橋立、籠神社前で、、、
台湾からだそうです!楽屋裏(^.^)
雪が珍しい!、、だったら、いいとこありますよ、
(↑三重田圃から丹後中央高台 2/06)
、、、見にいきませんか、
どうやって?
このバスがいきますよ!
ほんとうに?
ほんとでしょ!
雪解けの流れの岸に柿のへた 世屋野蕪村
リンゴの芯は捨てますけれど柿はそこが発達して、私たちはそれを食べます、それは子房という部分。(^.^)柿のへたは捨てますけれどリンゴはそこが発達していて、私たちはそこを食べます、、、、それはガクという部分、、(^.^)

もう一つ柿のへた、一口メモ
黒焼きにして白湯でのめばしゃっくりが止まる、、これはまじないではなく実際効くンだそうです。
しゃっくりは医学的にいえば「 横隔膜の不随意運動による強直性痙攣」れっきとした病気。
しゃっくりが止まるのはけいれんを鎮める成分をもっているからだろう、と分析されていて、「タンニン、糖質、オレアノール酸、ウルソール酸」等を含んでいるとはわかったけれども、どれがけいれんを治めているのかどのように働いてということは不明ということ、
リンゴの果肉の部分をこり固めたようなものだから、それなりに栄養分薬効成分を凝縮させているのかも!
立春はまだ名ばかりの世屋の里しけ゛しげみいるシブ柿のへた 世屋野蕪村
丹後まで鉄道を!宮津までの期待の開通は大正13年。さて観光客誘致にと作られたのがこれ、「宮津橋立名所図絵」。
(↑ 図説京丹後市の歴史 から 鮮明な画像はそちらをごらんください)
日本海に向かって開かれた中心に宮津が描かれているという鳥瞰図です。端には京都米原名古屋東京へと繋がる鉄道路線が記されています。当時の高揚した思いが伝わってくる図絵です。
さて、ここでおもしろいこと二つ。一つ、世屋山、それが成相山と並んで記入されていること。
二つ、カタカナ表記が二つ、一つはシベリア、これはわかります,もう一つは「スキー」。しかもスキー「場」かとよくよく見ればスキー「地」。
このスキー、日本がオーストリア・ハンガリー帝国軍人レルヒ少佐を招いてスキーを軍隊に導入を図ったのが、1911年(明治44年),新潟長岡でのこと。
最先端の冬季スポーツとしても広け゛たい、そんな中で関西で雪の名所はここ、と指定されたのが世屋高原。 そういう意味では、宮津橋立では スキーっちゅうもんができるぞぉと叫んでいるこの図絵、「スキー地」を宣伝するために作られたと考えてもいいほどの地図です。ちなみに大正13年、鉄道で宮津までついたスキー客は船で日置へ渡り、さらに8キロを歩いて世屋高原へ!でした。それでも、上世屋の三本松にひらかれたスキー場には京阪神から多くの客か゛訪れ民宿も賑わったということ。
また、木子では岳山山頂から村へ向かっての地滑り斜面が子どもたちのスキー遊びの場だったと。昭和40年代、大江山で開かれていた宮津管内中学生スキー大会では、木子の子どもの連戦連勝だったのも当然のこと。
15日にはこのかってのスキー場をスノーシューでウオークします。(^.^)
夕日に映える阿蘇の海、、、、
さて、「夕日が浦」はこのあたりなんでしょうか、、、、?
「夕日が浦?」
ええ、(名月や 夕日の浦は 昼のまま 麻斤)※1って俳句にも詠まれているところ。
「それは京丹後市でしょもっともっとさきて゛すよ!」
、、、、現在はこんなことになってしまいますが、あまのはしだて駅で尋ねても、おそらくこれから40分ほど走ってくださいと答えられると思いますが、、、、、
貝原益軒さんの図絵に記されているんです。 夕日をご覧になってまこと美しい、名のとおりの里と実感されたから記されたのでしょう、、、、
益軒さん、歩かれて目で見たところを記入されているのだと思います。例えば、今福の滝と金引の滝と銚子の滝と宮津には三滝あります。が、日本の滝100になっている名瀑金引の滝は記入無し、図の記入があるのは今福の滝と銚子の滝!
