宮津エコツアー · 1月 2022

1月 2022

物の怪たちが動き出す気配

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人間たちの時間は終わるのだ

20220107_173120俺の時間

何かがうごめき始めていることを告げる雲と風と海。

20220107_163048いいね海

 

丹後の魅力は、我が世の春と栄華を極めているニンゲンの姿がかき消される時間がまだあること。

20211219_154937波

それが、国定公園たる所以ではないでしょうか。

だから冬がすき、、、

20220107_173756俺の時間

でも、植物たちはそんな書生っぽい哲学にはつきあってはくれません。

20220107_165539ふゆ木蓮

(↑ 日置 モクレン)

彼らが計っているのは、ひたすら日の出と日の入りの時間と方位。つまり日照時間の変化。

ちなみに1月、1日に日の出は7;05、日の入りは16;56だったものが、31日には、日の出は16,56、日の入りは17;24へ。日照時間は、一月の間に37分伸びていきます。

 

丹後天橋立大江山国定公園の中心的アングルの一つ、阿蘇海。
20220106_123259山の生き物海の生き物コ白鳥でこぼこのない稜線
冬、渡り鳥たちはこの阿蘇海を大切な飛来地としています。中でもコハクチョウ。
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京都府も、希少な生物として、保護の対象に挙げています。
カモ目 カモ科

コハクチョウ

Cygnus columbianus
京都府カテゴリー

準絶滅危惧種

2002年版 準絶滅危惧種 2002年版を参照する
環境省カテゴリー なし
コハクチョウ

掲載項目の解説をみる

選定理由 冬鳥として府内で越冬する。越冬個体数は少ないが、近年減少はしていない。
形態 全長120cm。全身が白色で、オオハクチョウより少し小さいがよく似ている。嘴の先は黒く基部は黄色で、黄色部の先は丸い。
分布 北極海沿岸のツンドラ帯で繁殖し、冬鳥として本州以北に渡来する。国内の越冬地はオオハクチョウより南に偏る。府内では宮津市阿蘇海に少数が渡来する。◎府内の分布区域 北部地域(宮津市)。
生態的特性 家族で渡来し、安全な開水面で就塒する。昼間は浅瀬で水草を、夜間は水田の刈り跡で落ち穂を採食することが多い。
生息地の現状 府内では宮津市阿蘇海に約20羽が渡来するほか、久美浜湾や京都市内にも飛来することがある。
生存に対する脅威 ねぐらとする河口での工事など。
必要な保全対策 採食生態等を調査し、採食地と休息地を一体として保全する必要がある。

 

20220106_122531あそかい

さて、丹後国府は写真正面の丹後山塊を背負って、その山裾に、置かれていました。

天橋立図 - Twitter Search / Twitter

 このアングルから、歴史望遠鏡を覗けば、室町足利幕府から安土桃山時代に政権が移るまでここを中心にして繰り広げられた丹後の政治経済のドラマがみえるはずです。
 20220106_123315丹後山
 歴史的景観としても大切にする必要があります。

小川家代々の稲を乾かしてきた岡ノ前稲木立つ

その冬姿。

20220103_154051丹後天橋立大江山国定公園

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20211002_162120山コスモス

20211111_171427いなき

ここは風がよくとおる稲乾しには最適の所なんです。

柱の材は栗。冬の風雪や夏は熱射は、無駄なものをすべてそぎ落とす

あんたが立っているからわしも立っている

樹と百姓がお互いを認めあっているようだ

その小川家の軒先ツバメの巣の下の干物

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マムシなんだそうです

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さて、

柱材の栗、腐りにくくても腐らないわけではありません

今年も一本、更新しました。

買うのではありません

山から切り出してくるのです。

気候 地形 地質 暮らしを丸ごとをぎゅっと一体にした詰め込んだ景観

鉄や油やコンクリートで作ろうとして作れるものではありません。

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なので、ここは、「丹後天橋立大江山国定公園」。

、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、

平成19年6月29日に中央環境審議会の答申を受けて、新規指定としては17年ぶりであり、初の京都府の地域名称を冠した「丹後天橋立大江山国定公園」が平成19年8月3日に誕生しました。

 

