宮津エコツアー · 世屋・高山ガイド部会

世屋・高山ガイド部会

世屋・高山ガイド部会の活動ブログ

2012/09/23

山の実が少ない年です。ヤマボウシやサルナシ、マツブサなど液果の類は全く見当たりません。溝口さんも「こんな年はしらんなあ!」と。ただしクリのイガは多いように感じます。
一方、里の方ではそれなりに種をつけているのではないでしょうか。

時動く ウバユリの鞘 ウドの種 、、、、  とりあえず五七五。

ウバユリのさく果にぎっしりと詰まる種は、風で飛び広がります。

湿気の絶えない所が好きです。そんな好きな環境を見つけるのは大量の実を風で撒くのがいいと決めたようです。

ウドの根は、打ち身の湿布薬にしたそうです。

効き目は抜群ですぐに「ウゴ」けるようになったというので、「うど」としたというのですが、それって、親父ギャグ?

 

2012/09/23

下世屋、瀬戸川橋のそばに地蔵様。

向かいの家から、世屋川に降りる道に祀ってあったのをここに移したとか。
お鼻がすり減っていらっしゃいます。

元は鼻筋の通った端正なお顔立ちたったとか。なので、花を供えてお鼻をなでれば、すらりと鼻の高い美人になれる、と言い伝えられたからだといいます。

いつのころからか、は分かりませんが、季節の花が絶えません。

また、すぐしもの瀬戸川旧橋は、大正年間建設の石作りアーチ橋です。

 

2012/09/23

毎週土曜は京丹後市谷内ファームの朝市。地元のおばあさんたちで運営されています。

フォト取材しました。

開店前、集まって、お目当てのものに狙いをつけて待つお客さんたち。

たかのつめ,買っとこ!

芋づる、あれは美味しい。

うちのダンナは、ネギと豆腐があったらええねん。

7時。

一斉にお目当てのものに。
玉入れ競争ならぬ、籠入れ競争。

価格は特別品以外は一束、一袋100円。例えば、大玉ジャガイモ五つ。大型マンガンジ20個。


おもしろいのは、「うちら年金、使ったことない」と意気盛んなこと。

始めて17年、最高齢90歳!

恐るべき「婆力ばりき」。まさに、地域の活性化は、「おばあさん起こし」。

下りの特急が通過する頃には、ほぼこのとおり。その時刻、7時20分。

 

2012/09/23
種まきして一ヶ月、そばが花時です。

(?)ヒョウモンが、せっせと受粉に協力。

そばは、ミツバチも大好きです。

里のススキもいいものです。

庭先のおもてなし花、コスモスに、黄アゲハ。

シシウド等セリ科に産卵します。

明日はお彼岸、

ツルボが盛りです。

 

2012/09/23

自然との共生、持続可能な生活スタイルを各自が見つけ、作り出していこう!化学肥料除草剤殺虫農薬を使わない食への信頼、そんなことを課題にする飯尾醸造田と合力の会の棚田経営は、一般の皆さんに、田植え、草刈り、稲刈りなど農業体験を開放して営まれています。


22日はそれぞれの田に子どもさん、グループ、若夫婦、農業ガール、青年など多様な皆さんが参加し稲刈り稲架け。


稲を刈る手際の良くなった少年、

初めて稲木に登る人、

声をかけ合い、褒めあって仕事が進みます。、

笑いも絶えません。


ここには現代の仕事の「孤独」はありません。まさに農体験によるデトックス。

参加数、それぞれおよそ20~30。それと秋の「行楽客」を当て込んで、なにやら、、、。


和子さんも、裏の畑から、ナス、マンガンジ、キュウリをぼって出してくれました。

形は不揃い、表面は傷ついています。しかし、世屋の野菜育ての達人が世屋の日差しと風と土と水で育てた命の作品です。好評完売!

 

2012/09/22
九段稲木による稲木天日干し乾燥は、丹後の秋の風物詩でした。

刈り取りと乾燥は、山登りにたとえるなら、米作りの九合目、

目の前の頂上にむかって、急がず、じっくりと登る稲木架け、
上世屋など一部がその伝統的な乾燥法を伝えます。


稲束の重さを楽しむように稲が架けられていきます。

 9月20日(水) 曇り空でしたが、久々に高山ブナ林ガイドウオークが催行できました。お客様は山ガールのお二人、それに上世屋で研修中の中国・四川の女子大生、ガイドKさんとアシスト私<midorimushi>の5名です。

登山口でレクチャー

ヤマジノホトトギス

暑くなくて気持ち良い森林ウオークの始まりです。最初に目につくのはヤマジノホトトギス。

花の斑点が、野鳥のホトトギスの胸の斑点に似ていることから「ホトトギス」の名になったと言われていますが、ピンぼけで何ともお粗末、ごめんなさい。

ニガクリタケ

キノコもすごいです。さまざまな形や色のキノコがいっぱい目立ちます。これは大きくりっぱなニガクリタケ、うまそうですが毒キノコです。食用になるクリタケに似ていますので、要注意。

ジョロウグモの縦糸

我が物顔に網を張っているのはジョロウグモ。縦糸を分岐させる少し変わった網を張るようです。

ジョロウグモの横糸

それで、ジョロウグモの巣は、横糸の長さ(縦糸との間)が巣の中側と外側であまり変わらないのが特徴とのこと。

雄グモは小さくなって(^o^) 上の方にいます。うっかりすると雌グモに食べられてしまうので、交尾も命がけとのこと。雌グモの脱皮直後とか食事中に恐る恐るのようです。

