一本桜15日 ほぼ満開!
見物に訪れたお客さんもこのロケーションには息を呑まれるようです!
日が落ちてから寒気と暖気がぶつかって大気は不安定になるとの予報通り、巨大に発達した積乱雲。
雷さんも花見にいらしたようです。
世屋・高山ガイド部会の活動ブログ
松尾の一本桜 13日
桜前線は新潟仙台付近まで北上ということですが、13日、松尾はこんな状態です。
さて、写真を撮りにいらっしゃる方は、聞くところでは但東町のチューリップをとることを同じ日のコースにされていることが多いようです。
そういう傾向があるわけですから、田圃一枚くらいをチューリップ畑にして置いたら、チューリップも見ることのできる松尾の一本桜と言うことで、パワーアップできますね。空と海の蒼と雲の白と菜の花の黄色とチューリップの赤、出そろいますから、家族で楽しめます。桜が一本、これが楽しいというのは、相当マニアックなことですもんに。マニアックに、いいといわれてもそれはそれでいいことですけれど、物の見方言い方はひとつではありません。
来年あたりはどうでしょうか、ついでに菜の花も!松尾三本チューリップなんてことで人気が出るかも知れません。
なにしろここは「ガラシャ古道」なんですぅ!
本能寺の変のあと、細川家との縁を「切られて」、味土野へ幽閉、さらに復縁を認められて宮津へ帰還その時に辿った「ガラシャ街道」であろうことがほぼ確実なんです。
そういう事で言えばさらについでに桜の数でも、たまたま一本残っていたので一本桜ということですが、バックアップツリーも必要です、それが桜の海でもいいじゃないですか。言葉が今は一人歩きして、言葉に縛られているような気もします。
桜、古民家、空は薄く青、そして菜の花
さて、菜の花の向こうに回れば、天橋立。
丹後も野の春の主役は菜の花。なので菜の花季題の俳句は、つみ重なって大山塊!
ふるさとの訛にもどる花菜径 栗山妙子
雨に暮るゝ日を菜の花のさかり哉 松岡青蘿
近づけば菜の花の黄の密ならず 山本歩禅
菜の花を身うちにつけてなく蛙 李由 二 月 月別句集「韻塞」

菜の花は下より枯れてゆくを知る 対馬康子 吾亦紅
いちめんの菜の花といふ明るさよ 行方克巳
寺田寅彦さんも。「野に老て菜の花のみは見飽かざる 」
芥川龍之介さんも。「菜の花は雨によごれぬ育ちかな 」
芭蕉さんも。「菜畠に花見顔なる雀哉」
もちろん蕪村さんは、「菜の花や月は東に日は西に」
もちろん詠んでらっしゃいます。
「菜の花の盛りに一夜啼く(ァ)」
でも、えーーーぇですよ、さすがにいっささんのサプライズ。
さて、(ァ)には里山のある生き物が入ります。
では (ァ)に入る生き物とは四択でお答え下さい
《 おけら・ たにし・ カエル・ まむし》
正解は二番(たにし)!
これは、一茶さんのおふざけかというとそうではなく、よく詠まれています。
□(ァ)啼いて土臭き春の夕べかな 保吉
□ 鳴く(ァ)きかんともなく聞く夜かな 保吉
□ (ァ)なく夜は淋しいに蚤ひとつ 撫節
タニシは啼く!私も半信半疑です。昔の人の聴力を現代人は失ってしまったのか、ほんとに啼くのなら上世屋でなら聞くことが可能かもしれません、調査して頂けませんか。「菜の花」の時期ですから、今、今ですよ。
一本桜は、もともと一本ではなかったんですで、(ほうほう)

昔は四本あったんですで、(ほう)
松尾のお百姓、へえきっつぁんいうただが、子どもを授かったのを喜んで、一人生まれるたびに、元気に育てよと一本ずつうえなったんだ。兄弟はみんなで四人、だから四本兄弟桜だったんですで。(ほうほう)
昔、いうのは、丹後を一色さんが治めとんなころ。そのころは戦国時代ということでなぁ、細川さんが信長さんから丹後をもらいなってなあ、ほで京都のほうから跡取りとその嫁さんを伴ってなあ、跡取りの名前は忠興、若嫁さんの名は玉さんちゅうたらしい(ほほう)

ここは海からようみえるところだ、舞鶴にも田辺城という城をもっとんなったでしょっちゅうこっちはみとんなって、ようめだつ三角形の山がある、神ごとの山に違いない、岳さんのことだわなあ、のぼってみたいものじゃということできとくれたんだ