 

国定公園の概要

所在地等

  • 所在地
    福知山市、舞鶴市、宮津市、京丹後市、伊根町、与謝野町
  • 指定年月日
    平成19年8月3日
  • 面積
    19,023ヘクタール

特徴

丹後天橋立大江山国定公園は、丹後半島の「海岸」、その背後にある「高原」、大江山連峰の「山容」と変化に富んだ表情豊かな公園です。

各地区の特徴

各地区を示す位置図

1 丹後半島海岸地区(現若狭湾国定公園区域)

丹後半島海岸地区は、日本海に面し、岩礁海岸や砂浜海岸、砂州など、多様な海岸地形となっています。

この地区は、半島が持つ多様な地形に併せ、砂浜や奇岩、砂州、島、岬など、さまざまな海岸景観があり、歴史的資源などの文化景観を含め、海岸独特の自然風景です。

2 世屋高原地区

世屋高原地区は丹後半島の東側に位置し、権現山、太鼓山、依遅ヶ尾山、金剛童子山など、標高500メートルから600メートルの稜線が連なる高原地形です。

この地区は、府内有数の広大な落葉広葉樹林帯と谷を流れる渓流や希少な草花等による山間景観、山頂から真下に海を見下ろす半島ならではの眺望景観があり、棚田や歴史的資源などの文化景観も包含する多様な自然の風景地です。

3 大江山連峰地区

大江山連峰地区は、丹後半島の南に位置し、西から赤石ヶ岳、千丈ヶ嶽、鳩ヶ峰、鍋塚、鬼の岩屋、杉山、赤岩山、由良ヶ岳と、標高600メートルから800メートルの稜線が東西に連なっている連山地形であり、この地域を代表する山です。

稜線からは360度の視界が広がるパノラマ景観や連山の山岳景観、鬼嶽稲荷神社から見る海原のような雲海と、多様な自然風景を望むことができます。

また、当指定地域は、日本三景の天橋立そして、丹後王国さらには、大江山の鬼伝説など歴史や文化にも彩られています。

指定を契機に、関係市町及び既存の活動とも連携しながら、積極的に府民ぐるみで地域の自然を守り育てる取り組みを実施していくとともに、当公園の魅力ある地域資源の利活用の活動を府民協働で展開していく予定です。

山陰近畿自動車道SAN-IN KINKI EXPRESSWAY)大宮峰山道路の橋脚工事。

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京丹後市大宮町森本(京丹後大宮IC)から峰山町新町(大宮峰山IC)まで、延長 : 5.0 kmの工事です。

