世屋の里は、尾根を里境にして向こう側。
「せや」という地名の語源は「背山」にありとするなら、そう呼び始めた人たちは五十河の里に住んでいらっしゃったのかもしれません(^.^)
北西方向に面した五十河の里は、写真的には、夕照に映える時間、、。
夕陽に目を向ければ、古民家の屋根、
夕餉の支度も目に浮かんできて、気分はいとおかし、、、!。
磯足(いさなご)の山に舞っていた羽衣天女も天に帰りました。
山の向こうの世屋の里にも明かりが点っていることでしょう。
世屋の里は、尾根を里境にして向こう側。
「せや」という地名の語源は「背山」にありとするなら、そう呼び始めた人たちは五十河の里に住んでいらっしゃったのかもしれません(^.^)
北西方向に面した五十河の里は、写真的には、夕照に映える時間、、。
夕陽に目を向ければ、古民家の屋根、
夕餉の支度も目に浮かんできて、気分はいとおかし、、、!。
磯足(いさなご)の山に舞っていた羽衣天女も天に帰りました。
山の向こうの世屋の里にも明かりが点っていることでしょう。
丹後のみならず、冬季日本海地方では、弁当忘れても傘忘れるなという特徴的な気象現象をくり返します。
熟知したおばあさんは、近所のお友達を訪ねるときでも必ず傘の携帯。
屈んだ腰の背に傘を持つ年期の入ったスタイル。「降らば差すぞ」。雨もなんだかびびらすような敵に向かうカムイのような 何とも気合いというか威厳すら感じます。
、、、お揃い傘(^.^)
お店が貸してくださったんですね、、、お店の方も無粋です(`ヘ´) 。
愛逢「相合い」傘でどうぞ!としてあげればよかったのに!
天橋立は恋人公園、傘松公園は傘持つ公園、二人で一本で歩くんですと、,,、
「びったれ」 とはみぞれのこと。 ※明快丹和辞典
「雪降るな 婆ぁば一人の 世屋の里」 世屋野蕪村
クリスマス寒波は丸くおさまりました。
サザンカの花の数が例年になく多いことも、暖冬を予感させます。
さて、上世屋の里部は標高340-370m 、ここではみずゆきがうっすら。
しかし、同じ世屋の里でも、木子では、、、。
積雪10cm。木子の標高は450-490m 。標高にして120mは気温差1度。気候が目に見えて違います。
中学校分校が上世屋にあった頃、木子の中学生は上世屋で寄宿生活をしました。上世屋では、受け入れの宿の順番が決められていたといいます。
22日付け「鹿児島から、15分で秋田」としましたが、さらに「25分で北海道」と加筆しておきます。
川北亮司さんの2013/12/22(日) 午前 3:39アップのブログ日記。
「写真※は柿の木です。真冬になっても、しがみつくように実が残っています。 枝についたまま、干し柿です。寒風にさらされて、雨にうたれて、それでもしがみついて…。 しがみついて、しがみついて、しがみついて。そんな柿だけが、そんな柿だけが甘くなるんです。 最近ぼくは、柿の木を見上げて拝んでいます。隠れた、干し柿教の信者です。(笑)」と。 ※blogs.yahoo.co.jp/rk7878rkで写真をご覧になってください(^.^)
「寒風にさらされて、雨にうたれて、それでもしがみついて…。しがみついて、しがみついて、しがみついて。そんな柿だけが、そんな柿だけが甘くなるんです」
(↑ 小町公園)
そおうかあ!柿の実のサイラス・マーナー、、、そうだったのかあ!