さて、夕日が浦から浜沿いに進むその先に「枯木浦」とあるのは今の須津、倉椅川とあるのは今の野田川。

続古今集に「橋立の倉椅川にかる螢 永き日くらし涼む頃かな」と後鳥羽院さんが詠まれたのは,あの川なんですなふむふむ、、、読書家の益軒さん、歌枕を訪ねる人のために、倉椅川、これは書き込んで置きましょう、としるしてくださったのでしょう。
(↑ 夕日の倉椅川)
くりかえしますが、天橋立にも「夕日が浦」はあるんです(^.^)
(いさこ゛踏み 見にこそきつれ いるかたや 夕日の浦の 天の橋立 平祐挙)※2
夕日に映える鼓ヶ岳内山山体。
夕日を浴びてエクスプローラ(探検家、探究者)、、、
益軒さん、伊根のさき、世屋の山までを描いて「丹後天橋立図絵」とされています。
じっとみていると 「世界遺産登録の運動もわしの絵のスケールで取り組む必要があるそ゛よ」とおっしゃっているような声がきこえるようです。
※1,2の歌は 『与謝野蕪村ノート』(谷口謙 人間の科学社)から
後日譚 いまは埋め立て地ですが、天橋立駅付近はかっては入り江、それを夕日が浦といっていたと地元のかたもおっしャっていました。
今回のスノーシューウオークのぜひ見てほしい一押しポイント。
(↑ 画面奥の尾根が上世屋内山ブナ林)
この景観 丹後天橋立大江山国定公園の中心部分の一つです。
さて、「国定公園」に指定されるには有している景観的特徴が独自であり、自然の風景地として傑出していると認定されることが必要です。環境省は、この一帯の価値と根拠を次のように述べています。
「丹後半島の中央に位置する世屋高原地区は、権現山、依遅ヶ尾山、太鼓山、金剛童子山、汐霧山など標高600m内外の山々に囲まれた世屋高原を中心とする地域であり、近畿地方では有数の規模を持つクリミズナラ、シデ等の落葉広葉樹林がみられ、四季の変化に富んだ森林景観を呈している。また、山間には希少な植物の群落や湿地、渓谷、滝などが随所にみられ、山頂部からは日本海を見下ろす半島ならではの眺望が得られる。さらに、近畿地方では貴重なブナ林や、国内希少野生動植物種であるアベサンショウウオの生息地が分布している。この地域は、このような多様で優れた自然景観に加え、棚田等の農地を含む山村、社寺等といった歴史・文化的景観も有している。」
(↑ 画面中右寄りの建物が15日のお昼会場 木子ファームペンション)
そこで「丹後半島を中心とした海岸から山地に至る景観の連続性、利用の一体性を確保する観点から、これらの地域を一体的に国定公園として指定し」たと。
さらに、「当該地域の風致景観の維持と適正な利用の推進を図るものである。」と結んでいます。
ちょっと木に協力いただいて、、
樹液の臭い、嗅いでみてください!
サロメチール!
木樵さんたちが疲れた体に貼り付けていらっしゃったのをみて、膏薬にしたんですって。この木、数が少なくて、レッドデータに登録されているんですよ。
「近畿地方では有数の規模を持つクリミズナラ、シデ等の落葉広葉樹林がみられ、四季の変化に富んだ森林景観を呈している」と折り紙つきの世屋の森、そのど真ん中までを見せてくれるのは冬の積雪時。15日以外にもこ゛案内できます。お問い合わせください。
ほほう、これが天橋立、に・ほ・ん・さ・ん・け・い、の!と眺める旅人。
こうして日本三景としての天橋立を訪れる方がひきもきらない、それは、「養生の術は先ず心気を養うべし。こころを和にし、気を平かにし、怒りと欲をおさへ、うれひ、思ひを少なくし、こころを苦しめず、気をそこなわず、是れ心気を養う要道なり。」と述べられた、旅する医者にして本草学者にして儒学者貝原益軒さんのお陰によるところ大です。
その貝原先生を橋立に導いたのは、江戸時代前期の儒学者の先輩、林春斎先生が、「松島、此島之外有小島若干、殆如盆池月波之景、境致之佳、與丹後天橋立・安藝嚴嶋爲三處奇觀」とされた『日本国事跡考』。~当然お読みになっておられるはず~ 林先生が「三處奇觀」とされたのは、もともと月・紅葉・雪が風流な物の代表格でそれに合うロケーションをと指折られて、月なら松島 モミジなら宮島 橋立は 雪。それをあてられたということ。芭蕉さんも松島の月を見たいと旅に出られたわけですし、扶桑随一の文人林先生が選定されたとあっては、貝原先生、相当うずうずされての来丹であったことは想像に難くありません。そうして物にされたのが天の橋立の案内記『己巳きし紀行』1689年。「府中から成相寺へ登ることになり、その坂の途中で、此坂中より天橋立、切戸の文珠、橋立東西の与謝の海、阿蘇の海目下に在て、其景言語ヲ絶ス、日本の三景の一とするも宜也」と納得されたのです。
さらに、丹後国天橋立之図も 享保11年(1726)に「扶桑名勝図」として出版。
(↑ 国立公文書館 デジタルアーカイブ)
天の橋立が世に広まったのは,貝原先生のこうした広報マンとしての働きがあってのことなのです。
さて、ここで問題、この貝原先生が天橋立を取材された際に、①世屋の里に来られた!②まさかこんな山奥の片田舎の村に見える訳がない!
