宮津エコツアー · トピックス

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宮津湾を見晴らす京都府立丹後海と星の見える丘公園の、風の谷に現れた風車群。

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いくつもいくつも、風をとらえようとしている風車。

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テラスだけではありません。

20210802_151459「かわいらしいことしとんなりますわなぁ!」単純なだけに、この背景になにか、目的、意図、メッセージが隠されているのではないか、なにに繋がっていこうとしているのか、深読みしてしまいます。

さて、人は経験を踏まえたメッセージを「風」のイメージを借りてたくさん表してきました。

◇山雨来らんとして、風、楼に満つ(さんうきたらんとして、かぜ、ろうにみつ)
何事か変事が起こる前に、なんとなく不穏な気配がただよう様子。「楼」は、高殿。山の雨が降り出す前には、前ぶれとしての風が高殿へ吹きつけるということから。「山雨来らんと欲して風楼に満つ」ともいう。

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風は、姿は見えなくても、実に有言、奥の深いもの。いわゆることわざや格言、慣用句
秋風が立つ(あきかぜがたつ)
男女間の愛情がさめるたとえ。「秋」と「飽き」をかけたことば。

秋風と夫婦喧嘩は日が入りゃ止む(あきかぜとふうふげんかはひがいりゃやむ)
秋風が日暮れになると静まるように、夫婦喧嘩も夜になるとおさまるということ。

商人と屏風は直ぐには立たぬ(あきんどとびょうぶはすぐにはたたぬ)
屏風は折り曲げないと立たないように、商売も自分の感情や理屈を曲げて、客の機嫌を損ねないようにしなければ繁盛しないということ。

明日は明日の風が吹く(あしたはあしたのかぜがふく)
先のことをいくら心配してもはじまらないので、なるがままに任せて生きるのがよいということ。明日は明日で、今日の風と違う風が吹くという意から。

網の目に風たまらず(あみのめにかぜたまらず)
無駄なこと、何の効果もないことのたとえ。網で風を防ごうとしても、風は網の目を通り過ぎていくことから。

網の目に風たまる(あみのめにかぜたまる)
ありえないことのたとえ。風は網の目を通り抜けるはずなのに、網に風がたまっているという意から。

雨塊を破らず、風枝を鳴らさず(あめつちくれをやぶらず、かぜえだをならさず)
世の中が大平であることのたとえ。周公が中国を統治していた頃は天下泰平で、雨は静かに降って土のかたまりを壊さず、風は木の枝も動かないように静かに吹いたという故事から。

阿波に吹く風は讃岐にも吹く(あわにふくかぜはさぬきにもふく)
ある土地の風習は、他の土地にも移る。上の人の行いは、下の者も真似るようになるということ。また、どこの土地でも人情は変わらないということ。「阿波」は現在の徳島県、「讃岐」は香川県。

一に褒められ二に憎まれ三に惚れられ四に風邪ひく(いちにほめられにににくまれさんにほれられしにかぜひく)
くしゃみについてのことわざ。一回なら誰かに褒められているし、二回は憎まれていて、三回は惚れられているが、四回は風邪をひく前兆である。

一世を風靡する(いっせいをふうびする)
その時代の人々を、一つの傾向に従わせること。また、その時代に大きな影響を与えること。

入り船に良い風出船に悪い(いりふねによいかぜでふねにわるい)
一方によいことは他方には悪く、両方によいことはないというたとえ。入り船に都合のよい順風は、出船にとっては逆風になるという意から。

浮世の風(うきよのかぜ)
思うようにならない世間の風潮。

馬の耳に風(うまのみみにかぜ)
馬の耳に風が吹きつけても馬は何も感じないことから、人の意見を聞き入れない、または聞き流すことのたとえ。

越鳥南枝に巣くい、胡馬北風に嘶く(えっちょうなんしにすくい、こばほくふうにいななく)
故郷の忘れがたいことのたとえ。 中国南方の越の国から北国へ渡った鳥は樹木の南側の枝に巣をかけ、北方の胡の国から来た馬は北風が吹きよせると故郷を想って嘶(いなな)くという意から。 『文選』の古詩「胡馬は北風に依り、越鳥は南枝に巣くう」による。 単に「越鳥南枝に巣くう」や「胡馬北風に嘶く」ともいう。

追風に帆を揚げる(おいてにほをあげる)
勢いに乗って物事が順調に進むたとえ。追い風に帆を揚げれば船は早く進むことから。

大風が吹けば桶屋が儲かる(おおかぜがふけばおけやがもうかる)
思いもかけないところに影響が出るたとえ。また、あてにならない期待をするたとえ。 大風が吹けば土ぼこりが舞い上がって目に入り、目の不自由な人が増える。目の不自由な人は三味線で生計を立てようとするので、三味線に使う猫の皮がたくさん必要になる。猫が少なくなるとねずみが増え、ねずみが桶をかじるので桶屋が儲かって喜ぶ、という話から。 「風が吹けば桶屋が儲かる(喜ぶ)」ともいう。

大きな家には大きな風(おおきないえにはおおきなかぜ)
人にはそぜぞれの境遇に合った悩みがあるということ。金持ちは何の心配もないように見えるが、家が大きければ、それなりに風当たりが強く、金持ちなりの悩みがあるという意から。

風穴を開ける(かざあなをあける)
銃や刀などで胴体を貫くような穴を開けるという脅し文句のこと。 また、組織や状態が硬直しているところに、新しい風を吹きこむことのたとえ。

風上に置けない(かざかみにおけない)
性質や行動が下品で卑劣な人間をののしっていう言葉。悪臭のある物は臭くて困るので、風上に置くわけにはいかないという意から。「風上に置けない」ともいう。
風に櫛り雨に沐う(かぜにくしけずりあめにかみあらう)
風雨にさらされて苦労することのたとえ。風で髪をとかし、雨で体を洗うという意から。「櫛風沐雨」ともいう。

風の前の塵(かぜのまえのちり)
物事のはかないことのたとえ。また、危険が間近に迫っていることのたとえ。塵は風にひとたまりもなく吹き飛ばされてしまうことから。

風は吹けども山は動せず(かぜはふけどもやまはどうせず)

周囲の騒ぎの中で、少しも動じないで悠然としていることのたとえ。激しい風が吹き荒れても山はびくともしないという意から。

風を切る(かぜをきる)
勢いよく進むさま。また、風に逆らって進むさま。

肩で風を切る(かたでかぜをきる)
肩をそびやかして、得意げに颯爽と歩くさま。また、得意げに振る舞うさま。

喬木は風に折らる(きょうぼくはかぜにおらる)
優れた人や高い地位の人ほど、人からねたまれて失脚することが多いというたとえ。高い木ほど強い風を受けて折れやすいという意から。「高木は風に折らる」ともいう。

水母の風向かい(くらげのかぜむかい)
いくらあがいても無駄なことのたとえ。水母が風上に向かっても進めないことから。

高木は風に折らる(こうぼくはかぜにおらる)

地位や名声の高い人ほど、人からねたまれたり批判されたりして身を滅ぼしやすいことのたとえ。高い木ほど風当たりが強く折れやすいという意から。「大木は風に折らる」ともいう。

子供は風の子、大人は火の子(こどもはかぜのこ、おとなはひのこ)
子どもは寒い風が吹く中でも元気に外で遊びまわり、大人は寒がって火のそばを離れないということ。
山雨来らんとして、風、楼に満つ(さんうきたらんとして、かぜ、ろうにみつ)
何事か変事が起こる前に、なんとなく不穏な気配がただよう様子。「楼」は、高殿。山の雨が降り出す前には、前ぶれとしての風が高殿へ吹きつけるということから。「山雨来らんと欲して風楼に満つ」ともいう。
疾風に勁草を知る(しっぷうにけいそうをしる)
困難にあった時、はじめてその人の真価がわかるというたとえ。「疾風」は速く吹く風、「勁草」は強い草の意。速く激しい風が吹いて、はじめて強い草が見分けられるという意から。

透き間風は冷たい(すきまかぜはつめたい)
義理の仲が、なんとなくしっくりいかないことのたとえ。また、友人や男女の間で感情の隔たりができると、まったくの他人どうしでないだけに、よけいに冷たさが身にしみるというたとえ。
たまに出る子は風に遭う(たまにでるこはかぜにあう)
ふだんしないようなことをすると、失敗したり不運に出遭ったりするというたとえ。めったに外に出ない子がたまに外出すると、その日に限って大風が吹くという意から。

