宮津エコツアー · 世屋・高山ガイド部会

世屋・高山ガイド部会

世屋・高山ガイド部会の活動ブログ

2013/05/31

米作りと切っても切れない関係なのがカエル君。カエルの話しはたくさんありますが、これはのどかでかつしたたかな知恵があって実におもしろい(^.^)徳之島に伝わるカエルの話しを水野 修さんが再話されています。美しい文章です。読み聞かせのつもりで声を出して読むとそれがわかります。

IMG_4145

「カエル息子」

昔、あるところに子供のできない中年の夫婦がおりました。  ある日、主人が牛をひいて山へ薪取りに行く途中のできごとです。  「おとうさん!おとうさん!かわりに山へ行ってやるから牛をおいて帰れ」  と、うしろの方でさかんに呼びとめる者がいたのです。  「子供のいないワシに向かって、おとうさん呼ばわりするとはどこのガキのいたずらだ」  そうつぶやきながらふりかえって見たのですが、それらしき人間の姿はどこにも見あたりません。  「不思議なこともあるものだ」  おやじは、ひとりごとをくりかえしながら立ち去ろうとすると、また同じことばが彼を呼びとめているのです。よくよく注意してみると一匹のカエルが地面にはいつくばったままの姿勢で、しきりにおやじへ呼びかけているのでした。  こんな小さなカエルが…?。  しかし、カエルのくせに人間の言葉をしゃべることができるのだ、と考えなおすと、カエルのいうとおり牛をおいて帰ったのです。  「カエルに牛を引かすなんて、あんたものんきな人だよ」  おやじは、妻女の小言をききながらお茶をすすっていました。  すると、先のカエルがちゃんと牛の荷をこしらえ、それを引かせ帰ってきたのです。  驚いてばかりいる夫婦の目の前で荷をおろし、適当な長さに切って、まさかりで割っています。  またたくまに庭一面に薪が割り干されました。  こんなことがきっかけとなって、カエルは中年夫婦の息子になったのです。

IMG_4107

年月が流れました。  カエル息子も嫁を欲しがる年頃になったのです。嫁のきてがあろうかと案じる両親に向かって  「なあに、心配することないさ。自分の嫁は自分でさがす。そのかわり、三合の酒と重箱一杯の餅をつくって下さい」というのです。  さっそく、いわれたとおりのことを準備してやりました。  カエル息子は、それをかついでピョンピョン飛びはねながら嫁御さがしに出かけて行きました。   日の暮れかかった頃、どこかの村にたどりつきました。  そして、 その村一番の美しい一人娘のいる農家へはいって行って一夜の宿を頼みました。  ところが、農家の主人は、  「お前のようなカエルに宿をかすことはできない」  と断るのです。  それでも、カエル息子はあきらめないで  「床下でもかまいませんからぜひお頼み申します。実は、嫁御さがしに行く途中なので、ここに三合の酒と重箱一杯のもちをかついでいるのですが、どうか、これだけは家の中にお預かりいただきたいのですが」  農家の主人はいやいや顔で承知しました。  さて、カエル息子は農家の人たちが寝しずまるのをまって、のっそり家の中にはいあがって行きました。そして、あずけておいた品々を盗み出し娘の寝室にまきちらしておいたのです。

