉を赤茶色にタンニンが褐色に、、、、ええっとなんて゛したっけ!、、、葉を黄色にするのは、、、(^.^)
ソバを刈るてるみさんの鎌。
草刈り機が使えないからと彼女は鎌専科。一年に三本はこんなにjなるまで使いこなされるそうです。
鎌メーカーさんに紹介したいぐらいです。
てるみさんが刈る実を見せてもらいました。
すこし青みが残っています。それが大事だ、干しているうちに落ちないのだと。
そういう知見をかたるとき、てるみさんは、かならず「そう母親がおしえてくれました」、とむすびます(^.^)。
そばの刈り束を干し場へ持っていくのにつかうのが、 この背板。
ススキのゆれる野良道を歩く足取りの確かなこと!
ほして粉にして口に入るのは年越しの頃。
さて、興味ぶかいのはそばの茎の赤さ。
なんでもない、理屈は葉っぱの紅葉と同じ。クロロフィルが分解されアントシアニンが顕現したということですが、葉でなく、「茎」というところが微妙に不思議で印象的。
本ブログ「ソバの茎はなぜ赤い?」2013年10月24日で、 山姥とこどもたち ムギとソバ ユキちゃん と 三つの噺を取り上げさせてもらっているように人はこの不思議な感動を物語にして楽しみます。
「ユキちゃんとソバの赤い茎」は井出誠一さんとおっしゃる方の創作民話のようですが、御嶽山山麓の村を舞台にしたはなしです‥
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むかし開田村かいだむらのおひゃくしょうの家に、となり村からユキというむすめが嫁にやってきた。
この家では、御嶽山の火山灰がふりつもったやせた小さな畑で、年老いた母親がひとり、わずかばかりのヒエやアワを作っていた。むすこは毎日、山の仕事に出かけていた。
「こんど嫁に来たユキっちゅうむすめは、まあずよくはたらくんな」
「ほんになあ。あんなよくはたらく嫁は、おらあ見たこたあねえ」
ユキのはたらきぶりは、すぐに村じゅうの評判になった。
ある年、ユキは里の家へ行き、
「おらに、いもの種をわけてくんろ。ヒエやアワばっかじゃ、ちっともくらしが楽にならんでよ」
とたのんだ。種いもをもらって帰ったユキは、さっそく、くわをもって畑に出た。
「いーもがほしけりゃ、もっとほれ。やーまの灰にも負きゃあせん」
ユキはそう声をかけて、畑をたがやしつづけた。手には血豆ができ、つぶれてくわの柄を赤くそめた。しかし、秋になってとれたいもは、そら豆ほどの大きさのものばかり。
「こんな小さいいもばかりじゃ、くらしのたしにもならんわ」
それでも、しんぼう強いユキは、次の年、
「こんどはむぎの種をくんろ。むぎなら、きっと、そだつにちがいあるめえ」
と言って、里からむぎの種をもらってきた。
「むーぎがほしけりゃ、もっとほれ。やーまの灰にも負きゃあせん」
ユキのかけ声が畑にひびいた。血豆はひどくなり、くわをもつ手から、血がたれおちるようになった。ユキは夏じゅうかかってたがやした畑に、秋、むぎの種をまいた。
しかし、春になって芽を出したのはほんのわずか。
「開田のきびしい寒さで、みんな、しみがれちまったずら」
ユキは力をおとしたものの、また、気をとりなおし、
「こんどはそばの種をくんろ。そばはやせた畑でもできるっちゅうで、だいじょうぶずら」
と言って、そばの種をもらってきた。
「そーばがほしけりゃ、もっとほれ。やーまの灰にも負きゃあせん」
ユキのかけ声が、また山にひびいた。くわをふりおろすたびに、手の豆がやぶれて、まわりに血がとびちった。
そして、この年になってやっと、そばが白い花をつけた。
「おお、ユキ。おまえ、ほんによくがんばったなあ。そばの白い花がきれいだぞい」
山仕事からかえった夫と、年老いた母親は、そろってユキのはたらきをほめ、そばが実をつけるのを楽しみにまった。
そんなある日、いつものように花をながめていた三人は、それまで青かったそばの茎が、サーッと赤くそまってゆくのを見た。
「ああ、この赤い色は、おらの血の色だ」
「そうじゃ、ユキの血の色じゃ。おまえの苦労が、やっとむくわれたんじゃのう」
ユキは思わずその場にひざをついて泣いた。
そばの白い花が次々と黒いそばの実にかわっていった。
それいらい、開田村でそだつそばは、茎が赤くなるという。
井出誠一
そばの茎の赤いのは – nifty
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homepage3.nifty.com/tougenohata/data/minwa103.html –
突然の噴火て゛犠牲になられたかたたちのご冥福をおいのりします。