宮津エコツアー · 世屋・高山ガイド部会

世屋・高山ガイド部会

世屋・高山ガイド部会の活動ブログ

2013/02/18

気候は標高と緯度に比例します。北海道稚内は関東の山では標高1500m付近。標高500mの世屋の気候は北陸・東北に相当すると言います。

(↑ 2/16 松尾田んぼから若狭湾)
18日11時現在の気温
最高   最低
舞鶴   8         2
新潟   6         0
酒田   5       -1

標高100mにつき、0.6℃の理屈ですから、海抜0mの舞鶴が8℃なら、標高500mの世屋は5℃。山形県の酒田市に相当します。
つまり、この景観は、山形県から京都府をみていることになります。

積雪量?郵便車に聴いてください(^.^)

ついでにもう一ネタ、「 まわれー右!」していただきましょう(^.^)
旅行村からの切り通しを越えると、「山形県」。

木子高原です。鍋淵は中央にあります。宇川源流の谷が中央に刻まれているにもかかわらずなだらかで、平原のように見えます。

隆起の速度の方が浸食作用より早いので、このような形になったといいます。

地学用語では、「隆起準平原」、京都府の登録地形の一つです。

「山形県」での交通手段はこれ!

 

 

世屋高原でスノーシューウオーク京都新聞記事

2月17日、世屋高原集会所に集合して、早春の木子・オオフケ湿原の前山一回りコースに出発しました。

世屋高原休憩所に集合

一昨日からの降雪で、しまった雪の上に20cmほどの新雪、そしてお天気も上々、ベストコンディションです。

新雪の上を気持ち良く歩く

山頂では、Kさん特製の熱いゆず茶をいただき、おいしい顔です(^_^)v

ゆず茶をいただくおいしい顔

そして、思い思いに新雪を楽しみ、世屋高原の冬・雪を堪能しました !(^^)!

思い思いに雪と遊ぶ

雪の大平原で記念撮影 (^_^;) 遅れて出発の3名様と撮影係さんは写真に収まらず、失礼 (^_-)

大雪原で記念撮影

そして、合力の家(こうりょくのいえ)へ下り、囲炉裏のそばでお待ちかねの世屋特製ランチ(*_*) 、 具だくさんのシシ汁と山菜てんこ盛り、今話題の丹後の山からのミネラルで育つ海藻アカモク、決めはやはり上世屋特産無農薬栽培・天日干しのコシヒカリです (^_^)v さらにイノシシ肉の炭火焼きがサービスされました (*^_^*)

合力の家で世屋高原の幸満載の昼食

のんびりしたあと、世屋の里を巡り、雪かきの合力(こうりょく:お手伝い)を行いました。雪かきの合力(お手伝い)

今年は雪が少なくて、でもまだ家の周りにはたっぷりありますが、あちこちに春の風情が出てきています (*^_^*)                            <midorimushi>

2013/02/17
世屋の里は、暦の上とは知っていても春は春、ほんとの春の待ち遠しいことよとうたう「早春賦」がぴったりの風情。

1.
春は名のみの 風の寒さや
谷の鶯 歌は思えど
時にあらずと 声も立てず
時にあらずと 声も立てず
2.
氷解け去り 葦は角ぐむ
さては時ぞと思うあやにく
今日もきのうも 雪の空
今日もきのうも 雪の空
3.
春と聞かねば 知らでありしを
聞けば急かるる胸の思いを
いかにせよとの この頃か
いかにせよとの この頃か

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しかし、木子高原は、春の立ち入りを頑と拒むように「冬」そのもの。


そんな高原をステージに今日(2/17)はスノーシューウオーク。

風が収まり日差しは薄日程度、その上しまった雪の上に新雪が積もり、これ以上望むことのないコンディション。

遠くは滋賀県、京都市内、未明より出発して参加していただいた方、ユース、海星、鳴き砂などでエコツーリズムに関わっておられる皆さんを歓迎して、木子の森は神聖な深奥部まで誘ってくれました。
所用時間約二時間、周辺の山々の冬のたたずまい、 ゆきのうえの、リスやウサギ、狐など森の生き物の生活痕、梢のクマ棚、森の相、樹種などを楽しむことができました。