IMG_4106

あくる曰の朝のことです。  農家の主が起きだすのを待ちかまえていたカエル息子は、なにくわぬ顔でいいました。  「どうもありがとうございました。これから嫁御をさがしに出かけますので、夕べおあずかりいただいた品を返して下さい」  農家の主人は、いとわしいというような顔つきで家の奥にひっこんで行ったが、カエル息子から預かった品々がなくなっていることに気づくと「チョーシモウタ」と連発しながらあわてだしたのです。総動員で家中をひっかきまわしたあげく空のビンと重箱が見つかったのは一人娘の寝室でした。  てっきり、自分の一人娘が食べてしまったと思い込んだ農家の主人は、何くわぬ顔で「どうしたのですか」と問いかけるカエルに対して、  「実は、夕べあずかった品々をわしの娘が全部たいらげてしもうているわい。チョーシモウタ チョーシモウタ」  と答えながら娘の愚かしさをくやしがっています。  すっかり困りきっている主人とは反対にカエル息子はたいへんな喜びようです。  「それは、ありがたいことです。お宅の娘さんが私の嫁女にきまったわけですね」  なるほど、カエルのいうとおり、先方の酒やモチを飲み食いしたかぎり、その娘は、必ず相手の嫁にならなければならないことは村の《掟》になっていたのだから仕方ありません。   足取りも軽く家路を急ぐカエルの後から美しい娘さんが歩いています。  村はずれのさびしい山道にさしかかった時のことです。道端に大きなハガマのお風呂が沸いていました。  カエルは、後からついてきた娘にハガマの蓋をあけてもらい、さっそく、湯につかりました。すると、みるみる人間の姿に変わり、かたわらに置かれていた着物をつけ帯を結ぶと島一番の好男子に早変わりしたのです。  「お前の両親は、私のことをカエルだとあなどって床下にねかせたぐらいだからさぞかしお前も私を嫌っていることだろう。さっさと帰ってもよいぞ」  「あなたの策略にまんまとひっかかったとはいえ、ひとたび夫と決め、ついてきたのですから、はい、そうですか、といって簡単に帰るわけにはまいりません」  そういうわけで、ふたりは仲よくカエル時代に過ごした老年夫婦の待つ家に帰って行きました。  「こんな立派な息子が、しかも、きれいな嫁御まで伴って…? 人ちがいでございましょう」  かつて、人間の子供を育てたことのない老人夫婦は、何かにとりつかれているのではないかとお互いにつねり合って神経の正常な度合を確かめ合ったりしました。  ところが、目前の若者がカエル息子の生まれ変わりの姿だと知ってたいへん喜んだのです。  「さてさて、もっと喜んでもらうことがあります。大事な大事な親たちも、かわいいかわいい嫁女も、ちょっとの間、家の近くを離れていなされ」  生まれ変わりの息子は、みんなが家の近くを離れている間に、「家、倉ふやせ!」と、となえながら〃テンチクノゴーキン〃という金棒で大地をゆさぶりました。すると、天トウガナシ(天上)から立派な家や高倉などが落ちてきました。  次は「チジマシふやせ」と、やったのです。こんどは田や畑がどっさり落ちてきました。  おかげで、みんなが安心して暮らせるようになったのだそうです。

一年は夢のように過ぎさりました。

若い夫婦の間に子供ができたのです。  さっそく、嫁女の里親たちへも使いを出し《へそつぎの祝》にご出席いただくよう招待しました。

その日のことです。  里親たちは「あんなカエルと一緒になって、まともな暮らしはできないだろう。その上、子供まで生まれたとあってはなおさら困っているはずだ」 と早合点してしまい、おしめがわりにとボロなどをかき集めてやってきました。  ところが、門口に立ってみると想像もつかないほどの立派な屋敷がまえだったのです。  見舞いの品として準備してきたボロを門の外の茂みに隠し、かえって、自分の身づくろいを気にしながら入って行かなければなりませんでした。へそつぎの祝は島一番といわれたほどの盛会だったそうで、また、その後、両家の一族は大いに栄えたとの話です。  (昭和四十五年十一月徳和瀬にて 重久米豊さんから聞いた)             www16.ocn.ne.jp/~shiokaze/kaeru.html

世屋の里の棚田にも、こんなカエルがいっぱいいますよ(^.^)

 

2013/05/30

素晴らしい看板に出会いました。山・里・水・子ども、、、大切な物がしっかりとつながった内容、すごい詩人がいらっしゃるものです。

IMG_4280

「黄金」は、小金山のこと、舟木の里は、その「小金山」の麓の里です。

カネは、製鉄との関係、あるいは「カマ」に通じて峰の意味、「カミ」に通じて神座の山などが考えられると、澤潔先生。

416mの山頂には、小金山神社があります。海からもよく見えるので、沖からの目印として猟師さんの信仰を集めているそうです。

2013/05/30

紅白まんじゅうのように並んだヤマボウシとタニウツギ。

IMG_4295

タニウツギを「ひいなご」と弥栄町舟木ではよんでいるとのことです。

ヤマボウシ、今年は花付きがいいようです。

IMG_4296

秋の実が期待出来ます。果実酒にいいそうです。

2013/05/30

エゴの木の下にいると、花の雪が降るようです。と思いながら見ていると、ウグイスが鳴きました。

「ウグイスや 花の雪降る 木陰から」

IMG_4351

エゴ落花 笹に載りたり 「ハナイカダ!」

IMG_4338

 

