宮津エコツアー · 4月 2020

4月 2020

宮津市長江の桜は、急な斜面に立つ宝泉寺と公民館に咲きます。

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この長江海岸は、丹後半島の東側、若狭湾の南西の端にあたります、

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北東の端、越前海岸は沖合の冠島の向こうにあります。長江の桜は、若狭湾を見守るように咲きます。

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沈降海岸、櫛の歯のように半島がつ入り江が交互するリアス式の沈降性構造運動によって形成されたのが若狭湾、

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では、その時期や,メカニズムについてはどうなのか、については、つまり海水準変動や地形発達などに関する実証的研究もっか研究中、未だ明らかではないのだそうだけれども、その謎を知っているかのように長江のサクラは咲いています!

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この若狭湾形成は、伊勢湾,琵琶湖敦賀湾形成とつながっていると見当はついていると言うことですから、スケールの大きい噺です。研究が深まるのが期待されます。

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この桜の咲く公民館、しゃれた建物です、裏山の松が売れたので、それで立てることが出来たのだそうです。

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長江では、猿も花見をします!

 

 

舞鶴金剛院の三重塔は室町時代のもので国指定の重要文化財なんだそうです。

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桜、モミジの芽吹きが宇宙と人間の普遍の真理真実を説く、建物を包んでいました。

モミジの秋には、コロナ禍もおさまっているでしょうか。

さて、舞鶴の樹を見てきました。

というのが、環境省巨樹リストでは、舞鶴の巨樹数が2000年段階で180本、府下の市町で最多でした。気になっていたのです。

舞鶴東インター近くの松尾寺、金剛院、鹿原神社、福井県境、青葉山周辺の社叢林を見ました。

金剛院のカヤ

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鹿原神社のケヤキ、

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松尾寺のイチョウ、

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同、大杉、

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同、大タブ、

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これらそれぞれ500cmをこえる樹のオーラに圧倒されながらも「むむっ、やるな、おぬし、も!」と感じられたのは、丹後の方をあらかたまとめられたからなのでしょうね。

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舞鶴の樹が見えれば、名実ともに海の京都・「丹後」の樹がみえることになります。

難波野オリーブ園の枝垂れ桜

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「令和の「月の夜」に難波野に蘇る天平の枝垂れ桜が、人類の難敵を討ち従えてくれましょうぞ!」

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これがお告げの夜桜です

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そうかぁ、このかたが令和のジャンヌダルクさくらかぁと思えます。

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暮らし方の現代化の付けを払わされていることを学びながら、今は心一つにじっとしていましょう。

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来年の今月今夜、難波野の枝垂れ夜桜、ぜひ見にいらしてください。

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「ライトアップ」もおそらくしてお待ちしているでしょう。

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与謝野町滝の野田川親水公園。

IMG_6125.jpgよさサクラ

丹後の町の中でもとりわけ花自慢の与謝野町、

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大江山から発し天橋立へ注ぐ倉梯川(野田川)の上流部にあって、とにかく、広いので、ゆったりのびのびと花を楽しむことが出来る、近郷随一の桜スポット!

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そして、きれいな水の立てる音は耳に心地よいです。

 

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「夏 河をこす うれしさよ 手に ぞうり」

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川の畔に立つ碑にはこう刻まれています。蕪村さんの句です、

IMG_6139.jpgxほ

彼がこの川を渡ったのは300年前のことですけれど、その川を今も子どもが渉ります、ランドセルをしょって!。

 

 

 

みとたに夕べ桜

IMG_5872.jpgさくら

家路を急ぐ車にとってはつかの間なのでしょうが、そのつかの間のいやしがたいせつなのでしょうと、水戸谷峠桜が、今年も満開です。

さて、みとたにの漢字表記は「水門もしくは水戸」。意味は、

①河口付近にある海水の出入り口。みなと。 ②「水門(スイモン)」に同じ。

水の「みず」は、現代朝鮮語で水を意味するmul、この”mul”は古くは”mɨl”だったという説に説得力を感じます、

その水戸谷峠の山田側に、「弥刀みと」神社。大宮町側に「三重みえ」神社。一つの峠を境にしてふたつの神社名におなじ「み」の音をもつことに謎を感じます。

「弥刀みと」は「水戸みと」の美辞と考えられるので、「三重みえ」の「三」は「水」。としても「水重」はおかしい、「水え」の「え」は何を意味するのか、そこですね。

「三重(京丹後市大宮町) – 丹後の地名-tangonotimei.com/doc/tango/ktngc/mie.html」
は、「三重とは水辺のことで」はないかとおっしゃっています。これには全面的に納得。

