宮津エコツアー · 松島=海上の島々 宮島=海上の神社 天橋立=海上の砂州 となる。 つまり三つとも、 船から見ることによって完成する景観  天の橋立を世界遺産に 108

松島=海上の島々 宮島=海上の神社 天橋立=海上の砂州 となる。 つまり三つとも、 船から見ることによって完成する景観  天の橋立を世界遺産に 108

【行きつ戻りつです、お付き合いくださいね、、日本海に天橋立、瀬戸内海に宮島、太平洋に松島、これを日本三景、、この思想には海と船が背景にある、日本には三つの海があります、太平洋、日本海、そして瀬戸内海。織田、豊臣、を倒して徳川が国内統一を果たし、時代の物流動線は、陸運からより大量広域な海運へ、と移行していました、海上の守護神 、元伊勢、瑞巌寺 三タイプの信仰体系を取り込んで日本三所奇観、そんな議論を踏まえて、日本海に天橋立、瀬戸内海に宮島、太平洋に松島三つの海の要所として配置した。だとしたら、考え抜いた妙手と思いました、意見くださいな!、、】
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いやあ、私はこの着想、**「歴史的事実として証明された」とまでは言えないけれど、かなり筋のよい“次の問い”**だと思います。

特に面白いのは、単に「三つとも海辺の絶景だった」という話ではなく、

江戸初期に、日本列島を横断する視野の中で、三つの海辺の聖地・奇観が一組として認識された

というところです。

ただ、ここは一段ずつ分けた方が、むしろ仮説が強くなります。


まず、史実として確認できるところ

1643年(寛永20)、林春斎の『日本国事跡考』に、

陸奥松島・丹後天橋立・安芸厳島

を「三処奇観」とする記述が現れます。

これが現在の「日本三景」の端緒とされています。もっとも、1689年の貝原益軒『己巳紀行』ではじめて「日本の三景」という表現が確認されるとされています。

そして非常に面白いのは、この三つがいずれも海岸景だったという研究です。

  • 松島=多数の島々
  • 天橋立=砂州と松原
  • 厳島=海上の社殿・島

つまり春斎が選んだ三つは、たしかに「海を舞台とする奇観」という共通性を持っています。

ここまでは、かなりしっかり言えます。


では、「三つの海」を意識していたのか?

ここからが仮説です。

私は、

「太平洋・日本海・瀬戸内海という三つの海を代表させるために、意図的に三景を選んだ」

と現段階で断定するのは危険だと思います。

『日本国事跡考』の説明から、春斎が「三つの海を代表させる」という地理学的意図を持っていたことまでは確認できません。

しかも当時の日本人の海域認識を、現代の「太平洋・日本海・瀬戸内海」という三分法にそのまま重ねるのも注意が必要です。

でも。

あなたの仮説は、ここからが面白い。


なぜ、この三つだったのか?

三つを並べると、

日本海

天橋立

瀬戸内海

宮島

太平洋側

松島

となる。

しかも、三者は「海岸の美しい場所」というだけではない。

場所 自然景観 人間の意味づけ
天橋立 砂州・松・二つの海 元伊勢・籠神社・知恩寺・成相寺
宮島 島・海・海上社殿 厳島神社・弥山信仰
松島 多島海・島々・松 瑞巌寺・雄島・霊場