ここに橋桁が架かります。

20220103_140948この景色が橋でかわります①

森本(京丹後大宮IC)前の交差点。

20220103_140216交通整理が必要だ

この車もその橋を走ることになるのです。

この橋の渡る谷は、山田断層と平行する断層によって生まれたもので、三重谷と言います。

三重、、

小野小町さんが『九重の 花の都に住みはせで はかなや我は 三重にかくるる』と詠んだ三重の里はこの谷一体を指す、という伝説がある谷です。

『大宮町誌』※丹後の伝説:57集-小野小町伝説-から。

 小野小町塚
小野小町の塚は五十河の入口東側の小字「はさこ」にあり、一畝程の埋立地の中に二基の石碑を奉祀している。高さ九二㎝、幅六○㎝の小型の一基は上田甚兵衛造立のものと伝えるが、現在磨滅していて僅かに上田甚兵街と判読できるに過ぎない 大型の碑は表に「小野妙性大姉」と彫刻してあり、高さ一m五○㎝、幅五○㎝の自然石である。この石は曹洞宗妙性寺の門の側にある万霊塔の石と同一の石を折半して造られたと言い、事実この碑には折半して割られた跡がある。万霊塔に「正徳三年建之」の日付があるから従ってこの小町碑も正徳三年(一七一三)の造立であろう。なお、田を埋め立てて一畝程を整地したのは昭和五五年夏で、その前は木の少しある一坪余りの草地に五輪の台石と高さ六○㎝余の自然石の「上田甚兵衛」と刻む碑と「小野妙性大姉」の石碑の二基が祀られていた。(五十河沿革誌)
さて、小野小町の手蹟については先人の説の如く極めてさだかでなく、終焉の地についても諸説紛々として確かな事はわからない。嵯峨天皇の弘仁六年(八一五)出羽の郡領小野良実の女として出生、七歌仙の中唯一の女流歌人として名高いこと及び代表的美人であったという伝説くらいしか知られていない。
「徒然草」に疑っているように「玉造小町壮衰書」という小町の晩年の事を書いた漢文の書物は作者不詳の偽作ではないかといわれている。謡曲には小町を題材にしたものが五番ある。その中「草予洗小町」は古今集序を主材として盛時の小町を猫き、「通小町」は古今集の顕照の注から深草の小将の百夜通いの伝説が作られており、その他「卒都婆小町」「関寺小町」「鸚鵡小町」は老衰落魄の小町を取扱ったもので、いずれも「玉造小町壮衰書序」から出たものと言われる。しかし、「玉造小町壮衰書」は徒然草にある如く弘法大師の作とは信じ難く、一般に偽書とされていて信用し難いのである。
20211107_112337小町
(↑ 五十河小町公園)
次に五十河に伝承する小町伝説についての先人の諸説をあげる。
(村誌)小野小町塚 本村南方字ハザコにあり。東西一間、南北一間、坪数一坪、其中に高さ五尺、幅一尺五寸位の石 塔あり。表面小野妙性大姉の法名あり。建設年干支等無之只管小町塚と伝聞するのみ。 (丹哥府志)小野山妙性寺 曹洞宗
寺記に云ふ。小野山妙性寺は小野小町の開基なり。往昔三重の里は小野一族の所領なりといふ。小野老たる後此地に来りて卒す。法名を妙性といふo其辞世とて
九重の都の土とならずして はかなや吾は三重にかくれて
愚案ずるに小野小町は其生出本来詳ならず。或曰小野良実の女なり。仁明帝承和の頃の人年老いたるに及て落魄して相坂山に死すといふ。又小野当澄の女たりとも伝ふ。或人の説に冷泉家の書ものには小町は井手の里に死す。時に年六十九歳とありし由。徒然草には小町はきはめてさだかならずといふ。其衰たるさまは玉造といふ文にありと袋草紙に見えたれども比説には論ありともいふ。かようなる事を考ふれどもいまだ丹後に来ることを聞かず。されども養老三年始めて按祭便を置し時、丹後国司小野朝臣馬養、丹後但馬因幡の三国を管す。其養老年中より小町の頃までは僅に百年ばかりなり。これによってこれを見れば小野一族の所領なりといふもいまだ拠るなきにしもあらず。其終焉地明ならざるは蓋鄙僻の地に匿るならん。今其塚といふ処を見るに古代の墳墓と見えたり。恐らくは其終焉の地ならんともゆ。後の人これを増補して少将の宮を拵へ又丹流と僧妙性の二字に文字を足して追号を拾ふ。これよりいよいよいぶかしくなリぬ。
その他「宮津府志」「同拾遺」等は省略する。
現在五十河に伝わる小町の文書は妙性寺にある「寺記」と同村田崎十一所蔵の「小野小町姫」とである。妙性寺のは一軸の巻物であり、「小野小町姫」は本文一二枚の小冊子であるが、内容は全く同一である。小町伝説を田崎朴淳翁(田崎家祖先)が物語ったのを僧了然が書き留め更にこれを妙性寺第三世雲騰眠竜大和尚が書き綴ったのが妙性寺の一巻である。(眠竜和尚は天保八年示寂)
その他小町の遺跡として新宮から丹後林道に通ずる坂道を、昔小町が通って来た道というので「小野坂」といい、上田甚兵衛の宅のあった場所を「小野路」と呼んでいる。
「中郡誌稿」に  小町は小説的性行の標本にして各種の文芸又は訓話に附会引用せられ、近畿地方の加き小野と称する地あれば某所に 大抵小町の伝説あり。現に山城宇治郡小野、愛宕郡小野皆其例なり。愛宕郡小野には小野寺と称するあり、卒都婆小野画像等小町に関する書画及び小町の墓と称する宝篋印塔存す。何れも真偽定かならず。
と述べている如く、各地に小野伝説は流布している。これについて民俗字の一説では、中世全国を語り歩いた女性群があり、それは一種の巫女(みこ)であって小野氏はそうした旅の語部の有力な一族であった。その語部の巫女たちが全国を語り歩き一人称で語るのを聞いていた人々は、小町が来たように語り伝えた事によって谷地に種々の伝説が生まれたとしている。
ともあれ、伝説はその所の人々にとってば心の糧であり誇りでもある。父化豊かな郷土の懐しい物語として長く語り伝えられるべきものである。
20220103_140710まそだわなーそのとき走るのは電気自動車 は

