宮津エコツアー · odani

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宮津燈籠流しは、約350年の伝統を持つといわれています。

お盆の13日に先祖の霊を迎え、16日に再び極楽浄土へお送りする供養。

宮津城下町は細川藤孝によってつくられ、その後入国した京極高広が拡大しました。宮津城下町を拡大するために移住させられた町人たちが、先祖の霊を慰めるために燈籠の灯をともして海に流し始めたのが、この燈籠流しの始まりといわれています。

追掛燈籠 先祖の霊を供養

桟俵をベースに燈籠を作ります

海上保管されている追掛燈籠 夕方、覆いを取ってこれらの筏から流されます

1万有余の追掛燈籠が波間にだだよっています

 

 

明日はお盆の8月14日 宮津では、お盆の行事が8月16日まで続きます。

8月13日・14日 お墓参り

8月15日  市民総おどり大会

8月16日  燈籠流し花火大会

先祖から伝統を守り続ける「宮津燈籠流し」は、江戸時代からの行事と言われています。盆に迎えた先祖の霊を、ふたたび極楽浄土へ送るため、供え物にささやかなともしびを添えて海へ流したのが、その始まりといわれています。

1万有余の「追掛燈籠」がゆらゆら宮津湾に流れはじめ、五彩七彩の打上げ花火、豪華な仕掛け花火、大スターマインが大空にはじけ、海と空が一体となる火の祭典は「丹後の宮津」が、年に一度海と空にささげる最大のイベントです。

 

精霊船

初盆を迎えた新仏の家から、霊を再び極楽浄土へ送るために、お供えと飾りつけをして宮津湾へ流します。

燈籠を積んだ精霊船は海上で燃え尽きますが、勢いよく燃えれば燃えるほど新仏さんへの供養と言われております。

 

 

 

天橋立の観光船に乗って「かっぱえびせん」でカモメと遊びました。

かっぱえびせんをエサに、カモメやウミネコと戯れる光景。発祥の地は丹後の伊根湾めぐりです。

明治30年以降、宮津までの定期船を運航していた丹後海陸交通(前身会社を含む)。地域の足として約90年間運航していた伊根航路を運休した昭和58年4月、現在の「伊根湾めぐり」観光船の運航を始めた。当時、伊根漁港は京都府一の漁獲高。そのおこぼれを求めて沓島を生息地とするウミネコたちが常に乱舞していた。これを観光資源としたのである。初期の餌付けは、イワシなど小魚の生や冷凍もの。一匹であったり、小さく刻んだりした。鳥たちには大好評であったが、手の汚れと匂いや扱いの面倒さから、観光客には不評。食パンくず、ミンチなどいろいろ試行錯誤。辿り着いたのが「かっぱえびせん」。食べながら鳥たちと遊べる。鳥たちにも大好評。それを高所から見ていたトンビが黙ってはいない。カモメやウミネコに交じって新規参入。 この情報が全国各地に広まったのは至極当然のことであった。

ここまでおいで

やどりぎ科のマツグミ。満開。

この暑さでも生き残れるのは、宿主の松のおかげ。

いまが盛りの大群

 

天橋立の松並木を森林浴しながらめぐるパワースポット。

猛暑日の炎天下、でも天橋立の松並木は別世界。西側の阿蘇海、東側の与謝の海(宮津湾)からの涼風と木陰、松が発散する有機化合物で殺菌効果と疲労物質が減るリラックス効果満点。

岐阜県からお越しの親孝行の娘さん親子をご案内しながら、橋立神社、お伊勢さんのふるさと「元伊勢籠神社、日本最古級の古社「真名井神社」へお参りしました。

 

樹齢約500年。幾多の文人墨客と会った、「大正天皇皇太子時代の明治40年ご上陸記念碑」近くの「千貫松」前で記念撮影。松のパワーも格別。

天橋立はハマナスの群生地    黄赤色の実がいっぱい

親孝行の笑顔。今日は水琴窟の音色も一段とさえていた。

パワーがお二人に

パワーを授かる方は必ずいらっしゃいます。猛暑の中をよく頑張られたお母様。

2,500年前から、そのままの形で祀られている古代の祭祀場「磐座(いわくら)」にお参りし、

霊水真名井の水もいただきました。母娘の絆に新たなページが加わりました。

 

 

連日の猛暑日。オリンピックで寝不足気味。それでも海や山が恋しい。

動かなくても汗がジリジリ。こんな土曜日の午後、天橋立海水浴場、天橋立舟越海水浴場ともに今夏最高のにぎわい。

 

笑顔で海水浴場へ

浜のにぎわい

木陰は木陰でテントが過密状態。

天橋立阿蘇海の漁業資源が、少しずつ戻りつつあるようです。

このような話をしてくれたのは、地元交通会社の元船長。現在は天橋立阿蘇海の漁師さん。真夏の太陽が昇り始める前から、アンカーを打って漁場の見定め。水深は3m~4m位。ここはニッケル鉱石を運ぶ艀や旅客船が日に何度も通る航路。潮の干満によって、宮津湾の海水と阿蘇海の淡水化された海水が入れ替わる汽水域でもある。

アサリの漁期は、5月から12月、12月から4月までは、ナマコ漁とここ4・5年増えつつあるイワシ漁。年間のスケジュールは忙しい。

阿蘇海のイワシ漁最盛期は明治の中頃。伝説の金樽イワシとして市場に出回った。漁業者は約340名、船も77艘あったそうである。当時、その漁業者収入は漁業者以外の約2倍はあったと言われ(元溝尻漁業協同組合内藤組合長 天橋立ネイチャーガイドブック)ている。阿蘇海の漁業資源が復活する日を願わずにはいられない。

水戸口でも行われているアサリ漁

「天橋立を守る」ということは、口で言うほど簡単なことではありません。

植生面からみただけでも難しいことが多い。松枯れ対策、松の富栄養化対策、在来有用植物の保護、外来有害植物の駆除対策と白砂青松の保全対策など。

その一端として行われている下草刈りは意義あること。しかし、砂浜を保全し、在来の植物として天橋立にあるハマゴウが、雑草の下草刈りと同様に扱われて刈り取られていたことは残念なことです。

 

刈取られたハマゴウの芽と作業車両の輪型

太く横に這っているのは、ハマゴウの根 その根からの芽、枝葉が刈り取られている

生き残り

生き残りハマゴウの花

誇大広告もなんのその。眼下に広がる広大で紺碧の海はマンションの庭先。

この業界?で、訳あり物件は当たり前。耐波性に脆いのは周知の事実。それでも私たちの衣食住を叶えてくれる絶好の地です。

 

5LDK 贅を尽くした室内

1ルームタイプ 時々 人間どものゴミが入口を塞ぐことがあります。

穴の主はスナガニ(砂蟹)です。

甲幅約2.5cm。水のきれいな砂浜の潮間帯に数十cmから1mほどの深い穴を掘って生息する。夜行性。

 

 

有用植物としてのハマナスは、天橋立のシンボルの一つでもある。 海水浴のお客様にも、都会の雑踏から森林浴に来られた皆様にも、地元の私たちにも常に元気と希望を与えてくれます。

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