宮津エコツアー · 天の橋立のコアーゾーン&バッファゾーン=天の橋立+ワン 天の橋立を世界遺産に 112

天の橋立のコアーゾーン&バッファゾーン=天の橋立+ワン 天の橋立を世界遺産に 112

【コアーゾーンとしての天橋立、ですね、基本的一般的な観光要素をもって、スニーカーで歩けて諸々が整備された空間、コアーゾーンとしての天橋立、、といえば、絵画写真でフレーミングされたものがモデルになりますね、例えば雪舟さんの、天橋立絵図。まず成相寺、傘松公園側と新しい文殊、天橋立ビューランド側、この二箇所から捉えた展望範囲、ここが世界遺産登録の前提となるコアーゾーン、この認識でよろしいですね】
 日本三景天橋立「散策マップ」パンフレット - 「海の京都」天橋立観光ガイドー天橋立観光協会|日本三景|

はい、大筋ではその認識でよいと思います。
ただし、世界遺産の制度上の「コア・ゾーン」という言葉と、いまおっしゃっている**「天橋立という景観を成立させてきた中心的な視覚領域」**は、少し分けて考えたほうが面白いです。

まず、非常に重要なのはここです。

1.「天橋立そのもの」だけではない

文化庁の「宮津天橋立の文化的景観」は、天橋立だけを孤立した対象とはせず、宮津湾と阿蘇海を隔てる天橋立と、その南北に展開する文化的景観として捉えています。府中側では成相寺・籠神社などの信仰、文珠側では智恩寺と天橋立参詣・観光の歴史が重なっています。

そして宮津市自身の世界遺産提案も、平成19年から「橋立を中心とした地域」の世界遺産登録可能性を検討していました。つまり、行政上も最初から「砂州3.6kmだけ」という発想ではありません。


2.そこで、おっしゃる「二つの窓」が非常に重要になる

私はむしろ、

天橋立を見る二つの巨大なフレーム

と考えると、かなり整理できると思います。

北西側

成相寺・傘松公園
→ 府中・籠神社・成相山を背後にして天橋立を見る

南東側

文珠・天橋立ビューランド周辺
→ 智恩寺・文珠を前景/背景にして天橋立を見る

という二つです。

これは単なる「展望台が二つある」という話ではありません。

天橋立という景観が、歴史的に「どこから、どう見るか」によって意味づけられてきたという話なんですね。

実際、宮津市も、江戸時代までの天橋立絵画には府中側から描いたものが多く、成相寺が重要な眺望地点だったと説明しています。さらに雪舟の『天橋立図』は、実景をそのまま写真のように写したものではなく、複数の場所・景観要素を再構成した可能性が指摘されています。

ここが、ものすごく面白い。

天の橋立 雪舟Amanohasidatezu


3.だから「雪舟のフレーム」は、コア・ゾーンを考える上で強い

雪舟の『天橋立図』は、

「天橋立をどういう一枚の景観として認識したか」

を示す歴史資料ですよね。

しかも現在の写真のように、

「この展望台から見たら絶景!」

という単純なものではない。

雪舟は、府中、文珠、栗田半島、天橋立、さらに冠島・沓島までを一つの画面に再構成している。宮津市も、この絵が当時の景観を復元する上で極めて重要な史料だとしています。

ですから、

「世界遺産として何を守るのか」

「天橋立という物体だけではなく、天橋立が“景観として認識されてきた関係”を守る」

という方向へ、一段深くできます。


4.ただし、「二つの展望範囲=世界遺産のコアゾーン」と断定するのはまだ早い

ここだけは慎重に。

現在の日本の世界遺産暫定一覧表には天橋立は載っていません。文化庁によれば、現在の暫定一覧表は「古都鎌倉」「彦根城」「平泉拡張」の3件です。したがって、現時点で国際的に確定した天橋立の世界遺産コア・ゾーンが存在するわけではありません

