宮津エコツアー · yasuda

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丹後中央高台の一番雪

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(上12月16日)

雪化粧とはよくいったもんです
なだらかに稜線を描く山並みの左側の高いところが高尾山、そこから右に眼をうつすと中央にへこみがあって、そこから右へまた盛り上がり鼓ヶ岳へ流れて行きます。へこみの部分が内山、五十河から味土野への峠です。

さてこの味土野、時は安土桃山時代。とんでもない事件に巻き込まれます。

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時の丹後のファーストレディー、大名家正室細川玉子の「入村」です。
ときめく信長を後見人として結ばれた細川忠興と明智玉子。細川家と明智家は手を携え、中国地方侵攻の準備をすることになります。玉子は丹後を支配する大名家のファーストレディーとして、丹後に君臨したのです。ところが本能寺の変、1562年6月。予想だにしない大事件によって彼女の地位は一変します。殺すか、返すか、殺されるか返されるか自分で死ぬか、二者択一。その玉の運命を決めたのは誰か?
松本清張さんはこう解き明かします。
①忠興は、注進状を見て、蒼くなっていた。「どうなされます?」忠興は、父に訊いた。「お前の考えは?」「てまえは父上のお考えに従います。「うむ」藤孝は黙っていたが、穏やかで深みのある眼差しを息子にむけた。「玉をどうする?」息子はしばらくだまっていた。略 「斬ります」と吐くようにいった。藤孝がじろりと見て、「血迷うな」と叱った。「は?」「なぜ、玉を斬る?」「明智の女ゆえ、諸人から疑いをかけられましょう。斬って証をたてます」「うろたえもの」藤孝はまた叱った。「織田家の諸将への面目はわしが立てる。玉を殺すことはない」

②「光秀は滅びる。あの男、案外小器であったな。いや主殺しをいっているのではない。殺した後の始末を考えていないのだ。味方の算用もなしに、逆上せて事を挙げたといえよう。いまに、あの男、袋叩きになる、惜しい男だが、」「玉はしばらく山の中にでも預けておけばよい。親父と同様、殺すには惜しい女じゃ。与一郎、あのような女房は、またともらえぬぞ。」
③敵味方に分かれると、相手方から来た養子や嫁は戻すのが通例だった。藤孝はそれをしないという。、年来の親友に見せた藤孝の最後の好意であった。                   (小説「火の縄」)

そこで、「玉はしばらく山の中にでも預けておけばよい。」と藤孝のいった「山の中」とは?
三浦綾子さんは、次のように設定します。
「人目につかぬ山中のう」「おお、そうじゃ、殿、味土野はいかがでござりましょう。」松井康之がいった。「みとの?とな」「は、丹後半島の中程にある山の中、あの金剛寺亀山のすぐ傍らにござる」「では、険しい山中だな。女の足ではたいへんなところだが、、、」「男の足でも容易ではありませぬゆえめったに人の寄りつくところではござりませぬ」「道のりは?」「宮津より、舟にて余佐の海を横切り、日置の浜に渡り、そこより味土野まで三里でござります。」「おお、それは近い!」ようやく忠興の声がはずんだ。「戸数はどれほどじゃ」「せいぜい、二十戸もござりましょうか。山伏寺などもござります「では、ひどく淋しいというほどでもないな」「は、山の中とはいえ、人里でございますれば、、、、」「なるほど、では、それに決める。松井!明朝早々にも人をつかわし、住居を用意させよ。」(「細川ガラシャ夫人」)

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さて玉子さん、宮津の城からどの道を辿って味土野に入村したのか、そのルートについて三浦綾子さんの細川ガラシャ夫人が「宮津より、舟にて余佐の海を横切り、日置の浜に渡り、そこより味土野まで三里でござります。」と明確に出されたものですから、その説を中心にうごいています。しかし、それを特定するのは、実は根拠のない不毛の論議なのです。玉の運命を取り上げた重要な小説では発行順に松本清張さんの火の縄、三浦綾子さんの細川ガラシャ夫人、伊崎義明さんの花無き峰がありますが、松本清張さんは

「ただひとつ、戦闘が身近に感じられたのは、光秀の女の嫂が、輿に乗って、奥丹後に送られていったことだった。初夏の眩しい光を受けて、その輿は数十人の家臣に守られて城門を出て行った。蝉時雨の山道を、一行は鎧の金具を光らせながら小さくなって消えた。」

伊崎義明さんは

「その風浪の真ただなかを、押し流されていく小舟一艘・・・どこへ消えたのか・・・伊賀守たち三人の姿はなかった。■伊賀守たち三人が野間の庄行者山に近い高尾山の中腹にある山毛欅の森の炭焼き小屋にたどり着いたのは、幾日めであったろうか。」

いずれも、特定のルートは示されていません。

三浦ルート、それが「望ましい」のですが、私的にはそう思えません。
宮津発→文殊知恩院経由→岩滝男山→駒返しの滝→五十河小町道→内山→味土野峠

状況や地形です。
①一色残党論 これはあり得ない、刃向かったものは皆殺し根絶やしにしたのが戦国の常識。②人数論 数十人の警護隊に護衛されてと松本清張さん。そうであれば寄り広い道を行くのが常識③男城には70人の警備隊を常駐させたということ。それができた物資の輸送路があったはずなど。

五十河→内山→味土野→須川ルートは、現在府道に指定されています。これは古来より幹線道路だったことの名残りではないでしょうか。

つまり、1562年の6月、お玉一行は山裾から雪の峰へ向かった!