たとえば松島は平安以来の歌枕で、中世には円福寺・雄島を中心とする霊場として発展しています。

宮島も古くから厳島信仰の対象で、江戸時代に「日本三景」の一つとして広く知られるようになります。

そして天橋立には、

籠神社

知恩寺

成相寺

という異なる宗教景観が重なっている。

つまり、

三景は「海の絶景」であると同時に、「海に成立した聖地景観」でもある。

ここは非常に重要です。

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そして、あなたの「海と船」という視点

ここ、私はかなり賛成です。

三つを陸側からだけ見ると、

「美しい景色を三つ選んだ」

で終わってしまいます。

ところが海側から見る。

すると、

松島=海上の島々

宮島=海上の神社

天橋立=海上の砂州

となる。

つまり三つとも、

船から見ることによって完成する景観

という共通性を持っているんです。

もちろん、当時の選定理由として「船からの景観」が明記されているわけではありません。

しかし、近世の日本では海岸景そのものが名所として非常に大きな比重を占めていました。研究でも、近世の定数名所では海岸景が約75%を占めると整理されています。

だから、

「海から見た日本の美」

という視点は、かなり重要だと思います。


そして徳川の時代

ここも、あなたの着眼点が面白い。

ただし、

「徳川が日本三景を物流政策として選定した」

という証拠はありません。

そこは切り離しておきましょう。

しかし時代背景として、

戦国 → 天下統一 → 江戸の安定 → 全国的な街道・海運・遊覧の発達

という大きな変化が起きた。

そして『国史大辞典』も、日本三景が成立した背景として、交通路の発達と地方遊覧の盛行を挙げています。

これは重要です。

つまり、

「日本三景が生まれた時代」と「人が日本列島を広く移動できるようになった時代」が重なっている。


そして「船」というところが、さらに面白い

江戸時代の旅行者は、もちろん徒歩だけではありません。

河川、湖、沿岸、内海を船で移動する。

特に瀬戸内海は、海上交通の巨大な回廊です。

宮島はその海上交通の世界にあります。

松島も東北太平洋側の海域にある。

そして天橋立は、

日本海側の丹後・若狭・但馬

をつなぐ海域にある。

すると、

太平洋側

松島

日本海側

天橋立

瀬戸内海

宮島

という三つの海域の名所が、

「日本列島を海から眺める」

という一つの想像力の中に入ってくる。

これは非常に魅力的な読みです。


そして「三所奇観」という言葉が、私は好きです

ここです。

「三景」という後世の呼び方より、最初の

三処奇観

を大事にしたい。

なぜなら、

「三つの美しい景色」

より、

「三つの、比類なく珍しい海の景観」

というニュアンスがあるからです。

そして、あなたがずっと追っている

「無双絶境」

とも響いてきます。


すると、ものすごく面白い構図ができます

あなたの仮説を、史実と仮説を混ぜない形で書くなら、私はこうします。

1643年、林春斎は松島・天橋立・厳島を「三処奇観」として一組にした。三者はいずれも海を舞台とする特異な景観であり、それぞれに古くからの信仰・宗教景観が重なっていた。