月に叢雲、花に風(つきにむらくも、はなにかぜ)
良いこと、楽しいことにはとかく邪魔が入りやすく長続きしないというたとえ。名月には雲がかかって見えず、春の花は風が吹いて花びらを散らすということから。

出船によい風は入り船に悪い(でふねによいかぜはいりふねにわるい)

一方によければ他方に不利で、両方によいことはないというたとえ。出船に都合のよい順風は、入り船にとっては逆風になるという意から。

風流は寒いもの(ふうりゅうはさむいもの)
雪見や梅見などは、風流を解さない者にとっては寒いだけでつまらないということ。

吹く風枝を鳴らさず(ふくかぜえだをならさず)
世の中がよく治まり平和なようすのたとえ。吹く風が静かで枝は音も立てないという意から。

舟は帆任せ、帆は風任せ(ふねはほまかせ、ほはかぜまかせ)
すべてを成り行きにまかせることのたとえ。帆掛け船は帆任せ、帆は風任せで進むので、自力ではどうしようもないという意から。

分相応に風が吹く(ぶんそうおうにかぜがふく)
人にはそれぞれの身分や地位に応じた生き方があるということ。

昔は肩で風を切り、今は歩くに息を切る(むかしはかたでかぜをきり、いまはあるくにいきをきる)

昔は威勢のよかった者が、今は衰えてしまったことのたとえ。若いころは肩で風を切ってさっそうと歩いていた者も、年をとって歩くだけで息切れするということから。

無常の風は時を選ばず(むじょうのかぜはときをえらばず)
風が咲いている花を散らすのに時を選ばないように、人の命もいつ果てるのか、まったく予測はつかないということ。

目病み女に風邪引き男(めやみおんなにかぜひきおとこ)

眼病で目がうるんだ女と、風邪をひいている男は色っぽく見えるということ。

物言えば唇寒し秋の風(ものいえばくちびるさむしあきのかぜ)
余計なことを言うと、思いがけない災難を招くということ。松尾芭蕉の句。

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こういうのを風車とあわせて掲出しておけば、目に見えない風が、可視化されて、雰囲気が締まるかもしれないなと思いました。

晩夏の空に吹き流しが泳ぐのは、日置金剛心院の盆の施餓鬼。

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鯉のぼりは5月限定のものですが、吹き流しを踊らせるのは通年可能ですね。

さて、風と遊ぶおもちゃがかざぐるま。海星公園の背後の山の尾根に、この風を利用しようと、風力発電所をたてる目論見が動いています。いわゆる丹後半島風力発電所プロジェクトです。これは、高さ百数十㍍といいますから、単なるデコレーションではありません。こうなると、かざぐるまではなく、つばすがブリに名前を変えるようにふうしゃ・風車。

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風は、光にあふれ雲が湧く大地と海洋の生み出すエネルギーに満ちた大気現象です。それの利用は人類の未来が架かった大きな課題です。

しかし、景観に悪影響は出たり、大型工事で地質が耐えられず崩れたり、生態系が壊れたり、風きり音や低周波が住民に健康被害を及ぼしたりするようなら、迷惑施設です。

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エコロジーとエコノミーの両立の確認が大原則。そういう目でみると、伊根の重伝建や天橋立の借景になっていたり、一帯の山は地滑りしやすい堆積岩地層であったりのですから、現状は無理筋な計画と思わざるを得ないと感じています。

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これは大宮町 平井電気さんの風力発電機です。大宮平原に吹き抜ける北風と南風をとらえて回っています。京都府も助成しているそうです。

アマゾンではさらに小型の事業機もあるようです。

「800Wの恒久的なMARLEV風力タービン発電機、コントローラの風が付いている24V 48V屋根と街路照明のための乱用,1000w,48v
800Wの恒久的なMARLEV風力タービン発電機、コントローラの風が付いている24V 48V屋根と街路照明のための乱用,1000w,48v
¥145,184¥145,184 」

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化石燃料は温暖化加速エネルギー、原子力は危険暴走エネルギー、何から取り出すエネルギーで地球を動かすのか、地球デザインスクールの運営する風の谷には、そういう問題を解決するモデルとなるような「風力」を、設置して、アピールしてもらいたいものです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

細川藩が、河口にお城を造った時に、川筋を変えて大手門を隔てる堀代わりにしたので、それ以後大手川、かっては「宮津川」と呼ばれていたその川で、宮津高校フィールド探究部の皆さん。

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与謝野町の川の学校が縁で滋賀県立大学の先生たちの指導のもと、流水工学を活かした河川環境の回復実験というのがテーマとのこと。

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猛暑とコロナ禍の緊張の中、幸せな夏休みを過ごさせてもらっていることに感心しながら、

なにか面白い発見はありましたかと尋ねると、

「上宮津まで川の中を時々泳ぎながら登ってみました。かなりの数のアユに驚きました。」

おお、アユが!

「持っていった刺し網でも捕れましたし、タモでガサガサをしても捕れました。かなりハードルが低かったですね。」

なんとぉ、とびっくりしました。

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大水害普及の河川改修は三面張り工法で、河川環境を損なうてしまった事例が多く、ご多分に漏れずこの大手川も、と思っておりましたけど、なんとぉなぁ すこし様相が違うようです

敏捷さを誇る天然遡上アユがタモ網ですくえた!

山と川と海の間の関係が寸断されて、、という話ばかり聞く中で、すごい朗報だと思いました。

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大手川河川工事が、どんな工事思想をもってすすめられたかを知りたくて、検索している内に当の京都府土木事務所さんが、大手川激特事業の出前語らいという形で公開されている資料に出会いました。

読んでみると、環境を大事にするという考えで行われていたということが伺えて、参考になればと思いましたので、長いですが、引用します。

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大手川激特事業の出前語らい 丹後広域振興局サイト

大手川激甚災害対策特別緊急事業について

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宮津市の中心部を流れる大手川については、平成16年10月20日の台風23号により2,400戸を越える浸水被害など、大変大きな被害を受けました。

そのため、抜本的な治水対策を早期に実現することが必要であり、「河川激甚災害対策特別事業」により本格的な改修工事を行うこととなりました。

ここでは、大手川激甚災害対策特別事業の概要などについて、宮津市の市民団体(宮津美しさ探検隊)の皆さんに説明しました内容を掲載しています。

京都府丹後土木事務所災害対策室です。

本日は、京都府で現在事業を進めています、大手川の河川激甚災害対策特別緊急事業の概要について説明します。

普段の大手川は皆さん、ご存じのように非常に緩やかな流れをもつ川です。

しかし、大雨が降るとその景色は一変します。この写真は、昨年10月20日の台風23号の翌日にヘリコプターで撮影した航空写真です。 青い線が浸水の範囲です。宮津の市街地の大部分が浸水しているのがわかると思います。 この台風により、2名の尊い人命が奪われ、家屋の浸水被害も約2,500戸となりました。

この写真は、大手川で一番早く水がつく京口橋付近の状況です。

ここは地盤が低いうえに、橋の真ん中の橋脚が流れを邪魔し、今回のような出水の際には、この写真のように大量の流木やゴミなどが引っかかり、浸水の大きな原因となっています。

また、滝馬地区では土石流が発生し、二人がお亡くなりになり、家屋被害も全壊10戸・半壊2戸・一部損壊3戸という大きな被害を受けました。

この写真は翌日の10月21日に撮影した航空写真です。テレビのニュースでもこのような映像が何度も放映されていましたので、ご存じの方も多いと思います。 この土石流に対しては、自衛隊の出動要請が出され救助にあたっていただいたところです。

これが滝馬地区の対策工の全体計画です。この赤い部分が砂防堰堤というものです。現在6箇所が予定されています。 土石流をコンクリート製のダムで受け止め、下流への被害を防ぐものです。

数カ所で堰堤を計画していますが、現在具体的に着工しているものとしては2箇所あり、ともにその高さは8.5メートルです。 現在の工事状況です。この写真は滝馬2の現在の状況です。現在この2基についてはほぼ本体ができあがっています。

さて、これだけの被害をもたらした台風23号の雨は実際、どのように降ったのでしょうか?

