藤とサクラうつぎの組み合わせの妙!
「野活け」と呼んだらいいのでしょうか。里山の神様が、ちょっちょっちょと手すさびに組み合わせられたというかんじです。
これもまた!サクラうつぎの玉造りとでもいうのですか。
里山の神様、剪定の技もなかなかのものです。
サイズも立派、たにうつぎの部では、おそらくですが、「日本一」の巨樹。少なくとも、丹後を代表する樹であることは間違いありません。
これらの造形、世屋高原アスペン農園付近で見ることが出来ますよ。
マダニ!
彼らは、越冬もして、六年くらいも生きるのだそうですが、この固体、六年生の大親分!かもしれません。
さて、このマダニ、コロナで影が薄くなっている感があります、しかし、なかなかどうして、が野生の獣たちの生育域が温暖化のため広がりを見せているのだそうです。京丹後市の有線で警戒を呼びかけていました。マダニも決定的な治療法はないウィルスを媒介するため、里山の山野を活動の対象にする私たちは、十二分の配慮をする必要があると聞き入ったことです。
ところで、その、「マダニ」についての情報、怖い怖い、警戒しろというところが一般的です。しかし、もう少し、情報が必要じゃないでしょうか。人の血を吸うのは二酸化酸素センサーが働いて飛びついたというのですが、それはたまたま生育域に入ってきたから。ふだんは、とりつかれて彼らに血を供給しているのは鹿やイノシシ、ネズミなど。その彼らもダニは嫌いで、イノシシなどは泥浴びや樹に体をこすりつけたりしているのですが、それで充分なのでしょうか、温暖化によるダニ増殖は、かれら鹿やイノシシ、ネズミにとっても脅威のはず。しかし、さしあたってばたばたとたおれているという状況にはない。なにかあるのかもしれない、とチェックしましたら、ダニにも天敵がいて、その天敵を鹿やイノシシ、ネズミたちは利用しているようなのです。
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(国)森林研究・整備機構森林総合研究所は6月5日、森のネズミと共生する節足動物のオオヤドリカニムシが、感染症を媒介するマダニの天敵であることを見つけたと発表した。最近、野生動物の人里への進出によってマダニによる感染症のウイルスや細菌の媒介が懸念されているだけに、天敵の機能を活用した新たな森林管理のあり方に繋がるものとみられる。
マダニは哺乳類、鳥類、は虫類の血を吸って生きる寄生生物で、日本では約50種が知られている。主にネズミなどの小型哺乳類に寄生する。
人の感染症の約75%は野生動物と共通しているといわれ、西日本で患者が確認された重症熱性血小板減少症候群(SFTS)などのようにマダニなどが媒介するものが見られるようになった。
その増加の要因には野生動物の分布拡大や気候変動などが複雑に絡んでいるだけに、森林総研では野生動物の適切な管理法として天敵の機能が発揮されるような研究を進めている。
そうした研究の中で、ネズミに便乗して移動する体長5mmほどのオオヤドリカニムシを採取し調べた。このカニムシはネズミに寄生はするものの危害を加えることはなく、コナダニやマダニを好んで食べた。
カニムシの口は固形物を噛み砕くよりも体液を吸い取るのに適しており、食べられたマダニは中身が空っぽで半透明状態だった。与えたマダニを8割も好んで食べたことから、オオヤドリカニムシはマダニを捕食する天敵であることが分かった。こうしたことから森のネズミとカニムシは共生関係にあるとみている。
カニムシはドングリなどの餌が豊富で、ネズミの生息密度が高い森林に多く見られる。
今後、カニムシがどの程度ネズミの繁殖や生存に役立っているかを定量的に調べ、生物多様性の豊かな森林が野生動物由来の感染症を押さえることにどの程度役立っているかを解明し、適切な森林管理のあり方を探ることにしている。
詳しくはこちら
感染症を媒介するマダニの天敵を発見 | つくばサイエンスニュース
www.tsukuba-sci.com