なので、安田さんの言い方を少し正確にすると、

「世界遺産登録を考える際のコアとなる景観領域を、二つの歴史的な眺望軸から考える」

ということになります。

そして私は、これはかなり筋がいいと思います。


そして、ここから「仲間たち」が出てくる

ここが、今まで話してきた

『世界遺産・天の橋立と仲間たち!』

につながります。

最初は、

コア

天橋立

その周囲に、

第一の景観フレーム

成相寺―傘松―府中―籠神社

第二の景観フレーム

文珠―智恩寺―ビューランド―宮津

そして、その外側へ、

阿蘇海
野田川
世屋川
世屋高原
与謝野
伊根
浦島
山・森・田・湿地
そしてそこに暮らす人々

と広がっていく。

つまり、

「コア・ゾーンからバッファー・ゾーンへ広げる」

だけではなく、

「一枚の絵のフレームから、その絵を生み出している地球・水・山・人のシステムへ出ていく」

わけです。

これなら、以前おっしゃっていた

「この景色の中に、地球の物語がある。」

が、単なるキャッチコピーではなくなります。

むしろ、

雪舟が一枚の絵にした景観を、私たちはその絵の外側まで歩いて見に行く。

――これ、かなり強いです。

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 【ありがとう、、コアゾーンについてはイメージをクリーンに共有出来ます、それに対してバッファゾーン、これはどうも不透明、関係者のみなさんも「苦慮」されていらっしゃるようなのです,(^.^)】
 そうなんですよ。(^.^)

コア・ゾーンは「ここを守る」が目に見える。ところがバッファ・ゾーンになると、急に霧が出る。

しかも、これは天橋立だけの問題というより、世界遺産の「バッファゾーン」という仕組みそのものが持つ難しさなんです。

少し整理すると、安田さんが感じておられる「不透明さ」は、かなり本質的だと思います。

コアは「景観そのもの」

たとえば、

成相寺・傘松公園から見る天橋立
文珠・ビューランドから見る天橋立
雪舟が絵にした天橋立

ここには、

「この景観を次世代に残す」

という共通認識をつくりやすい。

ところがバッファになると、

どこまで入れる?
なぜそこまで?
何を守る?
誰が守る?
開発規制なのか?
景観保全なのか?
文化的景観なのか?
それとも観光振興なのか?

と、一気に問題が増える。


でも、天橋立には「バッファを考える別の方法」があるかもしれません

私はここで、これまで安田さんと話してきた

「仲間たち」

が効いてくると思います。

普通は、

コア・ゾーン

バッファ・ゾーン

と、同心円状に外へ広げるように考えます。

でも天橋立の場合、

天橋立を成立させている関係を外へ追っていく

という考え方ができる。

たとえば、

天橋立



海流・沿岸漂砂

阿蘇海

野田川・世屋川などの河川

山地

森林・田・湿地

人の暮らし

となる。

するとバッファは、

「天橋立の周囲○km」

ではなく、

「天橋立に影響を与え、また天橋立から影響を受けている関係領域」

として見えてくる。


すると、世屋が突然「バッファ」ではなくなる

これ、結構大きな違いです。

「世屋は天橋立から遠いから、バッファに入れるべきか?」

ではなく、

世屋川の源流域は、天橋立という景観を考えるとき、どんな役割を持っているのか?

と問える。

すると、

森林
→ 土砂
→ 河川
→ 海
→ 砂州

という物質循環の関係が出てくる。

さらに、

田んぼ
→ 水管理
→ 森林管理
→ 集落
→ 人の営み

という文化的景観の関係も出てくる。

そして、

高校生
企業
農家
行政
ガイド
地域団体

まで入ってくると、

「世界遺産を守る人々のネットワーク」

になる。


だから私は、安田さんの構想では、

コア・ゾーン → バッファ・ゾーン

よりも、

コア・ゾーン → 関係領域 → 仲間たち

と考えたほうが、ずっと天橋立らしいのではないかと思います。

そして面白いことに、これは先ほどの雪舟の絵ともつながります。

雪舟の絵は、天橋立だけを切り取っていない。

山、海、島、寺、集落、橋立……それらの「関係」を一つの画面に置いている。

つまり、

コア・ゾーンは「絵の中」

バッファ・ゾーンは「絵の外側」

と考えるのではなく、

「一枚の絵を成立させている関係を、絵の外へ歩いて探しに行く」

と考える。

これなら、バッファゾーンの「苦慮」が、少し違う問いに変わります。

「どこまでをバッファにするか?」ではなく、
「天橋立にとって、誰が、何が、どんな関係で“仲間”なのか?」

……そして、ここで「あ・い・せ・よ」が効いてくるんですよね。(^.^)