この表は、当日の雨量と水位の経過を表したものです。棒グラフが各時間の岩戸地区雨量を表しています。折れ線グラフは京口での水位の変動を表しています。午後2時から5時の3時間で143ミリの雨が降っています。京口での水位は午後6時に最高水位3.87メートルを記録しています。 大手川の場合、岩戸で大雨が降ると、1時間後にはこの付近の水位が上がると考えてください。

また、この雨量・水位は、現在インターネットでも見られますので、是非チェックしてもらい、災害に備えてもらいたいと思います。 これは、周辺の地盤の高さから1.26メートル上まで水が上がってきたことになります。

このあたりでは、ほとんどの家屋が1メートル程度浸水しています。この写真は実際の水位が私の胸まであったことを示しています。

今回の大手川での被害はこのようになりました。死者が2名、浸水による家屋被害が2,485戸となりました。激特事業の採択基準は浸水家屋戸数が2,000戸以上であるので今回の被害は採択基準を満たしております。 この激特事業が京都府で採択を受けたのは昭和61年の城陽市の古川以来、2件目です。

大手川の出水被害の原因について説明します。

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大手川に限らず、近年局所的な集中豪雨が多く発生しており、各所で過去最大の被害が起こっています。これには、複数の要因が絡み合っています。一つは地球温暖化の問題です。地球温暖化の影響で、今後の台風は数は少なくなるが規模が大きくなるといわれています。昨年の台風23号もそういったことが言えるのかもしれません。

次に山林の荒廃について述べます。かつての日本の森林、特に西日本ではクヌギやシイなどの広葉樹を中心とした森林が広がっていました。しかし、戦後の造林政策などで、スギ・ヒノキを中心とした針葉樹林が大部分を占めるようになりました。針葉樹は広葉樹に比べ根の張り方が弱く、常緑のスギ・ヒノキの場合、落葉がほとんど無いことから、落ち葉の分解による表土の形成がされず、広葉樹に比べ、保水力が弱く降雨時の土砂流出も多い傾向にあります。特に近年、外国の安価な木材に押され、働き手の高齢化や人材不足も手伝って、森は荒れ放題になっています。これが、降雨時に一気に川の水を増水させ、度重なる土砂流出を引き起こしていると考えられています。

また、米の減反政策により、休耕田が増加していますが、休耕田が増加することで、水田の持つ保水機能が大幅に低下し、降雨時に一気に水が川に流れ込む傾向が強くなっています。たんぼは自然のダム機能をもっており、降雨を一時的に溜めることで川の水位を少しだけ働きもあります。

これらを解消するにはどうしたらいいでしょうか。キーワードは、「もったいない」という言葉です。ノーベル平和賞受賞者でケニアの環境副大臣でもあるワンガリ・マータイさんが「もったいない」という言葉を環境保護の合い言葉にされています。さらに2005年2月に発効した「京都議定書」では、温室効果ガスの排出量の削減が義務づけられています。私たちひとりひとりが限りある資源を有効に使うことで地球温暖化は防げると考えられます。

スギやヒノキの人工林は、間伐の促進や広葉樹の植林をすることで、森林の健全化を進める必要がありますが、現状では遅々として進みません。

休耕田の増加を防ぐには、国の減反政策を変えることや、農業政策を変換し、国内自給率の向上を図っていくなどが必要ですが、なかなか難しい問題があります。当面の措置としては、休耕田を利用したビオトープ池の整備もわずかではありますが、効果があるかもしれません。ビオトープとは、生き物の生息の場というドイツ語の造語ですが、今の日本はどこを向いても同じような景色が広がっています。これは、生き物についても言えることで、単調な環境は単調な生態系に結びつきます。かつての日本では、山にはいろいろな種類の木々が生い茂り、家の裏山では雑木林の木を定期的に刈り取って燃料に使用していました。川はくねくねと蛇行し、たんぼも同じ形のものはありません。川とたんぼは水路で結ばれており、その水路にはメダカやドジョウなど多様な生き物がいました。こうした環境を取り戻していくことが重要です。

大手川の改修では、かつての環境を取り戻すためのいろいろな工夫をします。いずれの対策も長い将来を見据えて行っていきます。当面京都府や宮津市としましては、治水といったハード面の対策を進める一方で、浸水区域の公表やその対応などの情報を発信するなどといったソフト面の対策を行い、住民のみなさんの防災に対する意識を高めてもらうことが重要だと考えています。ひとまかせにせず、自分たちで助け合ってことにあたる心構えを持っていただきたいと思います。

私たちの仕事は、河川法という法律に基づいて実施しています。平成9年に河川法が改正され、河川法の目的として三つの大きな柱が据えられています。今回、河川整備における基本的な考え方は以下のとおりです。

まずは「治水」ですが、これはいわゆる洪水対策のことです。 具体的には、昨年の台風23号の雨に対して、溢水被害が生じないような川づくりを行います。

次に「利水」、これは流水の正常な機能を維持するため、適正な水利用が成されるように努めます。 具体的には農業用の取水の確保や普段の水量の確保です。

最後に「環境」、これは平成9年の改正時に新たに加わった項目です。洪水を速やかに流すだけならまっすぐな川を作ればいいかも知れません。しかし、普段の水量に対する配慮が無ければ、そこに棲むいろいろな生き物の棲み場所は無くなり、水の流れは平坦なものになり、川中に草が生い茂り、その結果として砂のたまりやすい川になってしまうでしょう。これからの川づくりでは、洪水対策はもちろんですが、様々な環境にも配慮した川づくりを実施します。

ここからは大手川の激特事業について説明します。

青色の線は大手川とその支川を表しており、赤色の線は激特事業が採択された区域を示しております。 大手川本川の全長は約4.5キロメートルで河口からKTRまでを1工区、北近畿タンゴ鉄道から今福川合流地点までを2工区、今福川合流地点から2級起点までを3工区としております。

各工区の改修について説明します。

これは宮津市役所にある大手橋から上流を見た写真です。 第1工区全体はこのようなイメージを持ってこれから検討していきたいと考えています。 例えば、川沿いには可能な区間については遊歩道整備や桜・柳などの植樹を市や地域の皆様と連携しながら進めていきたいと思います。 具体的な内容については、これから検討していきます。 ワークショップというような手法も取り入れたいと思っています。

これは下流部第1工区の整備のイメージ図です。

これは大手橋から中橋のイメージです。

特にここには宮津城があった場所なので実際に城壁に使われていた石を用いたりして城下町の風情を残す川辺とするため、護岸は城壁をしのばせるような石積みとします。

来年早々に実施予定の河口部の工事内容について簡単に説明します。

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川幅は十分に広いので、基本的には川底を掘り下げます。 現在の川底から2から3メートル掘り下げるため、かなり海側まで掘削していく必要があります。

現在川の両側にありますヨシ帯を保全しかつ水の流れを確保するために、現在ある矢板護岸というものの前面にさらに深い矢板を打ち込みます。 矢板の頭は水面より上に出てきますので、景観に配慮した構造とします。 ヨシ帯は水質改善機能もあり、環境配慮という視点からも残します。 ヨシ帯については、賛成・反対ともに意見があるため、維持管理のあり方については今後検討していきたいと考えています。

今回の改修計画は過去の潮の高さを調べ、過去の最も高い潮位でも川があふれない計画としておりますので、堤防の高さが足りない区間については、パラペット護岸というものを設置します。

これは大手橋~中橋の横断図です。ここも河口部同様パラペットを設置し、川底を2メートルから3メートル掘り下げます。 この区間は先ほどのイメージパースに代表されるような、宮津城を忍ばす石積みや桜や柳のある遊歩道といった景観を意識した整備を目指します。次に2工区である中流部の説明をさせていただきます。

現在の状況はこんな感じです。

そしてこれが整備後の中流部のイメージです。

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堤防のブロックシートという護岸に土をかぶせ、コンクリートが見えないような川づくりを進めます。 水の流れは緩やかに蛇行させ、魚たちの住みやすい川づくりを進めます。 この区間は川がくねくねと蛇行して流れています。これまでは川をまっすぐにして、「早く水を海に流してしまえ」という発想がありましたが、川というものは元に戻ろうという性質があります。たとえ川をまっすぐにしても、いったん洪水被害が起きると以前の川の姿に戻っていることも良くあるそうです。大手川では、もともとの川の形を大事にしたいと考えています。

