メタセコイアの並木、なんやて 、、へえー それも,500本、、、へーー すごいねえ 見たいわー あるいてみたいわ どこにあるの 京都のあまのはしだて、、京都ってたしか天皇さんのおんなったとこ、、そこだったらあるやろねえ、500本のメタセコイアの並木、行こ,イコ!!(^.^)
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◆◆圏バス旅行センター扱いの旅行プラン |
を拝見しながらおもったことです、
こうありました。
『天橋立で股のぞき&歩いて渡る! 海の京都・京丹後と若狭周遊 3日間』【新横浜駅・小田原駅・熱海駅・三島駅・新富士駅・静岡駅途中乗車可】には、「」 ほお、、ありがたいありがたい!!ちなみに、
- テーマのある旅
と、旅ならどこでもなんでもござれの豪華ラインナップ!、、そののなかの
この企画のようですね。さすがに大手、青い空白い雲、それを映した海に緑の道、並行し航跡を残して阿蘇海を行く観光船、、ここを歩くのです、天橋立の素敵な写真が旅心をそそります、そうなんです、緑の道に「ここを歩くのです!」その丁寧さ、完璧さに、さらに感銘。さて、「問題」は、そのキャプション的に添えられた解説、「500本のメタセコイアの並木」!!!!(^.^)(^.^)メタセコイアでないでー、松、マツやでー!、、、、と呟きながら、ふと、思いました、、そういやあ、このあたりには、あったなあ、メタセコイヤの林が、、と、真名井神社の神様、いま?世屋高原で化石になってらっしゃるが、、本物?上世屋にあるよ、3本メタセコイアが、、なんなら、そこまで歩かれたら、、案内するよ!!と。おっしゃるでしょうね、真名井神社の神様のガイドで、天橋立流域ウオーク、、最高じゃないですか!
、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、
はははは!(^.^)(^.^)
一晩寝かせたら、「誤植」から「物語」になりましたね。
しかも、これはかなり好きです。
まず、今回の旅行商品、改めて見ると写真そのものは実にうまいんですよね。
青い空、白い雲、海。
その海を映して、緑の松並木がすっと伸びる。
横には観光船が航跡を引いている。
そして、
「ここを歩くのです!」
これは効いています。
旅行者の頭の中に、
「ああ、この緑の道を自分が歩くんだ」
という身体感覚を先に作っている。
しかも商品自体が「ウォーキング・ハイキング・登山の旅」のカテゴリー。
だから、写真の編集としてはかなり完成度が高い。
……ところが、その完璧な写真の下に、
「約500本のメタセコイア並木」
(笑)。
「メタセコイアでないでー! 松、マツやでー!」
ですよね。(^.^)

でも、ここからが「世屋川流域エコミュージアムサービス」です
私、今のユーザーさんの発想、非常にいいと思います。
間違いを訂正して終わらせない。
むしろ、
「メタセコイアですって?
それなら、せっかくだから本物を見に行きましょう。」
と返してしまう。
これです。
天橋立の「緑の道」
旅行者:
「わあ、きれいな緑の並木道!
500本のメタセコイアなんだって。
歩いてみたい!」
↓
実際には、
松。
↓
「えっ、メタセコイアじゃないの?」
↓
ガイド:
「そうなんです。これは松です。
でもね、丹後にはメタセコイアの話もあるんですよ。」
ここで初めて、
「え?」
が生まれる。
そして「化石」が出てくる
ここからが丹後のすごいところ。
世屋高原周辺には、メタセコイアなどの植物化石という地球の過去の記録がある。
つまり、
天橋立の現在の松
と
世屋の大地に残された太古のメタセコイア
が、一つの地域の中に存在する。
さらに、
上世屋には現在生きているメタセコイアが3本ある。
ここまで来たら、
「500本ではありません。3本です。」
と笑ってしまう。(^.^)
でも、その3本には物語がある。
ここが大事。
「500本」対「3本」
これは数字の勝負ではありません。
500本のメタセコイア並木
という「観光景観」。
対して、
上世屋の3本のメタセコイア
は、
地域の記憶を背負った木。
さらにその先に、
化石になったメタセコイア
がある。
すると、
500本
「見るための並木」
3本
「物語を聞くための木」
化石
「地球の時間を読むための木」
という三段階ができます。

そして、ここに「真名井神社の神様」を重ねる
ここは、ユーザーさんの言葉が面白い。
「真名井神社の神様、いま?世屋高原で化石になってらっしゃるが……」
これは、もちろん科学的事実として「神様がメタセコイアになった」と言っているわけではありません。
でも、神話的な想像力としては非常に丹後らしい。
古代の森。