さて、どちらか?
答えは「ある」という可能性は否定できない!
根拠は丹後国天橋立之図に書かれた「銚子の滝」その書き方の詳細で念入りであること。紹介文も「幽谷岑寂として塵外の◆境なり」と。
塵外→「俗世間のわずらわしさを離れた所」。
岑寂→ 静まり返り,少しの音もしないさま
◆境→ ◆がわかりません!教えてください。塵外魔境という熟語はあるようですが、。
濃い意味の言葉を使って形容されている、、、こんな気を入れた書き方は体感無くしてはでてこないはず。
また、世屋観音堂を「成相奥院」と。これは成相本寺とセットという意味。篭神社と真名井神社の関係のようなもの。成相本寺を見て「成相奥院」を見ないというのは、篭神社を見て真名井神社は見ないのといっしょ。貝原さんほどの目利きの方なら必ず両方を見られるはず。
村では、遠来の賓客をさぞ歓待されたのだろうとおもいますよ。どぶさもだし、山の珍味を盛りあつめて、、。そして、記録も残されて言い継ぎ語り継がれたはず。しかし、残念なことに昭和19年に世屋は大火災。寺も含めて全焼。貝原先生がいらしたとしても、多くの記録が焼失してしまっているのです。ですから、あくまでも推測、しかし、否定は出来ません。
銚子の滝に案内したときには、「貝原益軒先生が、この岩に座ってスケッチされたんですよ」とお話しするつもりです(^.^)
長寿健康な時代でありながらストレス管理社会でもある今日、この方はきわめて今日的ですよ。
人柄も、益軒というペンネームの前は「損軒」だったとか、ユーモア抜群。細川ガラシャさん誘致もラインではありますが、益軒さんと天橋立をもっと取り上げてもいいのではないですか。
2人がカメラをむけていらっしゃるのは「オオカメの木」の冬芽。

まち針の頭のような花芽の両脇にたつ葉芽、それが耳を立てているウサギのよう、と人気なのです。
さてこの木の名前、まさか「うさき゛ミミノき 」!オオカメの木なんです!
どういう意味?
葉っぱの形が、、、亀の甲羅に似ているのでとか。葉がないので わかりませんね、、、はははは(^.^)
いえ、そういう人もいらっしゃいますよ、けれどわたしは、それノー!
雪がとけたらさっそくにこんな花をさかせるんです。
これから田植えのじゅんびをしようという時期、水源の森て゛。
葉っぱの形とさく時期、どちらに昔の人は目をつけられるでしょうか。
おおかむずみのみこと という植物か゛あるんです、なにかというと、これ 桃!
、、、、AUの学割桃割りのあれ、ただし葉っぱの付き方おかしいのですけれど、、、
桃に「みこと・命」ですよ、オオカムヅミ命。意味は 「大いなる神のミ(霊威)」!
(↑ かっての真名井神社。現在は玉垣でしきられています)
その尊称を与えたのはイザナギ命。亡き妻イザナミ命を連れ戻そうと、死者の国である黄泉の国へ。しかし、失敗。黄泉軍の鬼たちに追われたとき、生えていた桃の実が助けた!そのお礼にということ。オオカム・オオカミ・オオカメ、これはいっしょと考えていい、そういうことですから、冬を山ですごされた田の神様に、里への道案内をして咲く木か゛あるとしたら、まさしくそれは「大神の木」。
なに、植物名や地名はこじつけ解釈いっぱいあるんですよ、わらってください(^.^)。