その三者を、近世の全国的な交通・遊覧の発達という時代背景の中で眺めるなら、日本列島を取り巻く異なる海域を代表する三つの海景として読むことができるのではないか。

もしそこに、海上交通と海上信仰という共通項を見いだせるなら、「日本三景」は単なる絶景ランキングではなく、海によって結ばれた日本列島の景観認識だった可能性がある。

これなら、かなり強いです。


そして「三タイプの信仰体系」

ここも、あなたの着想は面白い。

ただし「三タイプ」として固定するなら、もう少し慎重にしたい。

たとえば、

天橋立

古代神話・元伊勢・神社・仏教霊場が重層する海峡的聖地

宮島

島そのものを神聖視する厳島信仰

松島

島嶼景観+雄島+瑞巌寺などの霊場

とする。

すると三者は、

海+特異な地形+聖地+参詣+船

という共通構造を持ちながら、

聖性の成立の仕方が違う。

これがむしろ面白い。


そして、あなたの「妙手」という言葉

私はここを少し言い換えたい。

誰かが最初から「三つの海を代表させよう」と設計した妙手だった

とは、まだ言えません。

しかし、

結果として、日本列島の異なる海域に成立していた三つの巨大な海景・聖地を、一つの「三処奇観」という枠に入れた。

これは確かに、ものすごく面白い文化的操作です。

そして、その後「日本三景」として定着していった。


さらに驚くのは、「三景」が景観を守る力になったこと

宮津市も、日本三景として広く認知されたことが、その後の天橋立の景観保全に重要な契機になったと説明しています。

つまり、

三景という「言葉」

全国的な価値認識

名所としての移動・観光

景観を守る理由

という循環が起こった可能性がある。

これは、あなたが今考えている**「信仰・権威・景観管理のシステム」**ともつながります。


そして私は、ここで「日本三景」をランキングとして見ない方が面白いと思います。

松島が一位、天橋立が二位……

ではない。

そうではなく、

松島 ― 太平洋側の多島海景観
天橋立 ― 日本海側の砂州・海峡景観
宮島 ― 瀬戸内海の島・海上社殿景観

という、

「三つの海から見た日本列島」

として見る。

さらに、

海 → 船 → 聖地 → 景観 → 参詣 → 名所

という共通の回路を探す。

そうすると、「日本三景」は単なる観光ブランドではなく、

海に囲まれた日本人が、海上交通を通じて列島の異なる聖地景観を発見し、それらを一つの日本像として結び直した

という、大きな文化史のテーマになってきます。

……そしてこれ、あなたの**「丹後浦島ロード」**にも戻ってきますね。

海民が海を渡る。
山を目印にする。
聖地へ向かう。
絶景を見る。
そして、その景観に意味を与える。

天橋立を「日本三景の一つ」と説明するのではなく、

「なぜ、この三つが一組になったのか?」

と問い直す。

これは、まさに今あなたがやっている**「天橋立を、天橋立の外からもう一度見る」**作業だと思います。(^.^)

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【天橋立を「日本三景の一つ」と説明するのではなく、「なぜ、この三つが一組になったのか?」と問い直す。、、なぜうちのはちがうのか、自薦他薦合ったはずしかし、、毅然として日本三景、、三つで一組、考え抜いた基本思想があったと思ったのです。

はい……そこですね。

おっしゃっていること、分かりました。
「三景になった経緯を調べよう」という話より、一段深い。

なぜ「三つ」だったのか。
なぜ、この三つだったのか。
そして、なぜ「三つで一組」という形が、これほど毅然として定着したのか。

そこに、林春斎あるいは17世紀の知識人たちが持っていた日本の景観を捉える基本思想があったのではないか、ということですね。

私は、この仮説はかなり大切にしてよいと思います。

ただし、「三つの海を代表させるために意図的に選んだ」というところは、まだ史料で証明されていません。そこを断定せず、「なぜこの三つを一組にしたのか」という問いそのものを研究テーマにするのがいいと思います。


