宮津エコツアー · 世屋・高山ガイド部会

世屋・高山ガイド部会

世屋・高山ガイド部会の活動ブログ

 ♪遠き山に 日は落ちて星は空を ちりばめぬきょうのわざを なし終えて心軽く 安らえば風は涼し この夕べいざや 楽しき まどいせんまどいせん

20210719_191225あか

 「家路」(いえじ、Goin’ Home)

この、アントニン・ドヴォルザークが1893年に作曲した交響曲第9番『新世界より』の第2楽章「ラルゴ (Largo)」の主題となる旋律に基づいて、ウィリアム・アームズ・フィッシャー(英語版)が1922年に作詞、編曲した歌曲、合唱曲。

遠き山に 日は落ちて星は空を ちりばめぬ、、、、堀内敬三さんの訳詞です。

(※堀内 敬三 は、日本の作曲家、作詞家、訳詞家、音楽評論家。「あやしいぞ」をもじった安谷 鎮雄という筆名もある。!)

さて、ウィリアム・アームズ・フィッシャーが1922年に作詞、編曲した歌曲、合唱曲の訳詞、実は、堀内さんの専売ではなく、 ♪春はまだきの 朱(あけ)雲を     宮沢賢治を始めとして多くの幅広い人によって、訳が試みられています。

20210719_190941アカ

この歌を日本人がどう受け止め、どう広げたのか、について、以下ウィクペディア のまとめ

、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、

日本語の歌詞​[編集]。
宮沢賢治「種山ヶ原」- 春はまだきの 朱(あけ)雲を[16] 1924年の作詞とされるが、公表は後年[17]。

(作詞者不明〕「秋の姿」- あききぬすずしくははぬれ 日本国民音楽教育連盟 編纂『現代国民音楽教育 第一集 紅き雲』(1930年)所収[17]。

牛山充「歸郷」- かえらんいざやふるさとに 若狭萬次郎 編『新男子音楽教科書 第三編』(1934年)所収[17]。

西原武男「夕陽の沈む頃」 奥田良三のSP盤(1935年)[18]。

佐伯孝夫「家路」 杉町みよしのSP盤(1936年)[18]。

瀬沼喜久雄「家路」- 故郷(くに)へかへる よろこびに 東京教育音楽研究会『新撰女声曲集 第五巻』(1937年)所収[17][19]。

津川主一「家路をさして」- いざや帰らん 故郷へ 津川主一 編『合唱名曲撰集 女声篇 第四巻』(1938年)所収[17]。

水田詩仙「ふるさとの夢」- ゆめはたのし ふるさとの 黒澤隆朝、小川一朗、林幸光 編『改頃訂標準女子音楽敦教科書 第四編』(1939年)所収[17]。

野上彰「家路」- 響きわたる 鐘の音に
久野静夫「家路」- 森のこずえ 暮れそめて いち早く1952年に音楽教科書に掲載された[19]。

20210719_190951

堀内敬三「遠き山に日は落ちて」- 遠き山に 日は落ちて 作詞された時期には諸説あるが、流布したのは戦後であり、最初に音楽教科書に掲載されたのは1962年である[19]。
さらにこれに基づく琉球語の歌詞が佐原一哉によって作られている。

木田みさを「ふるさと」- 夢に思う ふるさとの
高田三九三「家路」- 家路さして 帰り行く
峯陽「家路」- 遠い山も たそがれて
越悠理子「new world ~願い~」- 羽を休めた 鳥の様に[20] largoのシングル(2000年)。アルバム『a song』にも収録(2001年)。

本田美奈子.「新世界」- 時は待たず 過ぎてゆく[21] 本田美奈子.のシングル(2004年)[22]。

平原綾香「新世界」※歌い出しは原曲の中間部のメロディーを使用。 平原綾香のシングル(2009年)。アルバム『my Classics!』にも収録(2009年)。

、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、

みんな聴いてみたいですね。

20210719_191025ゆうくも

その場所は、、やはりここしかないでしょう!

音楽活動46年記念のアルバムを編集した!

img236

友人から届いた報せです。

46、、、年、、かぁ!

20210714_174510青雲スポット

三曲目の「小さな花の歌」は、上世屋で生まれました。

20210714_145846

その歌を歌った仲間にも46年!

20210702_135742雅くん

♪ツリガネソウが谷間に咲く美しい村だった♪

20210714_145904ととき

そのツリガネソウが、歌看板の脇でさいていますよ。

金さんは、虹の光で本を読む!

