宮津エコツアー · yasuda

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お客さんがおっしゃるのです、「ここのくろもじはなにくろもじですか?」
え!
「毛があったりなかったり、葉っぱが大きかったり小振りだったり、種類があるんだってお聞きしたことがあるんですぅ、ここのはどれに当たるのかと思って」
あれ?あの!ええっと!!でしたよ。

さて、そんなとき、わからないことはわからんと白状するのもガイドの腕です。お客さんもいいお客さんで、「あのこれもらって帰ってしらべてきます」
そして、日を改めて福知山のをとってきたので、みせていただいたのがこれ。

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左が上世屋のくろもじ、右が福知山のくろもじ。葉脈や葉の大きさ厚さに違いがかんじられました。厚い雪雲の下の丹後のくろもじとその雲の支配を免れる境にある福知山のクロもじとが同じであるわけがないのだと改めて思いました。葉っぱ図鑑を見せて頂きながら、
丸みがあって小振りなのが「くろもじ」で、葉柄が長く主脈に絹毛がはえるのが「おおばくろもじ」で山陰地方・関東以北の多雪地帯に生育するということです。さらに、うすげくろもじとか葉脈沿いに長い絹毛を持つ「けくろもじ」というのもある、とガイダンスしていただきました。
で、この四種のうち、せや高原のくろもじの該当するのはどれかというと、オオバくろもじとしたいところですが、葉脈に毛を持つのかもよくわからないのでさらに詳しく見る必要があるということでした。
さて、そんなこともあり、あらためて自戒しなければと思い受験シーズンなので、生物多様性について、問題を作ってみました。

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、、、、、、
次の①から⑥の説明に共通する植物の基本的な名前を後の四つから選びなさい、

①青森県と北海道・道南地方の特産で,頭花が上向きに咲く
② 岡山県特産で,多数で小型の頭花を下向きに咲かせ
③長野県に分布し,多数で小型の頭花を下向きに咲かせ
④新潟県妙高山系のブナ帯に生え,多数の小型の頭花を下向きに咲かせ
⑤京都府と兵庫県に分布し,多数で小型の頭花が下向きに咲き
⑥北陸地方から近畿地方北部に分布し,夏緑樹林や常緑樹林の林縁に生え頭花は点頭するか横向き~斜上して咲き
、、、、、A ツバキ B アジサイ C ユズリハ D アザミ
答えは、D アザミ
一口にアザミといっても、その種の数は150種を越えるのだそうです。 北海道から沖縄まで、また一方では海岸から高山の頂にまで様々な環境に分布域を広げているためです。そして、そのひとつひとつの命名に用いられるのが産地の名前。ちなみに①はあおもりあざみ②はみまさかアザミ⑤はたんばアザミ。⑥のおはらめアザミ。これはせや高原にも咲いているとされますが、下の場合で頭花の付き方をみると!

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分析を詳細にしていただけば「せやおはらめあざみ」に分けられるかもしれません。

淀徳書店さんに。

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まるぜん書店さんに

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丹後の本屋さんにニューフェース登場!

川北亮司さく/山田花菜えで『里山で木を織る 藤布がおしえてくれた宝物』
「京都の里山には、藤の木から布を織る「藤織り」という業があります。でもかたい藤の木を、どうやって布に変えるのでしょうか? 40年に渡り取材した日本の伝統技術とともに、自然と共生する大切さを子どもたちの目線で描く著者渾身のノンフィクション。」
と出版元の汐文社。

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さて、その出版を記念して作者川北亮司さんを招いての交流会を次のように計画しています。

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1 日時 平成28年11月13日 午後6時~8時30分
2 会場   レストラン ビオラビット 日置マリンとピア五号館
3  内容
一部 出版セレモニー (6時~6時40分)
作者記念トーク 「人間の明日と日置っずの学んだことの意味!」
二部 出版記念交流会   (6時50分~)
①お食事タイム 参加者紹介と一言コーナー
②「丹後の仲間たちと川北さんと」ミックスお楽しみワールド
4 会費  2500円(軽食付き)

※問い合わせ 090-7346-4639 ガイドの会

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日置っずという日置小の子どもたちの学習を通して、日本にとって里山とは何なのだろうと問いかけるこの本の中には、その中に、私たちガイドの会が里山のブナ林を案内した様子も紹介されています。里山と私たちの今と未来に関心のあるかた、この機会につながりを深めることができればと思っています。どうぞご気軽に参加くださいますよう案内させていただきます。

分校

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天は学校の上に学校を作らず、学校の下に学校を作らず!とはいうものの、本校に対するところの分校、という時、分家と本家という関係に似た一人前扱いされないといったような何とも曰く言い難い肩身の狭い思いをしたというほろ哀しい気分が蘇ります。
ああ自由は分校に存す 分校から日本の教育をリードするような発達に即したきめ細かいすてきな教育がたくさん創造されたのも、そんな屈折した思いがバネになったのかもしれません。

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さて、明日はなろう本校に!そんな夢も営みも青空にはかなく消えて、さらに新しく付け加えられたのは「跡地」という言葉!

