学術的研究
股のぞきを行った場合、天地が逆になるのは当然のことであるが、通常の直立した姿勢の場合と比べて小さく縮み、平らで奥行きが少ないように見える効果があることは以前から知られていた。立命館大学 教授の東山篤規、大阪大学 教授の足立浩平らはこの現象について学術的な研究を共同で行い、確かに錯視の効果が得られることを確認したほか、前かがみの姿勢も錯視が起こる要因であることを突き止めた。こうした成果は2006年に学術論文で発表され[ 6] 、2016年にイグノーベル賞 知覚賞を受賞している[ 7] 。
、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、資料編②『丹後の地名』、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、
『丹後の地名』へようこそ!
地名は現代人の盲点の一つ。「丹後の地名」も苦労はしても、意味の説明のできないものが多い。ご先祖がつけた地名なのに、なぜこんなことになったのだろう。私にも特にわかるわけではない、何でもそうだが世の中わからぬ事だらけ、しかし何か手掛りを求めての模索の旅日記です。
地名は民衆が残した口承史料、彼らと呼ぶか我らと呼ぶか、丹後の地名が読み解ければ、丹後の真実の民衆史、我らの郷土史が編めるかも知れない。しかし誰も未だ成功したことはない。
至る所工事中だらけで申し訳もない、難工事の連続で、本当はまだ世に出せるものではありませんが、そこそこに出来るまで草稿を書いていたら、いつになったら公表できるか見当もつきにくい、未完成のままでも暇をみつけて少しずつ書き足しながら、いつの日にか完成させたいと思っています。このやり方がHPではできる、ズボラ者にはもってこいのメディアかも知れない。一人でやっております、追加や更新がまったく思うように進みませんが、どうかよろしく。
当初は5年もあれば出来ると考えていました、やってみればとんでもないことで、いまだに道けわしく旅なかばで、まだまだかかりそう。こんなものでも何もかもを合わせればすでに800万 を越すアクセスがあり、そうした大きなありがたい励ましにいよいよ先をめざしてがんばりたいと考えております。
丹後王国の根拠地ばかりでなく、その周辺の地名も調べてみたいと思い、他国へも越境する予定。
天橋立の股のぞき
天橋立といえば、これ。
なにゆえに、このようなことをするのであろうか。何か伝承がありそうなものだが…、あまりハッキリしたものがないのは、それなりの理由があるのであろう。もともとが生命樹だからであろうか。こたえのようなものは善良の風俗を犯しそうで公共の放送にはのせられそうにもない。どうしても知りたい方は次を参照
「股のぞきの民俗学 」
「 股のぞき」の名所
「股のぞき 」は天橋立だけに見られるもので全国的によく知られている。丹後人の責務としてぜひとも解明したいと願わずにはおれない。
「またのぞき 」の民俗学。
-といっても先学の誰も書いてはいない様子であり、あるいは私めが本邦初めてかも。
「ビビっとくる子ら」と若者たちがうわさしていたお姉さんたちグループも登ってきた。
その「綺麗なお姉さんも、スカートをまくりあげ、笑いながらみていた。」
あれれ!?
ちょっと失礼して断りなく写させてもらいます。
(※この写真は転載禁です、、想像にお任せ!)