府下最大の大ブナ

幹周り3.65mの京都府最大の大ブナも気持ち良く迎えてくれます。

歩く途中には、数日前の大風によるのか、ミズナラのドングリがたくさん落ちており、ドングリ駒を作ってみました。

高山山頂では、チマキザサの葉っぱをお茶にしていただきました。少人数だったので、灯油バーナーと我が家の井戸水を持参しました。葉っぱが少なかったのか、出し方が弱かったのか、ほんのり上品な笹茶で一服し、下山しました。

2012/09/21
知られざる物語 京都1200年の旅・「京の人々が憧れた 日本三景・天橋立」放映のあとさっそく資料館へ。「中国大陸に渡って大自然を写生し、宋元画を学び、禅画一致を求めて一生描きつづけた」雪舟さん86歳の生涯のなかで、80歳を越えてからの作という橋立図に対面させてもらいました。

(許可を得て撮影しています。)

来館者の方はちらほら、「ライフワーク」を独占して、まじまじとしげしげとじっくりと見せていただくことが出来ました。、
さて、その謎とされる構図、どこから見たらこう見えるのか、繰り返しナレーターはおっしゃっていました。「絵画史上最大の謎」と。しかし、「写真家」の勘でいえば、謎でも何でもないとおもいます。


その当時デジカメがあって、雪舟さんが持っていたとしたら、と想定したらいいんです。おそらく大江山のふこう峠、もしくは毛原方面から宮津へ入られたことでしょうから、峠を越えて天の橋立が見えるところから、心を高ぶらせながらの撮影がはじまったのではないでしょうか。

写真家がシャッターを押すがごとくに、絵筆を走らされたはずです、

あっちから見たらどう見えるだろうか、いくつもポイントを変え、遠景、近景、など写真家がバシャバシャ切り取った中からこの一枚を選ぶように、たくさんのスケッチをいかして、作画の意図の元に組み立てられたのではないかと私は考えます。つまり、どこから見て描かれたのか、その詮索はナンセンス!ということ。

また、成相寺は「丗野山成相寺」と記されています。番組で案内されていた学芸員の方に、『この山の後ろが「せやのさと」なんですね、今は世屋とか狭谷ともかきますけど、ここに国分寺が合ってこのうしろのやま、つまり背後の山という意味で、私は「せ」は背、「や」は山だと思ってるんですが』、というと、「おもしろいですね、やましろの国も「山背」とかきますからね」と。さすがに専門家です。

ちなみに、雪舟さんを招致したのは、今をときめく元伊勢・籠神社といいます。作画の目的、作品の分析、所有者の変遷、などは、元伊勢籠神社の公式サイトに詳しいので、ご検索ください。

2012/09/21

ふるさと  山本忠生・曲

ふるさとの海よ 私を育てた海よ
砂浜走った 天橋立

緑深き山 稜線なだらかな 大江山
年月の流れ 四季の色
絶え間なき 小さな営みに
歴史を 刻み込んだ ふるさと

ふるさとの空よ 私の生きてる空
いつまでも 見守っておくれ
いつまでも

この歌が、2012年日本のうたごえ全国交流会イン広島(11/23~25)で、京都からのメッセージとして、「NICHIUTAの風合唱団」によって歌われるという連絡をいただきました。


ちなみにこの歌は、1985年、天の橋立環境会議文化行事で宇都宮直氏演出で公演した「夢起こせふるさと 守れ天の橋立 」のプロローグ曲として創作したものです。
世屋の里をはじめ丹後半島の村々が軒並み廃村化していった高度経済成長期の頃です。

天の橋立の向かい側栗田半島に石油火力発電所を建設するという計画に対して、排気ガスは松に影響しないのか、温排水と漁業の関係はなどの疑問も提起されました。優れた自然環境を生かした地域作りと、石油火力発電所建設とは両立するのか、海水浴にスキーにと父親に連れられ遊んだ思い出をたぐりながら作りました。
いま、文化と文明の調和が厳しく問われています。ふるさとを追われた痛ましさは他人事ではありません。天の橋立は、宮津の人だけのふるさとにととどまりません、丹後の、京都の、日本の心のふるさとです。世界遺産登録を目指す取り組みの“アシスト”になればと返事しました。

※この歌の楽譜はhttp://kamiseya.main.jp/index.htmlで検索いただけます。

2012/09/21
陰暦8月15日を示す「中秋」今年(2012年)の中秋の名月は、9月30日(日曜日)です。
夜空で規則的な満ち欠けをする月は死と蘇りの象徴として信仰の対象にもなり、農耕では種まきや収穫の時期の判断などに月の満ち欠け等が頼りにされてきました。イモや団子や花を供えるのは、その月に対する感謝の表れなのだといいます。


ススキも十五夜花として、飾ります。理由は、魔除けの力を持つから。

なぜススキが魔除けなのかというと葉が固く鋭いからということです。

中秋の名月を前にして、世屋の里で「私が主役」といわんばかりに揺れたり光ったりしてアピールしているのは、そのススキ。

夕刻になると、なにやらものぐるしい雰囲気も演出します。

闇に紛れた侵入してくる悪霊を葉の剣で守ってくれているのでしょうか。

しばらくは、世屋の里はススキの里です。

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