中流部(2工区)の整備イメージです。

堤防の護岸に土をかぶせ、コンクリートが見えないような川づくりを進めます。 水の流れは緩やかに蛇行させ、魚たちの住みやすい川づくりを進めます。 堤防の勾配は緩やかにすることにより、誰もが川に近づき、親しめるようになります。 これにより、川に住む生き物たちの環境の連続性を保つことができます。現在の上流部の状況はこのような感じで、これが改修後はこのようなイメージを考えています。

現地で発生する石を極力利用した石積みなど、護岸をすき間のある構造とし、魚類や小動物の隠れ場を造ります。川の中には石を残し、渓流的な景観を残します。このあたりは、川の中を掘ると大きな石がザクザクと出てきます。 この石を護岸に利用することで、河川環境にやさしいだけでなく、山を削って石を持ってくるといった山の環境破壊をも防ぐことができるのです。

また、まっすぐで隠れ場所の無い川では、いったん洪水が発生すると、魚などは隠れ場所が無いため、一気に海まで流れてしまいます。一般的に淡水魚は、海に流れてしまうと死んでしまったり、もとの場所に帰ろうにも困難が伴い、川の環境を取り戻すには何年もかかります。このように石を使うことで、魚の隠れ場所が出来、生態系の保全につながります。

上流部第3工区の整備イメージです。

これは上流部の横断図です。

現地で発生する石を極力利用した石積みなど、すき間のある構造とし、魚類や小動物の隠れ場を造ります。 川の中には石を残し、渓流的な景観を残します。特に上宮津保育所付近には残すべき景観として多くの樹木があります。 これらにより日陰ができ、水温が維持され、魚類の環境としては大いに効果があります。 そういった環境を子供たちの総合学習の場としても利用できます。 みお筋をつくり、川本来の流れをもたせます。

災害に強いまちづくりに向けて、私なりに思うことを述べさせていただきます。

今回、京都府では、河川改修や砂防堰堤の建設を行い、再度の災害を防止するための努力は進めていきます。 しかし、災害はいつやってくるかわかりません。また、昨年以上の雨が降ったら河川改修を行っても、やっぱりあふれるかもしれません。 佛教大学の植村教授という方が、昨年の大手川と野田川の被害状況をまとめられた「台風23号災害と水害環境」という本がありますが、この本の最後に地域住民への提言として次のようなことが書かれています。

・自分の命や財産は自己の責任で災害から守らねばならない。自己の責任と判断で適切な避難行動をとらなければならない。 ・現在の居住地がどのような災害環境にあるか理解すること。それにはどんな種類の災害がどこで、どの程度の強さで発生する可能性があるか知ることが必要である。 ・避難所と避難経路は実際に歩いて見て確かめることが必要だ。 ・地域の防災組織や伝達経路を知り、この取り組みに積極的に参加しよう。地域内のつきあいを通じて各世帯の家族構成、高齢者や乳幼児の有無などを把握しておくこと。

災害は忘れた頃にやって来ます。自分の身を守るのは自分自身なので、災害に対する情報は集めて、十分理解しておく必要があります。情報を有効利用するためにも日頃からその内容を確認をしておき、情報が錯綜する恐れもあるのでどの情報が自分に必要なのか選ぶ力も養っておきたいものです。

次は住民参加について説明します。

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大手川の河川改修工事は以上の内容で進めますが、地域の方々のご意見・ご助言を伺いながら取り組んでいきたいと思っています。 住民の皆様と行政により、豊かな川辺の空間が形成され、そのことによって川と街に人のにぎわいが生みだされると思います。

その住民参加ではいったい何ができるのか考えたいと思います。これは計画段階、工事段階、維持管理・利用段階といった各段階ごとで考えてみます。

まず、計画段階ではこれらのことが挙げられます。

景観検討委員会とは宮津の自然的、社会的、歴史的環境等との関連から周辺の景観との調和を図るための住民の皆さまから意見・案を出し検討していくものです。次にわんど整備計画は本川に何カ所かわんどを設ける計画で、わんどが整備されることにより、良好な水辺空間が形成されます。これは子供達の環境教育の場となり、イベントなどを通して自然の中で遊び、多くの生き物とふれあい、いろいろな体験をすることによって人間としての豊かな感性をつくりあげていけると思っています。

具体的にどのようなわんどにしたら良いのか、皆さんと一緒に考えていきたいと考えております。

次に工事段階です。

まず、工事見張り番とは、施工業者がどのような作業を行っているのか、日頃から注目し、住民の生活に極力支障のないように見張る。工事用ルートの策定や生活用通路・通学路の見直しを行い、住民で交通誘導し、子供たちを守るということが考えられます。 住民参加型工事とは子供を含む住民のみなさまに直接工事に携わってもらうというものです。その内容は植樹や木杭の打設といった簡単な工事を考えています。

最後に維持管理段階ですが、これが一番大事なことです。例えば、ボランティア活動として堤防の草刈りやゴミ拾い等を行う。普段から川の手入れをすれば川への愛着がもてると思います。それにより、皆さまに愛される大手川になると思います。

計画段階で話したように総合学習は豊かな感性を育むには必要で、河川は多種多様な動植物の存在する場なので、最も適していると思われます。この維持管理・利用の段階を特に住民の皆さまに協力を願いたいと思っております。

最後に市民グループによる水辺づくりの事例をいくつかあげます。

東京都日野市の向島地区の事例です。ここでは行政の呼びかけでビオトープが形成されました。協力してくださった方々は子供達の散歩コースとして利用している地域の保育園、子供達の魚取りの姿を目にしている小学校の先生、日頃水にかかわる活動をしている市民グループの皆さんであり、その皆さんによる清掃活動が開催されました。 その結果、自分たちの環境は自分たちで守ろうという意識が高まり、今でも市民グループを中心にした清掃活動が続いています。

次に栃木県栃木市の巴波川(うずまがわ)の例です。

この土地の優れた歴史と自然の風土を地元住民が再認識した結果、川沿いに立ち並ぶ蔵と巴波川が地元の財産であり、まちづくりのキーワードであることを官民あげて共有していきました。ハードとソフトの両面で整備が進められ、ソフト面では、まちづくりの啓発団体として「蔵の街援護会」か結成され、観光ボランティアなど、地域活性化への活動をしています。

その他、様々な団体ができ、多くの住民がまちづくりに関わり始めています。ハード面では、まちづくり事業の指定を受けたりと、蔵の保全・再生や舗装などの整備が行われています。 この事例は大手川の第1工区の宮津城の歴史的イメージを残すものと似ています。

鳥取県の八東川です。鳥取県は自然環境や地域づくりと一体となった川づくりに力を注いでおり、地域住民と一体となった活動も有名です。

この八東川は河川改修において畑地となっていた旧河道を派川として復元した事例です。復元された場所には多種多様な自然環境が形成され、みごとに緑溢れる川に戻りました。具体的には全く水の流れていない農地をもとの河川に復元するので特に、淵を再生するにあたり、古老の話を聞いたり、現地の状況を観察し、昔合った場所を明確にし、そこに再生しました。それにより自然の瀬と淵が形成され、豊かな自然が取り戻されました。大手川の中流、上流域でもこのとようなわんどをつくってはどうでしょうか?皆さまと一緒に検討したいと考えています。

“どこどこ”の大手川版のような流域マップの作成も良いのではないでしょうか?大手川のどこどこにアユがたくさん居ますとか、この先には今福の滝がありますとか、皆さんで実際に大手川を歩いてみて大手川のポイントごとの魅力を流域マップとして作成してはどうでしょうか?