『しがみついて…しがみついて、、、あんたもそうなのかぁ、しみじみと柿を見上げて空青し』 世屋野蕪村。(^.^)
ところで、「真冬になっても、しがみつくように残って干し柿になっている実」とおっしゃるのってそれって、実が落ちたあとの“へた”っちゅうところじゃないの?」と申しておりますが、、、、。 酔い覚ましには柿がいいといいますし、ま、“へた”もおさまりにくいしゃっくりの特効薬だとはいいますが、へたを刻んで煎じている内におさまっちゃうのかもしれません、、、。
(↑ 世屋姫神社上)
それにしても、今年はなり年で、寒さにあたったあとはまた甘さが増して、、送ればよかったですね。
これが必要かどうか三度考えました、買う前に。
店を一周しました、戻ってきて売り切れていたらあきらめよう、と。けれど、残っていました、二周しました、三周しました。けれど、売り切れていませんでした。
「わが手てにて求められるべきものなめれ」。必要はないと押さえにかかる理性を振り切らせたのは、キャッチコピー!「ほっとしょうが」。(ほっとしたい)という気分的な素地があって,ほっとできるのではないかと夢がわいてきて、280円で心が癒やされるのならまあいいか!という思考過程に陥ってしまったのですね。
さて、コピーライティングには、
◾トップコピー(キャッチコピー):ターゲットの興味を引き、中身を読み進めてもらう
◾ボディコピー:ターゲットに商品を欲しいと思ってもらう
◾クロージングコピー:ターゲットに実際に購買という行動を取ってもらう
この三つの要素があるといいます。
この要素の関係について、森山裕彬さんは、「キャッチコピーの役割は、あくまでも、その一文だけでターゲットの注意を惹き付け、無意識に次へと読み進めて貰うことだ。それ以降の、読み手に「欲しい」と思ってもらい、「購入」してもらうステップは、ボディコピーとクロージングコピーが担当する。もし、キャッチコピーに、ターゲットの注意を惹き付ける以上の要素が入っていると、そこで読み手は満足してしまい先へと読み進めてくれなくなる。
キャッチコピーを書き上げる際は、「このキャッチコピーで、ターゲットとなる読み手は、次へと読み進めたくなるだろうか?」という考えを常に根底にもって取りかかるようにしよう。」とおっしゃっています。その、キャッチコピーの力に、疲れてはいるけれどがんばんなきゃと思うまじめなおじさんはまんまとなけなしの280円をむしり取られたというわけです(´・ω・`)
けれど、美味しいですよ。後悔していません、あなたもお求めになりませんか(^.^)
※『売れるセールスコピーを書くために必要不可欠な10の要素』
※バカ売れキャッチコピーをサクサク作れるプロ直伝の4つのテクニック
丹後地域力向上支援商品にも、キャッチコピーの素晴らしい商品が登場するようになっています。
ショウガと梅干しをセットにして『赤の他人』。結婚式の引き出物に人気上昇中なんだそうです。
また、丹後のばら寿司ミニセットは、観光庁の「世界にも通用する究極のお土産」の一つに選定されたそうです。
どちらも、「いととめ」バイパス店併設の「うめや本舗」でお求めいただけます。
お正月を丹後で過ごされたあとのふるさと土産にいかがですか。
「わし、撮ってくれ」の声、
おおー!うつくしいー、ナイス、
OK!
「かって、丹後は、「裡剃芋戸婆舞屡」という妖怪にとりつかれてしまった、、。何が怖いかというと、あるめがねを掛けさせるのじゃ、これで見るとなんでもバラ色に見える!そのくせ何をしているかというと、イノシシが畦をめくるどころじゃない、山ごとほりくちゃするのだ、その妖怪の元締めが「蛇泣蚊過苦餌胃」、土建屋の親父だった、、。」こんな話をしてくれました(^.^)
「その中に、釣りバカのハマちゃんのような無邪気な妖精がいて、そんな妖精を飼育しているスズキ建設みたいな会社があってとんでもないことを考えついた。ダムで沈む古民家、棲む人がいなくて朽ち果てるばかりの古民家、放置するのは惜しすぎる、一カ所に集め保全しつつ観光に生かしましょうよ。そうして、わしは五十河に辿りついたんじゃ、小町さんのようにな、、」
この民家苑の発想、実に美しい。がハマちゃんのすることです、維持することに行き詰まって幾星霜。
