秋の野に目立つ小さな花の大きな房。
「あきからまつ」といううものの、草の柔らかさと松のごわごわざらざらしたイメージとはなじまないのでどうも覚えづらい。
ルーペで、つんつんとした雄しべを拡大して唐松の短い針葉とを結びつけての命名でその覚えづらさを逆手に強調して覚えてもらうのがいいのかも。
キンポウゲ科なので、どんな味かな!などとやってはいけません!
素明かりの観音堂。
今日は特別ゲスト「丸橋観音」様が主役です。
見上げるとしかの彫り物。
飢えた聖が、鹿にお姿を変えた観音様によって救われたとこのお堂に伝わる観音霊験譚をあらわしたものです。
ちなみに、この話し、成相寺にいくと状況はともにしながら、上世屋の「鹿」は、「猪」とされます。その区別は特に問題ではないとおっしゃるのは観音霊験譚と文学などを研究される仏教大の高倉瑞穂さん。
鹿 猪も、同じ「シシ」と呼ばれ、肉の意を表し、山の神そのものと考える民間信仰が強くあった。従ってこの聖は、山の神と仏と二つから救われたと考えることが大事と。 同感です、ブナ林観察道には鹿の角研ぎ痕もあり秋には鹿の鳴き声が響きます。また、万葉集には、「あらき田の しし田の稲を 倉に上げて、、、」
という歌があり、鹿猪田と書きます。けれども、アシの細い鹿は、冬場は下世屋まで。豪雪の上世屋や木子には暮らせません。オオカミに追われて飛び込んでくると言うのが地元発なら、鹿は不自然、猪のほうが自然!観音信仰を広げる聖たちに、猪派と鹿派があって、上世屋にこられたのは鹿派の聖だったのでしょう。
ふと、インスピレーション(^.^)
シシ=肉=命。木や実、肉などの豊かな食糧供給地はシシ・肉=命の世界。何を言いたいかというと、「シ」と「セ」は一緒になりやすいと言うこと。豊かにシシ(鹿・猪)が暮らす地。シシ谷。それが、「セ谷」、、、、
フフフーン!
どうでゃあなあ、今年の米は?まあ呑んでもう一息きばっとくれよ!
「上世屋のお観音さんは、ようねぎゃあごとを聞いておくれる値打ちのあるお観音さんだわなあ。」とおためさん。
その①
お母さんがゆうとくれたことだけど、日露戦争のときりに、ここの人がいっとんなって、帰ってからの話しに、向かいの山の敵を攻めんなんだが、なんにも隠れるものがのうて、丸見えで弱っただ。それで、上世屋のお観音さんに頼んだら、ぼた雪をグラグラふらしとくれて、敵からみえんようにしとくれて、向こうまでいくことが出来た。その時は、日本は神さんの国だと思ったゆうてなあ。
その②
それから、お観音さんに、雨おくれいうて頼んだら、おくれた、雨乞いの時は、朝はお宮さん、午後は観音さんでお千度をあげたんだ。お千度ゆうのは、竹を割って、盆踊りみたいに輪になって中にコモをしいて、その上に年寄りがおって、そこへ竹を10本ずつ千本になるまで投げるんだ。それを年寄りが数えとって千本になったら、「ほい、もうええど」ゆうておしえただ。それでもあかんときは、太鼓をもって上がって、それを雷のかわりに、また火をたいて稲光の代わりにし、青年が滝の上へあがって、そこに木で堰をつくって、はだかになって水を村中にほくっただ。その間おっさんは観音経を読み上げとるだ、。最後に、その堰をどおっとながしただ。そうしたら、じきに黒雲がわいてきて雨がふったもんだで。そんなことを観音さんは、重宝に不思議にようきいとくれたもんだ。
そんなふうに里山暮らしの精神生活を支えた観音さんも、最近は過疎、高齢で、参道の整備もままならない事態。
おまけにご本尊の盗難という不届きな被害。
しかし、そこに心痛めたのは「よそもの・若者・××もの」。
竹和火でライトアップして世屋観音様の千日参りを(^.^)。
わしも一筆!
うちは野菜を、わたしはスイカを!
わたしは、献灯で。
そして、当夜。
善男善女の足下を照らす明かり。
ようまいとっくれましたなあと総代さん。
松尾の仏師丸橋さんの聖観音様も、特別展示。
確かにハスの花をお持ちでした。
普段お参りすることの出来ない分、今日の千日参りでこらえてもらえた、最期の時はあのようなお姿で現れて極楽へお連れくださるのだ、大丈夫、安心して気張ろう!
連れもって戻られるお婆ちゃんたち一団の足取りが、心なしかしっかりしていました。
まあこれなんでぃやあ イモがついとるでいもぐさだあなあ たんぼの草取りではこんな話しになったのでしょう。
葉の先が尖るので、兵農一体の時代には、矢のこんなに尖っていいなくちゃいかん、それにしてもこんなに生えるのは縁起のいいことだ家紋にしようとかなんとかとも。
学名 Sagittaria trifolia。Sagittaria(サジッタリア)は、「sagitta(矢)」というラテン語なのだそうです。
こんな立派なオモダカが見られるのは、今では無農薬無除草剤栽培する松尾田んぼぐらいしかないでしょう(^.^)
これも万葉植物です。
「あしびきの 山澤(やまさは)回具(ゑぐ)を 採みに行かむ 日だにも逢はせ 母は責(せ)むとも」 回具(ゑぐ)= 面高 万葉集 作者不詳
♪雲の行くえを 見つめてる サビタの花よ 白い花
誰を待つのか メノコの胸に ほのかに咲いた サビタの花よ♪
このサビタの花が、世屋高原の湿原湿地に今盛りです。サビタとはアイヌ語。「サビタ・ラスパ」と言うのだそうです。
ここまで繁茂した景観はもはや丹後のものではなく、北海道そのもの!
さて、その① サビタとはノリウツギのこと。 その材は、ウツギと言うくらいで中が中空、かつ硬いという特性があるということですから、どんなものに向いているか想像できますよ、ね(^.^) Mさんなら何に使います?パイプ、キセル、、、正解。ステッキや杖にもいいとのこと。ブナ林トレッキングのお客さん用に作って、稼ぎますか!
さて、その② この歌、伊藤久男さんがうたいましたよ、 昭和30年(1955)のことです。ちなみに二番、、、、。 ♪いとしの君は ほろほろと 楡(にれ)の並木を どこへ行く 花かげ白く 月の宵 待てどはかない メノコの恋は 悲しく咲いた サビタの花よ♪
涼みにいらっしゃいませんか、籠神社から20分で「北海道」です!