その分析を以下、紹介します。

『宮津の方から行けば、国道312号やKTRの水戸谷峠を越えた所あたり一帯である。峠を下って、酒戸古の信号機のある三叉路をそのまま国道やKTRの進む方へは行かないで、右手(北側)の三重谷へ入ったところである。京丹後市の南東部、竹野川の上流部になる。この谷全体を三重谷と呼ぶ。
この谷間のあたりの水はいったいどう川が流れていたのだろうと思う不思議な場所である。古くは山田側へ水戸谷峠の場所を通って野田川側へ流れていたのではなかろうか。そうした向きの谷間である。ところが山田には山田断層があり、a-aの山脈は絶えず高くなる、そこにある水戸谷峠も高くなる’、水流が削る以上の速度で高くなっていったと思われる。従って三重谷は湖化していた時代があったのではなかろうか。三重とは水辺のことで、ちょっとした湖、湿地であったかも知れない。やがてb-bの山脈を開鑿してこちら側へ水を流した、たぶん人間がこの水路を設けたのではなかろうか。’
野田川に対してその下流側の位置から三重谷の支流が流れてくるというのは普通はなさそうなこと思われる。何か地形の変化があったかも知れない。赤い線の下側に山田断層があり、北側は隆起し、右ずれする、1回の地震で3メートルくらい右ずれするだろうと言われている。過去に2000回ばかり地震があって、三重谷を横切るような断層も何本かありそうだが、こちらがより多く移動したいたと仮定すれば、三重谷の方向は納得できる川筋になる。あるいは600万年くらいかけて丹後半島は若狭湾側へ張り出してきたのかも知れない。』

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三重神社址にはエノキの巨樹。彼に聴けばなにか話してくれるかもしれません。

時の流れなんていうけど、みえるわけないじゃん!

そういう向きの方にお奨めスポット、丹後郷土資料館の桜。

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時は流れています、ごうごうざぁざぁ ごろ゛ろごろ と音をたてて流れております、といわんばかりの桜花。

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古民家は築180年といいます。

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古民具の展示も充実しています。

古式便器

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容器

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コロナ禍は現代の生活スタイルの見直しを求めているといいます、そのヒントはここにあるかもしれません。

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ここの桜の見どころは、天橋立を背にすること。

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日本三景を借景に従えて咲く桜は、めったにありません。

 

桜の花の下には「死人」が埋まっているという有名な詩の一節があります。だから美しいのだと。桜はメモリアル樹、埋められている死者の人生、生きた意味を語り伝えるのだという意味でしょうか。しかし、その事情を語り伝える人もなくなっています。桜には何かある、それを忍ぶのも桜の楽しみ方でしょうか。

その1、宮津・難波野の麓神社のサクラ。

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花が白花で葉と一緒に出るタイプです、

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種類をチェックすると、赤味大島が近いようですが、どうなんでしょうか!

麓神社の神木ムクノキは、周径505cmの巨樹です。

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その2 府中の成相寺本坂道入り口のソメイヨシノ

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旧い地蔵堂のそばにある巨樹サクラです。根本には多くの板碑。

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その3 岩滝町・板列神社脇のサクラ公園の花もいいですよ。

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花に囲まれている巨大な石碑

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真名井純一翁の顕彰碑と読めます。

チェックすると郷土の製糸業の発展に尽くした方で、その功績については、

『幕末-明治時代の製糸業者。1826-1902
文政9年生まれ。生家は丹後(京都府)岩滝村で縮緬(ちりめん)をあきない,廻船問屋をかねた山家屋。製糸・養蚕の改良につとめた。明治3年阿波(あわ)徳島にまねかれて蚕糸改良を指導し,晩年は京都府技師となる。明治35年7月16日死去。77歳。本姓は小室。前名は利七,国蔵。