阿蘇海・伊根・世屋・与謝野。

これは行政境界で切った「周辺地域」ではなく、天橋立から関係をたどって出会う四つの世界になってくる。

私はここ、かなり重要な転換点だと思います。

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【天橋立プラスワンを課題にスタートし、エコツーリズム大賞優秀賞を授与されるまでにもりあがった宮津市エコツーリズム推進協議会、それが、自立定着出来なかったのは、コアとバッファ、その関係の認識を広く共有し組み合わせを図れなかったことかもしれないと、気づきました、反省しています、、ありがとう】

ああ……それは、かなり大きな「気づき」だと思います。

そして私は、「反省しています」だけで終わらせないほうがいいと思います。
むしろ、当時の実践があったからこそ、今になって構造が見えてきた、と捉えてよいのではないでしょうか。

「天橋立プラスワン」は、言葉としてはとてもシンプルですが、実はものすごく重要な問いを含んでいたんですよね。

天橋立だけを見て終わらず、もう一つへ行こう。

ところが、その「もう一つ」が、単なる観光スポットの追加になってしまうと、

天橋立 + ○○

で終わってしまう。

本当は、

天橋立(コア)

それを支えている地域・自然・暮らし(バッファ/関係領域)

だった。

そして、その二つを**「なぜ一緒なのか」まで説明する共通言語が必要だった**。

ここが共有されないまま、それぞれの団体がそれぞれに頑張ると、

  • 観光は観光
  • 自然は自然
  • 地域づくりは地域づくり
  • 教育は教育
  • 世界遺産は世界遺産

になってしまう。

それぞれは頑張っているのに、一つの大きな物語にならない。


そして、これは「失敗」よりも貴重な実証データです

宮津市エコツーリズム推進協議会が「天橋立プラスワン」を掲げ、実際に盛り上がり、エコツーリズム大賞優秀賞まで到達した。

つまり、

「天橋立から周辺地域へ人を動かす」こと自体は可能だった。

問題は、その先の、

「なぜ、そこへ行く必要があるのか」

という意味の共有だったのかもしれません。

そして今、安田さんが見つけつつあるのが、

天橋立を守るために、天橋立の外を見る。

という一本の軸ですよね。

これは「天橋立プラスワン」の、かなり深い再解釈になり得ます。


天橋立 | 焚き火好きな父とワンパク坊主達の日々雑多

そして、ちょっと面白いことがあります。

以前の話に出てきた大砲です。

昔の人は、

「天橋立を守るために、ここに大砲を置いた。」

では今度は、

「天橋立を守るために、どこを見る?」

と子どもに問う。

答えは天橋立の中にはない。

山へ行く。
川を見る。
田を見る。
湿地を見る。
人を見る。

これって、まさに

「コアからバッファへ歩く」

という学習そのものなんですよね。

だから、もしかすると今になって初めて、

「天橋立プラスワン」が何だったのか

が見えてきたのかもしれません。

「もう一つ観光地を足す」のではなく、

天橋立から、その“仲間”を一つ発見する。

そして一つ発見すると、その先にまた仲間がいる。

天橋立 → 阿蘇海 → 野田川 → 世屋川 → 世屋高原 → 森 → 湿地 → 人

……これはもう、以前の「周遊ルート」とは少し違います。

一枚の景色から、世界をほどいていく旅です。

そして、これなら「バッファゾーンがどこまでか」という行政的な難問にも、別の角度から光を当てられる気がします。

日本三景天橋立「散策マップ」パンフレット - 「海の京都」天橋立観光ガイドー天橋立観光協会|日本三景|

安田さんが今感じておられるのは、過去への反省というより、あの実践から十数年かけて、ようやく「なぜ続かなかったのか」を構造として言葉にできた、ということなのではないでしょうか。

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