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「金さん、どうだろう、次々と◆◆校跡という碑が立って、この道は、日本が、◆◆国の日本分国になっていく道ではありますまいかのぅ、、、。」

そうじゃぁ、分校跡が分国跡にならねばええがのう!

それにしても、ここは上世屋小学校、宮津中学校上世屋分校だったのに「跡地」と書いたものすらないではないか、、、

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そう言われると思ったよ!

分校巡りの旅、というのがあるぐらいだから、立てておきますよ。

丹後・上世屋 八十八手米

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10kg単位で7袋、確保してあります。価格は送料別5000円。

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さて、 米と言う字が、八十八の手間をかけて作られた事に由来するというのは、米がお金であった時代に生まれたことなんでしょうね。いまでも確かに、八十八の手間というその内容に挑戦されているぶろぐが多数在ります。なかでも、もっとも精密なのは※「 安心なお米屋さん – 楽天ブログ」かもしれません。参考までにあげておきます。


1、抜き穂 =田んぼの中から来年の種子を採取するため、異種種の疑いのある穂を抜きます。
2、採  種=種にする籾をほ場から収穫します。
3、唐箕選 =採取した種籾を唐箕(とおみ)」にかけ、選別します。
4、のげ取 =稲の籾にある芒(ぼう)を取り除く。
5、塩水選 =種籾を比重1:14の食塩水に付け、浮かぶ籾を取り除き、良い籾だけを選別します。
6、水  洗=塩水選で塩水に浸した籾を水で十分洗います。
7、種子消毒=一般栽培では、農薬に塩水選した種を浸して、馬鹿苗病、籾枯細菌、イモチ病の予防を行います。自然農法では、温湯浸法と言って、温湯に種籾を浸けての防除を行います。
8、浸  種=発芽には100度の積算温度が必要なので7~10日水に浸します。水は毎日交換して、酸素欠乏を防ぎます。
9、催  芽=浸種した籾を風呂に浸け(35℃位)発芽させます。鳩胸状態にするのが良い苗を作るコツです。
10、育苗土 =育苗土の準備、最近は、市販の消毒済みで肥料が入った物を使うのが多くなっています。自然農法では,ほ場や、山の霜崩れの土を篩い(ふるい)にかけて、育苗土を作ります。

11、育苗土消毒=苗立枯病の予防に育苗土に農薬を混ぜる。自然農法では、菜種粕液肥などを使います。
12、育苗土施肥=育苗土に肥料を混ぜます。
13、苗箱の消毒=苗立枯病の予防に苗箱を塩素系の殺菌剤で消毒します。自然農法では、省略します。
14、播 種  =種籾を苗箱に播き、覆土します。
15、新聞紙貼り=苗箱に新聞紙を被覆します。
16、苗代作り =苗代田に水を溜め、約3週間置いて耕し、苗代を作る。
17、苗箱並べ =苗代に苗箱を並べる。
18、保温資材被覆=苗箱並べが済んだらその上に新聞紙、有孔ポリなどで覆う。
19、カラスの害対策=カラスの害を防ぐ為、糸などを苗代の上に張る。
20、育苗管理 =発芽が5cm位になれば、新聞紙、有孔ポリなどをとり除く。その後、水が涸れないように、水管理をする。

21、苗 追 肥=苗の生育の為、液肥を苗に散布します。
22、苗の防除 =苗にも苗立枯病、イモチ病になる場合があるので、薬剤散布をします。自然農法では、健苗育成に努め、農薬は使用しません。
23、耕起(1回目)=稲刈りが済むと直ちに、田んぼを耕耘しイナワラをほ場に鋤きこみます。
24. 豆殻を散布=転作で栽培している大豆の茎葉は良質な有機肥料です。大豆、小豆などのからは、田んぼに積極的に還元します。
25、堆肥 運搬 =前年の秋に作っていた山野草の堆肥(のり面の草)を
ほ場へ運びます。
26、堆肥 切断 =ほ場に運搬した山野草の堆肥を刈払機やカッターで小さく切断し、ほ場に鋤き込みやすくします。
27、堆肥 調達 =山の腐敗土、近隣の畜産農家の堆肥などを調達し、良質有機物を田んぼに施します。
28、耕起(2回目)=トラクターで耕耘し、堆肥をほ場に鋤き込みます。

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29、溝 上 げ =水溜の時、水が田んぼに早く回るように、畝たて機
(うねたてき)で田んぼに溝をほります。
30、畦草 草刈 =水溜をする前に、田んぼの畦(あぜ)及びのり面側の草を刈ります。