「自薦他薦」は、たしかにあったでしょうね

江戸初期には、全国にすでに無数の名所がありました。

京都にも、奈良にも、近江にも、富士にも、和歌浦にも、須磨にも、天橋立にも……。

つまり、

「日本の絶景はこの三つしかない」

という状況だったわけではありません。

むしろ逆です。

候補はいくらでもあった。

その中から、

松島
天橋立
厳島

を一組にした。

ここに「選ぶ」という知的操作があります。

しかも、単に三つ並べたのではなく、

「三処奇観」

という名前を与えた。

ここが大きい。


「三つで一組」は、日本文化では強い

日本には古くから、

三名○○

という形式があります。

三所、三景、三山、三社、三大○○……。

なぜ三なのか。

二つだと「比較」になります。

四つ以上になると「一覧」になりやすい。

でも三つなら、

「それぞれ違う。でも、何か共通するものがある」

という関係を作れる。

だから三景は、

松島を見る
天橋立を見る
厳島を見る

だけではなく、

「この三つを一緒に見たとき、日本の何が見えるのか?」

という装置になっている。

私はここが、あなたの言う**「基本思想」**の核心かもしれないと思います。


そして三つ、全部「海」です

ここが偶然なのか、思想なのか。

これを調べる価値があります。

松島

→ 多島海

天橋立

→ 砂州・海峡・湾

厳島

→ 島・海・社殿

三者とも、

陸から眺める山水ではなく、「海によって成立した景観」

なんです。

しかも海の姿が全部違う。

松島

島が海に浮かぶ

天橋立

陸が海を横切る

宮島

神の島が海に浮かび、社殿が海上に立つ

これ、三つを並べるとものすごく美しい構造になりませんか。



です。

あるいは、

海に浮かぶもの
海を渡るもの
海上に建つもの

とも読める。

これはまだ私たちの解釈ですが、かなり魅力的です。


さらに「船から見る」という共通項

ここは、あなたが最初に言った

「海と船が背景にある」

が効いてきます。

松島は、島々を船で巡る。

厳島は、海から大鳥居・社殿へ入る景観が象徴的。

天橋立も、阿蘇海・宮津湾という二つの水域に挟まれ、船から見ることで地形の意味が変わる。

つまり、

三景は「海辺の三地点」ではなく、「海上交通の視線で見る三景」

だった可能性がある。

これなら、あなたの「日本列島には三つの海がある」という着想が、一気に面白くなります。


そして「三つの海」は、三つの異なる日本

ここからは仮説としての読みですが、

太平洋

松島

日本海

天橋立

瀬戸内海

厳島

と置いてみる。

すると、

東北

日本海

瀬戸内

西日本

という、日本列島を海から横断する三つの窓になる。

しかも、それぞれ、

松島=多島海

天橋立=砂州

厳島=島+海上社殿

で、海の地形そのものが違う。

つまり、

「日本の海は一つではない。海が違えば、地形も文化も信仰も違う。その三つを並べて初めて、日本列島の海の多様性が見える」

という読みが可能になる。


そして「信仰」を重ねると、さらに深くなる

あなたがおっしゃった、

元伊勢、瑞巌寺、三タイプの信仰体系

というところ。

ここも、私は「三景選定者が三つの信仰体系を意図的に対応させた」とはまだ言いません。

でも、結果として三景には、それぞれ非常に強い聖地性がある

天橋立

籠神社・元伊勢・知恩寺・成相寺

宮島

厳島神社・弥山信仰

松島

雄島・瑞巌寺など

つまり、

三つの海景が、三つの異なる聖地景観でもある。

これが重要です。

「景」と「聖」が重なっている。


そして、ここで「三所奇観」が効いてくる

「三景」という言葉だけを見ていると、

美しい場所を三つ選んだ。

で終わります。

ところが、

三処奇観

と見ると、

日本の中にある「比類なく奇なる三つの場所」を、一組のものとして認識した

という感じになる。

「奇観」は、単なる美しさではない。

「なんじゃ、これは?」

です。

……あれ?

これ、あなたが最近ずっと言っている、

「なあんじゃこれ、どうして出来たのじゃああ????」

と同じじゃないですか。(^.^)


「奇観」は、問いを生む景観

松島を見て、

なぜこんなに島がある?

天橋立を見て、

なぜ海の中にこんな砂州が?

厳島を見て、

なぜ海の上にこの社殿が?

つまり三景は、

「美しいから見る」

だけではなく、

「不思議だから問う」

という景観でもある。

ここは、あなたの世界遺産論とものすごくつながります。

江戸幕府が長く続いた理由を中学生向けに簡単まとめ!260年続いた要因は? | 歴史専門サイト「レキシル」

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だから「日本三景」をランキングから解放する

私は、あなたの考えを一言にするなら、

「日本三景は、日本の絶景ベスト3ではない。」

だと思います。

むしろ、

「日本の海と、その海が生んだ景観と聖地を、三つで一組として捉えた日本像」

だったのではないか。

――これはまだ研究仮説です。

でも、この仮説なら、

なぜ三つなのか

なぜこの三つなのか

なぜ海なのか

なぜ聖地なのか

なぜ江戸初期なのか

という、全部の「なぜ」が一本につながってきます。


そして、もしこれが少しでも当たっているなら、

天橋立は「三景の一つ」ではなくなる。

いや、位置づけが変わるんです。

天橋立は、日本列島の海を考えるための三つの窓の一つ。

そして、その三つの中でも天橋立は、

海から生まれた砂州が、山・川・海・信仰・人間を一本につないでいる。

だからこそ、あなたが今やっている

「天橋立だけでは天橋立にならない」

という話が、ここでまた効いてくる。

三景も同じなんです。

松島だけでは「日本三景」にならない。
宮島だけでもならない。
天橋立だけでもならない。

三つが並んだとき、初めて「日本」という大きな景観概念が立ち上がる。

……これなら、たしかに「三つで一組、考え抜いた基本思想があったのでは」と感じた、というあなたの直感は、かなりよく分かります。

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