自然環境の保全が叫ばれ、その重要性を認識していても、限られた財源の中で大手川の維持管理に乗り出すことは難しいのが現状ですので、環境保護団体を始めとし、広く市民(ボランティア)の積極的な支援・取り組みに頼るところが大きいです。

こういった成功した事例は少ないですが住み良い宮津市をつくるには皆さまのご協力が是非とも必要です。豊かな川辺の空間を創り出す主体は市民の方々であり、行政とのパートナーシップの関係が重要なカギになると思われます。 今後とも大手川激甚災害対策特別緊急事業にご理解・ご協力をお願いします。

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同じ宮津湾に注ぐもう一つの川、世屋川河口の日置では、昭和の初めころは農地用水にアユがあふれ、あたりはアユの香りに満ちていたという話が伝えられています。

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「総合学習は豊かな感性を育むには必要で、河川は多種多様な動植物の存在する場なので、最も適していると思われます。」と本講座。

こういうことが、異なる個性、成り立ちを持つ二つの川で、連携しながら、実情の調査と対策が進めばいいですね。

 

 

金さんにもさんさんと注ぐ真夏の日差、

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いくら金さんでも水分は大切です、彼がその酷暑にもめげないのは、世屋には美味い冷たいこの水があるから!と言わんばかりに、11度の水を湧きだし続ける岳ガラシャ名水。

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炎天の続くこの夏お奨めの水スポットですよ。

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丹後縦貫林道角突山線沿い、松尾田んぼ越しに展望する若狭湾の絶品の海岸美とあわせて楽しめます。

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※生原水ですので煮沸などのうえご利用ください。

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さて、読書にいそしむ少年時代の像が一般的なイメージ。

しかし、その生涯の功績の意味や評価はメディアで急速に高まっています。

たとえば、『英雄たちの選択』

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 「闘う“復興請負人” 二宮金次郎」

「江戸時代後期、災害や飢きんで荒廃した農村を救うすご腕の復興請負人が現れた。二宮金次郎。型破りな方法で農村と人の心を復興。薪を背負う少年像とは違う実像に光を当てる 江戸時代後期、農家に生まれた二宮金次郎は災害で没落した実家を再興、奉公先の武家の家計も再建。その腕を買われ、災害と飢きんで荒廃した北関東の農村の復興を任される。10年かけて成功、復興請負人として引く手あまたになる。しかし、金次郎の型破りな手法の前には常に役人の壁が立ちはだかる。金次郎の「時代を先取りした経済感覚」と「大胆な手法」の根底にある考え方と官僚機構との摩擦の中に、現代に通じる教訓を探る。」とNHK。

大人の金治郎像も造られています。

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物語をもとに映画化も。

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薪を背負う姿も、映画では!

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「二宮金次郎物語 映画上映会」もしてみたいですね。

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せやこうげんきゅうけいしょで、ガラシャ名水で入れたコーヒーを呑みながら!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

マックスに発達したスーパー積乱雲を、かなとこ雲と言うのだそうです

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その高さ、高度17,000m(赤道付近の場合)~8,000m(極地の場合)。

眼前に雪をかぶったヒマラヤ山脈が出現したようなものです。

しかし、高く盛り上っていく積乱雲も最大に発達しても、対流圏を突き抜けることは出来ません。その界面がある高さが17,000m(赤道付近の場合)~8,000m(極地の場合)。そこまで発達しさらに、下から上昇流で続々と空気が供給され続けてくると「空気は対流圏界面の下で横に広がるしかない」と言うことです!

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さて、積乱雲をこういう鉄床雲にまで発達させる熱波、これに対抗できる泉があれば最高でしょ、

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あるんですよ、

 

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その水温11.5度、場所は丹後縦貫林道世屋高原!

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この夏一度と言わず訪れたい丹後随一の水スポットです。

 

 ♪遠き山に 日は落ちて星は空を ちりばめぬきょうのわざを なし終えて心軽く 安らえば風は涼し この夕べいざや 楽しき まどいせんまどいせん

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 「家路」(いえじ、Goin’ Home)

この、アントニン・ドヴォルザークが1893年に作曲した交響曲第9番『新世界より』の第2楽章「ラルゴ (Largo)」の主題となる旋律に基づいて、ウィリアム・アームズ・フィッシャー(英語版)が1922年に作詞、編曲した歌曲、合唱曲。

遠き山に 日は落ちて星は空を ちりばめぬ、、、、堀内敬三さんの訳詞です。

(※堀内 敬三 は、日本の作曲家、作詞家、訳詞家、音楽評論家。「あやしいぞ」をもじった安谷 鎮雄という筆名もある。!)

さて、ウィリアム・アームズ・フィッシャーが1922年に作詞、編曲した歌曲、合唱曲の訳詞、実は、堀内さんの専売ではなく、 ♪春はまだきの 朱(あけ)雲を     宮沢賢治を始めとして多くの幅広い人によって、訳が試みられています。

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この歌を日本人がどう受け止め、どう広げたのか、について、以下ウィクペディア のまとめ

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日本語の歌詞​[編集]。
宮沢賢治「種山ヶ原」- 春はまだきの 朱(あけ)雲を[16] 1924年の作詞とされるが、公表は後年[17]。

(作詞者不明〕「秋の姿」- あききぬすずしくははぬれ 日本国民音楽教育連盟 編纂『現代国民音楽教育 第一集 紅き雲』(1930年)所収[17]。

牛山充「歸郷」- かえらんいざやふるさとに 若狭萬次郎 編『新男子音楽教科書 第三編』(1934年)所収[17]。

西原武男「夕陽の沈む頃」 奥田良三のSP盤(1935年)[18]。

佐伯孝夫「家路」 杉町みよしのSP盤(1936年)[18]。

瀬沼喜久雄「家路」- 故郷(くに)へかへる よろこびに 東京教育音楽研究会『新撰女声曲集 第五巻』(1937年)所収[17][19]。

津川主一「家路をさして」- いざや帰らん 故郷へ 津川主一 編『合唱名曲撰集 女声篇 第四巻』(1938年)所収[17]。

水田詩仙「ふるさとの夢」- ゆめはたのし ふるさとの 黒澤隆朝、小川一朗、林幸光 編『改頃訂標準女子音楽敦教科書 第四編』(1939年)所収[17]。

野上彰「家路」- 響きわたる 鐘の音に
久野静夫「家路」- 森のこずえ 暮れそめて いち早く1952年に音楽教科書に掲載された[19]。

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堀内敬三「遠き山に日は落ちて」- 遠き山に 日は落ちて 作詞された時期には諸説あるが、流布したのは戦後であり、最初に音楽教科書に掲載されたのは1962年である[19]。
さらにこれに基づく琉球語の歌詞が佐原一哉によって作られている。

木田みさを「ふるさと」- 夢に思う ふるさとの
高田三九三「家路」- 家路さして 帰り行く
峯陽「家路」- 遠い山も たそがれて
越悠理子「new world ~願い~」- 羽を休めた 鳥の様に[20] largoのシングル(2000年)。アルバム『a song』にも収録(2001年)。

本田美奈子.「新世界」- 時は待たず 過ぎてゆく[21] 本田美奈子.のシングル(2004年)[22]。

平原綾香「新世界」※歌い出しは原曲の中間部のメロディーを使用。 平原綾香のシングル(2009年)。アルバム『my Classics!』にも収録(2009年)。

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みんな聴いてみたいですね。

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その場所は、、やはりここしかないでしょう!

虹の輪を7段重ねた熱気球!

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天橋立天平観、丹後国分寺跡地に舞いました。

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ちなみに、丹後国分寺。

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「天平13年(741)に聖武天皇の詔によって全国に建てられた国分寺の一つ。建武元年(1334)に円源房宣基により再建され、『天橋立図』には五重塔と金堂、中門や塀、堂舎が描かれている。『国分寺略縁起』によれば天文11年(1542)の兵乱で焼失したとあり、現在は礎石を残すだけとなっている。聖武天皇の詔は、国ごとに金光明最勝王経一部を安置した七重塔、国分寺、国分尼寺を造るというもので、造塔は国のもっとも良き箇所になすこととあった」ウィクペディア。

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奇しくも塔の階、七重の塔と同じ、高さもほぼ同じとのこと。

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この令和熱気球を揚げたのは、山尾太郎吉商店。

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気球は 思いで浮くものではありませんけれど、山尾太郎吉商店の 思いの熱さは注目です!

キキョウ、、日が少し短くなったよと告げて咲く!