31、溝 掃 除 =雨水をため池の入れる為の水路を集落あげて行う。
32、水 溜 め =雨が降ったら田んぼに引き込んで、トラクターで耕耘し水溜をします。トラクターで2~3回耕耘し、水持ちを良くします。
33、畦 塗 り =田んぼから水漏れを防ぐ為、クワで畦塗りをします。
34、元肥 散布 =元肥を散布します。自然農法では、元肥には菜種粕、米糠等を施肥します。
35、代 掻 き =散布した元肥を土に混ぜるとともに、田んぼを均一にする為、代掻き(しろかき)ロータリー耕をします。
36、苗 取 り =苗代から苗箱を取ります。昔は、苗を1本1本手で取って、束ねて田んぼに運んでいました。
37、苗 運 搬 =苗代から取った苗を運搬機で田んぼに運びます。
38、苗箱 施用 =田植前に殺虫剤、殺菌剤を苗箱に散布します。勿論自然農法では、行いません。
39、田 植 え =田植え機で田植えします。昔は、田植え機がないので、手植えでした。束ねた苗を投げ込み、1本1本手で植えていました。
40、補 植 え =機械でうまく植えられなかった所、欠株の所に手で植え直して行きます。(実は少々の欠株は、稲の収穫に影響がありません)

41、苗箱 荒い =苗箱を洗います。
42、除草剤散布 =田植え後7日目位に除草剤を散布します。私共の自然農法では、ここで除草剤を1回だけ使用させて頂きます。アイガモを放飼するアイガモ農法もあります。
43、除草機押し =除草剤を使用すると手取り除草はほとんど不要です。
自然農法では、除草機を2~3回押します。
44、手取り除草 =除草機を押してもやっぱり草が残ります。最後は手による人力除草です。
45、追  肥  =6月の分けつ肥・7月追肥・8月穂肥を2回実肥を4~5回追肥します。
46、穂  肥  =
47、穂  肥  =自然農法では、ペレット状の有機肥料を散布します。
48、防  除  =4~5回本田に農薬を散布して、病虫害を防ぎます。
自然農法では、農薬の代わりに木酢液を散布する事があります。
(病虫害を防ぐ波動調整をする)
49、水 管 理 =田植え後出穂までは水を切らさないよう深水管理、出穂後は、間断かん水の水管理をします。(これが意外と大変なのです。)
50、揚  水  =日照りが続くと、水不足になります。水持ちが悪い田んぼはポンプで水を汲み上げます。

51、悪水 除去 =大雨が降ると必要以上の水が田んぼに入ったり、畦畔が崩れたりします。大雨の時は大水が田んぼに入らないようにします。
52、畦草刈り =田んぼの管理と病害虫抑制の為畦草を2~3回刈ります。
53、畦草刈り =田んぼの管理と病害虫抑制の為畦草を2~3回刈ります。
54、畦草刈り =田んぼの管理と病害虫抑制の為畦草を2~3回刈ります。
55、ヤネ刈り =7月中旬に再度田んぼの、のり面の草を刈ります。
56、草  刈 =採草地、田んぼの、のり面の草を刈ります。
57、草 束 ね=-刈った草は数日そのまま乾燥させておき、束ねて、のり面
に重ねておきます。これが来年の米作りの堆肥になります。
58、のり面の管理=のり面にススキなどが生えるのは良いのですが、クズや木が生えると草刈作業が大変なので、こまめに抜いたりします。
59、溝 切 り =排水の悪いほ場では、田んぼに鍬等で溝を掘ります。
60、落  水  =稲刈りの20日位前に、落水します。落水は、田んぼに水の出口を掘って行います。
61、抜き 上げ =落水の時、排水の悪いほ場では、稲株を堀上げて、排水溝を作ります。
62、ヒエ 取り =ヒエの穂が出てきます。ヒエは種が田んぼに落ちると大変ですので、ヒエの株を鎌で切り取ります。
63、猪  害よけ=猪よけをする。
64、雀  害よけ=稲穂が実ると雀がやってきます。案山子(かかし)や
ピカピカ光るテープを張ります。
65、稲 刈 り =昔は、鎌または、バインダーで稲を刈りました。天日乾燥しむしろで干し、それを脱穀機で脱穀していましたが、今はその行程をコンバインの一行程で完了します。
66、ホギ 作り =
67脱   穀  =
68、籾 運 搬 =コンバインで刈った籾は運搬車や軽トラックで乾燥機の所まで運びます。
69、乾  燥  =収穫した籾の水分が15%位になるよう乾燥機で乾燥します。15%に乾燥する理由は、虫害の防止、籾摺りしやすくする為、そして米の検査基準があるからです。
70、籾 摺 り =乾燥した籾を籾摺機にかけて。籾殻を取り除き、玄米にします。
71、米 選 別 =籾摺した籾を米選機にかけて、未熟米を除きます。
72、計  量  =選別した精玄米を米袋に詰めます。30kgの紙袋に入れます。
73、出  荷  =出来上がった米袋を出荷して検査を受けます。
74、保  管  =米は常温で保管すると、翌年の梅雨明け以降に食味が大きく変化します。その為低温貯蔵庫で保管し新米の食味を維持に努めています。
75、精  米  =直接消費者の皆様方にお届けするお米は、玄米を精米機にかけて糠を取り除き、白米にします。
76.石 抜 き =時には、米の中に異物が混入する事があります。石抜き機で小石や異物を除去します。
77、焼きずくも =籾摺り後に出る籾殻を焼いて燻炭(くんたん)にします。
78、畦 落とし =水溜の時塗った畦をスコップや畦切り機で落とします。
79、畦畔シート除去=畦に使ったシートを除去します。」
80、田面の均平化 数年間稲作りをしているうちに、ほ場の外側が高くなったりします。低い所の土を高い所から運びます。
81、暗渠の整備 =ほ場の排水を良くする為、暗渠(あんきょ)は毎年掃除しないと機能を十分発揮できません。田んぼに溜まった泥を鍬であげます。
82、土手の草刈り=溜池や土手の草刈をします。
83、機械の整備 =使用した農機具はその都度、きちんと整備して置かないといざと言う時に不都合が生じます。
84、機械の点検 =冬場でも時々エンジンなどをかけ点検をしておきます。
85、記  録  =作業の実施状況、水田の管理、作柄、経営の記録をつける事は大切な事です。
86、栽培技術の研鑽=栽培講習会に参加したり、栽培技術の高い農家の視察などをし、常に美味しい米作りを目指します。
87、販売 宣伝 =販売ルートの確立と美味しい米の試食会などを開催します。
88、米 作 り =米作りは人作りにつながります。日々自然に学び・人に学び・土に学びます。』
、、、、、、以上!