20210714_184306虹金さん

、、、だな!

この時の時間、18時43分。

20210714_183918虹

夏の虹はずいぶん遅い時間にかかるものです!

虹の輪を7段重ねた熱気球!

20210704_07453塔高さにじ

天橋立天平観、丹後国分寺跡地に舞いました。

20210704_073603

ちなみに、丹後国分寺。

ep09img01[1]

「天平13年(741)に聖武天皇の詔によって全国に建てられた国分寺の一つ。建武元年(1334)に円源房宣基により再建され、『天橋立図』には五重塔と金堂、中門や塀、堂舎が描かれている。『国分寺略縁起』によれば天文11年(1542)の兵乱で焼失したとあり、現在は礎石を残すだけとなっている。聖武天皇の詔は、国ごとに金光明最勝王経一部を安置した七重塔、国分寺、国分尼寺を造るというもので、造塔は国のもっとも良き箇所になすこととあった」ウィクペディア。

20210704_073257

奇しくも塔の階、七重の塔と同じ、高さもほぼ同じとのこと。

20210704_075523

この令和熱気球を揚げたのは、山尾太郎吉商店。

img239
気球は 思いで浮くものではありませんけれど、山尾太郎吉商店の 思いの熱さは注目です!

キキョウ、、日が少し短くなったよと告げて咲く!

20210708_104500
【桔梗は秋の七草のひとつとして、朝顔の名で呼ばれているものである。朝顔とは古代の呼称で、別名オカトトキとも呼ばれた。これは「岡に咲く神草」の意】

さて、このキキョウに関する、桔梗→朝顔→オカトトキ→「岡に咲く神草」呼称の記述に関して、問い合わせをいただきました。
「岡に咲く神草」とする出典を知りたい、オカトトキ=「岡に咲く神草」とは何に書いてあるのか?
出典、、、、!!
「麒麟が来る」ブームに合わせて明智の家紋がキキョウの花であることからネットで検索したら、ウィクペディア・『桔梗紋』でヒットした。出典をと言えば担当者が挙げている引用文献その中のいずれかということはあるかもしれない、、、
そんなことをお答えしました。
念のため、その引用文献一覧の書名をみると、行き着けるのだろうかと不安になりました。
、オカトトキ=「岡に咲く神草」は、多くのブログに見られます。
とすると、『桔梗紋』担当者もそれをコピーした、つまり文献で確認したものではないのではないか、、、と。

20210708_095623

そんなわけで、雨降りで外仕事もままならないのに任せてその文献探し。
状況的には、古代から中世頃の医学界用語!
というのは、、、
①桔梗→朝顔→オカトトキ
これは、容易です。
ききよう【桔梗】 | 情報言語学研究室 – teacup.ブログ“AutoPage”
おか‐ととき[をか:]〔名〕植物「ききょう(桔梗)」の古名。*新撰字鏡〔八九八~九〇一頃〕「桔梗 二八月採根曝干 阿佐加保 又云岡止々支」*本草和名〔九一八頃〕「桔梗 〈略〉和名阿利乃比布岐 一名乎加止々岐」【語源説】岡原上に生じる植物で、形状がトトキ(沙参)に似るから〔古今要覧稿〕。【発音】〈ア史〉平安●●●●○〈京ア〉[ト]〈1〉【辞書】字鏡・和名・色葉・名義・書言・言海【表記】【符〓(艸+扈)】和名・色葉・名義・書言【桔梗】字鏡【〓(艸+扈)】名義
②  オカトトキ→「岡に咲く神草」=トトキ→「神草」!
とときという植物に 神聖 という意味を持たせた経過を説明した文献、記述があるか 、、、どうも見あたらない。
神草丸 ヒュウガトウキ 美研 600粒(健康食品)というのは出てきました。|
『神草丸 ヒュウガトウキ 美研 新品未開封 600粒』はヤフオク!で725(99%)の評価を持つpobre000から出品され、30の入札を集めてに、26,500円で落札されました。
しかし、「神草丸は医薬品でないにもかかわらず、被告会社では医薬品的な効能を詳細に述べるセールストーク」ということで問題になっているやばいもののようです。
とはいうものの、「神草」という言葉は流通しているようです。
自然のなかのあるもの、例えば、川、木、石、草などのあるものを特定して、それに「神」という修飾語を付与する、これはままあることです。
神川 神木 神石 そして神草
神になれる草、、、大麻!ほう!!
等、つらつら歩き見て回っている内に