ビビビっと来て、イザナギ神も天から転げて落ちてきそうな-。
ビビビビっと来て、真面目な、ウブな男の子が見たらひっくり返るかも知れないような-。
実はこんな写真が是非とも写したかったのだが、私はあくまでも学問的興味からなのであるが、しかしこれは無理だとあきらめていたのであった。この場所以外で写せば痴漢行為の犯罪になるかも知れない
この姿こそが本来の天橋立文化だと、私は思っている。都の「文化人」が勝手に夢想した天橋立でない、ここの現地の人の本物の天橋立文化とは、この姿にこそ見て取れるように私は思う。
誰も言う者がない、気が付かないのか、いっぱしの民俗学者でも都文化にシンまでイカレテいるのか、よくわからないが、こんなに有名な地方文化、地方史の解明に役立つかもしれない遺風を納得いくように話をする者はない。
↓どれくらい昔の写真なのか、展望台の写真館に展示されていた(絵はがきのよう。ケーブルのない時代のようだから、昭和2年以前になろう)。
写真技術はよくなったが、こんなによい絵葉書は今の土産物屋さんを探してもない。こうした夢のような絵葉書が欲しいが今はもう見つけることはできない。時代が進めば進化するとは限らぬ見本のようなものである。
↓「袖のぞき」
(これは妖怪発見術、こんなことでバケモノの正体が見破れるというが、天橋立には何も関係がないかと思う。都の「文化人」か、現地の観光業者か、持ち込んだものではなかろうか、今はこんなことはしない。)
↓「股のぞき」
「股のぞき」は天橋立に向って、向かってなのではない、背を向けて、いや正確に書けば、天橋立にケツを向けて、こうした姿勢で行われる行為で、ほかの場所ではこんなことは決してしない。
天下の名勝に対して極めて非礼な行為である。しかしそれがおおやけに許されるということは、天橋立のもつ性格が何か深く関係している行為と思われるのである。おそらくずっとずっと昔からこうしてきたから許されるのではなかろうか。時々の権力や「文化」などよりはずっとずっと古いから公然と許され続けていると思われる。
そしてどちらかと言えば行為者は女性なのである。女性が積極的で、男性もしないことはないが、何かお付き合いという感じがする。現代の話であるが、そんな様子に見える。
どう考えられてそんな姿をなさるのか、とも問えないし、別に何も考えてはおられぬ様子で、みんなしとってやもん、という感じにみえる。
みんなしとって、かも知れないが、女性がこんなはしたない、というのか、いくら自然相手とはいえ、礼儀も行儀も欠きすぎた、とにかくこんな姿をして「股のぞき」をされる、これは一体またどうしたことなのか--。
誰も問わないが、私は問うてみないわけにはいかない。
VIDEO
悩んだあげくの、私の答(のようなもの)を書けば、たぶん、
天橋立を尽きることない豊饒の生命力を持つトコヨの巨大なマラに見立てて、常世とこよ の浪なみ の重浪帰しきなみよ する、その浪から生まれた天橋立、常世の国の超自然の神秘な大エネルギーそのものの塊であるが、それを体に取り込もうと、己がシリをめくりあげ、ケツを向けた若い巫女たちが古代社会にはあった。
--「股のぞき」と呼ばれる奇習は、そんなことにあるいは起源を持つかも知れない。と思っているわけである。
猥らなモーソウをしているわけでもないと思うが、「股のぞき」とは、男女同権で別に男の方がなされるのもよろしいが、たぶん本来は若い美しい健康な子を生み育てられる年齢層の女性のみが行うものなのではなかったろうか。
「股のぞき」は2000年も以前からあったのではなかろうか。それくらいは遡れる呪術的、女性的、南方的、海洋的なもっとも古い時代のこの地の文化であったろう。北方系が入ってくる以前の縄文的というのか倭人的というのか、彼らが担った文化であったが、やがて北方系が優位になり、「股のぞき」などと誤解して呼ばれるようになるのは、過去の本来の意味がきれいさっぱりと忘れられたずっとずっと後世、少なくとも古墳時代に入ってからのことかと思われる。
これは本来は景色をのぞくための行為ではなかった。橋立の周辺には「天地交合」の古い文化が残されている、「股のぞき」も本来は「天地和合」のためのずいぶんと古い呪術行為ではなかったか。
一番上の写真は、真名井神社の磐座「鶺鴒せきれい 石」あるいは「子種こだね 石」。そう呼ばれるが、天橋立と向かい合っていて、たぶんこれは、陰石と思われる。ズバリには書きにくいが、あるいはわからぬ御仁もおありかも知れないので親切に書くが、女性のあの部分であろう。そして天橋立が陽石になろう。