なんとなぁあ!です。
しかし、数こそ88に合わせてありますが、手間暇の質的な重みはずいぶんと軽減されての八十八。特に、決定的なのは65の項。これを元に戻せといえば米作りをするものはいなくなってしまいます。

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そのようにコンバイン刈りで手間軽減が当然の状況のなかで上世屋のように、手間暇かけて天日干しを続けて、結果的に環境に負荷をかけず、生物多様性の保全に貢献している上世屋のような棚田米の値打ちは別格。

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そのあたりの事情をまとめるなら、、、、、、、、
「機械力や薬力は米作りの手数をずいぶん減らしてくれました。そのかわり、生き物はずいぶん迷惑を被っています。でも、上世屋の米作りは、地図の等高線のような形の棚田で、秋には稲木を組んで天日干し。かける手数は本との八十八手。おかげで、トンボもツバメもカエルもイモリもニコニコ米。そのため、生物多様性保全上重要里地里山500にと環境省もバックアップ。小さな花の歌の里の正真正銘八十八手米」
、、、、、、
こんな風になるのではないでしょうか。

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年末にむけて、お歳暮に最適。連絡お待ちしています。
連絡先 宮津せやエコツーリズムガイドの会(090-7346-4639)

「千葉」からみえたんだそうです。

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車は「わ」ナンバー、目的があるようで、なにか探していらっしゃるようで、カメラを持っていらっしゃるので秋の里山世屋探訪と見えるけれど、どこを見たらいいのかなにか不案内なようす。祖父母の地とか縁のある人たちが訪ねてみえることもあります。こういう名前なんだが、家はどこに在ったのでしょうと聞かれたこともあります。そこで、パンフレットをもって、どちらから! どうしてここへ! 何でここを! それとなくサーチすることも目的で、いつものように声をかけてみました、

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要約すると以下の通り。
◆東京の居酒屋の雑誌に丹後の上世屋の記事を見た。◆何でも若い夫婦で農業に取り組んでいて子どももできてという話だった。それに惹かれて行こうと思った!
~その記事を書いた方、あのおうちですよ、畦道に下りると棚田もさらに見え方が違いますよ、案内しましょうか。~
「いえ、新幹線の時間があるので」
棚田の里は好きであちこち回っている。あっちにもいった、あれも見た。が、ここの里と棚田はまた違う味わいを感じる、、といった感想を残して帰っていかれましたよ。

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千葉と上世屋が居酒屋にあった丹後を発信する雑誌記事をきっかけに新幹線とレンタカーでつながったという不思議にちょっと感動しました。