富山県薬剤師会のwww.tomiyaku.or.jp/file_upload/…/100046_02.pdfが、
「万病薬」という言葉を使って人参のことを紹介されていて、そのなかに、「神草」という言葉がありました。

富山県薬剤師会、、、そうかぁ、、、
『麒麟が来る』の、堺正章さんが演じた京都の医者、望月東庵先生のような方がお使いになった『業界用語』ではないか、、、= 「万病薬」→ととき→ 桔梗、、、このラインか!と多少胸をときめかせながら開いてみました。

はたして、そのpdf資料 表面

img233李さん
お、オタネニンジン!

その裏面

img234りさん

このオタネニンジンは「和漢生薬の中でももっとも知られ、重要な薬であることは誰でも認めるところ」として、李時珍さんが、「神草」という言葉を使ってらっしゃることを、村上守一さんという方が記していらっしゃいました。

20210708_104509

村上守一さんというかたは、日本薬学会  日本生薬学会 に所属されて、 、
薬用植物の栽培・繁殖・品質管理
Cultivation, breeding, and quality management of medical plants
をテーマにされる研究者で、2006/03/09  現在所属富山県薬事研究所 付設薬用植物指導センター 所長 でいらっしゃったと紹介がアップされています。

語源探究、、ここまで分かればあとはかなり、、

さらに、その李 時珍さん。

「李 時珍(り じちん、1518年7月3日(正徳13年5月26日) – 1593年(万暦21年))は、中国明の医師・本草学者。字は東璧、号は「瀕湖山人」。中国本草学の集大成とも呼ぶべき『本草綱目』や、奇経や脈診の解説書である『瀕湖脈学』・『奇経八脈考』を著した。」
字を東璧とおっしゃったと言うことですから、『麒麟が来る』の東安先生はこの李先生がモデルだったかもしれないと思いついたような事です。

itempost_1-xhscjp0127-13300[2]ほんぞう項目

まとめ的にいえば、
神草 とは、朝鮮人参のこと、

出典は、李時珍さんという中国・明代の本草学者の著された『本草綱目』
広められたのは、従って、     | 富山のカルチャースクール | 北日本新聞 …
【とやまの薬草】自然豊かな野山を歩き、山菜や薬草としての使い方を学びませんか、と普及に当たられている村上守一さんのような、薬草学関係の方々、ということになるのでしょうか。

さて、

桔梗(キキョウ) – Mira House
また,古くは“オカトトキ”(岡止々岐)と呼ばれていましたが,これは岡に生えるトトキ(釣鐘人参)のような植物,または岡に咲く神草という意味です。 キキョウは,観賞用はもちろん,有毒なサポニンを含む根には去痰・解毒作用があり, …

とか

東邦大学薬学部|薬用植物園|見本園|キキョウ|
別名をオカトトキと云いますが、その意味は“岡に咲く神草”といわれ、“更に吉”の意味もあってか、武士には好まれたようで、図案化した桔梗紋はたくさんあります。

とも、、、。

「・・・といわれ・・・」

そこに、?!をつけたり、立ち止まる、、、それって本当は大事なことなんですね。

その言葉はだれがいったのか、何に書いてあるのか もともとの神草とは何をさとたのか、それをだれが広めたのか、

ちなみに、この李時珍さん、高等学校でも、日本史ではなく世界史で、大きくはない扱いで取り上げられている方、ということのようです。

20210714_145904

はや七月半ば、この「ととき」=ツリガネソウが、谷間に咲き始めましたよ。

以上 宮津世屋エコツーリズムガイドの会(px8fn4@bma.biglobe.ne.jp)

 

 

 

上世屋一株紫陽花!

20210626_142901

昔のことだ、

ここは紫陽花高原とも言われるほど、紫陽花が咲き誇っておった、その数、多すぎてかぞえられん、それで、一目百万本というておった。そんな数になったのにはわけがあっての、慶雲和尚という方が説く観音様の教えを慕ってお参りする方々が引きも切らず、その方々が、いい教えをいただいという感謝の気持ち、なんで表したらいいでしょう、お教えくだされとお観音さまに、お尋ねしたところ、夢枕に立たれて、この花を一本ずつ植えていかれよ、、、と告げられた、それが紫陽花だったのだそうじゃ!