ので、この橋の名、まだ決まってないなら、「三重谷小町橋」、ですね!

「鳥取までとは言わん、目の黒いうちに「むねやま」まではつなげてほしいなあ」

20220103_141232むねやま わかる 峰山 そおおっしゃいました

むねやま、とおっしゃいました!生粋の丹後人は、峰山のことをむねやまと呼ぶのです。

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道を作るのは一世代ものなんですね。

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(↑ 森本側から見る三重)

そもそも、みえ、三重という地名はどういうことにゆらいするのか、

三重地名に潜むか、意外な重金属公害の先例。※丹後の地名 三重 から引用

「どちらにお住まいですか」と問うと、「三重ですわ」とか「鳥取ですわ」などといった答えが返ってくることがあるが、丹後人でもこう聞けば、三重県の人かとか、鳥取県の人かと勘違いする人が多い。別にこうした地名はそうした県名に限らず全国に多く見られる地名で、丹後にもある地名である。どこの三重ですか、とか、どこの鳥取ですかと聞き返さないと、とんでもない間違いが起こる。
そして地名が同じということはその地の来歴もほぼ同じではなかろうかと考えられるのである。三重は水辺だというのは現代人の一部がそう考えるというハナシであって、チグリス・ユーフラテスとか四大古代都市文明とか持ち出すまでもなく、はるか古代から人が住み、まして水田耕作しているのならどの地も水辺に決まっているではないか、なぜここだけを特に三重などと呼ぶのか、本当に水辺の意味だけかどうかは何も自明なわけではない。どうしても水辺だと言うなら、この水は飲料あるいは農業用ではないかも知れない、鉱業の精錬に使われていたほかには見ない水のあたりという意味かも知れない。
古い記録としては『古事記』倭武命の記事。
「其地より幸でまして、三重村に到りましし時、亦詔りたまひしく、「吾が足は三重の勾の如くして甚疲れたり。」とのりたまひき。故、其地を説けて三重と謂ふ。」
ここは難解らしくて、自分の足は、ねじり曲がって、三つ重ねにした餅のようになっている」とか「道が三曲りしたように」いったことから、その村を三重と呼ぶようになったという。伊勢国三重郡の地である。
また、『播磨国風土記』、賀毛郡の三重里について次のような由来が記載されている。
「賀毛郡三重の里。土は中の中。三重と云ふ所以は、昔、一女在りき。タカムナを抜きて、布以て裹み食らふに、三重に居てえ起立たざりき。故れ、三重と曰ふ。」この地のタケノコを食べて体が三重に曲がり立ち上がれなかったという。ここは東隣の滝野町には穂積がある。但馬にも若狭にも三重はあるが、古い記録はない。
伊勢と播磨は離れていて、どちらかが真似したとも思えないし、地名説話の思いつきが、普通なら思い付きもしないものであるし、しかも両者がかくも偶然に一致し過ぎたということもないように思われる、何か実際のそうした過去が語り継がれていたのではとも思われるのだが、もしこうしたことが起こるとすれば、それは何かその地に公害、重金属があるということではなかろうか。日本では、公害が避けられるようになり幸いにも体が三重に曲がった悲惨な人は見なくなったが、頭や心が三重に九重に曲がったのはゴロゴロいる、まともでシャンとした人を探すのに苦労するくらいであるが、自分でも周囲も気がついてないようだが、気の毒に日本の悪しき社会制度公害の深刻な犠牲者たちかも…
若草山に木が生えないのは大仏造立で使った水銀だ、平城京が棄てられたのはこのためだとか、近くは水俣病、これも水銀である、最も近くは「想定外でした」のレベル7放射能汚染、そんなわずか千年単位の自然の動きも想定できなかった超低脳どもに10万年間の放射性廃棄物の安全な管理ができるのか、100パーセント以上に決してありえない話であることは子供でもわかる、この国は狂っていると誰もが感じたことであろう。
丹後三重には何か鉱山があって重金属公害があった地であったかも知れない、ウラン鉱石の地でもあり、あるいは放射能汚染だったかも知れない、下流の丹後王国はそれによって滅びた、といった超意外な歴史が隠されていたかも…。
歴史は繰り返して、超愚かにも想定外でしたと、原発を大爆発させて、人類は地球を棄てなければならなくなるのかも、あるいはそんな歴史の先例となるのかも知れない三重である。
なお『丹後半島の旅』(澤潔著)は、少し北になる明田について、
〈明田南方に入(にゅう)谷がある。「ニフ」・「ニウ」には、入り込んだ谷の外に赤土の意がある。また「ニュウ」は丹生で水銀の意であり、徳川時代五十河を含めたこのあたり一円の土地が久美浜天領であり、年貢の三割を米の代りに銀納していたことからも、入谷が水銀産地であった可能性もある。〉
明田には確かに入谷の小字がある、付け足せば明田は赤田であった可能性もある、水銀朱の赤い処の意味かも知れない。水銀汚染で体が三重に曲がった地であったかも知れないような話になってきて、古い伝説もまんざら荒唐無稽と切り捨ててしまうこともできないのである。