また、カヌーインストラクターの北村さんが見せてくださったスノーシュー「ラン」の妙技、感動しました。

合力の家では、囲炉裏に地元産の具たくさんのお汁、


中の肉、うん!これは?
「イノシシ」
安くて量があって温かいもの、何と気ままな注文をしたものですが、心づくしの冬のおもてなしに心が温まりました。

作りたて手作りこんにゃく、ミソなども好評完売(^.^)

エコツーリズムを「環境旅行」と訳すそうです。直訳過ぎてよく分かりません、世屋流に意訳すれば「世屋の天然たちと地域の暮らし、そしてお客さんたちとの縁結び」と言うことになるのでしょうか。
世屋の里に植えられた「エコツリー」活着しています。

 

2013/02/17
見守る鎮守の森は世屋姫さん。等高線を刻む棚田の畦、、、

京の町屋を駐車場に?オーノー、二度と同じものは作れません。
天の橋立、真ん中を切ったら阿蘇海が蘇る?オーノー(^.^)
棚田のこの景観も壊れたら二度と作り直せません!
うつくしいわぁ、、、、、、、とせやのモリアオガエルがつぶやいたとか、、、。

 

2013/02/17
「明日悲別で」宮津公演が24日、 海星公園の関係者の方から、公演について連絡がありました、「まだチケットに余裕がある、買ったか、他にも紹介してくれ」。

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「悲別」と書いて「かなしべつ」と読む。閉山した炭鉱の町だが、実在はしない。脚本家の倉本聰さんがつくり出した架空の地である。まだ貧しかった戦後の時代、這い上がる日本を地の底から支えたのがヤマの人たちだった
▼国が豊かになるのと入れ違いに炭鉱はさびれていく。倉本さんが「悲別」を舞台に、失われてゆく故郷(ふるさと)と人間模様をドラマにしたのは1984年のことだ。以来29年、今度は炭鉱に原発を重ねた劇をつくり、全国ツアーが始まった
▼その「明日(あした)、悲別で」を見ると、国策に翻弄(ほんろう)されて悲哀をなめ、怒りにふるえる個々の存在がつきつけられる。国の舵(かじ)取りにもまれて、使い捨てにされる人間。名もない人々の一語一語が胸に刺さる
▼閉山で去る労働者らは坑内に刻む。「我ラ世ニ遅レ不要ト言ハレタリ ヨッテ此処(ここ)ヲ去ル 文明我ワヲ踏石ニシ高所ニ登リテ 踏石ヲ捨テル 踏石ノ言葉既(すで)ニ聞クモノナシ」。誰にも起こりうる痛みを分かち持ってほしい、と倉本さんは言う
▼現実に戻れば、原発事故で故郷を追われた多くの人は、帰るめどが今もたたない。なのに、原発への関心や、共有は薄れてきたようだ。総選挙でも主役は経済が占め、原発は脇に追いやられた
▼炭鉱や原発に限らず、人が軽くみられる社会で希望を探すのは難しい。足尾鉱毒を告発した田中正造をまねて言うなら「真の文明は人を棄(す)てざるべし」であろうと、舞台を見終えて考えた。もうひと月で、3・11から2年の日がめぐってくる。   2/11天声人語

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倉本さんは、「誰にも起こりうる痛み」とおっしゃいます。そのとおりです。薪炭を産し、町の暮らしを支えた世屋の里も「ヤマ」です。「ヤマ」をたたまざるを得ない悲哀。薪炭のヤマと石炭のヤマとが味わった悲哀は、時間差こそあれ、精神的な位相は、共通しています。

倉本さん、「それでもほんとうに神様はいるのか」と問います。ヤマに生きたおためさんは、「上世屋のお観音さまは、ねぎゃうごとをようきいとくれるええかんのんさんだ」といいました。どこがかみ合い、どこが違うのでしょうか。ステージを見ながら考えたいと思っています。、、、、、、、
もちろん買ってると答えました。まだのかた、ぜひみてください(^.^)

2013/02/16

「ディスカバリー、臨時停車しただ?こんなとこに駅があったきゃあな!」

(↑ 京丹後から内山 11,52)

「そうだあな、車内放送がきこえようが、右をご覧ください、丹後アルプスの冬の姿、ゆっくりごらんください!」

撮影データは、1/1000 & 18。これじゃ、臨時停車してしまいます。せめて、1/60。

あっちゃあ、です。消化不良なので、一時間後。

(↑ 明田から内山 12.55)