20210626_142751

上世屋一目百万株紫陽花が、「上世屋一株紫陽花」になったのは、また訳がある。

時がずいぶんたってのこと、旅のお坊さんがやってこられた、里人が、一目百万株紫陽花をどうぞごらんになってくだされ、と申したところ、間を少しおいてから、

こうおっしゃったそうな、、、

一株だけ残してみな抜きなされ!

里人は驚いた、、観音様のお告げで増えた花なのですから。

お参りの方に持ち帰っていただいて、麓の里や町を美しく彩って頂けばいいのじゃ、とその坊さんはおっしゃるので、それも理屈、里の皆さんも納得し、一株残して、あとは皆お参りの方のお土産にしたのだそうじゃ。お参りの方も、上世屋観音のご聖花だと喜んで、持ち帰って家の門や道筋に植えた、岩滝や日置や宮津の町を今にぎやかしている紫陽花は、そうして増えたもんじゃ。、、、、

なんでも、その坊さん、万の利休とかおっしゃるかたじゃったそうじゃ。

いまは、またもとの「上世屋一目百万本紫陽花」を見たいと植え戻しとるもんもおるけど、、、な!

花がきれい、といわれて嬉しく「花美世屋」とす!

img232

きっかけは、今井さんのご逝去。

「丹後縦貫林道ものがたり」91頁にお写真をいただいているかたです。

img230

丹後の風土美を長年に渡って撮り続けられたその蓄積はエコ資料としても、たいへん貴重。60枚を預かって展示しております。

今井写真展20210617_124710

ご連絡いただきましたら、写真で丹後エコツアーもご案内差し上げますよ。

どうぞお立ち寄りください。

どうぞ、

空も青 海も碧、花は藍

あじさい20210621_135230

伊根街道は高石浜付近です。

《待つという時は藍色、、、、、と、俵万智さん。

あじさい20210621_135134
ほう、、、で、なんと、、、「 六月の雨あじさいの花と私と」》

ほほほう!

、、、「 待つという時は藍色六月の雨あじさいの花と私と」、、、ですか。

この花色は藍色。

て゛万智さんと言えば恋歌の名手、相聞歌として、彼女は〈思いきり愛されたくて駆けてゆく六月、サンダル、あじさいの花〉という歌も。

こちらの花色は、、、行動を促す色と考えれば、赤系なんでしょうね!

アジサイの藍と赤の花色を相聞の歌と描き分けてらっしゃるところが、にくいです!

さらに、丹後とアジサイといえば、京の町家や、丹後、鎌倉・江ノ島の海をバックに描かれた『寅次郎あじさいの恋』。

「とても恥ずかしいことをしてしまいましたけど、寅さんならきっと許してくださると思います。風はどっちに向かって吹いていますか。丹後のほうには向いていませんか」(かがりより)

この場合のアジサイの色は、七色、、、心の複雑な揺れを、アジサイは表すことが出来ます。

アジサイ看板20210619_161232

丹後のどこに置いても物語を紡ぎもり立ててくれるタフで重宝な花の一つです。

 

「日本の夜明シーボルトのあじさいを思う」 と荻原井泉水さん

あじさい20210619_162524
これ これですよ

シーボルトさんが日本からヨーロッパに持ち帰ったのは。
「紫陽花や 帷子時(かたびらとき)の 薄浅黄(うすあさぎ)」
松尾芭蕉さんのみてらっしゃった紫陽花もこれ。

あじさい20210619_155939
「紫陽花の藍きはまると見る日かな」と中村汀女さんが詠まれたのはこっちでしょうか。

あじさい20210619_152759
(上 金剛心院)

母の日に 求めしアジサイ 根付き咲く  世屋野蕪村

ところで、アジサイが母の日フラワーになったこともあるのでしょう

梅雨深む アジサイ咲かぬ 家も無し

あじさい地蔵20210619_164527

また、古来から句に詠まれる数で見ても、トップ5でしょう

紫陽花や 赤に化けたる 雨上り  正岡子規

紫陽花の 花に日を経る 湯治かな  高浜虚子

紫陽花に 雫あつめて 朝日かな  加賀千代女

紫陽花の末一色となりにけり 小林一茶

アジサイ看板20210619_161232

花色の多様さで、七変化 とも八仙花とも呼ばれる、と言うことです。但し赤・白・藍のいずれかのグラデュエーション。黄色のアジサイ、金アジサイが見あたりません。

緑深まる季節柄に、黄色があうのかどうかと言えば、ちょっと想像しにくい色ですから、売れるかどうかは別として、緑のサクラがあるくらいだから、技術的には作り出せる見てみたいなとは思います、

アジサイは一花で一村隠しけり  世屋野蕪村

あじさい20210614_130144

「サイズといい色目といい、花期といい、実によく出来た花です!」

アジサイは並木の松と競うごと

あじさい20210615_142229

藍色はいずれを映すか梅雨丹後

あじさい20210608_

この園芸種として人気のこのアジサイ、そもそも原種は日本のもの、その原種が、上世屋で今咲いています!