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さて、ルート論はさておき、風雲真田丸、今夜が最終回。予告では幸村が単騎家康に肉薄するところでおわるということ。

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(上12/16)

「フェイントと裏切りと寝返りと虚偽」すべての基準が「お家のため」その中で生かされるはずのなかった命を生かされた玉子。味土野の冬、純白の雪景色は、どう戦国婦人お玉の目に映っていたのでしょうか。

若菜と光と雪の共演!

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清少納言さんなら雪はこれくらいがいい、とおっしゃるのではないでしょうか。

上世屋の初雪!

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ただし、深く埋めたるはいと「わろし」

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ほどほどにしてくだされよ、冬神さま!というところですが、スイセン、そのメッセージなんでしょうか。

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お、カラスが!

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{本種を食草とするチョウにはカラスアゲハ、ミヤマカラスアゲハ、モンキアゲハ、ナミアゲハ、クロアゲハがある}。という本種とは「カラスザンショウ」のこと。
さて、カラスザンショウはなぜカラスザンショウなのかについては、「サンショウに似ていて大型で、人に利用されることが余りないので「カラス」と冠されたようです。 カラスがこの種子を食べるからという説がありますが、カラスがこの種子を食べるかどうかは定かではありません。」と「多摩の緑爺の「多摩丘陵の植物と里山の研究室」」さん。
私自身もカラスアゲハが群れるのでカラスザンショウと理解していました。

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が、カラスが群れて食べているのは、紛れもなくカラスザンショウ!

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カラスがこの種子を食べるからカラスザンショウという説、これが正しいようですよ。

「大津・瀬田川の川面、まるで“紅葉” 外来の水生シダ 生態系に悪影響懸念 」「赤い池救え! 名古屋で浮草の除去作業」「万博記念公園:肩身が狭い「はす」アカウキクサ繁殖」「赤土の広場? 堀です アカウキクサ、福岡城跡に発生 市「危険」の看板」 「市民の湿地覆う赤い敵…水生シダ 生態系に悪影響も/和歌山・天神崎」「オニバス:危機、浮草が大繁殖--明石・二見の末々池」など、いずれも新聞見出し。
そのアカウキクサがこれ!

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田圃一面を覆う様は確かに「まるで“紅葉”」

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せやの棚田でもあまりみることがありません、しかしかといってすぐに希少種と言うわけにはいきません。外来種と在来種があって、在来種なら国絶滅危惧種。京都府でも「近年全国的に激減し、府内でも過去20年以上確認されていない。」という絶滅寸前種。

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ただ見分けが難しいんだそうです。ポイントは「植物体は全体が三角形で、全長1~1.5cm。」というところなのだそうですが、今の状態ではその特徴が確認できません。

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水鳥の脚についてきて広がった外来種という可能性もあり、今のところは何とも判定しがたいというところです。

秘めていた戦争遺跡を世にあらわして、再び「森」へと新たにスタートをきって二年めの上世屋「軍部の森」、冬の眠りにつく前に、2016年の成長と変化の観察と今後を見通した諸整備を次のように行いたいと思います。12月15日(木)・12月17日(土)の両日行います。樹の赤ん坊の冬姿、この判別も楽しいですよ。「軍部の森」が海と里の命と暮らしを豊かにはぐくむ平和の森に育つよう、皆さまの力をお貸しください。年の暮れのあわただしいときの案内ですが、よろしくお願いします。

 

◆講師 市ノ瀬拓也様 (地球デザインスクールスタッフ)
小川雅道様(世屋財産区委員)
◆日時 作業前半12月15日(木)午前9;00~午後12;00

作業後半12月17日(土)午前9;00~午後12;00

◆会場  宮津市上世屋 郡部の森
◆内容 2016年の成長と変化の観察と今後を見通した諸整備
◆集合 宮津世屋エコツーリズムガイドの会 事務所
◆持ち物 せんていばさみ 草刈り機 鎌 ナタ など

◆その他 小雨、少雪でも実施します。冬用タイヤでおこしください

せやの山に虹。

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せやの山は竜の潜む山である。谷を龍渓と呼んだのは昔人は実際に竜を見たからだとそう見当をつけ最近は確信に近くなってきていたのを哀れに思ってくださったのでしょう、私がせやの竜じゃと姿を現してくださったのだとまあ、大げさな言い方ですけれど涙涙でしたよ。

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さて、虹という現象を古代の人は大蛇と見立て、中国では、「虹蛇」竜虹とよんだということですが、それは中国だけでなく世界共通だったようです。

川が曲がりくねっているのはなぜか?