真名井純一[本姓小室利七]は文政12年(1829)岩滝村に生まれた。生家の小室家は山家屋と称し、代々廻漕問屋、生糸縮緬の販売を業 とした小室一族の宗家であった。先代利七の時代の山家屋は持船三十八艘で、縮緬の原料生糸を買収して機業に貸与、織上がった縮緬を京都に送り三井、下村等 に売却するを兼業としており、丹後における山家屋の機屋は数百軒にのぼり、そのために文政5年(1822)の大一揆において襲撃、打ち壊された経過をもつ 地方の豪商であった。 家を継いだ彼も縮緬の原料である生糸商いのため日本海で活躍していたが、万延元年(1860)米沢で製糸について学び、私費で製糸伝導所を開くなど丹後 地方での養蚕の奨励、良質生糸の製造に努め、明治9年(1876)、宮津の銀細工屋兼大工の中本藤右衛門の協力を得て、奥州座繰器(胴繰座繰)、上州座繰 器(角枠手引・丑首座繰)に改良を加えた新しい座繰器械を発明した。これが真名井座繰器と呼ばれるもので、多条繰糸機が実用化されるまで、広く蚕糸絹業界で活用された。この真名井座繰器は、上州座繰と あまり変わらないが、主な改良点は、①機械の運転を右手廻しにした②回転を円滑にするため歯数を増やし、歯形をインボリュート曲線とした③ケンネル撚を別 装置とした④浮繰りとしたなどで、性能が良く漸次他の器械を圧倒、使用は全国に及び我が国の製糸業発展に大きな足跡を残すことになった。
なお、真名井とは古来より丹後に縁の深い呼称で「たなばた天女」で知られる名峰磯砂山の別名でもあり、比沼麻奈為神社(峰山町久次)、豊受大神が降臨し た真名井原(現府中地区)や真名井神社(宮津市中野)など、農耕、機織り、醸造等の伝説的産業神と深く結び付いている。 さて、小室利七は若い頃私財を投じて現在の与謝の海病院南側付近を埋立て、真名井新田を完成させている。後年、それにちなんで「真名井純一」と名乗ったと伝えられているが、丹後の産業神としての由縁を知った上のことであったろう。

(京都府織物・機械金属振興センターの資料)』
~板列公園に偉人の業績 | ガチャマンおやじの忙しい日々gachaman.web-cat.netから~

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日本の近代の文明開化と富国強兵を、丹後丹波は製紙で支えたのです。京都府織物・機械金属振興センターはその先頭に立たれたリーダーだった偉業を伝えています。建立は大正九年と書いてあります、園内のサクラは見たところソメイヨシノです、その時植樹された物とおもいますから、100年を越す長寿サクラです。ただ碑文は文語漢文です、今の人が読むには無理があります。その側に説明の看板をつけて頂けるとありがたいかなと思います。

「眠れる森の美女」といったらいいのでしょうか!

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ヤブに埋もれていた銘木を蘇らせたのは、オリーブ園再開発事業。一帯の植栽数800本。

その整備に伴って、この桜の周りもきれいにされたということです。

まさに「玉も磨かずんば、、」の例え通りに咲き誇っています。

IMG_4960.jpgサクラ

ともかく場所がいい、籠神社、真名井神社近く、古代から中世にかけての丹後の中心地だったところです。そこに蘇ったこの枝垂れ桜、現代の「木花咲耶姫」のご降臨と言った風情を感じさせる桜です。

花の瀑布のようなたたずまいに対して、花の株立ちには猛々しさも感じます。

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主幹が2㍍に満たないため、現在の処は巨樹にはなりませんが、近い将来の巨樹候補です。

宮津市府中運動公園付近、山手に生育しています。

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月は、宮津湾越しに登ってきます。なので、、、、

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平山郁夫さんの「万葉月華図」のようなチャンスも訪れるのではないでしょうか。

 

 

 

 

 

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