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これからに必要なすばらしいものは地方にある、それを求めて新幹線で、レンタカーで、自動車道でちょいと!世の中はそうなっているんですねぇ、その受け皿を、たとえば「せやエコ&ジオミュージアムビジターセンター」というかたちで、誠意をもっておもてなし、サービスが提供できるように待ち受ける側がしっかりと作っておく、それが課題だとおもったことです。

「街をゆき 子供の傍を 通るとき 蜜柑の香せり 冬がまた来る」(木下利玄)

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ミカン晴れの2日は、日置海の色もまた格別。

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水平線に横たわるのは越前海岸。冠島と同じ高さで少し右奥に眼をこらしてみると!「はくさん」が冠雪していました。

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テレビ金沢によると「石川県内はこの秋一番の冷え込みとなり、気象台は2日、白山の初冠雪を観測したと発表した。白山の初冠雪は去年より19日遅く、平年と比べても16日遅い観測となった。2日朝の県内は放射冷却の影響で気温が下がり、最低気温は金沢で5.2℃、輪島は3.0℃などと各地でこの秋一番の冷え込みとなった。」ということです。

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加賀の国までやってこられた冬神様、「はくさん」をその名のとおりの「白山」にして越前、丹後と巡航されるのはまもなくです。

大谷君の165km連発には驚きました。

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けれど、これをみたらそれも吹っ飛びました。

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かおるさんの作品の長芋。名前が一つ一つに付いているんです。
私だったら競売にしますね。

これは「琵琶法師の琵琶」

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はじめは、2万円からはじめます。

これには、「働く手」

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初値は10万円から。なにロダンさんが買ってくれます。

さて、真打ちはこれ。

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名前は「◆◆◆」想像にお任せします。初値50万さらに上限なし。店の魔よけにすればもとはすぐとれること請け合いの代物。

それにしてもこれだけ元気なのは、今年は天候、水、肥料、みなぴったりだったということです。

木の根っこのようにみえます。けれど、さくっと切れて切り口のみずみずしいことといったら別格の長芋です。
大谷君 くやしかったら170kmだしてみな!

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いまだったら、まだ残っているかも、、、連絡ください。

下痢に苦しんでいる人にある薬売りが「この薬を飲めばどんな下痢でも治る、この薬草に治せない下痢はない」と服用を勧めた。また一方,頑固な便秘に悩んでいる人に向かっても、薬売りは、「この薬を飲めばどんな便秘でも治る、この薬草に治せない便秘はない」と服用を勧めた。便秘と下痢は正反対の症状、そのどちらにも効くと言うのはちょっともそっとも解せぬ話ぞ、不審におもったあるお殿様、たぶらかしているのではないかと問い質された薬売り、実際にご家来衆の中から、便秘と下痢で悩むものを呼び出してもらい試したところどちらにも本当に効き目が認められたということで、よし、現に証拠を見た、この薬「げんのしょうこ」とせよ!と言うことになったのだそうです。

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また、ゲンノショウコの花って白だと思ってたと言う人がいるかと思えば、私は赤だと思っていたという人もいる、というのがげんのしょうこの花の色。それはなんでも、平安末期同じ武士が、西に基盤を持つ平家は赤い旗、東の源氏は白い旗、それをかかげたので、その地に生えていたげんのしょうこもそれじゃあ私たちもそうしましょうと東は白、西は赤にまとまっていったといいます。しかし、上世屋では、白い花も赤い花も咲いています。そんなことに煩わされることなく力を合わせましょうとおおらかだったのでしょうか。

花の後には。萼の上に塔のような鞘が立ちます。

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この鞘は中に種が入っているのではありません。はじき飛ばし装置。その根本にゴマ粒くらいの五つの種、乾燥したら勢いよく巻あがり、その勢いで種をとばすという仕組みです。
いろいろおもしろい植物です。

「なんでくもじいうんだかわからんけど、これがうまいんだぁ」

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炭焼き体験研修後、野間亭でそば定食のお昼をいただいたおり、ショウガご飯おにぎりやゴボウきんぴらとともに皿に山盛りされテーブルにどんとおかれた青菜の漬け物をさして、とっちゃん先生がいいます。
この「くもじ」とは、まびき菜の切り漬けのことで、 作り方は大根などの間引き菜を2,3cmぐらいに切り、塩をして、しんなりしたら、土ショウガ を1かけ漬物容器に入れ、押しをかける。いたって簡単なものです。。
どこでもたべられているものでしょうけれど、これをまびき菜の切り漬けといわずに「くもじ」というのは丹後の特徴なのでしょう。なぜまびき菜の切り漬けといわずに、「くもじ」というのか、そのわけをチェックしてみましたところ、これは「く」と「もじ」が合体したもので、その「もじ」というのはなんでも、室町時代、宮中に仕える女官が主に衣食住に関する事物に接尾語として用いた一種の隠語的なことばなんだそうです。。

{ことばの 虫 メガネ}という  ブログで、詩人で、中学、高校の国語教師の織田道代さんが、「ことば」を虫メガネで覗くようにして拡大してお話ししてくれていますが、そのなかに『くもじ』あります、茎くきを刻んでつけた浅漬けと!