2013/05/29

ヨメナ?なら秋。

IMG_3992

野春菊と呼ばれているのがこれ、ミヤマヨメナ(深山嫁菜)。初夏に咲きます。

IMG_3995

名前の通り、「山深い里や谷の水気の多い日陰に咲きます。木子のお寺の石段付近に群生していました。

IMG_3998

新芽や若芽は食べられるそうですから、世屋の「土産(おい)しい」ものリストに入れましょうか(^.^)

2013/05/29

♪ 真っ赤だなまっかだな つつじのはながまっかだな!とうたいたくなる「やまつつじ」通称アカバナ。

IMG_4293

このやまつつじ、6月のウオーク&イートで、対馬シェフに「勝負」してもらいます!

日本の野生ツツジでは分布域がもっとも広い日本の野生ツツジの代表種。生育地が、「 低山地の疎林内、林縁、日当たりのよい尾根筋、草原」つまり、里山、おまけに花は食べられるので、多くの思い出を詰めた日本人の心に咲く花だと思います(^.^)。

IMG_4292

例えば、、、、、、これ。

|しずえばあちゃんの回想録 “We Can Do It !” ・・・・・・ 田舎の雑木林の下草として、オレンジの花が若葉色に混じって咲き始める。 この頃になると友達とわくわくしながら「ツツジ狩り」に出かけた。 ツツジの枝は、先端にすっと一本だけ伸びて、その先に数輪の花をグチッと付ける。 その葉の付いていない真っ直ぐな枝を折って、それにヤマツツジの花をちぎって差し込んでいく。 ツツジの花は合弁花でラッパ状である。 花の根元をすっと引っ張ると、めしべやおしべはがくにくっついたまま枝に残り、 花びらだけが抜ける。それを串差しにして摘んでいくのだ。 これを何にするのか?首飾りか?違う。 食べるのだ!かぶりつくのだ! おいしいのだ!ほのかに甘く、ほのかに酸っぱい。

誰が教えてくれたのか、きっと兄だったように思うが、「ヤマツツジ」は食べられる。 これは私たちにとっては魅力的だった。 大量に食べるわけではないが、雑木林の道端に入り込んで、花摘みをする。 ちょっと少女っぽくって、お遊びっぽくって、冒険っぽくって、 桜が終わったあとのちょっとしたイベントだった。 ・・・・・・・・・ameblo.jp/shizuegrandma/entry-11526039742.html

、、、、、この通りです。

2013/05/29

「マタタビの葉が白くなりました」と書くと、マタタビ、してやったり!といった表情をするのではないでしょうか。

目を引いた、大成功!と。

IMG_4183

ただし、引きたいのは虫の目。

IMG_4189

花は、白く変色した葉の側にあるのです。

2013/05/29

紫色の美しい花の刺さった花の棒、といったらいいのでしょうか。ハマウツボ。

IMG_4210

カワラヨモギから栄養をもらうので、葉は退化しています。この頃のカワラヨモギは葉の両面に密生した灰白色の絹毛が美しいです。

カワラヨモギとハマウツボの二人、なぜコンビを組むようになったのか、研究されている方がいらしたら、教えてください。

IMG_4207

さて、ハマウツボ、日本海の府県では、大半が絶滅危惧種に指定しています。

未指定なのは、島根と青森それに京都。

京都府の場合もカワラヨモギとワンセットの良好な砂浜環境を持つところは数カ所しかないと思いますが、、、どうなんでしょう(^.^)

2013/05/28

近畿・東海も梅雨入りとのこと。

IMG_4261

エゴの木に産んでいました。池にせりだしたの梢から「かっかっかっかっか」とせわしない鳴き声が聞こえてきます。メスに木登りを促す鳴き方です。 モリアオガエルは、産卵するときも、オタマジャクシが水に落ちる時も梅雨が必要なのです。  今週は4,モリ青ウイーク!  晴れが続き、様子を見ていた彼らもこれから一斉に産卵を始めます。