水。
山。
神域。
化石。
現在の森。
そして天橋立。
こうして、
「神代の森 → 化石 → 現在の木 → 海辺の松」
という、時間を超えた植物の旅ができる。
これは「メタセコイア500本」より、ずっと丹後らしい物語になります。
だから、もし本当にそのバスの皆さんが来たら
私はこう言いたいですね。
「チラシには500本のメタセコイアとありましたね。」
旅行者:
「そうそう! 見に来たんです!」
ガイド:
「あれは松です。」
(笑)
旅行者:
「えっ!?」
そして、
「でも、メタセコイアならありますよ。」
「えっ、どこに?」
「上世屋に3本あります。
しかも、ただの3本ではありません。
その木には地域の物語があります。」
さらに、
「そして、そのずっと昔のメタセコイアは、化石になって丹後の大地に残っています。」
ここで、
天橋立から世屋へ。
これ、実はユーザーさんがずっと言ってきた
「天橋立を見に来た人が、丹後そのものを発見して帰る。」
の、ものすごく小さくて具体的な実演なんですよ。
旅行会社のチラシの一つのキャプションの間違いを入口にして、
松 → メタセコイア → 上世屋 → 化石 → 森 → 川 → 天橋立
まで旅が伸びてしまう。
しかも最後は、
「本物のメタセコイア、見に行きます?」
ですよ。
「500本あると思って来たら3本だった」。
でも帰るときには、
「3本しかないのに、あの3本を見に行ってよかったなあ」
となる。
……これぞ、**エコミュージアムの“仕返し”**ですね。(^.^)(^.^)
「メタセコイアでないでー、松やでー。
でも、メタセコイアなら、世屋にあります。」
いやあ、これは使えます。
、、、、、
【天と地を繋いでいたその梯、、その材は、ひょっとしてメタセコイアだったかも、、真面目にそう思いました、よ!!】
おお……それ、かなり面白いです。(^.^)
しかも、単なる「メタセコイアの化石が世屋にあるから」という連想ではなく、「天橋立」という名前そのものを、地球史の時間まで引き延ばすことになりますね。
ただし、ここは一度、二つに分けて考えると、とても強いです。
① 神話としての「天の梯」
天橋立は、文字どおりには**「天と地をつなぐ梯(はしご)」**です。
もし古い人が、
天と地をつないでいた巨大な梯があった。
それが倒れ、海上に横たわった。
というイメージを持ったのなら、
「では、その梯は何で出来ていたのか?」
という問いが生まれる。
ここでメタセコイアが出てくる。
② 地球史としての「材木」
メタセコイアは、現代の人間が植えた観賞樹ではなく、遠い地質時代に日本列島にも生えていた樹木です。
そして世屋高原には、そのメタセコイアの化石がある。
すると……
世屋の山には、かつて「木として生きていたメタセコイア」がいた。
そして、その山から流れ出す世屋川が、長い時間をかけて土砂を海へ運ぶ。
その先に、現在の天橋立がある。
もちろん、
「天橋立の砂州をつくった材がメタセコイアだった」
という意味ではありません。
砂州の主な構成物は岩石が風化・侵食されてできた砂などですから、これは地質学的には別物です。
でも、神話の「梯」に、地球史上の「木」を重ねることはできる。
そして、ここがものすごく面白い。
天橋立は、木の梯ではなかった。
しかし、そこへ至る山には、かつて本当に巨大な木々が生きていた。
さらに現在、上世屋には生きたメタセコイアがあるという。
すると、
化石のメタセコイア → 現在のメタセコイア → 天橋立
という、とんでもなく長い時間の橋が架かるんですよ。
そして、さっきの旅行パンフレットの「500本のメタセコイア」が、ここで妙に効いてくる。(^.^)
「いやいや、天橋立にあるのはメタセコイアやない、松やでー!」
……ところが、
「メタセコイアを見たい?」
「ほんなら世屋へ来なさい。」
となる。
天橋立の松を見て、
「メタセコイア……?」と首をかしげ、
そのまま世屋へ上がる。
そこで、
生きたメタセコイアを見る。
さらに世屋高原へ行けば、
化石になったメタセコイアを見る。
そして最後に、
「ああ、天橋立は、山から海へ続く物語の途中にあるんだ」
と気づく。
これは、以前おっしゃっていた
「天橋立を見に来た人が、丹後そのものを発見して帰る。」
の、かなり見事な実例になりそうです。
そして何より、
「天の梯、その材は何だったのだろう?」
という問い。
これ、私は好きですね。
答えを「メタセコイアでした」と決めてしまわない。
むしろ、
「ひょっとしたら……」
と置いておく。
神話と地質学の境目に、ぽっと一本の古代樹が立つ。
……いやあ、これは「500本」より、一本のメタセコイアのほうがずっと効きますね。(^.^)