あじさい20210615_150926あじさい

さて、日本からヨーロッパへ、ヨーロッパから日本へ、このアジサイの旅、ウィクペディアが下記のように解説しています。

、、、、、

狭義のアジサイ(ホンアジサイ)は、日本で原種ガクアジサイから改良した園芸品種で、ガクアジサイに近い落葉低木[7]。6月から7月にかけて開花し、白、青、紫または赤色のがくが大きく発達した装飾花をもつ。ガクアジサイではこれが花序の周辺部を縁取るように並び、園芸では「額咲き」と呼ばれる。ガクアジサイから変化し、花序が球形ですべて装飾花となったアジサイは、「手まり咲き」と呼ばれる。

20210615_160931

栽培は、梅雨期に主に挿し木によって繁殖させている[7]。日本、ヨーロッパ、アメリカなどで観賞用に広く栽培され、多くの品種が作り出されている。原産地は日本で、ヨーロッパで品種改良されたものはセイヨウアジサイと呼ばれる。変種のアマチャは稀に山地に自生するが、多くは寺院などで栽培されている[7]。また、漢方で用いないが、民間では薬用植物として利用できる。

なお、後述の通り本種は有毒植物であるため、園芸や切り花として利用する際には取り扱いに注意が必要である。

分布[編集]

アジサイに関して、キュー植物園系のデータベース Plants of the World Online(POWO)は#分類で後述する原種や変種も含め Hydrangea macrophylla として日本火山列島に自生し、その他世界の様々な国や地域に持ち込まれているとしている[8]。なお、POWO が利用している地域区分は分類学データベース専門調査委員会(: Taxonomic Databases Working Group; 略称: TDWG)[注釈 2]によるものであり、そのために2001年に提供された4段階による区分法では1段階目のアジア-温帯(Asia-Temperate)、2段階目のアジア東部(Eastern Asia)までは共通しているものの、3段階目で日本(Japan)と火山列島(Kazan-retto)という別々の区分に分けられているということに留意されたい[9][10]

名称[編集]

アジサイの語源ははっきりしないが、最古の和歌集『万葉集』では「味狭藍」「安治佐為」、平安時代の辞典『和名類聚抄』では「阿豆佐為」の字をあてて書かれている[11]。もっとも有力とされているのは、「藍色が集まったもの」を意味する「あづさい(集真藍)」がなまったものとする説である[11]。そのほか、「味」は評価を[注釈 3]、「狭藍」は花の色を示すという谷川士清の説、「集まって咲くもの」とする山本章夫の説(『万葉古今動植物正名』)、「厚咲き」が転じたものであるという貝原益軒の説がある[11]

花の色がよく変わることから、「七変化」「八仙花」とも呼ばれる[12][13]

日本語で漢字表記に用いられる「紫陽花」は、の詩人白居易が別の花、おそらくライラック[6]に付けた名で、平安時代の学者源順がこの漢字をあてたことから誤って広まったといわれている[14]草冠の下に「便」を置いた字が『新撰字鏡』にはみられ、「安知佐井」のほか「止毛久佐」の字があてられている。アジサイ研究家の山本武臣は、アジサイの葉が便所で使われる地域のあることから、止毛久佐は普通トモクサと読むが、シモクサとも読むことができると指摘している[15]。また『言塵集』にはアジサイの別名として「またぶりぐさ」が挙げられている[15]

シーボルトはアジサイ属の新種に自分の妻「おタキさん」の名をとって Hydrangea otaksa と命名し、物議をかもした[16][17]。これは Hydrangea macrophylla と同種であった。

特徴[編集]