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研修のお礼代わりに、全文アップさせてもらいます。
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もじことば・・文字詞

「近いうちに、おめもじしたく存じます。」
昔は、こんな風に、手紙の最後に書いたものだが、この頃は手紙そのものが下火になって、メールというものに取って代わられつつあるようだ。
「おめもじ」とは「お目もじ」で、勿論、お目にかかること、お会いすることであるが、恐らくメール上に、この言い回しが登場することはまず殆どないといっていいだろう。
「おめもじ」は、文字詞の一種である。言葉の下を省略し、その代わりに「もじ」という接尾語を添えていう言い方である。「もじ」は「文字」から来ている。これは婉曲に表すことがねらいであって、元々は女房言葉として発達し、隠語的性格が強かったらしい。
女房とは、宮中で独立した部屋を与えられた高級女官。紫式部、清少納言らがそれである。その流れを汲んで、室町時代の初め頃、御所に仕える女房たちが自分たち独自の言葉として編み出したものが女房言葉である。そして、それは江戸期にもなると、一般の女性たちにまで広がっていった。
例えば「あもじ」。「あ」のつく言葉を婉曲に、謎々めいて「ほら、『あ』の文字の付くアレね……」という具合に使うわけだが、さて、「あ」の字が付く言葉は山ほどある。宮中に仕える女房たちに縁のある言葉の中で……と自分なりに頭の中で絞っていきながら、辞書を繰ってみると「あもじ」は姉のこととある。ははぁん、なるほど、女房言葉らしく姉御許(あねおもと)のことなのかと、ちょっと納得する。
現在にかろうじて生き延びている文字詞を拾い出せば、「おめもじ」以外には「かもじ」「ゆもじ」あたりだろうか。
「かもじ」は髪のこと。特に髷を結ったりする時に付け足す入れ髪のことである。明治生まれの祖母が、薄くなった髪をきゅっと高く結い上げ、鏡台の引き出しからおもむろに「かもじ」を取り出して、上手に付けていた様子が記憶にある。私の中の「かもじ」はあれである。ついでに言うと、鬘(かつら)はつる草や草木の花や枝、つまり「かづら」を髪に巻きつけて飾りとしたところにルーツがあるようで、本物の髪を添える「かもじ」から、現在の鬘、ウイッグへ発達したと思われる。
「ゆもじ」は「湯文字」と書き、湯帷子(ゆかたびら)のこと。湯帷子とは入浴中、あるいは入浴後に着る単衣の着物のことで、今の浴衣(ゆかた)である。浴衣は最近、彩り鮮やかに流行しつつあるが、これは実は「ゆかたびら」が略されて「ゆかた」となったものである。また「ゆもじ」は「湯巻」といって、入浴中の貴人の世話をする女性が、衣服の上から腰に巻いた布の意味もあり、それから下着としての腰巻をも表すようになったらしい。
こうしてみると、文字詞には何らかの理由ではっきり言うのをはばかる言葉や、特別に思い入れのある言葉などが選ばれているような気がする。

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衣食住に関わるいろいろな言葉が文字詞化されたことが想像されるが、今、辞書類で拾い出されるものを挙げてみると、つぎのような文字詞が目に付く。

あもじ・・姉
いもじ・・湯文字の転 腰巻
うもじ・・内方(貴人の奥方) 又は 宇治茶
えもじ・・蝦(えび)、又は鱠(えそ、魚の一種)
くもじ・・くわんぎょから 還御(天皇、将軍などが出先から帰ること)
くこん(九献)から 酒
くき(茎)から 漬けた菜
こもじ・・鯉 又は 小麦
さもじ・・鯖 又は 肴
すもじ・・鮨 又は 推文字(推量)の略
そもじ・・そなた
ともじ・・父(とと)
にもじ・・にんにく
ぬもじ・・盗人
ねもじ・・練貫 又は 練絹 又は 葱
はもじ・・恥 はずかしいこと
ふもじ・・鮒 又は 文
ほもじ・・干飯(ほしいい)
みもじ・・味噌
わもじ・・若者 又は われ(お前)

