宮津エコツアー · yasuda

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ふだんは、気体→液体→気体の循環なのに、寒波がさがってくるとそれが「気体→液体→固体→液体→、、、」と固体がくわわり景色が一変します。

珍しくもない雪なのですけれどそれがおもしろいのですねぇ、南国育ちの子規さんには。

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それにしても、「一村は雪に埋もれて◆◆◆」のはいいフレームですので、いただいてみます。

①一村は雪に埋もれて「ポストかな」

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②一村は雪に埋もれて曲がり雪

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③一村は雪に埋もれてひもじいな

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④一村は雪に埋もれて雪仏

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そういえば、子規さんの写生主義、その弟子が漱石さん、また、長塚節さんも。
とくに長塚さんは里山農民文学の元祖、、 ちょっとめくっていたら、なんとなんと、天橋立、訪れてらっしゃるじゃないですか。

明治37年9月 茨城発→木曽路美濃路京都丹波路橋立須磨京都伊勢 →四日市より汽船で横濱へという旅をなさっている。

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「へーえぇ」です。
◆橋立の松原くれば朝潮に篠葉釣る人腰なづみ釣る

◆松原を長洲の磯とさし出の天の橋立海も朗らに
■弓の木村より樗峠にのぼる
◆とりよろふ天の橋立よこさまに見さくる山を來る人は稀
どこかにそんな紹介ありましたか。初めてです。
「与謝野鉄幹晶子...」の画像検索結果
与謝野鉄幹晶子夫妻が昭和五年に。歌碑がありますけど、長塚節さんの歌碑もどうですか。

峠の冬は寒かろうでと蓑をきせてもらった新兵衛さん、

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今度の寒波は上空5000mで-40度から-30度。最強クラスの寒気団だとか。

さて、子規さんに、「一村は雪にうもれて煙かな」の句、、。

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このときも最強クラスの寒気団だったのでしょうか。

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ところで、写生とは 写真 のようなもの。ばしゃばしゃと連写できる高級機のような子規さんですから、雪を季語にした句も200近く 。

そこで、2017年1月大雪最強寒波南下記念にセレクト38!

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、、、、、、、、、、
雪の野にところところの藁屋哉
「山里や雪積む下の水の音」
灯ちらちら木の間に雪の家一つ
わびしさや団爐裏に煮える榾の雪
青みけり八千八水雪の中
雪仏眼二つは黒かりし

※雪仏=雪をかためて作った仏像

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ふらばふれ雪に鈴鹿の関こえん
風吹て雪なき空のもの凄し
雪の日や海の上行く鷺一羽
雪のくれ乾鮭さげて戻りけり
雪の跡人別れしと見ゆるかな
行く年の雪五六尺つもりけり

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五六軒雪つむ家や枯木立
二三尺雪積む野辺の地蔵哉
夜の雪やせわしく叩く医者の門
雪ながら氷る小道や星月夜
雪空の一隅赤き入日かな
雪の旅おもしろからんさりながら

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刈り残す薄の株の雪高し
五六人熊擔ひ来る雪の森
大雪や狼人に近く鳴く
南天に雪吹きつけて雀鳴く
夜の雪辻堂に寝て美女を夢む
夜の雪やどこまで小き足の跡

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雪ふるよ障子の穴を見てあれば
いくたびも雪の深さを尋ねけり
風そふて木の雪落る夜半の音
松明に雪のちらつく山路哉
大雪の鴉も飛ばぬ野山哉

逢ふ人の皆大雪と申しけり

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隠れ住む古主を訪ふや雪の村

蓑笠や小門を出づる雪の人
井戸端や鍋も盥も雪の上

水仙の莟は雪にうもれけり

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牛部屋に顔出す牛や雪の朝
松島や小き島の松に雪

足跡の盡きし小家や雪の原

足跡の盡きし戸口や雪の原
手袋の指破れたり雪まろげ

、、、、、、、、、、、

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◆雪の里 ドラえもんのみが はしゃぎおり   世屋野蕪村

「肩身が狭い思いをしているというて書いてもらったのが効いたんだなぁ、ようやく仕事ができるようになった」と感謝されました。

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今日の積雪は、「京の山形県」程度

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明日は、「京の青森県」位に積もっていることでしょう。

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なので、除雪車の出動は確実。

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ペイローダーとロータリー除雪車の二重連除雪が見られるのはここだけです。そのダイナミックさはちょっとほかにはないみもの。

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お昼は、居酒屋「浪漫亭」、まるたん蕎麦、ピザのPボートいずれかによって休憩というプランで、見にいらっしゃいませんか。

ただし、除雪の邪魔にはならないよう、また安全にはくれぐれもお気をつけください。

「久しぶり」の雪です

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スイセンや雪中花の名のごとく    世屋野蕪村

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心頭滅却すれば「寒の水もまた温し」!