中の写真は泪ヶ磯の「身投石」。そう呼ばれるが、どう見ても陰陽石。
下の写真は日蓮宗の碑のようで新しいが「天地和合」と彫られている。天地は垂直世界の北方系文化と思われ、本来は水平世界の海の向こうの「常世の国」との「和合」ではなかったろうか。
←これは籠神社の「恋みくじ」
どこのPR文書か、か次のような案内もある。
天橋立伝承
神代の昔、天にあった男神イザナギが地上に祭られていた女神イザナミのもとに通うために立てられた梯子が倒れてしまい、それが天橋立となったと伝えられています。また、人間の心が純朴で素直であった古代には、神と人、天と地上はは互いに往き来でき、天橋立は神と人、男と女とを結ぶ愛の懸け橋と信じられていたのです。
「天橋立は愛の懸け橋」と信じられたという。まさにその通りと思うわけであるが、人の心を失った、半分人ではなくなっている現代人には、この大切な信仰がピンとは受け止められないと思われる、21世紀はぜひとも復活をお願いしたいもの。
誰も気も付かず、クジをひいてみようともしてないが、この「恋みくじ」をひいてみることにした。本気でビクビク、この道は、というのか、この領域ばかりは神様がお決めになることで、男女関係はお互い人間同士が誠実に努力し合ったくらいのことではどうにもならぬこともまた多いもの、神様どうかお願いしますの世界。エエトシでもガクガク、ブルブル、アホかいなそんなトシでもなかろう、と半分は思いながら、かき回して恐る恐るひいてみれば「中吉」。やっとほっと安心して、オレはやっぱりアホや、と思ったりする。
このクジは「恋成就お守」でもあるようで、「このお守は大切に身に付けてお持ち下さい。意中の人と縁が結ばれますよう祈願してあります。元伊勢籠神社」とある。
→今福の蛇綱 。
有名な蛇綱の尾の部分。橋立の南方数キロばかりの集落の正月行事。
小さい方は子とも考えられているし、オスとも考えられているという。
ヘビのオスは小さいんです。オスメスのヘビがホラこうして尾っぽの所でしっかり繋がっとります。 こうやってグイグイ引っ張っても決して離れない。
それって、うらやましいですね。
しかし民俗史料なので、文献的には確認が取れない。
参考
「ホト神社 」
いかに「文化」なるものに惑わされているかにお気づきだろうか。天橋立のようになまじ「文化」が入ると、かえって地域の歴史は曲げられることもあるようである。
ローマに行けば、ローマ人のように、天橋立に来れば、天橋立人のように。天橋立の真価は「股のぞき」でしか見えない、とかいわれています。ぜひ「股のぞき」をやってみて下さい。しっかりと常世の国の豊饒なオーラを体内に取り込んでください。
世界遺産登録をめざす皆さんは、こんな「股のぞき」行為をする地は世界のどこにあるか、そこでは何のためにするのか、一度よく調査してみられてはいかがか。学問的に貢献できるかも…
さて『丹後の宮津』は、
傘松公園と股のぞき
一の宮社頭の案内所から一人の婦人がメガホンを口にあて、道とおる遊覧客にむかって「ケーブルはこちらから-」と、一人でも多く境内とおり抜けの道へ引っぱり込もうと一生懸命である。どうも少々いただきかねる有様であるが、境内とおり抜けはたしかに二三分間時間の節約にはなりそうだ。いずれにもせよ、傘松公園へのケーブル線一の宮駅へいそぎ、四○○メートル四分半のケーブルカーで傘松公園へ着く。ここは京都府営の公園地で、特色は「天橋立」眺望の名所として有名である。もっともケーブルの終点からさらに五○メートルの急坂をのぼった台地が、古来の傘松であり、ちょうど傘のように枝をはった老松が一本あって、府営の設備もここに設けられ、展望は一段とすばらしいが、徒歩で急坂五○メートルは誰もあまり好まないとみえる。
さてこの傘松公園からの「天橋立」観は、平凡といえばもっとも平凡であり、美しいといえばもっとも美しい「はしだて」で、いわゆる箱庭的景観の典型といえよう。ところが、この公園に設けられた石の台に乗り、「はしだて」をうしろに、腰を曲げて自分の股間から向うをのぞくと、その箱庭的景観は一変し、天地は転倒、「はしだて」は空に、空は下に、まったく驚くべき奇観を呈し、「天橋立の股のぞき」という天下独特の眺望法となる。これは体位をかえて眺望するものゝ、その錯覚を活用したもので、まことに愉快な観賞法ではある。.…
〝またのぞき〝
かさ松から
天の橋立を
股のぞきしたら
松も舟も空から落ちそうだ
よその ねえさんが
スカートをまくりあげ