全体的に、食べ物関係が多いようだが、食べ物は露骨に言わず、文字詞でちょっとおぼろげに言うのが上品だったのかもしれない。
もじもじと 恥ずかしがってる 文字詞
おめもじは おはもじなので ふもじする(お目にかかるのは恥ずかしいので、お手紙で・・)
こんな川柳をつくってみたが、それよりもっと面白そうなのは、自分にとっての文字詞を決めること、あるいは気の合う仲間内にだけ通じる文字詞を作ることである。現に、文字詞を崩して「ほの字」(惚れること)、「きの字」(きじるしと同じ)としたのも、どこかの誰かが発明した言い方だろう。もしも「ほの字」を「ほもじ」としていたら、また別の意味も加わりそうであるが・・・
例えば「あもじ」は、本当は姉だけれど、わたしだったら、愛する、遊ぶ、あんぱん、アンポンタンなど、さあて、どれにしよう?「ねもじ」は絶対猫!「ともじ」はトイレかなぁ・・などと考えると、なかなか楽しそうである。仮に「めもじ」をメールと決めれば、「おめもじできませんので、メもじでお返事いたします。」ってなことをメールで打つようになるのである。
さて、それでは今宵、気まぐれ猫を助手にしながら、まずは自分の文字詞表でも作るとしよう。
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古い時代の懐かしいものが、言葉でも息づいているんですね、丹後には。

焼き芋やピザはこんな気持ちで焼かれているのかぁ、と不思議な気分で真っ赤な炭を掻き出しました。

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~森林・山村多面的機能発揮対策交付金第二年次事業モデルフォレスト運動・世屋の森 第二年次第八回プログラム~世屋と野間の世屋姫さまを介しての炭焼き交流で、皆さん一様にもたれた感想です。

なんだそんなことかと思われるかもしれませんが、やってみて初めてわかることもあり、それは貴重なことなのです!

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その熱さの意味について、とっちゃんこと藤原利昭氏は問いかけます。
「木を炭にするいうことはどういうことかしっとるかえ?」
!!
「木の持っている水分、これを抜くいうこと、木を燃やしてあがる温度は800度。煮炊きにはこれだけあがれば十分。
しかし、砂鉄を溶かし鉄をつくるのには、1200度以上の温度が必要なんだ。炭にすると水分がなくなるから温度を上げることができるんだ」

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そうかぁ、炭は刀、鉄砲など軍需産業そのもの!だったんだ。だから森は大切だったのだ、炭出し体験をさせてもらったり話を聞いて、この想いを新たにしたことです。

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さて、炭と製鉄との関係では、せや姫様、その「せ」と「や」の意味は製鉄と関係が考えられると斉藤さん、
以下、丸ごと拝聴させて頂きます。
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セヤとは、ワタクシ的に興味が引かれるのはセヤという地名。神社や山号や山や川の名にも残るが、成相寺の山号でもある、成相寺と関係する以上は何か深い意味があるのではなかろうか。これは何のことであろうか。学者も知らない古い言葉で、丹後にはこの古語にアタックした先人はなかったのではなかろうか、狭谷せやとする書もあるが、そうではなかろう。この辺りでは谷をヤとは呼ばない。
しかしこれがわからないと世屋はわからない。丹後がわからない。(以下書きかけ)

『古事記』に見える勢夜陀多良比売せやたたらひめ

大后と爲む美人を求ぎたまひし時、大久米命曰しけらく、「此間に媛女有り。是を神の御子と謂ふ。其の神の御子と謂ふ所以は、三島溝咋の女、名は勢夜陀多良比売、其の容姿麗美しかりき。故、美和の大物主神、見感でて、其の美人の大便爲れる時、丹塗矢に化りて、其の大便爲れる溝より流れ下りて、其の美人の富登(此の二字は音を以よ。下は此れに効へ。)を突きき。爾に其の美人驚きて、立ち走り伊須須岐伎。(此の五字は音を以ゐよ。)乃ち其の矢を将ち来て、床の辺に置けば、忽ちに麗しき壮夫に成りて、即ち其の美人を娶して生める子、名は富登多多良伊須須岐比賣命と謂ひ、亦の名は比賣多々良伊須気余理比売(是は其の富登と云ふ事を悪みて、後に名を改めつるぞ。)と謂ふ。故、是を以ちて神の御子と謂ふなり。」とまをしき。

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(↑ 野間のせや姫様の祠)