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ちなみに、

網野 – 峰山
京都府京丹後市網野町公庄(網野IC)から同市峰山町新町(大宮峰山IC)を結ぶ約7.6 kmの区間は事業化されていない。
2005年(平成17年)に調査区間として指定されており、隣接する大宮峰山道路と共に計画段階評価が実施された

さらに

豊岡北IC/JCT – 府県境
兵庫県豊岡市新堂(豊岡北IC/JCT)と府県境を結ぶ約11 kmの区間は事業化されていない。
2016年度(平成28年度)より佐津~府県境間で計画段階評価が実施され、2018年3月に対応方針(案)が策定された。「兵庫県 社会基盤整備プログラム」によれば、兵庫県から国へ直轄権限代行での整備を求め、豊岡北~城崎温泉の区間は2019~23年度の事業着手を要望するとされている
豊岡北IC/JCTで北近畿豊岡自動車道と接続する。
府県境 – 網野
府県境と京都府京丹後市網野町公庄(網野IC)を結ぶ約19 kmの区間は事業化されていない。
2019年6月、京丹後市、宮津市舞鶴市与謝野町伊根町による丹後・地域高規格道路推進協議会は、京丹後市の市民アンケートを経て地元希望ルート案を決定し、国土交通省京都府へ要望を提出した

いいねー 雪の中休み。

20220103_143813いいねー雪の中休み

(↑ 五十河 こもり神社)

誰が水を飲みにきたのかしら!

20220103_143842のど乾いた

タヌキかな うーん ウサギ キツネ、それとも テンかな!

20220103_144239狸 うさぎじゃないよ

トトロだよ!

20220103_144113ここは雪国

冬の丹後山塊の夕暮れ、

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この山塊は親指の先のように突き出し、日本海と若狭の海との仕切りをなし、海から尾根に上る山麓に美しい自然林を宿します。

20220103_161732高原の正月

 

(↑ 木子高原)

冬には北西から、夏には南西の風がその梢を渡るこの山にトトロがいなければ、日本にはもういません

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(↑ 世屋高原)

トトロはまだほんとに棲んでいるのですよ、

20220103_155507冬の山里

この山の中に。

町役場に掲出されている、伊根。

20201208_124104トラ

地元高校美術部の皆さんの作品です。

さて、この伊根、癒やし町としては丹後随一。

k405834826.1寅年

整備を進めるにあたってもも、ふうてんの寅さんがいつかえってらっしゃってもいいように、町の雰囲気、たたずまいを守る、と慎重に進められているところがうれしいです。

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今年は寅年、ふらっと顔を見せてくださるかもしれませんよ 寅さんが!。