あの峰が、明日の、スノーシューウオークを待っています。

天気予報は晴れ。こんな顔して迎えてくれるはず(^.^)

(↑ おおふけから岳 14,10)

 

2013/02/16
初冬からの雪がつもり重ねて、一メートル二メートルの根雪となる多雪地では、はだれ・班雪現象はこち・東風の吹く3月から。


その班雪、今年は、寒波の数だけ見られます。

白銀の雪化粧から「はだれ」がみえて、さらにまた、銀世界、その繰り返しをみるのもまた、少雪の年のおもしろさです。

雪ははよ解けるほうがええでぇ、とバス(^.^)

 

1

2013/02/15

3月3日、情報発信力講座のチラシができました。3月3日は上世屋に行こう、メールネットなど、お知り合いへの情報発信に生かしてください

講師でお願いしている京都新聞宮津・京丹後支局長の石崎さんは、エコツーリズム先進地・滋賀県高島支局にも勤務されていました。丹後の観光発展にも深い関心をお持ちの方です。この機会をぜひ生かしていただけたらと考えています。情報発信力講座案内ポスター

2013/02/15

森は海の恋人!
山と海のつながりの強さを言い得て妙。このたった三文節の言葉のまとまりが、植樹参加者毎年数千人を気仙沼に呼ぶと言います。この言葉を知ることで何かが起こるのです。じっとしていられなくなるのです。えらいことです。これが言葉の力と言うことなのでしょう。

『地域と人 伝えるしごと』、「情報発信力講座」でお話いただくタイトル。講師の石崎さんは、~言葉の力を生かそう~とサブタイトルを付けられました。

言葉は不思議な力を持っている、それは確かなことです。3月3日に期待が膨らみます。

クリックすると新しいウィンドウで開きます

ところで、草野心平さんにも、そんな言葉があると言います。

「あいつが死んでからあの時のあいつの一と言が。
音楽よりもかなしく強く。
いまはおれのからだのなかでさざなみになる。」

「かおも恍惚も忘れたのにどうしてだろう。
そのひとことだけが思いだされる。」と。
「エレジー あるもりあおがえるのこと」
という詩の中にその一節はあります。
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あいつはあの時。
(そうだ。もう六年も前のことになるのだが。)
あいつはあの時。
つぶやくように言ったっけ。
美しいわ。
と。
たった一と言。

水楢の枝にしゃがみこんで。
はっぱのしげみにお尻をのっけて。
そうしておれは。
あいつの三倍も小さくすすぼけた色をしてしびれていたが。
美しいわ? なに言ってんだいとぼんやりおれは。
おっぱい色のもやのなかでわらったものだ。
眩暈するほどの現実のなかで。
恍惚のなかで。

けれどもどうやらはなしはちがってきた。
六年もたったせいかおれの考えもちがってきた。

美しいわ。
あいつが死んでからあの時のあいつの一と言が。
音楽よりもかなしく強く。
いまはおれのからだのなかでさざなみになる。
美しいわ。
の一と言が。
どうしてだろう。かおも恍惚も忘れたのにどうしてだろう。
そのひとことだけが思いだされる。

原始の林とあやめ。横倒しになった楡の古木が水に映るこんなしずかなすき透る沼から。よその土地の者等がやってきて。半分もの好きなアヴェックがあいつをバッグにつめこんで里に降りバスに乗って帰ってゆき。そうして裏の水溜りに放したそうだ。そうだということはおれたちの世界では電波みたいに分るのだ。それからあいつは鳴くことをやめ。あんなに好きなソプラノを遂いぞ歌わず。そうして生ぬるい泥っぽい水のなかでベロを出して陀仏ったそうだ。だれに出したベロ? そのベロ。
そんなこともおれたちの世界では電波みたいに分ることだ。