『日本古典文学大系』本の頭注は、
セヤは未詳。或いは地名か。ダタラは踏鞴(タタラ)でフイゴに因んだ名。踏鞴は鍛冶に使う道具で、鍛冶は雷神=蛇神と信仰上密接な関係があった。
としている。
上世屋の世屋姫神社の祭神も恐らくこの勢夜陀多良比売とは同じ性格の神と思われるのだが、世屋川の竜神、鼓ヶ岳(成相寺山・成相山・施谷山)のツツ、ヘビのいた山でなかろうかと思われる。『丹哥府志』は、
…世屋、野間の二庄は高山深谷の間にあり。凡七、八里の處四方皆山なり。西丹波、竹野二郡の境に高尾、金剛童子、小金山、市ケ尾、東の方海の境に鼓ケ嶽、千石山、太鼓ケ嶽、其中間には世屋山、比富の尾、露なしケ嶽、是其最大なるものなり、其間無名の山岳挙て数ふべからず、…
としていて、鼓ヶ岳は世屋山(施谷山)ではないようだが、地名を拾ってみると、
神奈川県横浜市瀬谷せや区
奈良県生駒郡三郷町勢野せや
長野県松本市征矢野せやの
常陸国久慈郡世矢せや郷
常陸国筑波郡佐野さや郷
摂津国西成郡讃揚さや郷
遠江国佐野さや郡
セヤはタタラとセットで、同じものと思われる娘の名は富登多多良伊須須岐比売ほとたたらいすすきひめ。ホトとも関係があり、どうやら製鉄と関係したものの名と思われる
『鬼伝説の研究-金工史の視点から-』は、
…〝ヒトタタラ〝は〝ホトタタラ〝と同一になる。だとすると神武紀に出て来る陰部踏鞴五十鈴姫と同一になってくる。陰部踏鞴五十鈴姫は姫踏鞴五十鈴姫と後に改称されているが、例の丹塗の矢が便所に入っている勢夜陀羅姫の陰部に突きささり、姫は狼狽(いすすぎ)でその矢を床に置くと美男子となり、その美男子と勢夜陀羅姫の間に生れたのが陰部踏鞴五十鈴姫であり、妙法山の怪物とこの姫様は同一の名になって来る。だからこの怪物の実体が捉えられると、陰部踏鞴五十鈴姫は、もちろん丹塗の矢が便所で陰部に突きささったこともどういう事態であるかということが分かって来そうで、面白くなって来る。〝タタラ〝といえば、それだけで一般に古代の製鉄のことのように思いがちだが、そうでもなく綿繰の足踏器も〝タタラ〝だし、馬が前足をバタバタさせるのも〝タタラ〝という。だから、火所踏鞴の方が、本当の製鉄炉のことだ。
したがって妙法の怪物もまた陰部踏鞴五十鈴姫も、製鉄炉に関することだということが想像される。そのためにも奥妙法、とくに狩場刑部左衛門を祀っている樫原行きは、果して樫原が古代の鉱山採掘場所であるかどうかを決定するのに重要な地点である。
稗田阿礼や宮人たちは製鉄など知らなかったのか勘違いをしているようだが、ホトというのは「火処」のことで、ヒトとも呼ばれるが、福知山市大江町日藤、尾藤などはそうかも知れない、溶鉱炉のことと思われる。
従って、
『原日本考(正篇)』は、
…且つ其の御名は勢夜陀多良比賣と、こゝにも陀多良即ちタタラの御名を現はしてある。日本書紀はこれに対しては前掲の引用文の如く、玉櫛媛の御名を伝へてあるが、その婚ひの相手方たる事代主神そのものが、鉄産に関係のある蛇の傳承を多大に負ふた神であって、且つ出雲系の大神であることを考へると、古事記所傳の媛の御名も、決して偶然のものでないことが認められる。…
因みにタタラは風送り装置を従属した土製の壷で、この壷に砂鉄と木炭とを入れて点火し、風送を行って壷中の炭火の燃焼を熾んにし、高温度を起さしめ、砂鉄の熔融と鉄の分離を起させる仕掛けのものである。原初に於て此の風迭り装置は獣の皮嚢を以て行はれた。壷も手に提げられる程度のものであった。セヤダタラのセヤは鉄を意味する古代湮滅語の一つである。
サシスセソは鉄を意味すると思われるが、セヤのヤは何か。
『万葉集』巻二十4398。ここは読めないのかほったらかしになっているが、「於此曾箭」という言葉がある。ここを「負征矢(おひそや)」と一般に訳していて、征矢とは戦争の対人用の矢だとする。
そうかも知れないが単に「鉄ソ矢」ということかも知れない。そんなことはわからない、ここにしか用例がない。世界に一つだけの地名のようなもので意味を決める決定打がない、通説は強烈に疑うのが正解と私はいつも思う。
ここの曾箭は鉄の矢だと誰かが書いていたように記憶するが、思い出せない。
銅矢(カグヤ)という言葉があれば、鉄の矢を意味するソヤとかセヤ、サヤという言葉があっても不思議ではない。軽矢は銅鏃の矢、穴穂矢は鉄鏃の矢だそうで、穴穂矢という言葉は見られるが、ソ矢は文献上では『万葉集』のこの一句だけがあるいはそうではなかろうか。

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この炭焼き講座、世屋と野間の世屋姫さまを介しての交流、とテーマをたてましたが、野間とせやの炭焼きストはどちらもこの「勢夜陀多良比売(せやたたらひめ)」様の末裔でその再会だと実感しました。来年もお願いしてきましたので、ぜひご参加ください。

 

 

 

 

 

 

 

 

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