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ダニの天敵がいるなら、コロナの天敵も必ずいるはずと思いました。
もう一つ、シカやイノシシの生育域に入られるときは、「おおやどりかにむし、、おおやどりかにむしとおりまあーす」と三回大声で唱えてからダニが寄りつかないのかもしれませんよ!
5月4日は、「自然に親しむとともにその恩恵に感謝し、豊かな心を育む」ためということで設定された「みどりの日」。世屋の森には、基本野生種の一つ、カスミサクラが満開。
さて、この日の京都新聞社説は、「コロナと地球」「環境破壊の影響を省みよ」とタイトルを掲げ、感染症拡大と温暖化の相関は無視できず、真摯に耳を傾け、現状を省みるべきではないか」と説いています。
カスミサクラは、この社説をどう受け止めたのでしょう。
社説は、地球規模の広い視野での構図を、「人間に感染する可能性があるウィルスは60万種とも言われる。その多くが寄生する野生動物の生息域は温暖化で広がり、接触するリスクが高まる。他方、自然破壊で多くの動植物の絶滅が進んでいる。生物の多様性が損なわれることで、人や家畜が病原体の標的になりやすくなるとの指摘もある」と示しながら、さらに、「身近な身近な森林にも気象災害や生態系の異変が見られる。幅広い恩恵を持続可能な形で引き継げるよう都市住民も目を配り、地元と一緒になって知恵と汗を絞っていく必要があろう」と主張しています。
カスミサクラの感想とアドバイス。「人を襲う可能性のあるウイルスは60万、それってほんとうですか。耳を疑いましたね、わたくしの森の仲間も、ナラ枯れでばたばたと倒れていっています。異常は起きています。地方の地元住民のマンパワーは枯渇しています。都市住民が目配りし協働すること、そのことについては、わたくしも異論はありません。しかし、都市住民と地方地元が一緒になってと言われても、ピンポイントで焦点が合っていないと上滑りします。言うは易し行うは難し、です。そんななかですけれど、なにかやらねば!と思う方がいらっしゃるなら、生物多様性500選定の里「カミセヤ」にいらっしゃい。そして、草刈りに「汗」をかいてごらんなさい」
在来種のタンポポもそれがいいと。「汗をかいているうちに、知恵が湧いてきますよ。」
加えて、ガイドの会の提案。
「三人連れでやってこられるのが、一番効果的。仕事も捗りますし、世界を勇気づけるような知恵が湧いて来るかもしれません。」
あまのはしだて国際会議!
紫外線とフィトンチットよ、と赤松デラックスさん、
紫外線とフィトンチット!そうか、それを買い占めよう、どこで売っているのかね。
いやあね、あんたコロナでもうけようなんて考えちゃだめよ、あんたのもうけをみんな吐きだして、世界を救うのよ、再選される道はそれしかないわよ、とズバリ青松デラックスさん。
そんなトンチンカンな国際会議の前を走る伊根行き・岬巡りのバスのお客さんは、一人。
グローバル化に呑まれることを潔しとせず、地域社会の循環を大切にしようと頑張っている舟屋の里・伊根で、旅館や販売店など従業員計80人を擁して経営される油屋さんでは、解雇者を出さずいまでも給料80%を支給して耐えていらっしゃるというニュースを読みました。
「私ら、日本グローバル高速バスのお客さんよ、宴会するように楽しんで走っていたのに、急ブレーキをいきなり、思いっきり踏み込むものですから、総倒れ、大ケガの方続出なのよ」、
「コロナ津波は二波、三波とくるそうじゃないの、それに新々型ウイルスが10年に一度は発生するとも予想されているというしね。」
今度ばかりはピントの合った議論をし、先延ばしすることなく、実行すること、そのために、日本は断固戦う、国際協働して戦わないとだめよ、さらに、「あまのはしだての世界遺産登録」も早急にすすむように、お力添えをいただくように、そんなことを、デラックスさん、トランプ大統領に直言してくれたら嬉しいです。
ちなみに、この「あまのはしだて国際会議」は、籠神社まえ 、牧野土産物店横で、連日開催されています。
シロバナカラスノエンドウに出会いました。