ええ景色だ ほめとくれたんだ、桜もええ いうて。(ほうほう)
ところが四本ある あれは一本がええ、。
やっぱりゆうさい言う人はわびの心のある人だ。三本は切れ!いいなっただ。(ほんまにぃ)
ところが、子どもが生まれた記念だもんにそんな見てくれのことで植えとらへんわなぁ 切れ言われて悲しいで、。でも殿さんがいいなったことだぁなあ、切らんなんわな、泣く泣くきっただって。(ほうほ)

殿さんいうのはいつでも人のことはかんがえんもんだ、ほでもまあ、一本になって景色はようなった、なんせ宮津の桜が終わってもええ桜がある、忠興さんも玉さんつれて花見に来なっただって。舞鶴もみえようがなぁ、ここがわしらの国だ、いうてよろこびなっただ、(ほうほう)
それにいなあ桜が遅いだけあってここは夏涼しいところだろうが、ちょっと行ったところに味土野ちゅうところがあって修験の山がある。そこでいまでいうたら避暑だわなあ、そういうことでいきなっただで。(へえぇ)
そこへきて本能寺の変だろ、ゆうさいさんとただおきさん、たまさんをおいとくわけにはいかん、どこへ隠そうと言うことになったただけど、ありゃあにわかにおもいついたもんだにゃあ、こういうことがあって馴れたところだったで、味土野、あそこならまあええだろう言うことになっだだあなあ、
玉さんは、それから大阪へいきなって、ガラシャいうキリシタンになんなったいうことだ。玉さん、なんべんもこことおんなったのはほんまだ、そうだで、この桜、「ガラシャ桜」なんだで。(へぇえ!)
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一本桜にカメラを向けていたら、おばあさんが畦にちょこんとすわっとンなって、そのおばあさんがはなしておくれたことです。
そういうことだったんだなあ、とあらためて桜と海をみて、ええ話おおきに、と礼を言おうとおもって振り返ったら、おばあさんはいませんでした。
!!?!
そうかぁ、おばあさんは、兄弟桜の語り部だったんだ、そうなら、どうだろう、
「とのさんの細川さんは、この景色に桜は邪魔になる、みんな切ってしまえと命令したので兄弟桜はいったんはなくなってしまった、ということにしたららどうだろう、ほしてな、へいきっつぁんのこどもは兵隊にかり出されてみんな帰ってこなかった、その思い出桜を切らされた悲しみはふかかった。それなのに、一本桜があるのはな、こうするんだ、玉さんが復縁を認められて味土野から出るときに、へいきっつぁんの気持ちはよおぉわかった、義父とはいえむごいことをしてしもうた、お詫びに私が一本植えさせてもらうといってお手植えをしておいておくれたんだ、それを村の人たちは大事に大事に守り続けて、いまそれがみられる、だからこの桜はガラシャお手植え一本桜ということにしたら」とおもいました。
さて、2017年春、四月8日の状況。
つぼみまだ固し、咲くのにはあと一週間はかかるかも。
奇跡だ、

シシ垣もしないのにイノシシにも掘り返されず鹿にも食べられずに生育していること
それはむなしい励ましでなかったのだ。

大変貴重なミッションをはたしてくれたことにおくる感謝の言葉をどう表したらいいのだろう!
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とまあそんな気持ちて春を迎えております。グレートサンクス、今井由一さま!
さて、「希望」に生きることが、感謝の表し方ですよね、、、。
ちょっと回りくどくなりますが、メールで、オリンピックをひかえ、農水省が今年を「オーガニック元年」と位置付けて取り組みを始めている、とつぎのような農林水産省生産局農業環境対策課の話を添えて送られてきました。
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「はじめよう!オーガニックライフ」セミナー =食べ物が私たちをつくる=
私達がやろうとしていることはとってもラディカルです。私達は、食べたものからできている。これは、健康の話だけではありません。そうではありません。 「早い、安い、簡単」に価値を見る文化が世の中を覆っている。食べ物や、食べ方と一緒に体に取り込み、消化してきた大切なものがそっくりそのまま失われていっている。そういう話です。 大急ぎで食べ物を飲み込み、もっと多くを求めることが良いとされ、安い食べ物が好まれ、愛はスマフォで手に入ると思うようになってしまった。 そのすべてが、私たちの五感から、自然を、世界を、遠ざけています。しかし、繰り返しますが、私達は、食べたものからできているのです。
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キーワードはこの話の中に、あるようにおもいます。
とくに「私たちの五感から、自然を、世界を、遠ざけています」という言葉。
としたら、そこに応えられるのがエコツーリズム。
五感で、自然を感じ世界を認識しようとした俳句に働いていただきますよ。