青色と紫色の花

落葉低木で、樹高は1 – 2メートル対生し、葉身は厚く光沢があり[7]、淡緑色で葉脈のはっきりした卵形で、周囲は鋸歯状。

花序は大型で、5月から7月に紫(赤紫から青紫)のを咲かせる。一般に花といわれている部分は装飾花で、大部分が中性花からなり、が大きく花弁状で目立つ[7]。中央にある両性花は極小で目立たず[7]、退化した雄蕊10本と雌蕊3 – 4本がある。数え方は「◯朶(だ)」という。母種のガクアジサイでは、花序の頂部がたいらで両性花が多数あり、密集した両性花の周囲だけに装飾花(中性花)がみられるが[7]、アジサイ(ホンアジサイ)やセイヨウアジサイではほとんどが装飾花となっている。また、装飾花の欠如した変種も知られている(ガクアジサイ「三河千鳥」など)。

花の色[編集]

花(萼)の色はアントシアニンという色素によるもので、アジサイにはその一種のデルフィニジンが含まれている。これに補助色素(助色素)とアルミニウムイオンが加わると、青色の花となる[18]。従来は理論の域に留まっていたが、今般、実際にアジサイの花で直接確認された[19]

アジサイは土壌のpH(酸性度)によって花の色が変わり、一般に「酸性ならば青、アルカリ性ならば赤」になると言われている(リトマス試験紙と逆なので注意されたい)。これは、アルミニウムが根から吸収されやすいイオンの形になるかどうかに、pHが影響するためである。すなわち、土壌が酸性だとアルミニウムがイオンとなって土中に溶け出し、アジサイに吸収されて花のアントシアニンと結合し青色を呈する。逆に土壌が中性やアルカリ性であればアルミニウムは溶け出さずアジサイに吸収されないため、花は赤色となる[20]。したがって、花を青色にしたい場合は、酸性の肥料や、アルミニウムを含むミョウバンを与えればよい[21]。同じ株でも部分によって花の色が違うのは、根から送られてくるアルミニウムの量に差があるためである[22]。花色は花(萼)1グラムあたりに含まれるアルミニウムの量がおよそ40マイクログラム以上の場合に青色になると見積もられている[23]。ただし品種によっては遺伝的な要素で花が青色にならないものもある。これは補助色素が原因であり、もともとその量が少ない品種や、効果を阻害する成分を持つ品種は、アルミニウムを吸収しても青色にはなりにくい[24]

また、花色は開花から日を経るに従って徐々に変化する[25]。最初は花に含まれる葉緑素のため薄い黄緑色を帯びており、それが分解されていくとともにアントシアニンや補助色素が生合成され、赤や青に色づいていく[25]。さらに日が経つと有機酸が蓄積されてゆくため、青色の花も赤味を帯びるようになる[注釈 4]。これは花の老化によるものであり、土壌の変化とは関係なく起こる[27]

他に花が緑色の品種(ヤマアジサイ「土佐緑風」など)も知られており、観賞用として緑の花が販売されることもある。しかし日本ではファイトプラズマ感染による「アジサイ葉化病」にかかったものも稀にみられる[28][29]。この病気の治療法は知られておらず、感染拡大を避けるため発病株は処分したほうがよいとされる[28]

分類[編集]

ガクアジサイ

この種は、装飾花の分布から、ガクアジサイと、狭義のアジサイ(ホンアジサイ)に分かれる。またこれらとは別に、ヤマアジサイ Hydrangea serrata やハイドランゲア・スティロサ Hydrangea stylosa を同種とする説もある。

分子系統では、栽培種にヤマアジサイに近縁なものとH. stylosaに近縁なものとがあり、交配による多系統かもしれない[30]

