緑の風吹く棚田、
里の花。
京都府特別環境保全地域に隣接する里山・,世屋の里が初夏の日を浴びて輝きます。
世屋の里のカントリーウオーク、いかがですか。
希望の方は宮津エコツアーツーせや・高山ガイド部会(090-7396-3659)へご相談ください、
旬のウオークコースをご提案します(^.^)
世屋・高山ガイド部会の活動ブログ
「アイノミドリシジミの宝庫だ、世屋高原の夏緑樹林は!」とMさん(前鳴き砂文化館館長)。
早朝6;30頃です、今世屋高原休憩所前を走っているが!とのお誘いをいただきました。
アイノミドリシジミの観察は年に一度、6月下旬から7月上旬のわずかな間、しかも、晴れの日の午前9時頃まで、そんな超レアーの逸品の観察、逃す理由はありません。
アイノミドリシジミは、ミズナラの梢に産卵します。アイノ君のオスはその付近にテリトリーを張ります。
侵入した個体を体当たりして追い出すのです。
その間に、チマキササにとまって休みます。
これほど近くで観察出来るところがあるのが世屋高原世屋高原のすごいところとMさん。
世屋高原の自然観察、「宮津エコツーせや・高山ガイド部会で承ります。
ご希望の方は(090-7396-3659)へご相談ください。
木子には、お宮をしのばす建物も石組みもありません。
それでも「宮の森」「宮ノ越」という地名は残ります。
ここが「宮の森」、奥が「宮ノ越」、と示される矢野さん。
ブナの交じった広葉樹林が囲み、何かがあったという感じは漂うところです!
かって木子では、神か仏か、二者択一の抗争があって、ともに川に流すというと極限の選択が行われて仏様が残ったと伝えられます。
薪炭に、製鉄用の燃料に、日常用度品から樹齢数百年の木材を大量に要する寺社城郭官庁建設までを賄う世屋高原の森と技能集団を、権力者が目をつけないはずはありません。その支配権を巡る抗争があったのかもしれません。
木子の「神様」は、宇川を流れて、ガラシャ伝説と交じり合いながら上野の神社で祀られています。
クサレダマが咲き始めました。 サクラソウ科オカトラノオ属の多年草です。
花の色から別名、イオウソウ(硫黄草)とも。
分布は、 北海道、本州、九州、朝鮮半島、中国大陸(東北)、樺太、千島列島(南部)、シベリア。
大形の草や木が茂らない湿原を持つ世屋高原には、 冷温帯の遺存種として残存しているということ。
その生育地が水質汚濁、湿地開発、草地開発などによって破壊され、それに伴い本種も減少し続け、今や「■京都府カテゴリー 絶滅寸前種 ■環境省カテゴリー 準絶滅危惧 (NT) ■近畿レッドデータブックカテゴリー 絶滅危惧種C」 に指定されることになりました。
保全には、湿地の遷移の進行を草刈りを行って人為的に管理することなどが必要だと言うことです。
下世屋の道端に咲くアジサイが、アジサイは「あずさあい」、集(あづ)・真藍(さあい)が語源。
「集(あづ)は集まる、真藍(さあい)は青い花」という意味だと教えてくれました。
八仙花(はっせんか)緑毬花などと書くと中国でも、アジサイとして理解されるそうです。
しかし、 「紫陽花」と書くと違う花になる!
梅雨の花に「太陽」?おかしいとは思っていたのです、それなのに日本で「紫陽花」は「アジサイ」。そのことについて、教えてくださったのが、hiroichiさん。※aobahigashi.web.fc2.com/ajisai2.html。
「唐代の詩人の白居易 ( 白楽天 ) が、舶来種の紫色のライラック(?)らしき花の名前を友人から訊ねられ、『 陽光に映える紫色の花なので、紫陽花とでもして置きましょう 』 と即興で答えた事が白氏文集・紫陽花詩に記されているらしく、それを読んだ平安時代中期の学者 源 順 (みなもと の したごう) が、『 紫陽花 』 とは 『 アジサイ 』 を意味する漢語だろうと誤解、それが今も アジサイの漢語表記として通用している」ということです。
納得です、紫陽花はアジサイではない、アジサイは「あずさあい」、集(あづ)・真藍(さあい)>
としたら、そんな間違いを放置することはよろしくない!
教育的にもよろしくない、日本が変になりますよ(`ヘ´)
なあ、はなかけじぞうさん。
「集真藍」にした方が 源 順 さんの寝覚めもいいのではないでしょうか。
消えた村・木子の里を埋め尽くす夏草。
(↑ 手前はひこみずの泉。木子の末期の水だったと言うこと)
しかし、その江戸総攻撃にうつろうかと押し寄せる官軍のような夏草も、埋め尽くしかねている花群。
夏草の大将が、埋めるな!と指示しているかのようです。
家は絶えても、残った心が咲いているのでしょうか。
(↑ えーっと この花、なんというはなでしたっけ、教えてください)
さて、木子のお寺、旧「教念寺」の庫裏を借りておられる方がおられますが、名字は「木子」さんということ、ほんとです、矢野さんが紹介してくださいました、なんでも、明治以前から木子に由来があって、明治3年の平民苗字許可令、後に明治8年2月13日「平民苗字必称義務令」のさいに、「木子」という名字を頂戴したいと申し出られたということです(^.^)
花といい、名字といい消えた村の歴史を辿る扉のような気がする「なにこれ木子の珍百景」。