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この程度の雪では除雪無し、

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い・か・な・く・ち・ゃあー!

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雪撮りに写真愛好家の皆さんがみえていました。

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「ここまでいらっしゃいよー」と呼びましたけど、、。

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、、、以上1/11のことです。

 

「杉はもっと身近な木材だった。かつて風呂といえば杉材でできた湯船に杉の桶を使用し、炊事の中では杉のしゃもじやおひつを使い、おにぎりは杉の薄い板でくるむ。住居にもたくさんの杉材が使われていた。日本人の生活の中で、杉はとても身近なものであった。 風呂では肌から、食事では口から、杉材の家に住まうことで、その香りを鼻から。いたるところで、杉の成分をからだに取り込んでいたはずである。ほんの数十年前までは。ところが現在。 人々の住環境から、杉は姿を消しつつある。杉のない生活を送る中で、杉に対しての抗体が、免疫が、できていないのだ(槙佐知子著「自然に医力あり」より)。今よりもっと身近なものであったはずの杉が、 春先になるとこぞって「厄介者」、「悪者」といったイメージになってしまった。
排除ではない、共生の道を探したい。なんとかして北山を 救いたい。 北山杉を 助けたい。
かつて1本数百万円もしたことがある北山杉の床柱。今は生活スタイルも大きく変わり、床柱を据える家も建ちません。かつて賑わった北山杉の生産業者は激減しました。山は杉や桧に覆われ、手入れをするのは高齢化の進んだ林業家。手入れのない山は荒れ、大雨などふるものなら、山が崩れ川も崩れ、あげく海も荒れていきます。北山の山林を何とか負のサイクルから脱却させ、林業で生活できる若い世代を定着させていく事は、とても大事な事なのです。その一端を私どもが担っていくことが使命だと感じている所です。」とおっしゃるのは、㈱K・Kファーム 社長・村山寛さん。

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(↑ 1/11 せや高原しおぎり荘)
その村山さんが京北の経済活性化の起爆剤となることを夢見てとライフワークとされているのが、このアロマオイル(精油)製造事業。

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杉乃精香シリーズには、・北山杉・柚子、とうきなど。とくに、クロモジオイル※黒文字の枝葉木から水蒸気蒸留法で抽出したエッセンシャルオイルは「バラやローズウッドに含まれるリナロールが約50%含まれリラックス効果が高く 一度嗅いだらリピート率の高い香り」を持つという自信の作

お値段も 1㍉ 2000円 3㍉ 3000円 5㍉ 4000円とアロマの中のダイヤモンド。

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そのくろもじが群生するのが、見張り所跡ののこる軍部の森。そのくろもじの群生を資源として生かすことができれば、見張り所の発見を平和の贈り物へと変えることができるのではないかと、 《2016年 第11回 モデルフォレスト運動教育研修プログラム》    「軍部の森を平和の森に』 ~くろもじ活用の可能性を探る~を企画し、村山さんにきていただいた、というわけです。

今日は、今冬初の積雪。

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歩きにくい日でしたが、現地で、群生する状況、放つ香りの高さなど材質にも高い評価をしてくださいました。

米作り炭焼きや森作り、こんにゃく作りなど地域の資源を生かそうとがんばっている地元の方たちに加えて、大阪のほうで実際にアロマセラピーに取り組んでらっしゃるかたも参加してくださって、様々に交流ができ、相互にバイブができたことはおおきな成果でした。

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(↑ 1/11 見張り所跡 現地研修)