わらいながら 見ていた
またのぞきのかっこうは
おかしいけれど
まっすぐみているよりも
美しい橋立がある
何でも
見方をかえたらおもしろいな
丹後野田川町市場小学校
五年 山本微二君作
この少年のたくまない詩は、「天橋立股のぞき」の妙味をいかんなく歌っている。
猥らだ、猥ら過ぎると、特高が怒るという話がある。
『宮津市史』は、
戦時下の天橋立
昭和十二年(一九三七)九月の日中戦争の勃発とその拡大は天橋立観光に大きな影響を与えた。十三年人月、本来は稼ぎ時であるこの月の宿泊人員は前年八月に比較するならばほとんど半数程度の激減振りであった。具体的には、宮津では男二七八二人、女三九八人、合計三一八○人、文珠では男二○二五人、女一○三一人、合計三○五六人が八月の宿泊人員であった。各旅館では「今年のごとき閑散なことは全く未曾有です」と語っていた(『橋立新聞』昭和13.9.14)。海水浴客も、八月の土用期間が案外涼しかったことも影響して大きく減少した(同、昭和13.9.14)。また、新浜芸娼妓の稼高は、八月中に一万八○○○余円、昨年当月に比較して三、四割の減収であった。この後戦争が拡大していくにつれ、天橋立への観光客は減少していったと思われる。
このような事態が進行するなかで、『橋立新聞』昭和十三年十一月六日付は、同月四日に京都府警察部の特高、保安両課の検閲係が天橋立の股のぞき土産品の一部を発売禁止にすると言明をした、と伝えている。これは、京都府警察部による銃後の風俗取締の一環で、おそらく成相山上での着物姿の芸妓の絵葉書などが観光土産品中のいかがわしいものとして取り締まりの対象になったものと思われる。
どちらが猥らでいかがわしいのか、己は天からでも降ってきたのか、何を呆けているのか。上の舞妓さんの絵はがきなどがいかがわしいというのだろうが、戦争とはカッコよいものでなく、なつかしいものでもなく、実際はこうした馬鹿げたもの、ホンマのアホ「文化」と覚悟をして下さい。人は平和に愛し合って生きていくように出来ている、そう造られている。そういた状態でこそ持てる可能性の総て以上が引き出せる、そうした仕組みに造られている。私は神々の手の内をそう見ているが、たぶんそうだと思う。
橋立の歴史の教えるところによれば、戦争と観光は逆比例の関係で、観光のために戦争をロマンあふれる郷土遺産などと宣伝するなど、どこぞの町のようなバカげた話は、よほどに利口すぎる者しか考えもつかない全くミゾーユーな話となる。
別に何も都の文化がダメだぞというのではない。いいもダメもある、それを見抜ける力量が我らに求められる。
天橋立や傘松に縁深い女流歌人たちが命懸けて歌いあげている。彼女らが橋立に縁あるのもあるいは何か定められた宿命だったのかも知れない、などと思えてくる。
あらざらむ この世の外の 思ひ出に
今ひとたびの 逢ふこともがな
和泉式部
『後拾遺集』
やわ肌の あつき血汐に ふれも見で
さびしからずや 道を説く君
与謝野晶子 『みだれ髪』
当時も今も賛否両論。
私など大感動ですが、さてあなたはどうでしょうか。
(どなたのイラストなのか、たいへん気に入りまして、勝手に使わせてもらいました。)
「またのぞき」の科学
!どこかでも書きましたが、
「股のぞき」の風景は、実際にご自身が「股のぞき」をされないと見えません。カメラをひっくりかえしただけでは写りません。カッコ悪いなどと尻込みしていると大事な風景は見えません。
↓これが普通に写した写真。
↓実際にカメラを180°ひっくり返して写した写真。
↑しかし「股のぞき」してみると、このようには見えません。私のカメラはデシイチですが、これは「ウソの写真」、というか「股のぞき」している人間から見れば、こうは見えない写真です。同じ風景でもカメラの目と人間の目は違った様子に見えます。
↓「股のぞき」して見える風景(上の写真を左右反転処理)。人間が「股のぞき」で見れば、このように見えます。
銀塩カメラを持っていないので確かめられませんが、たぶんそれでも写らないと思います。私は銀塩時代から股のぞきの世界を写した写真を見たことがありません。
左右が反転した、鏡に映った風景で、まさか全宇宙が突然に左右反転するはずがありませんから、この像は「股のぞき」している人間の脳内で合成されるのかも知れない。人間だけでなく猿も鳥も魚も逆立ちした状態だとこのように見えていると思われます。
逆立ちした時点で人間は上下・左右が入れ代わってしまいますから、あるいはこのように外界を錯覚して、あるいは修正して、意外にもウソを見ているのかも知れません。