でも、これが鉄でも油でもコンクリートでもなかったのはさすがにハマちゃん、とんでもなく素晴らしい物なのです。
地元の方を中心にして管理団体ができて、活用が図られるということです。
自動車道の京丹後市森本までの延伸開通が間近。
内山借景の小町公園とセット。とんでもなくブレークする予感がしませんか。
さて、世屋の里へは、ここから尾根越えウオークで8km、車なら成相寺経由で20km、自然と文化の充実コースをご案内させていただきますよ(^.^)
KTRの踏切を横切るお婆ちゃんの見上げる青い空に雲。
このシチュエーション、このアングルからはこれが出るしかないある歌のフレーズがあります
♪おーい、雲よ、どこへいくんだい! (^.^)
低気圧を太平洋に押し出してやって来た高気圧のため、空の蒼の美しい日でした。
『痛ましい、、、と、それで片づく話じゃないとどこかで想いながら天皇誕生日』 世屋野万智
さて、ネットには、こんな問い合わせ。
「現在35歳です。私が小学校で音楽の時間に習った歌ですが作者と曲名を知りたいのですが、どうしても思い出せません。 ♪私の好きだった人は遠くへ行ってしまった。私とこの街と青い空と山を捨てて。おーい雲よどこへ行くんだい。太郎山の向こうまで。おーい雲よどこへ行くんだい。私はここにいる。♪ どなたか分かる人はいらっしゃいますか? lovedeskmikoさんの問い合わせ。質問日時は2009/9/7 01:13:10。
!?(^.^) 小学校で習った歌が、11才頃に習った歌が、35才になっても生きていて、訳もわからず歌っていた歌が、 ♪私の好きだった人は遠くへ行ってしまった。私とこの街と青い空と山を捨てて。、、、意味がわかるようになって蘇った、、、ということです。どんな体験をなさったのでしょう、、、。単なる失恋を歌ったフレーズではないんですけれど、、(´・ω・`)
そして、解答されたのはhttp_kitty_comさん。
題は 「おーい 雲よ 」
曲・詞ともに「 黒坂正文さん」
ちなみにその歌詞
「 ref. おーい 雲よ どこへ行くんだい 太郎山のむこうまで おーい 雲よ どこへ行くんだい 私はここにいる
1. 私の好きだった人は 遠くへ行ってしまった 私と この町と 青い空と 山をすてて
2. 私は この町で生まれ 育ち 生きてきた 川の流れに 夕陽をながめて 泣いてきた
3. 川辺に咲く花 ひとつひとつに 心あたたまる 橋や堤防や とんびのうたも みんな友だちだ
4. 私はこの町で 私の人生を終えるだろう それまで私は精いっぱい 笑って暮らすだろう 、、、、、、これでしょうか?」と。
OK、いっといずざっと! 「おーい 雲よ 」は、おいでいっしょにイン上世屋;コンサートの定番中の定番の歌でした。
山村暮鳥さんの「空」という詩にアイデアがあります。
おうい雲よ
ゆうゆうと
馬鹿にのんきそうじゃないか
どこまでゆくんだ
ずっと磐城平(いわきたいら)の方までゆくんか
、、、、、、
現在黒坂正文さんは、「黒坂黒太郎」として、木の楽器、コカリナ奏者としても活躍。東日本大震災と大津波の語り部、石巻の一本松を素材にしたコカリナで、災害を語り継ぐ活動をされていますよ。 「おーい、雲よ」は、世屋高原休憩所で聴いていただくことができます。ご連絡ください。
細雪と書いて?
「ささめゆき!」、
ピンポン。こまかくまばらに降る雪
根雪は(ねゆき)。 里雪は(さとゆき)。 雨雪は(あめゆき)。
では「斑」と「雪」と書く言葉があります。斑雪、これは?
「まだらゆき!」
ぴんぽぶーー!でもいい、降ったあとしばらく点々と残る雪模様、日陰に残る雪がまだら・斑になっている様子。けれど漢字そのままの読みじゃクイズにならないし、まだら雪じゃあまり美的な芸術性はない(^.^)。
「?」
“はだれ雪”、同じ消え残っている雪でも棚田の畦に消え残っている雪模様は、人と自然の共作の芸術。冬の世屋ならではのもの、棚田の畦の「はだれもよう・斑雪模様」。絶品です。ご案内しましょう。
ただし、積もりすぎても日が当たりすぎてもだめ、初冬、初春の季節限定、降雪あとという天候限定。だから美しい、今年は、今のところ少雪ですので特に美しく見ることができます。
念のためお問い合わせください!