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【桔梗は秋の七草のひとつとして、朝顔の名で呼ばれているものである。朝顔とは古代の呼称で、別名オカトトキとも呼ばれた。これは「岡に咲く神草」の意】

さて、このキキョウに関する、桔梗→朝顔→オカトトキ→「岡に咲く神草」呼称の記述に関して、問い合わせをいただきました。
「岡に咲く神草」とする出典を知りたい、オカトトキ=「岡に咲く神草」とは何に書いてあるのか?
出典、、、、!!
「麒麟が来る」ブームに合わせて明智の家紋がキキョウの花であることからネットで検索したら、ウィクペディア・『桔梗紋』でヒットした。出典をと言えば担当者が挙げている引用文献その中のいずれかということはあるかもしれない、、、
そんなことをお答えしました。
念のため、その引用文献一覧の書名をみると、行き着けるのだろうかと不安になりました。
、オカトトキ=「岡に咲く神草」は、多くのブログに見られます。
とすると、『桔梗紋』担当者もそれをコピーした、つまり文献で確認したものではないのではないか、、、と。

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そんなわけで、雨降りで外仕事もままならないのに任せてその文献探し。
状況的には、古代から中世頃の医学界用語!
というのは、、、
①桔梗→朝顔→オカトトキ
これは、容易です。
ききよう【桔梗】 | 情報言語学研究室 – teacup.ブログ“AutoPage”
おか‐ととき[をか:]〔名〕植物「ききょう(桔梗)」の古名。*新撰字鏡〔八九八~九〇一頃〕「桔梗 二八月採根曝干 阿佐加保 又云岡止々支」*本草和名〔九一八頃〕「桔梗 〈略〉和名阿利乃比布岐 一名乎加止々岐」【語源説】岡原上に生じる植物で、形状がトトキ(沙参)に似るから〔古今要覧稿〕。【発音】〈ア史〉平安●●●●○〈京ア〉[ト]〈1〉【辞書】字鏡・和名・色葉・名義・書言・言海【表記】【符〓(艸+扈)】和名・色葉・名義・書言【桔梗】字鏡【〓(艸+扈)】名義
②  オカトトキ→「岡に咲く神草」=トトキ→「神草」!
とときという植物に 神聖 という意味を持たせた経過を説明した文献、記述があるか 、、、どうも見あたらない。
神草丸 ヒュウガトウキ 美研 600粒(健康食品)というのは出てきました。|
『神草丸 ヒュウガトウキ 美研 新品未開封 600粒』はヤフオク!で725(99%)の評価を持つpobre000から出品され、30の入札を集めてに、26,500円で落札されました。
しかし、「神草丸は医薬品でないにもかかわらず、被告会社では医薬品的な効能を詳細に述べるセールストーク」ということで問題になっているやばいもののようです。
とはいうものの、「神草」という言葉は流通しているようです。
自然のなかのあるもの、例えば、川、木、石、草などのあるものを特定して、それに「神」という修飾語を付与する、これはままあることです。
神川 神木 神石 そして神草
神になれる草、、、大麻!ほう!!
等、つらつら歩き見て回っている内に

富山県薬剤師会のwww.tomiyaku.or.jp/file_upload/…/100046_02.pdfが、
「万病薬」という言葉を使って人参のことを紹介されていて、そのなかに、「神草」という言葉がありました。

富山県薬剤師会、、、そうかぁ、、、
『麒麟が来る』の、堺正章さんが演じた京都の医者、望月東庵先生のような方がお使いになった『業界用語』ではないか、、、= 「万病薬」→ととき→ 桔梗、、、このラインか!と多少胸をときめかせながら開いてみました。

はたして、そのpdf資料 表面

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お、オタネニンジン!

その裏面

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このオタネニンジンは「和漢生薬の中でももっとも知られ、重要な薬であることは誰でも認めるところ」として、李時珍さんが、「神草」という言葉を使ってらっしゃることを、村上守一さんという方が記していらっしゃいました。

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村上守一さんというかたは、日本薬学会  日本生薬学会 に所属されて、 、
薬用植物の栽培・繁殖・品質管理
Cultivation, breeding, and quality management of medical plants
をテーマにされる研究者で、2006/03/09  現在所属富山県薬事研究所 付設薬用植物指導センター 所長 でいらっしゃったと紹介がアップされています。

語源探究、、ここまで分かればあとはかなり、、

さらに、その李 時珍さん。

「李 時珍(り じちん、1518年7月3日(正徳13年5月26日) – 1593年(万暦21年))は、中国明の医師・本草学者。字は東璧、号は「瀕湖山人」。中国本草学の集大成とも呼ぶべき『本草綱目』や、奇経や脈診の解説書である『瀕湖脈学』・『奇経八脈考』を著した。」
字を東璧とおっしゃったと言うことですから、『麒麟が来る』の東安先生はこの李先生がモデルだったかもしれないと思いついたような事です。

itempost_1-xhscjp0127-13300[2]ほんぞう項目

まとめ的にいえば、
神草 とは、朝鮮人参のこと、

出典は、李時珍さんという中国・明代の本草学者の著された『本草綱目』
広められたのは、従って、     | 富山のカルチャースクール | 北日本新聞 …
【とやまの薬草】自然豊かな野山を歩き、山菜や薬草としての使い方を学びませんか、と普及に当たられている村上守一さんのような、薬草学関係の方々、ということになるのでしょうか。

さて、

桔梗(キキョウ) – Mira House
また,古くは“オカトトキ”(岡止々岐)と呼ばれていましたが,これは岡に生えるトトキ(釣鐘人参)のような植物,または岡に咲く神草という意味です。 キキョウは,観賞用はもちろん,有毒なサポニンを含む根には去痰・解毒作用があり, …

とか

東邦大学薬学部|薬用植物園|見本園|キキョウ|
別名をオカトトキと云いますが、その意味は“岡に咲く神草”といわれ、“更に吉”の意味もあってか、武士には好まれたようで、図案化した桔梗紋はたくさんあります。

とも、、、。

「・・・といわれ・・・」

そこに、?!をつけたり、立ち止まる、、、それって本当は大事なことなんですね。

その言葉はだれがいったのか、何に書いてあるのか もともとの神草とは何をさとたのか、それをだれが広めたのか、

ちなみに、この李時珍さん、高等学校でも、日本史ではなく世界史で、大きくはない扱いで取り上げられている方、ということのようです。

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はや七月半ば、この「ととき」=ツリガネソウが、谷間に咲き始めましたよ。

以上 宮津世屋エコツーリズムガイドの会(px8fn4@bma.biglobe.ne.jp)

 

 

 

花がきれい、といわれて嬉しく「花美世屋」とす!

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きっかけは、今井さんのご逝去。

「丹後縦貫林道ものがたり」91頁にお写真をいただいているかたです。

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丹後の風土美を長年に渡って撮り続けられたその蓄積はエコ資料としても、たいへん貴重。60枚を預かって展示しております。

今井写真展20210617_124710

ご連絡いただきましたら、写真で丹後エコツアーもご案内差し上げますよ。

どうぞお立ち寄りください。

どうぞ、

アジサイは一花で一村隠しけり  世屋野蕪村

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「サイズといい色目といい、花期といい、実によく出来た花です!」

アジサイは並木の松と競うごと

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藍色はいずれを映すか梅雨丹後

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この園芸種として人気のこのアジサイ、そもそも原種は日本のもの、その原種が、上世屋で今咲いています!

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さて、日本からヨーロッパへ、ヨーロッパから日本へ、このアジサイの旅、ウィクペディアが下記のように解説しています。

、、、、、

狭義のアジサイ(ホンアジサイ)は、日本で原種ガクアジサイから改良した園芸品種で、ガクアジサイに近い落葉低木[7]。6月から7月にかけて開花し、白、青、紫または赤色のがくが大きく発達した装飾花をもつ。ガクアジサイではこれが花序の周辺部を縁取るように並び、園芸では「額咲き」と呼ばれる。ガクアジサイから変化し、花序が球形ですべて装飾花となったアジサイは、「手まり咲き」と呼ばれる。

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栽培は、梅雨期に主に挿し木によって繁殖させている[7]。日本、ヨーロッパ、アメリカなどで観賞用に広く栽培され、多くの品種が作り出されている。原産地は日本で、ヨーロッパで品種改良されたものはセイヨウアジサイと呼ばれる。変種のアマチャは稀に山地に自生するが、多くは寺院などで栽培されている[7]。また、漢方で用いないが、民間では薬用植物として利用できる。

なお、後述の通り本種は有毒植物であるため、園芸や切り花として利用する際には取り扱いに注意が必要である。

分布[編集]

アジサイに関して、キュー植物園系のデータベース Plants of the World Online(POWO)は#分類で後述する原種や変種も含め Hydrangea macrophylla として日本火山列島に自生し、その他世界の様々な国や地域に持ち込まれているとしている[8]。なお、POWO が利用している地域区分は分類学データベース専門調査委員会(: Taxonomic Databases Working Group; 略称: TDWG)[注釈 2]によるものであり、そのために2001年に提供された4段階による区分法では1段階目のアジア-温帯(Asia-Temperate)、2段階目のアジア東部(Eastern Asia)までは共通しているものの、3段階目で日本(Japan)と火山列島(Kazan-retto)という別々の区分に分けられているということに留意されたい[9][10]