「植物は数千種類の色素化合物のなかから、いくつかの色素を選んでその植物固有の色素組成をブレンドし、花弁の細胞に貯めることで、黄色、橙色、赤色、紫色、青色・・ といった、それぞれの植物に特徴的な花色を創っているといいます。ブレンドの過程で手違いが起きたのかもしれません。しかし、 生まれて初めてでしたし、こんな時ですから、、シロバナカラスノエンドウの種に、ころなウイルスを殺す成分があるから煎じて飲めとお告げになってくださっているのかもしれない、とかちょっと興奮しました。
さて、今恐れられているコロナです、目に見えない、どこにいるかわからない、ので、ステイホーム。かっても、目に見えない、どこにいるかわからない、と恐れられたものがおりました。農作業での、マムシや蜂です。怖くても、恐れていては仕事にはなりません、ので、運悪く噛まれたり刺されたりしないおまじながあったと伝えます。
① マムシに噛まれないおまじない
◆この谷に鹿の子 まだらの 虫あらば 十六夜姫に 告げてやる
◆かのこ かのこ姫 わが行く先は 逃れたまえ
※鹿の子まだらの虫・かのこ姫→マムシのこと
(↑ ネット画像借用)
②ハチに刺されないおまじない
◆ わいらハチなり わしゃ九なり、わいらがさいても 苦にはせん
これらのおまじない、コロナに効かないでしょうか。新型コロナ対応のワクチン開発が急がれている一方、今あるワクチン類でしのげないか研究されています、溺れるもの、ワラをもつかむ心境で唱えれば「効く」かもしれません。
それにしても、十六夜というのは『十六夜の月は、満月の十五夜の日より、周期の関係で50分遅くれで現れます。その遅れている様を、「躊躇しながら出てきている」と擬人化して「猶予いざよいの月」→「十六夜(いざよい)の月」と呼んだ』というのですが、十六夜姫、と言うのがわかりません。姫というのは「神」という意味で使われます。神様にも貧乏神のような魑魅魍魎のややこしい類から七福のような幸福神までありますが、困ったときに助けてくれる月の神様というのが、「十六夜姫」なんでしようか。
ちなみにもコロナにかからないためのおまじないの試作品!
「コロナ姫ころな姫、十六夜姫のお出ましぞ、荷物まとめて蝙蝠の国にかえりなさい」
ステイホームでも毎朝毎晩唱えていると、パチンコなんかにいきたいという気持ちも鎮まるかもしれません。
ところで、カラスノエンドウは漢字では、「鴉野豌豆」なんですって。
「からすのえんどう」の「の」は格助詞の「の」ではなくて、野原の「野」。
種が黒くて、野に生育している豌豆のようなものということです。
カラスが好んで食べるからかな、それにしては小さすぎるしおかしい!と思っていました。
高校生たちの夢が奪われる、あり得ない、信じられない流行病禍の深刻さに打ち砕かれる思いです。電話や携帯で交わされるのは、連休には帰るよ、あかん、帰ってこんでもでもええよ、、、そんな言葉ばかり。
旅人もあしどめ、旅立ちたいのに改札口は閉まっている、季節は旅のシーズン。しかし、けれど、動くな、交わるな、いまは耐え難きを耐え、忍び難きを忍んで、一億総ステイホームの呼びかけに従うしかありません。
丸い卵も切りようで四角!石になれ、じっとしていろと言われてじっと石になっているのは苦痛です、しかし、意志で石に化するのはまたちがうもの。座禅!座禅!一億総ステイホームを一億総座禅運動!と読み替えることにしましょう。
いまは、眼をつむるとき。心の眼を開くときです。
そして、眼をつぶれば、いつでも、そこに花、そこにふるさと、
この歌が 『旅立ち』の改札口を開けてくれますよ。
♪雪解け間近の北の空に向い
過ぎ去りし日々の夢を叫ぶ時
帰らぬ人達 熱い胸をよぎる
せめて今日から一人きり 旅に出る
あゝ日本のどこかに
私を待って咲いてる花がある