水面を覆っているのは、オヒルムシロ。

IMG_4267

関西以西では稀、東日本に多いとされているようです。兵庫県では、絶滅危惧一類。

[万葉名:たはみづら(多波美豆良)]とされているのが、 ヒルムシロとのこと。

あわをろの峯ろ田に生はる多波美蔓(たはみづら) ひかばぬるぬる 吾を言な絶え

「安波の峰の岡の斜面に作った田に茂っているたはみづらのように、引けば素直に私の方に寄って来て、仲を絶やさないようにしてくれよ」

作者不詳 巻十-3501

※ ところで、このヒルムシロ、土産しそうに見えます。食べられるかどうか、研究されている方がありましたら、教えてください。

2013/05/28

「鍋淵」を案内できるか。 橋立ワイナリーのKさんからの突然の紹介でした!

IMG_1276

訪ねたいとおっしゃる方は、羽衣伝説を伝える弥栄町舟木は奈具神社の氏子総代をなさっている坪倉さん。

IMG_1229

25日、ご案内しました。年83、けれどもしっかりと急坂を降りる足取りは年を感じさせませんでした。

IMG_1283

羽衣と鍋淵?!わからないながら、道々話しを伺っていると、こういうことでした。

きっかけは、聖大神(ひじりのおおかみ)を祀る大阪の聖神社の神官様より、丹後の長谷や味土野にあった聖神社は今どうなっているか調べてほしいとの依頼を受けたこと。

尋ね歩いたところ、それは今は 上野にある6社神社にあると言うことが判明した。

さて、それはそれ、一件落着のところ、この神社はもともと四社だった、二社は新しくくわわったもので、木子から流されてきた神さんであるということだ。たんかふしには木子の鍋淵から流れてきたとある。その鍋淵をみたいものだと思いが膨らんでいた、とおっしゃるのです。

IMG_1338

聞き及んでいたとおりの丹後の秘境だ、 エベレストに挑戦した三浦雄一郎さんじゃないが、思い立ってよかったと喜んでもらえました。

わたしも流れていったというのはきいていました。木子のなべ淵についてあらためて、古志を見ると、こういう記述があります。

「元より一向専念の宗門なれば其宗意に従ひて古より祭り来る氏神の社をも毀たんとす、中には社は毀つべからずといふものあり、論議二途に分れて決しがたく遂に其霊験を試みんとて神体と名號を流に投ず(此處をなべ淵といふ岩に名號を刻して村人毎に礼拝す)然るに其名號は水流に遡り独り神体のみ流れ下る、」

この先が問題です!

IMG_1373

「竹野郡宇川の庄に元四社大明神あり、其別当深蟻といふもの二社の神体川に流る(木子駒倉の川宇川の庄に流る)を拾ひて四社大明神に合せ祭る、今上野に在る六社大明神是なり、事は承永三年九月朔日にあり即ち六社大明神の祭日なり。」

IMG_4190

(↑ 丹後町上野 六社神社)

確かに、木子駒倉の神さんは宇川を降っていらっしゃいます。 宗教対立に破れ、村を去った人たちがあり、その人たちは、縁戚を頼って宇川の里に移り里を拓いたということなのでしょうか。

それにしても、流れていった先から訪ねてこられた方は初めてです。あらためて丹後は海から山まで一つにつながっている、蛇が尻尾も頭も別でなく一体であるように、川も、海につながる河口も空につながる源流も一体なのだと、認識をあらたにさせてもらいました。 また、聖神社というのは渡来氏族の信太首(しのだのおびとの祭社、探鉱の技術を持っていて、元号を和銅に変えた銅鉱脈を発見したのも彼らだった、彼らが動いたのは慶雲年間の事だといいます。この慶雲は、上世屋が開かれたとされる年代です。妙に生々しく歴史が妙に生々しく動き始めてきた感じがしました。

労作「丹後の聖神社の今を訪ねて」の探訪記をいただいています。興味のある方、お分けさせていただきます。ご連絡ください。

« Older entries § Newer entries »