名称[編集]

アジサイの語源ははっきりしないが、最古の和歌集『万葉集』では「味狭藍」「安治佐為」、平安時代の辞典『和名類聚抄』では「阿豆佐為」の字をあてて書かれている[11]。もっとも有力とされているのは、「藍色が集まったもの」を意味する「あづさい(集真藍)」がなまったものとする説である[11]。そのほか、「味」は評価を[注釈 3]、「狭藍」は花の色を示すという谷川士清の説、「集まって咲くもの」とする山本章夫の説(『万葉古今動植物正名』)、「厚咲き」が転じたものであるという貝原益軒の説がある[11]

花の色がよく変わることから、「七変化」「八仙花」とも呼ばれる[12][13]

日本語で漢字表記に用いられる「紫陽花」は、の詩人白居易が別の花、おそらくライラック[6]に付けた名で、平安時代の学者源順がこの漢字をあてたことから誤って広まったといわれている[14]草冠の下に「便」を置いた字が『新撰字鏡』にはみられ、「安知佐井」のほか「止毛久佐」の字があてられている。アジサイ研究家の山本武臣は、アジサイの葉が便所で使われる地域のあることから、止毛久佐は普通トモクサと読むが、シモクサとも読むことができると指摘している[15]。また『言塵集』にはアジサイの別名として「またぶりぐさ」が挙げられている[15]

シーボルトはアジサイ属の新種に自分の妻「おタキさん」の名をとって Hydrangea otaksa と命名し、物議をかもした[16][17]。これは Hydrangea macrophylla と同種であった。

特徴[編集]

青色と紫色の花

落葉低木で、樹高は1 – 2メートル対生し、葉身は厚く光沢があり[7]、淡緑色で葉脈のはっきりした卵形で、周囲は鋸歯状。

花序は大型で、5月から7月に紫(赤紫から青紫)のを咲かせる。一般に花といわれている部分は装飾花で、大部分が中性花からなり、が大きく花弁状で目立つ[7]。中央にある両性花は極小で目立たず[7]、退化した雄蕊10本と雌蕊3 – 4本がある。数え方は「◯朶(だ)」という。母種のガクアジサイでは、花序の頂部がたいらで両性花が多数あり、密集した両性花の周囲だけに装飾花(中性花)がみられるが[7]、アジサイ(ホンアジサイ)やセイヨウアジサイではほとんどが装飾花となっている。また、装飾花の欠如した変種も知られている(ガクアジサイ「三河千鳥」など)。

花の色[編集]

花(萼)の色はアントシアニンという色素によるもので、アジサイにはその一種のデルフィニジンが含まれている。これに補助色素(助色素)とアルミニウムイオンが加わると、青色の花となる[18]。従来は理論の域に留まっていたが、今般、実際にアジサイの花で直接確認された[19]

アジサイは土壌のpH(酸性度)によって花の色が変わり、一般に「酸性ならば青、アルカリ性ならば赤」になると言われている(リトマス試験紙と逆なので注意されたい)。これは、アルミニウムが根から吸収されやすいイオンの形になるかどうかに、pHが影響するためである。すなわち、土壌が酸性だとアルミニウムがイオンとなって土中に溶け出し、アジサイに吸収されて花のアントシアニンと結合し青色を呈する。逆に土壌が中性やアルカリ性であればアルミニウムは溶け出さずアジサイに吸収されないため、花は赤色となる[20]。したがって、花を青色にしたい場合は、酸性の肥料や、アルミニウムを含むミョウバンを与えればよい[21]。同じ株でも部分によって花の色が違うのは、根から送られてくるアルミニウムの量に差があるためである[22]。花色は花(萼)1グラムあたりに含まれるアルミニウムの量がおよそ40マイクログラム以上の場合に青色になると見積もられている[23]。ただし品種によっては遺伝的な要素で花が青色にならないものもある。これは補助色素が原因であり、もともとその量が少ない品種や、効果を阻害する成分を持つ品種は、アルミニウムを吸収しても青色にはなりにくい[24]

また、花色は開花から日を経るに従って徐々に変化する[25]。最初は花に含まれる葉緑素のため薄い黄緑色を帯びており、それが分解されていくとともにアントシアニンや補助色素が生合成され、赤や青に色づいていく[25]。さらに日が経つと有機酸が蓄積されてゆくため、青色の花も赤味を帯びるようになる[注釈 4]。これは花の老化によるものであり、土壌の変化とは関係なく起こる[27]

他に花が緑色の品種(ヤマアジサイ「土佐緑風」など)も知られており、観賞用として緑の花が販売されることもある。しかし日本ではファイトプラズマ感染による「アジサイ葉化病」にかかったものも稀にみられる[28][29]。この病気の治療法は知られておらず、感染拡大を避けるため発病株は処分したほうがよいとされる[28]

分類[編集]

ガクアジサイ

この種は、装飾花の分布から、ガクアジサイと、狭義のアジサイ(ホンアジサイ)に分かれる。またこれらとは別に、ヤマアジサイ Hydrangea serrata やハイドランゲア・スティロサ Hydrangea stylosa を同種とする説もある。

分子系統では、栽培種にヤマアジサイに近縁なものとH. stylosaに近縁なものとがあり、交配による多系統かもしれない[30]

ガクアジサイ
原種 H. macrophylla f. normalis
房総半島三浦半島伊豆半島伊豆諸島足摺岬南硫黄島北硫黄島[31]で海岸に自生する[32][33](足摺岬のものは人為的植栽起源)[34]。このため、ハマアジサイとも呼ばれる[33]。高さは2 m程度だが[32]、4 mに達することもある[35]
花序は多数の両性花を中心として、装飾花が周りを縁取る[32]。名称の「ガク」はこのさまを額縁になぞらえたものである[33]。花序は直径12–18 cm、装飾花は直径3–6 cmで色は白色・青色・淡青緑色・または淡赤紫色[32]、両性花は濃紫色である[33]。葉は厚く、大きく(長さ10–18 cm[32])、種小名 macro (大きい) phyllus (葉)の由来となっている[33]。葉の表面は濃緑色で光沢がある[32]。栽培品種に ‘花火’、‘城ヶ崎’ などがある[36]
アジサイ(ホンアジサイ)
変種 H. macrophylla var. macrophylla
日本原産のガクアジサイの品種だが、自生しているという説もあり[37]、起源ははっきりしない[38]。他のアジサイとの区別のためホンアジサイとも呼ばれる[37]
花序はほとんど装飾花のみからなり、種子ができるのはまれであるため、挿し木や株分けで増やす[32]。花序の大きさは20–25 cm程度である[32]。古く日本から中国へ伝わったものが、18世紀にさらにヨーロッパへと持ち込まれ、多くの園芸品種が作られた[38]。日本では輸入したものがセイヨウアジサイとも呼ばれる。かつて、シーボルトはこの品種を H. otaksa と命名したが、学名としては現在では使われていない[39]。ちなみに学名上は、ガクアジサイより先に命名されたこちらが Hydrangea macrophylla 種の基亜種という扱いである。
ヤマアジサイ
別種 Hydrangea serrata だが、亜種 Hydrangea macrophylla subsp. serrata 等とする説もある[40]

シーボルトとあじさいと牧野富太郎[編集]

鎖国時代に長崎にオランダ商館員の一員として日本に渡来し、オランダ人と偽って出島に滞在し医療と博物学的研究に従事したドイツ人医師にして博物学者シーボルトは、オランダに帰還してから植物学者のツッカリニと共著で『日本植物誌』を著した際にアジサイ属 14 種を新種記載している。その中で花序全体が装飾花になる園芸品種のアジサイを Hydrangea otaksa Siebold et Zuccarini と命名している。しかしこれはすでにカール・ツンベルクによって記載されていた H. macrophylla (Thunberg) Seringe var. macrophyllaシノニム(同一種)とみなされ、植物学上有効名ではない。にもかかわらず、牧野富太郎が自著の各種植物図鑑において Hydrangea macrophylla Seringe var. otaksa Makino の学名を用い種の記載者が Seringe で変種の記載者が牧野自身であるとする事実と異なる処置を行っていることから、一部の植物学書であたかも H. otaksa が植物学的な有効名であるかのような誤解が広まってしまっている。