さて、この海の町にいらしたら、お奨めは、海の物語、「うちゅうでいちばん」

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伊根発の児童文学。

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小学生中学年からのですが、感動に年齢は関係ありません、児童図書をあなどっちゃあいけません

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「いねにいってきたよー」

いいところにいってきたねー なにがよかった

「自然とのつきあいかたがわかったこと」

ほんとうによかったねー

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自然と人の密着した暮らしの一端が、詩情豊かに描かれています。

海の町の人たちの心の世界に直行、おさかなのおいしさを引き立ててくれる絶品、ぜひお手元に。

 

 

 

 

月刊 かがくのとも ① 「とら きたぐにの もりに いきる」

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絵がいい

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中身がいい お奨めですよ

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対象は6,7才からとするこの作品。作者は、田中豊美さん、発行は2010年1月1日 通巻490号

企画から発行まで三年の力作です。

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折り込み付録には、読み聞かせる大人へのメッセージも添えられています。

「トラは獲物を追って生きていくのには広大な自然を必要とします。トラが棲める地域は、草食動物の数などのバランスも保たれ、そこに生息するありとあらゆる生き物たちが健全にいきられる豊かな世界があることを意味します。トラが絶滅したとしても日本に住む私たちは何も変わらないし関係ないと思われるかもしれませんが、地球環境としてみたときに、トラを守ることは二酸化炭素を吸収してくれる重要な森林を守ることにつながり、私たち人間が豊かに生きていく上で非常に重要なことなのです。地球規模で見なければ環境問題は解決しません。」

協力されたNPO法人「トラ・ゾウ保護基金」理事長の川戸久美さんからです。

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折から丹後には多数の風力発電機設置プラン。この森に生育する、「トラタカ」、、でない、、クマタカの立場から、このプランが「2030年問題」に名を借りた機に乗じたプランなのかどうなのかを検証する必要がありますね。

「クマタカが絶滅したとしても山を下り町に住む私たちは何も変わらないし関係ないと思われるかもしれませんが、地球環境としてみたときに、クマタカを守ることは二酸化炭素を吸収してくれる重要な森林を守ることにつながり、私たち人間が豊かに生きていく上で非常に重要なことなのです。」

丹後半島にクマタカが棲息していることは、内山山系をクマタカ生息地として、京都府が、京都の自然200に選定していることでも明らかです。

20210808_090701日ヶ谷地名入り

この内山山系から発して半島を貫流し、日本海に注ぐ宇川を迎える依遅ヶ尾山には「鷹巣」という地名があり、剥製標本も地元小学校にあったといいます。

また、太鼓山風力と鳥類との関係について、佐渡でトキ保全にかかわってらっしゃる中津 弘さんが(平成18年当時 大阪府立大学大学院農学生命科学研究科)が、なぜ風力発電所で鳥類の衝突事故が発生するのか、森林性の鳥類全般や猛禽類が風力発電所の撹乱を受けるか、特に猛禽類について衝突リスク行動はあるのか、といった観点から調査され、その概要について平成18年に 「風力発電施設が鳥類に与える影響に関する国際シンポジウム」(日本野鳥の会主催)で講演されています。

その要旨。
<調査地と調査の目的>
太鼓山風力発電所(京都府伊根町)は丹後半島北部最高峰の太鼓山(標高683m)稜線上に位置し、ローター直径50.5m・タワー高50m、出力750kwの風車が計6基、2001年11月から稼働している。周囲は、アカマツ・落葉広葉樹の混交林が主体の山地である。
なぜ風力発電所で鳥類の衝突事故が発生するのか、森林性の鳥類全般や猛禽類が風力発電所の撹乱を受けるか、特に猛禽類について衝突リスク行動はあるのか、といった観点から調査を実施した。その概要について報告する。なお一連の調査は、公的機関や民間事業所によって発注された業務の類ではなく、また補助金も一切受けていない。
<調査方法>
2002年4月から2004年3月を主たる調査期間とし、3つの調査を実施した。
(1) 衝突死体の探索…風車付近で衝突死体を探索する調査を2年間で計98回実施。腐食性の動物による持ち去り、探索時の捕捉率については実験による検証を行わなかった。
(2) 森林性鳥類のセンサス…発電所近辺の林内で2繁殖期に3回ずつ、ポイントセンサスを行った。午前中に所定の地点で5分間滞在し、半径50m以内に出現する鳥類を記録した。2002年には22地点、2003年には30地点で調査を行った。
(3) 猛禽類定点調査…風力発電所から5000m以内の範囲に25個の定点を設け、計106日間の調査を行った。9~16時を中心に観察を行い、出現頻度を解析できるように猛禽類の出現を記録した。設置した定点数は1地点/日である。シーズンごとの500m×500mのグリッドセルにおける出現頻度(回数/観察時間)と発電所からの距離の関係を調べた。今回の講演では主として、出現回数の多かったクマタカについて報告する。