オリーブ色のあいつの背中。
もうあの背中から夢はもうもうとたちのぼらない。
あいつの背中にかわる背中を。
おれはずいぶん経験した。
けれどもあの時の。
美しいわ。
そんな言葉はあの時がたった一度の経験だった。
恍惚をはぎとるようなそんな余計なたわ言を。
あのさなかに。
どうして言ったか。
おれは片方の眼だけひらいて。
なにほざいてんだと言おうとしたが。
言わずにひらいた眼もとじた。
その通りでそれはよかった。
それがおれには正しかった。
けれどもいまになっておれは切なく思うのだ。
黒い点々のいもりの腹にどれだけ毎年。
おれたちの子たちはのみこまれるか。
また里につれられてったあいつのように。
どれだけ毎年。
おとなも死ぬか。
美しいわ。
とあいつが言ったその時。
あいつのからだの中から千も二千ものあいつの子たちが。
おれたちの子たちが。
沸いていたのだ。
そうしておれとあいつの共同が。
水楢のはっぱに。
子たちを包んだ白いまぶしい泡のかたまりをつくっていたのだ。
恍惚よりもあいつはその時。
生むよろこびと。
そして生もうとする意志の愛(かな)しさを。
美しいわ。
といったにちがいないといまになっては思えるのだ。

ああ死んだくみーるよ
おれはいま。
くみーるよ。
おまえも知ってる北側のあの三本目の。沼につき出た太い水楢の枝の上から。
方々にぶらさがっている電気飴を眺めている。
さっきにわか雨があって。
いまは晴れ。
あやめの紫は炎に見える。
そよ風だよ。
くみーるよ。
お前が好きだったそよ風だよ。
こんな風景なら鈍感なおれにも美しい。
お前はこんな時には。
天からもらったソプラノで。
あの古風なホームスウィートホームをうたったものだ。
いまそよ風に。
われわれの百五十もの綿飴はかすかにゆれる。
美しいわ。
お前の言葉を思い出す。
お前の言葉はなんだか生きてるような思いがする。
お前の言葉はなんだかおれに勇気をくれる。

(ああ人の声。)

人間たちが登ってきた。
生ま木のステッキなどをふりながら……。
おれはしばらくぴったりここに。
動かずにいる。
じゃ。
さようなら。
くみーるよ。

さようなら
・・・・・・・・・
17日のスノーシューウオークでは、モリアオガエルの産卵池を、森からカエルの視点で見ることができますよ。

 

2013/02/14
生きかわり 死にかわりして 打つ田かな (村上鬼城)
「目の前 にみる田んぼとそこで田をうつ人、しかしその後ろに目にみえない、家族と村落の社会学 の本質を、たった17文字の中に凝縮しているように思える」俳句だと現滋賀県知事嘉田さんが滋賀県立琵琶湖博物館 総括学芸員時代におっしゃっていました。


苛斂誅求の時代も米を納め、気象災害の時は立ち向かい、あるいはしのび、あるいは考えて道を拓き、死にかわって生き代わって田を守り一生を終えていった里の人たち。世屋の里の場合、慶雲上人に率いられた一団による開村を704年としています。現在2013年、その間1300年余、一代20年としたら、世代の数、60代!「目に見えないけれどあるんだよ」とおっしゃっているわけです。

おためさんもその一代を担った一人。そのおためさんが、根付け籠もりや雨乞いのことをかたってくれました。

「かみせやのお観音様は、ようねぎゃあごとをきいとくれる値打ちのあるおかんのんさんだわなあ。
【根付け籠もり】
田植えをすませたら、根付けごもりゆうて、ぐあいよう根をつけてもらうよう二晩籠もって頼んだんだ。女は、お宮さんには参られんで男ばっかり、女はご飯を炊いてもっていくだけでした。


【雨乞い】
それから、お観音さんに、雨をおくれゆうて頼んだら、おくれた。雨乞いの時は、朝はお宮さん、午後は観音さんで、お千度をあげたんだ。お千度ゆうのは、竹を割って、盆踊りみてぃゃあに輪になって、中にコモをして、その上に年寄りがおって、そこへ竹を10本ずつ、千本になるまで投げるんだ。それを年寄りが数えておって、千本になったら、ほい、もうええど、ゆうて教えただ。
それでもあかんときは、太鼓をもってあがって、それを雷の代わりに、火をたいて稲光りのかわりにし、青年が滝の上に上がって、そこに木で堰を作って、裸になって水を村中へほくっただ。だ、おっさんは観音経を詠み上げとるだ。最後にその堰をどおっとながしただ。そうしたら、じきに黒雲がわいてきて、雨が降ったもんだで。それだけは重宝に不思議にようきいとくれたもんだ。」
(1975, 上世屋小中 育友会誌)

1300年余の時を、米作りと「お観音さん・お宮さん」は、しっかりと結び合って旅してきたのです。

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