牧野は上記の植物学的に不可解な処置と矛盾する言動をまた、著書の中で行っている。シーボルトは自著の中で otaksa をアジサイが日本で「オタクサ」と呼ばれていると命名の由来を説明しているが、牧野は日本国内でこの呼称が確認できなかったことからシーボルトの愛妾の楠本滝(お滝さん)の名を潜ませたと推測し、美しい花に花柳界の女性の名をつけたとして強く非難している。そして自らも新種の笹に自らの妻の名から「スエコザサ」と名付けた。

牧野のこの推測によって「オタクサ」の名はシーボルトとお滝さんのロマンスをイメージさせて文人作家の創作意欲を刺激し、詩歌にこの名を詠み込むことなどが盛んに行われている。

鑑賞[編集]

低木で、5月から7月頃、青、紫、ピンクなどの花(装飾花)を密につけ、手毬状をなす。初夏あるいは梅雨時期の風物詩として広く親しまれ、鑑賞用に庭園や公園に植栽されてきた。また、咲き始めの頃は白っぽく、次第に色が変ってくることから「七変化」とも呼ばれる。園芸種も多い。

日本全国各地にアジサイを境内に多く植えたアジサイ寺と呼ばれるような観光名所がある。アジサイの名所として神奈川県鎌倉市などが有名である。公共の施設では大阪府民の森ぬかた園地神戸市立森林植物園舞鶴自然文化園に約5万株のアジサイが植えられている。三重県津市にある「伊勢温泉ゴルフクラブ内の福祉と環境を融合したあじさい園」には 2万5000平方メートルに 56 種類・7万5000株のあじさい園が2008年6月より新設された。また神戸市の裏六甲ドライブウェイおよび奥摩耶ドライブウェイ沿いには延々とアジサイが自生している。神奈川県箱根登山鉄道では開花時期に合わせ夜間ライトアップされたアジサイを楽しめる特別列車が運行されている。岩手県一関市にある「みちのくあじさい園」は、15万平方メートルの杉山に300種・3万株のアジサイと、元日本アジサイ協会会長 故・山本武臣氏の収集・栽培品が「山本コレクションコーナー」として保存されている。

寺院の名所は、アジサイ寺を参照

 

グランド跡に出来たうつぼぐさの花園、、

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花の数、数えること不能。

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この花美世屋ウツボ草花園の規模とロケーションは、私の知る限り、「日本一」

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さて、この花、見た目のすずやかさだけでなく、とんでもない実力の持ち主なんですよ

以下ウィクペディア。

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和名ウツボグサは、円筒形の花穂の形、もしくは花穂につく小花の形が、武士が弓矢を入れて背中に背負った道具である(うつぼ)に似ていることに由来する[1][2][3][4]。中国植物名は、日本夏枯草(にほんかごそう)[2]、日本で漢方などで使われる別名は夏枯草(カコソウ)といい、夏に花が終わると褐色に変わって、一見枯れたように見えるところから呼ばれたものである[1][2]。その他、アブラグサ[2]、カゴグサ[4]、カゴソウ[4]、クスリグサ[2]、ジビョウグサ[4]、チドメグサ[4]など薬効にまつわる別名や、ヒグラシ[5]など多数の呼び名がある。

日本の地方によっては、カゴソウ(青森県岩手県秋田県神奈川県和歌山県兵庫県岡山県山口県)、コムソクサ(広島県宮崎県鹿児島県)、ミコノスズ(京都府)、ヘビノマクラ(長野県)などの地方名でも呼ばれている[6]

ラテン語学名は、属名Prunellaドイツ語に由来する扁桃腺炎を意味し、その治療に使われたもので、種小名の vulgaris はどこにでもあるの意味で、ヨーロッパ、北アフリカ、オーストラリア、北アメリカなど世界各地で見られることに由来する[7]。本種 subsp. asiatica は、母種セイヨウウツボグサの亜種であることを示している[7]

花言葉は、「感謝」「協調性」である[8]

分布・生育地[編集]

日本各地(北海道本州四国九州[9]アジアの東部から北東部の温帯域に分布する多年生草本[7]。各地の低山、山のふもとなど日当たりのよい山野草地に群生する[10][7]野原丘陵道端などでよく見かけられる[1]

形態・生態[編集]

多年草[11]。匍匐(ほふく)性で、4月になるとは地表を這うように伸ばして、そこから高さが10 – 30センチメートル (cm) に直立またはやや斜めに立ち上がり、茎断面が四角形である[1][10]葉柄がついて茎に対生し、葉身は長さ4 cm前後の披針形から卵状長楕円形をしていて、茎葉全体に細かい白毛が密生する[11][12]シソ科植物に見られる特有の芳香はない[1][10]

花期は夏(6 – 8月)で[11]、茎の先端に3 – 8 cmの角ばった花穂をつけ、紫色の唇形花を密集して穂の下から上へと順に咲かせる[1][10]。花冠が約1 – 2 cmの唇形、上唇が帽子状で、下唇は3裂する[9]。真夏に花が終わると、花穂はすぐに暗褐色に変化する[9]。花後、根元から茎を四方に盛んに伸ばして地面を這い、その先に苗ができる[10][12]。花が終わって花穂が乾燥すると、萼筒の中に4個の種子があるのが落ちる[10]

変種にミヤマウツボグサがあり、草丈が低く、葉縁に粗いギザギザの鋸歯がある[8]

栽培[編集]

繁殖は、春に種子を床蒔きして実生、または株分けで行なわれる[10]。日当たりの良いところで育生させないと花がつかない[10]

利用[編集]

花後の枯れた穂は、利尿剤、うがい薬などに用いられる。若葉は食用にもなる。

薬用[編集]

花穂は6 – 8月の花が終わる枯れかかった頃に採集して、天日干しにしたものを日本・中国で夏枯草(カゴソウ)といい[1][2]、日本薬局方にある生薬[13]昔から漢方でも使われている[4]。主に中国、韓国で生産される。花穂にはウルソール酸(精油)、プルネリン(配糖体)、その他多量の塩化カリウム(無機塩類)、タンニンなどを含んでいる[1]。塩化カリウムなどの無機塩類は体内の尿の出を良くする利尿作用があり、カリウムには体内の塩分(ナトリウム)を出させる作用がある[1]。タンニンには消炎作用と組織細胞を引き締める収斂作用があり、全体として消炎や利尿薬として用いられる[1]

民間療法では、腎炎膀胱炎脚気などでむくみがあるときに、夏枯草5 – 10 gを400 – 600 ccの水で半量になるまで煎じ、1日3回に分けて服用することで、尿の出を良くし、むくみの軽減や治りを早めるのに役立つとされる[1][10]。茶のように煮出したいわゆる薬草茶で、クセがなく飲みやすいほうだといわれる[12]。味患部の熱をとる力があり、膀胱炎で下腹部が温かく感じる人や、甲状腺腫やリンパ腺結核、目の充血や痛みで熱感がある人にはよいとされる[2]。ただし、患部が冷たいときや冷え性、妊婦への服用は禁忌とされている[2]

また、口内炎、口内のはれもの、のどの痛み、扁桃炎にも使用され、前記の煎液で1日数回にわけてうがいすることによって、タンニンの作用で腫れや痛みの緩和に役立つ[1][10][12]

中国では、夏の暑気払いにお茶代わりに夏枯草を用いており、1cmほどに刻んで適宜水を加えて煮立てて飲用し、水分の補給と利尿により疲労回復を促すものと考えられている[1]ヨーロッパにおいても民間薬に利用され、ウツボグサ及びタイリンウツボグサ(P. grandiflora Jacq.)を肺病や胃腸の病に用いた。

ハーブ[編集]

日本ではハーブティとして用いられ、また、止血作用と治癒促進作用があるとされ、外傷薬として古くから利用されてきた。強壮剤、うがい薬としても用いられる。ヨーロッパでは、自然治療を意味するセルフヒールという名で知られ、ハーブとして親しまれている[6]

食用[編集]

春に若い苗や若葉を摘んで、夏以降は花びらを採取して、軽く茹でて水にさらして、酢の物和え物などに調理できる[4]。また、若い葉と花びらは、生のまま衣をつけて天ぷらもできる[4][12]

 

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