虹のヘビが川を作るのにその身をよじらせながら進んだためだ!
泉や湖が丸いのは、なぜか?
虹のヘビが体を休めるためにとぐろをまいて休憩していたからだ!
干ばつ、それは虹のヘビが眠ったまま目を覚ましていないからだ、ヘビを起こすために特別に騒々しい儀式(雨乞い)を行う必要がある。
これは、アフリカに伝わる話だとうぃくぺでぃあですけれど、上世屋でも、雨乞いなどは同じことをしたと伝えます。

春と夏を分けるのは梅雨、夏と秋を分けるのは秋雨です。では秋と冬を分けるのはなにかごぞんじですかととわれたので、「うらにし」と答えると、ぶっぶー。なんだと訊ねると「サザンカ梅雨」というと教えられました。

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はぁはあ、なるほどぉ!裏日本では、弁当忘れても傘忘れるなということばとともにうらにしの候という言葉をつかうので、はやらなかったんだとしらない申し訳をしました。

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ついでに、サザンカ梅雨というと、梅と山茶花とふたつも花の名を付けられて贅沢な言葉だとおもいました。
さて、その梅。

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もうつぼみがしっかりついていました。水仙も咲いています。

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ツツジも。

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草木たちは今冬は温いまま推移して春も速い、そう見立てているようですよ。

初冬の駒倉林道!

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落ち葉を踏む音が気持ちいいです。

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さて、みちは「道」。「みち」というのはなぁあ、「くび」という字に「しんにゅう」だぁやと教えました。
道には首がある、、、、こわぁーいやろ!
しかし、そこまで、でしたね。大事なのは、なぜみちに首をおいたのか、その意味なんですけども。

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(上 上世屋 六地蔵野良道)

それを教えてくださったのは、白川静さん、『中国古代の民族』によると「道は異族の首を携えて、それによってひらかれるものである」と。またみちは「途」とも。「途は呪針を地に立てて、邪霊がその途から侵入するを防ぐ呪儀を示す」と。古代人は、道路を外界と接するもっとも危険なところとしておそれていたことが字に反映しているとおっしゃるのです。

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そういわれれば思い当たることはたくさんあります。

話は飛躍しますが、秀吉の朝鮮出兵に参戦した細川忠興、大阪で待つ妻「珠」への土産は、2000あまりの敵兵の首だったとか。

落ち葉道を、そんなことをおもいながら歩くと、道ばたの笹がざわつくようにかんじるから不思議なものです。

きんさん!

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読んだかえ、今朝の「天声人語」あんたのこと書いてあったで!

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「人類の幸せ」「愛」「子育て」「友達をもつこと」そして「必要最低限のもので満足する」、、、ホセ・ムヒカさんは  それが宝物だとおっしゃっていますが、金さんはすでにそういうことをおっしゃっていましたよね。そんなことをいっていたら消費のモーターを回し続けなければ経済は不況のどん底におちいってしまうという輩もいるけれど、金さんもホセ・ムヒカさんもそんなのは脅しだと、実践で証明されてます。
強く戦う人だった、そういう意味では、ノスタルジック・アイドルなんて位置づけには若干違和感を感じます。

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けれども、上世屋尋常小学校跡地の金さん、日本の里100、生物多様性保全重要里地里山500、京都府景観資産を背景にしたこのロケーションはまさしく「ノスタルジック・アイドル」。

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日本でもそうそうあるものではありますまいから、百聞は一見に如かず、『ノスタルジック・アイドル二宮金次郎』の読者の皆さん、ぜひ会いにいらして金さんと里山イニシアチブ、農山村振興など議論してください。元気がでますよ。

標準積雪計が今年も。

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新聞などで紹介される上世屋の積雪報道はこれをもとにしています。
さて、秋の終わり、気象解説者には今冬は豪雪、しかもととんでもない豪雪を予想する人もいらっしゃいました。偏西風の蛇行の様子や赤道付近の海水温の状況が「さんぱち三八豪雪」の時とよく似て連続した寒気団の襲来の可能性がある!そんなことを聞けば構えますよね。

三メートル四メートル、というのは、この積雪計をもう一つ積み重ねないといけません。

最近では、おおかたの予想が平年並みというところにおちついているようです。

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山道には、山ツツジが咲いていました。開花ホルモンがこのところの寒暖の差の大きい日の連続で、ちょっと漏れたのでしょう。

畑で片づけ仕事のてるみさん。

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雪が少なけりゃあ楽なのはらくだけど夏に水の心配をせんなんし、多けりゃあその心配がないだし。考え方の基準があくまでも米作り、聞いていても安心感が生まれるのは妙なものです。

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こんな状況で始まる年の暮れ、この積雪計は今年の冬の寒さと積雪をどう占うのでしょうか。

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