不思議で、美しく入れ代わった、この世界には存在しないはずの風景は「股のぞき」でしか見ることはできません。どんなによい高価なカメラでもたぶん写すことはできません。
プロの報道機関のビデオなどもヘーキでウソを写している、真実を報道するとか言うのなら、「人間にはこうは見えない」とかのテロップを入れるべきであろう。
無重量状態の中で逆立ちで見た時に、反転するのか、人工衛星から逆さまで見た地球は、カメラで写した映像のように、宇宙飛行士には見えるているのか、正確に知りたいがナニもこれといったハナシも聞かない。航空機からダイビングしたときの映像とか、バンジージャンプの映像なども、実際に頭から落下している人間には、カメラで写した映像のように見えているのか。たぶんこれは見えていないのではと考えるが、股のぞき映像ですら気付かないレベルだから、報道機関が気付くわけもあるまい、実際に自分でやってみるより仕方ないのかも知れないが、これはゴメンしたい。
「股のぞき:飛龍閣 」
人間はフツーはこうした姿勢では外界を見ないので、そうした場合でも外界が正確に認識できるようには脳神経、脳の画像ソフトが精密には作られていないかも知れない。距離認識が狂うとか、最近そうした研究で「イグ・ノーベル賞」を貰った日本人教授がいると報道されている(2016.9.23)。 「股のぞきの世界 大きさの恒常性の低減とみかけの距離の短縮 」
「狂う」のは何もそれだけではない、左右認識が狂う、その大事なことは触れていないようなことのよう。ナニはともあれ、ご同慶の至り、だが当ページは覗かなかったのか。「股のぞき」研究はまだまだ本物のノーベル賞が貰えそうなテーマである。
、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、資料編 ③ コパイロット
天橋立の股のぞきは、世界でも珍しい“反転視の民衆文化”
天橋立の「股のぞき」が“世界でも珍しい反転視の民衆文化”と呼ばれる理由は、股の間から景色をのぞくという身体動作が、単なる観光アクションではなく、日本各地に古くから伝わる“異界を見るための民俗的な視覚儀礼”として成立しているから です。
股のぞきとは何か(要点)
股の間から景色をのぞくことで天地が反転し、遠近感や大きさが変化する錯視が起こる行為 。
日本では古くから、妖怪・幽霊の判別、未来予知、異国・異界を見る方法 として伝承されてきた。
天橋立では、この反転視によって松並木が“天にかかる橋”に見える ため、観光文化として定着した。
なぜ「世界でも珍しい」のか
世界の民俗には“逆さに見る”儀礼や視覚的遊びは存在するものの、股のぞきのように身体の特定の姿勢(股をくぐる)を用いて異界を視るという文化が体系的に残っている例はほとんどない 。 日本ではこれが以下のように民俗的機能を持つ視覚儀礼 として発展した点が特異です:
幽霊船の判別法 (五島列島・奄美など) 股の間から船を見ると、幽霊船かどうか分かるという漁師の伝承。
未来予知(次の子の誕生) 幼児が股のぞきをすると「次の赤ん坊の姿が見える」という東北〜北陸の伝承。
異界・異国を見る方法 『三州奇談』などに、股のぞきで“この世ならざる風景”を見る話が残る。
こうした「反転視=異界へのアクセス」 という観念が民衆レベルで広く共有されていた点が、世界的に見ても非常にユニークなのです。
天橋立で観光文化として定着した理由
天橋立は、股のぞきをすると松並木が天へ伸びる橋のように見える ため、明治期に観光事業として積極的に広められました。 吉田皆三がこの見方を喧伝し、観光客の間で“名物の見方”として普及したとされています。
さらに、股のぞきによる錯視効果は学術的にも研究され、 2006年に論文発表 → 2016年にイグノーベル賞(知覚賞)受賞 という国際的評価も得ています。
股のぞきが示す文化的意義
身体を反転させることで世界の構造を反転させる という、身体性と視覚の民俗文化。
異界との境界を“視覚の反転”で体験する という、日本的な世界観の表現。
観光行為でありながら、古層の民俗信仰を継承する稀有な文化装置 。
天橋立の股のぞきは、単なる“面白い見方”ではなく、 日本の民俗的な異界観・身体観・視覚文化が現代まで連続している希少な例 なのです。
次に深掘りするなら
股のぞきの民俗学的起源
天橋立の神話的背景
錯視研究(イグノーベル賞)の内容
どの方向で続けますか?