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<結果と議論>
(1) 衝突死体の探索…2003年4月に風車近くで負傷したホオジロ1羽を保護(直後に死亡)、風力発電施設への衝突によって負傷したと推測された。同年7月に風車の近くで飛散したトビの羽、カケスの羽を拾得、これらは風力発電施設への衝突によって死傷した(死体の大半は腐食性の動物に持ち去られた)可能性があると考えられた。腐食性の動物による持ち去り、捕捉率、および積雪による死体の隠蔽を考慮に入れずに計算すると、調査期間中の死亡数は施設全体で1.5羽/年、風車単位では0.25羽/基/年となる。ただし、バイアスが補正されていないので、実際の衝突死数は観察されるより多くなる可能性がある。
(2) 森林性鳥類のセンサス…2繁殖期とも、センサス地点から最も近い風車までの距離と地点ごとの出現種数・出現個体数との間には正の相関が得られた(風車から遠い地点ほど多種・多個体が出現する傾向)。これらの相関は2002年の調査結果では有意ではなかったが、2003年の調査結果では有意であった。
(3) 猛禽類定点調査…風力発電所から各グリッドセルまでの距離と、各グリッドセルでの出現回数/観察時間は有意な正の相関を示さず、風力発電所から近い場所ほど出現頻度が低下するという結果は得られなかった。
2003年の繁殖期の成鳥における繁殖行動から、最も風力発電所に近接したペアでは、最も近い風車から1500m以内での営巣が推測され、別のペアでは同様に約2500mでの営巣が推測された。営巣木の探索を行ったが、巣は発見できなかった。後者のペアでは、巣立ち後の幼鳥が観察され、少なくともこのペアについては繁殖が成功していた。前者のペアでは繁殖成否は不明である。
また、風力発電所の建設・稼働前のデータを欠いているため、営巣位置やペアの分布が変化したかどうかは不明である。
クマタカ、ノスリでは風車から最短で50m付近の距離まで接近することが観察された。
太鼓山風力発電所では、大規模な衝突死は発生していないかもしれない。
森林性鳥類の生息密度については、概して風力発電所による撹乱の影響を受けている可能性が示唆された。
「リスク行動」 風車に近接した飛行 探餌行動

また、特にクマタカにおいては、撹乱の影響を受けていない可能性が考えられた反面、風車に近接した飛行が観察された。回転する風車に近接すると回転するブレードの像が網膜上でブレを起こし(モーション・スメア)、ブレードの回避が困難になる可能性が指摘されており、ディスプレイ飛行や採餌行動の最中に他個体や餌動物に注意を奪われている個体ではなお衝突事故の危険性がある。
太鼓山のケースでは、風力発電所の建設にともなう草地・林縁の創出がクマタカの探餌行動を惹きつけている可能性もあるが、クマタカの行動圏内の比較的出現頻度が高く、そしておそらく巣からも近い区域に風力発電所が建設されたことが、観察された「リスク行動」を説明する要因であろう。

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昨秋も、宇野さんが太鼓山山麓でさつえいされています。巨樹の森の息づく丹後半島山塊の王者、クマタカは健在、、、けんざいなのです。

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このクマタカは、「1月になるとディスプレイ行動と並行して巣づくりが開始される。産卵期は3~4月。一腹卵数は1卵。主にメスが約1か月半抱卵し、7~8月頃に巣立つ。」と京都府レッドデータ。

寅年、彼らが、子孫を残し、丹後の森の空を飛び続けるためには、最高の自然愛が注げるかどうか、にかかっています。 エコロジーにエコノミーが頭を下げられるか、里にコウノトリの飛来を喜ぶ目は、森の問題にも向けられねばならないでしょう。

山の森と海の森の深く強くつながる丹後の山に持ち込まれた風力発電プラン。

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ゴーかストップか、その裁定は、丹後の森に生きずくトトロにお願いできたら、、と思いませんか!

