世屋の山野にたっぷり降り注ぐ七月の光、
草木はフル稼働して栄養を作ります。、
ちょっといただきますよ、
その代わり花粉届けますから、、、
命は光りと水の申し子です!
当たり前だけれど人間も自然の一部、であることを自覚したときに、自然は窓を開いてくれます。
里山暮らし、今がチャンス!
自然の一部になりませんか、あなたも(^.^)
ネジバナ、
あらかじめお断りしておきますが、茎が二本あってそれが捩れいるのではないのです。茎はあくまで一本、その茎につく花が花柄ごと茎に巻き付いているのです。その巻き方が、じつは一定ではないのです、たいがいどっちに巻くときまっています、巻き方は種類を同定する大切なポイントなのに、、、。 不思議です。こっちから巻けという指示を出す遺伝子を持ち合わせていないようなのです。つまり、どっちからでもいいからともかくねじれろと言うことです。
では、ネジバナはなぜそんなサインをだすのか、というと、花の数と茎の太さとの関係での説明に説得力があるように感じました。細い茎の割りに多くの花数を可能にしているのがねじれです。花が茎の片方に寄っていたらこれだけの花をつけることは不可能なはず。
ネジバナさん、どうなんでしょうか!
時々図書館に行きます。ネットを操作していても得られない高揚感を得られる図書館は、貴重な空間です。
さて、3:3:4。ものを書く人Aさんの場合の情報源の割合なんだそうです。
具体的には、3割 直接人から: 3割 書物、新聞; 4割 インターネット。
この割合、納得です、多様な情報が手に入る情報社会のありがたみは感じますが、6割は、人と話すこと、本、新聞にあたること、による、、、。
なくなった吉田元福島原発所長さんの愛読書は論語と徒然草だったそうです。
この暑いのに読書どころか!という向きの方には、本物の緑の涼風が森から流れてくる世屋高原休憩所の藤棚の下を提案させていただきますよ。
藤棚の藤の葉に舞うのは、ウラギンシジミです。
ハギの向こうに世屋の里、秋の撮影ポイントです
こンなところが上世屋に?
あるんですよ、景観は作るんです。3年目のマルバハギが衝立(ついたて)になってくれました(^.^)
万葉集でも最大の収録数を誇るのがハギ、その理由を
「万葉時代の近畿地方の山地にはスギやヒノキの自然林で覆われていたことは、万葉集で、「桧原(ひはら)」、「桧山(ひやま)」、「布留山の杉群(すぎむら)」などの言葉が詠われていることから十分に想像できよう。平城京に至るまでの度重なる遷都で、これらの有用樹は都の造成のために大規模に伐採され、今日では自然林はほとんど残されていない。伐採跡地にはスギ、ヒノキ林は復元することはなく、代償植生として二次林であるマツ林やナラ林が成立する。したがって、当時の人々にとってハギ、マツ、ススキはもっとも身近な植物だったのであり、それを歌に詠み込んだのである。したがって万葉集中の各植物の出現頻度は当時の人々の生活空間における存在頻度と比例していることが理解されるだろう。万葉植物のほとんどが日本原産でありしかも身近な植物であることは、万葉人が珍しさや見栄えのよさで選別したのではなく、身近な生活空間にある草木とごく自然体で接していたことが伺えるのである。」と(www2.odn.ne.jp/~had26900/topics…/manyo-hana.htm)氏は説明します。
世屋高原休憩所万葉植物園構想の中心植物になりそうです。
「 草枕旅行く人も行き触ればにほひぬべくも咲ける萩かも」 笠金村 巻8-1532
(「にほふ」 に=丹 ほ=秀 色が冴えて赤く美しく咲いている。視覚を表す表現。