股のぞきの民俗学的起源は、「逆さに見ることで“この世ならざるもの”を知る」という日本古来の異界観と身体観に根ざした視覚儀礼 です。天橋立の観光行為としての股のぞきは近代に整備されたものですが、その基層にははるかに古い民俗的実践が存在します。
以下、民俗学的に確認されている起源と系譜を、体系的に深掘りします。
1. 股のぞきの原型:逆さ視(反転視)の民俗
股のぞきは、より広いカテゴリーである「逆さに見る」行為(反転視) の一種です。 日本の民俗では、逆さ視は以下のような目的で用いられてきました:
異界・妖怪・幽霊を見分けるための方法
未来予知(特に子どもの誕生)
隠れたもの・本質を見抜くための視覚儀礼
呪術的な境界を越えるための身体操作
つまり、股のぞきは「逆さ視」という古層の民俗行為の中で、特に身体を反転させる儀礼的な姿勢を伴う特殊な形態なのです。
2. 日本各地に残る“逆さ視”の伝承
民俗学の調査では、股のぞきと同系統の逆さ視の伝承が全国に散在しています。
● 幽霊船の判別 (五島列島・奄美など)
漁師が船を逆さに見ると、 本物の船か、幽霊船かが分かる とされる。
● 子どもの予兆を見る (東北〜北陸)
幼児が股のぞきをすると、 次に生まれる赤ん坊の姿が見える という伝承。
● 異界・異国を見る(江戸期の奇談)
『三州奇談』などには、股のぞきで “この世ならざる風景”が見える という話が残る。
これらはすべて、 逆さ視=異界へのアクセス という共通の観念を持っています。
♂️ 3. 股のぞきの身体性:なぜ“股”なのか
民俗学では、股のぞきが特異なのは「股」という身体部位を使う点です。
● 股は“境界”の象徴
股は、民俗的に境界を象徴する身体部位 とされ、そこを通して見る行為は「境界越え」を意味します。
● 身体を反転させることで世界を反転させる
股のぞきは、単に逆さに見るだけでなく、 身体そのものを反転させる儀礼的姿勢 を伴う点が重要です。
この身体操作が、 世界の構造を反転させ、異界を視るための“呪的な視覚儀礼” として機能していたと考えられます。
4. 文献に見える股のぞきの歴史
股のぞきは江戸期の奇談集や民俗記録に散見されます。
『三州奇談』
『諸国里人談』
『日本伝説集』
各地の口承民話(特に北陸・東北)
これらの記録では、股のぞきは 異界・妖怪・未来を視るための行為 として描かれています。
5. 天橋立で観光文化になったのは近代
天橋立の股のぞきは、民俗的起源を持ちながら、観光文化としては明治期に確立 しました。
吉田皆三が「股のぞきによる天橋立の見方」を広めた
観光パンフレットや絵葉書で普及
反転視の錯視効果が学術的に研究され、2006年論文 → 2016年イグノーベル賞受賞
つまり、 古い民俗儀礼が近代観光と結びついて再解釈された例 なのです。
まとめ:股のぞきの民俗学的起源
股のぞきは、 逆さ視という古層の民俗行為(異界視・予兆視) ↓ 身体の境界部位(股)を使うことで“境界越え”を象徴化した視覚儀礼 ↓ 近代に天橋立で観光文化として再編成された
という三層構造を持つ、非常に珍しい民俗文化です。
次に深掘りするなら
逆さ視の民俗をもっと知りたい
天橋立と神話(イザナギ・イザナミ)との関係
イグノーベル賞を受けた錯視研究の内容
どの方向に進めますか。