京都府レッドデータブック2015
野生動物 > 鳥類 > クマタカ タカ目 タカ科
クマタカ Spizaetus nipalensis
京都府カテゴリー 絶滅危惧種
2002年版 絶滅危惧種 2002年版を参照する
環境省カテゴリー 絶滅危惧ⅠB類(EN)
選定理由
留鳥として年中府内に生息する。個体数は少なく、近年減少している。
形態
全長オス72cm、メス80cm。翼開長140~165cm。翼の幅は広くて先端は指状に開き、後縁には膨らみがある。尾は長めで幅が広い。後頭の羽毛は少し長くて冠羽状になる。
分布
東南アジアの森林地帯を主な生息地とし、日本は分布の北限に近い。国内の山岳部の森林帯に生息し、府内の森林にも少数が生息する。
◎府内の分布区域 全域。
生態的特性
比較的険しい山地に生息し、森林内の急斜面にある大きな樹木に営巣する。森の中に住む様々な中小型の動物を獲物として、森林内のけもの道や林縁で狩りを行う。主な餌はノウサギ、ヤマドリ、ヘビなどである。1月になるとディスプレイ行動と並行して巣づくりが開始される。産卵期は3~4月。一腹卵数は1卵。主にメスが約1か月半抱卵し、7~8月頃に巣立つ。巣立ち後の幼鳥は遠方まで行動圏を広げず、翌年の春でも巣から半径1km以内に滞在している。

生息地の現状
北山の比較的険しい地域で、少数が繁殖している。個体数が減少傾向にある上に、繁殖成功率が低下しており、将来激減するおそれがある。

生存に対する脅威
広域林道建設とその後の支道建設に伴う森林伐採などが影響している可能性がある。

必要な保全対策
府内の繁殖環境の情報を詳細に把握する必要がある。

関係法令
絶滅のおそれのある野生動植物の種の保存に関する法律(国内希少野生動植物種)

文献 日高(監)(1996)、京都府(1993)、高野(1982)
執筆者 須川恒、和田岳

年明けメールに児童文学者の川北亮司さん、埼玉からこんなメッセージを送ってくれました。

見聞録66229 (002)

 

現代の安全安心快適劇場の夢をささえる機械や電気、そのエネルギー源の化石燃料には問題が多いよとは早くから指摘されていたことですが、いよいよごまかしがきかなくなってきた、しかし、そのどたばたのなかで地域の宝物がその犠牲になる、これのおかしさは、こどもにもわかることなんですし、しっかりと、しかし楽しく教えていく必要がありますね。

何はともあれハッピーニューイヤー。

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さて、渋々雪柿で令和3年撮り納めは、超最高!

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こちらにも撮り納めをと上がってらっしゃた方、カメラをむけられるのは、、、!

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見える人には見えるんですね、雪トトロが!

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令和3年を振り返ってたのしかったのは、こういうトトロが見える人たちにたくさん出会えたこと。

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持続可能な地球へは、暮らし方の転換が待ったなし。

森は友達 シイタケ 菌打ち20211212_112355今年最高かも

この子たちが大人になるまでに、化石エネルギーから再生可能エネルギーに転換しなければならないのです。

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トトロが問うていることは、ほかならないエコロジーとエコノミーの関係。

いま明けた2022年も、トトロが見える、トトロの声が聞こえる人たちとたくさん出会ってつながりをふかめていけたらいいですね。トトロが見えない、トトロの声が聞こえなくなった人たちもたくさんいらっしゃるのですから。

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地球への愛、丹後への愛、人間への愛、それを丁寧に形にしていきましょう、

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