いい日 旅立ち 夕焼けをさがしに
母の背中で聞いた歌を道連れに・・・
岬のはずれに少年は魚釣り
青いすすきの小径を帰るのか

私は今から 想い出を創るため
砂に枯木で書くつもり“さよなら”と
あゝ日本のどこかに
私を待って咲いてる花がある

いい日 旅立ち その花をさがしに
父が教えてくれた歌を道連れに・・・
あゝ日本のどこかに
私を待って咲いてる花がある
子供の頃に歌った歌を道連れに・・・
!!
♪ 眼閉じれば、閉まった改札もフリーパス!
※谷村さん、ごめん、
歌詞を一部いらいましたよ!
五十河の里の、小町さん。
この里に小町伝承があるのは、五十河の里が竹野川の源流にある、そのことに由来があるのかもしれないと考えています。
1100年も昔のある夏のこと、京の都はじめ日本は、たいへんな日照り旱魃に見舞われました。水がない、稲が枯れる、水、水、みずが欲しい、
その危機の際、京都神泉苑で催された雨乞いの祈りの儀で、歌を託されたのが小町さん、
ことわりや 日の本ならば 照りもせめ さりとては 又天が下とは
(道理でございます、この国を日本と呼ぶならば、日が照りもするでしょう!しかしそうは言っても、又、天の下とは、あめ(雨)の下とも言うではございませんか。だから、どうか雨を降らせてください。)
渾身のこの言葉の巧みさに心動かされた龍神は大雨を降らせた、、希代の祈り人、祈り歌、であることを証明したこのエピソードはたいへん有名です。。
1100年も前のことですけれど、五十河に小町さんをお祀りさせているのは天の恵みは、竹野川を通して丹後に配られる、そういう認識を丹後の国全体が共有したためだったのではないかなと、思いました。
さて、このコロナ禍を押さえるためには、動いてはいけない!たいへん、苦しいもどかしい状況のなかで連休を迎えます。
八重桜や御衣黄サクラも見てもらう気満々で咲き誇っています。
しかし、今は出るな、来るな、「お医者様たちの奮戦に感謝しながら科学的な判断と指示」に従わなくてはならないとおもいます。
小町さん、
現代の人たちを見守り、一日も早い収束を祈ってくだされ!
さらに小町さん、こんな歌もささげていらっしゃいます
千早振る 神も見まさば 立ちさわぎ 天のと川の 樋口あけたべ
(神様、日照りを御覧になったなら、大急ぎで天の川の水門を開けて下さい。)
また、こんな祈り歌、捧げ歌については以下の説明がわかりやすいですよ。
「日本には古くから言霊信仰があった。言霊信仰とは「口にした言葉は実現する力を持っている」とする考え方のことである。山岸凉子先生の漫画『テレプシコーラ』ではバレエの鳥山先生が拓人に言霊信仰について教えるシーンがある。「いつもダメだ。できない。」と言っていると本当にできなくなる。意地でも「できる。」というべきだというのだ。鳥山先生が言っていることは確かに正しい。しかし、私はもともとの言霊信仰はポジティブ・シンキングではなく、まじないだったのではないかと考えている。すなわち「雨が降る」と言葉にすれば本当に雨が降り、憎い相手に「死ね」といえば本当に死ぬ、ということである。しかしあまりにストレートすぎるまじないは神様のお気に召さなかったのかもしれない。また、和歌による呪術は他人に気づかれないように行う必要があったからかもしれない。小町は掛詞、縁語、もののななどのテクニックを用いて、他人に気付かれないよう、またひとひねりして神様が「おお!」と感嘆するような呪術をかけようとしたようである。」小野小町の謎⑧ 雨乞い小町 | exniatalcomp1978’s Blog
言葉には石を動かす力はありません、
しかし歌は心を鼓舞します
いま、求められているのは現代の祈り人、祈り歌。
ウィー キャン スタンド、、、私たちは立つことが出来る
ウィー キャン ラーフ 、、、笑うことが出来る
ウィー キャン シング ア ソング 、、、私たちには歌がある、、、
1.
川は流れて どこどこ行くの

人も流れて どこどこ行くの
そんな流れが つくころには
花として 花として 咲かせてあげたい

泣きなさい 笑いなさい
いつの日か いつの日か 花を咲かそうよ

泣きなさい 笑いなさい
いつの日か いつの日か 花を咲かそうよ
2.
涙流れて どこどこ行くの

愛も流れて どこどこ行くの
そんな流れを このうちに
花として 花として 迎えてあげたい

泣きなさい 笑いなさい
いつの日か いつの日か 花を咲かそうよ

泣きなさい 笑いなさい
いつの日か いつの日か 花を咲かそうよ
3.
花は花として 笑いもできる
心の中に 心の中に 花を咲かそうよ

泣きなさい 笑いなさい
いついつまでも いついつまでも 花をつかもうよ
泣きなさい 笑いなさい
いついつまでも いついつまでも 花をつかもうよ
泣きなさい 笑いなさい
いついつまでも いついつまでも 花をつかもうよ
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日本の歌百選(文化庁)に選定されている「花」、1964東京オリンピック閉会式で、喜納昌吉さんにおりてきたのだそうです。
『「すべての人の心に花を」というフレーズは1964年東京五輪のアナウンサーの実況がもとになっている。1964年東京オリンピックの閉会式では、選手たちは各国入り乱れ、肩を組み、肩車をし、踊りを踊り、笑うものあり、泣くものあり、そして互いに祝福しあいながら入場行進を行った。そこには国境や人種といった人類の垣根を越えた「平和の祭典」の姿がたち現れていたが、テレビの中継でこの模様を見た喜納は涙がこみ上げる感動を覚えたという。実況のアナウンサーの、「泣いています・・・笑っています」という言葉とともに、この日の感銘が歳月の中で喜納の中で発酵して生まれたという』とウィクペディア。
そのオリンピックも、辛抱、、、、、、
辛抱です。
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