ガクアジサイ
原種 H. macrophylla f. normalis
房総半島三浦半島伊豆半島伊豆諸島足摺岬南硫黄島北硫黄島[31]で海岸に自生する[32][33](足摺岬のものは人為的植栽起源)[34]。このため、ハマアジサイとも呼ばれる[33]。高さは2 m程度だが[32]、4 mに達することもある[35]
花序は多数の両性花を中心として、装飾花が周りを縁取る[32]。名称の「ガク」はこのさまを額縁になぞらえたものである[33]。花序は直径12–18 cm、装飾花は直径3–6 cmで色は白色・青色・淡青緑色・または淡赤紫色[32]、両性花は濃紫色である[33]。葉は厚く、大きく(長さ10–18 cm[32])、種小名 macro (大きい) phyllus (葉)の由来となっている[33]。葉の表面は濃緑色で光沢がある[32]。栽培品種に ‘花火’、‘城ヶ崎’ などがある[36]
アジサイ(ホンアジサイ)
変種 H. macrophylla var. macrophylla
日本原産のガクアジサイの品種だが、自生しているという説もあり[37]、起源ははっきりしない[38]。他のアジサイとの区別のためホンアジサイとも呼ばれる[37]
花序はほとんど装飾花のみからなり、種子ができるのはまれであるため、挿し木や株分けで増やす[32]。花序の大きさは20–25 cm程度である[32]。古く日本から中国へ伝わったものが、18世紀にさらにヨーロッパへと持ち込まれ、多くの園芸品種が作られた[38]。日本では輸入したものがセイヨウアジサイとも呼ばれる。かつて、シーボルトはこの品種を H. otaksa と命名したが、学名としては現在では使われていない[39]。ちなみに学名上は、ガクアジサイより先に命名されたこちらが Hydrangea macrophylla 種の基亜種という扱いである。
ヤマアジサイ
別種 Hydrangea serrata だが、亜種 Hydrangea macrophylla subsp. serrata 等とする説もある[40]

シーボルトとあじさいと牧野富太郎[編集]

鎖国時代に長崎にオランダ商館員の一員として日本に渡来し、オランダ人と偽って出島に滞在し医療と博物学的研究に従事したドイツ人医師にして博物学者シーボルトは、オランダに帰還してから植物学者のツッカリニと共著で『日本植物誌』を著した際にアジサイ属 14 種を新種記載している。その中で花序全体が装飾花になる園芸品種のアジサイを Hydrangea otaksa Siebold et Zuccarini と命名している。しかしこれはすでにカール・ツンベルクによって記載されていた H. macrophylla (Thunberg) Seringe var. macrophyllaシノニム(同一種)とみなされ、植物学上有効名ではない。にもかかわらず、牧野富太郎が自著の各種植物図鑑において Hydrangea macrophylla Seringe var. otaksa Makino の学名を用い種の記載者が Seringe で変種の記載者が牧野自身であるとする事実と異なる処置を行っていることから、一部の植物学書であたかも H. otaksa が植物学的な有効名であるかのような誤解が広まってしまっている。

牧野は上記の植物学的に不可解な処置と矛盾する言動をまた、著書の中で行っている。シーボルトは自著の中で otaksa をアジサイが日本で「オタクサ」と呼ばれていると命名の由来を説明しているが、牧野は日本国内でこの呼称が確認できなかったことからシーボルトの愛妾の楠本滝(お滝さん)の名を潜ませたと推測し、美しい花に花柳界の女性の名をつけたとして強く非難している。そして自らも新種の笹に自らの妻の名から「スエコザサ」と名付けた。

牧野のこの推測によって「オタクサ」の名はシーボルトとお滝さんのロマンスをイメージさせて文人作家の創作意欲を刺激し、詩歌にこの名を詠み込むことなどが盛んに行われている。

鑑賞[編集]

低木で、5月から7月頃、青、紫、ピンクなどの花(装飾花)を密につけ、手毬状をなす。初夏あるいは梅雨時期の風物詩として広く親しまれ、鑑賞用に庭園や公園に植栽されてきた。また、咲き始めの頃は白っぽく、次第に色が変ってくることから「七変化」とも呼ばれる。園芸種も多い。

日本全国各地にアジサイを境内に多く植えたアジサイ寺と呼ばれるような観光名所がある。アジサイの名所として神奈川県鎌倉市などが有名である。公共の施設では大阪府民の森ぬかた園地神戸市立森林植物園舞鶴自然文化園に約5万株のアジサイが植えられている。三重県津市にある「伊勢温泉ゴルフクラブ内の福祉と環境を融合したあじさい園」には 2万5000平方メートルに 56 種類・7万5000株のあじさい園が2008年6月より新設された。また神戸市の裏六甲ドライブウェイおよび奥摩耶ドライブウェイ沿いには延々とアジサイが自生している。神奈川県箱根登山鉄道では開花時期に合わせ夜間ライトアップされたアジサイを楽しめる特別列車が運行されている。岩手県一関市にある「みちのくあじさい園」は、15万平方メートルの杉山に300種・3万株のアジサイと、元日本アジサイ協会会長 故・山本武臣氏の収集・栽培品が「山本コレクションコーナー」として保存されている。

寺院の名所は、アジサイ寺を参照

 

« Older entries § Newer entries »