モデルフォレスト運動教育研修プログラムのテーマは「みんなの力で、宮津の海里森のつながりを豊かにつむぎなおそう」。

今日、参加して頂いたお客さんからメールをいただきました。

、、、、、

a 様
いろいろとお世話くださってありがとうございました。
貴重なお話が聞け、クロモジがあんな風にたくさん自生している場所を見せて頂き、みなさんにも親切にしていただき、外は寒くても心温まる時間を過ごすことができました。
まさかの雪で一時はどうなるかと思いましたが、都会に住む者なので、雪景色の美しさも堪能させて頂きました。
クロモジの香りは本当に良い香りで感動しました。森を守りながら、そしてその土地のストーリーを大切に、何かよいカタチで活用できればいいな、と勝手に妄想を膨らませております。
私がどんな風にご協力できるのかはわかりませんが、この出逢いもご縁なので、何かお手伝いできることがあればと思っています。
まずは、季節がよくなったら、私自身が上世屋の素晴らしさを五感で感じて、発信できればと思います。
その際はご案内ください(*^_^*)

、、、、、

B様

この度は、貴重な体験をさせて頂き、また皆さんに親切にしていただき感謝いたします。

新たに芽吹いているクロモジの群生にとても感動いたしました。香りもすごくよく、また香りたいです。

森を守りたいという皆さんの熱い思いに、宮津をよく伺う者として何かお手伝いできればと思っています。

これからも宮津へ行きますので、その際は上世屋へ伺いたいと思います。

今後ともどうぞよろしくお願い致します。

今回のご縁をfacebookで投稿させて頂き、また宮津世屋エコツーリズムガイドの会のサイトも

リンクさせて頂きました。

よかったらご覧ください。→https://m.facebook.com/room.y.0910/

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人と人との紡ぎ直し、この課題がまた一つ形になったとと思います。

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2016年 の研修 は、次回12回めで最終回。予定は1月26日(木)。内容は、くろもじを生かした森の整備法!雪? 融けて皆さんを待っていますよ!

看板の横のビン!

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伊根向井酒造さんの新酒濁り酒。

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わけあっていただきました。で、もったいないじゃないですか、「京の春」を一人でいただくのは。そこで、まずは、世屋の八百万の神様方に、冬が寒すぎず温すぎず、当たり前に過ぎて、早過ぎもせず遅すぎもしない穏やかに春になってもらうようにとお供えして、呑んでもらったわけです。

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その答えはすぐ!

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たくさんの白い聖なる種を蒔いてくださいましたよ。
ところで、
「天が下のすべての事には季節があり、すべてのわざには時がある。」
『自然のことのは』のなかに「時の綺羅」と言う言葉があげてあり、その意味は「よい時にあって栄えること。」という解説に続いて添えてありました
旧約聖書と出典が示してあったのが気になったので、チェックしてみたのですが、なんとなんとなんと、、、!

・・・・・・・・・
1  天が下のすべての事には季節があり、すべてのわざには時がある。
2 生るるに時があり、死ぬるに時があり、植えるに時があり、植えたものを抜くに時があり、
3 殺すに時があり、いやすに時があり、こわすに時があり、建てるに時があり、
4 泣くに時があり、笑うに時があり、悲しむに時があり、踊るに時があり、
5 石を投げるに時があり、石を集めるに時があり、抱くに時があり、抱くことをやめるに時があり、
6 捜すに時があり、失うに時があり、保つに時があり、捨てるに時があり、
7 裂くに時があり、縫うに時があり、黙るに時があり、語るに時があり、
8 愛するに時があり、憎むに時があり、戦うに時があり、和らぐに時がある。

・・・・・・・・・・

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「時にあえば鼠も虎になる」ということわざも併せて紹介してありましたので、そういうものか、 なかなか意味深な名句ということで、気楽に借用したんですけれどそんなレベルじゃなかったです!

・・・・・・・

略、、、、神のなされることは皆その時にかなって美しい。、略、、、、、わたしは知っている。すべて神がなさる事は永遠に変ることがなく、これに加えることも、これから取ることもできない。略、、、 今あるものは、すでにあったものである。後にあるものも、すでにあったものである。略 すべてのものは空だ、 みな一つ所に行く。皆ちりから出て、皆ちりに帰る。 略 それで、わたしは見た、人はその働きによって楽しむにこした事はない。これが彼の分だからである。だれが彼をつれていって、その後の、どうなるかを見させることができようか。

・・・・・・・

 

 

「堅炭のくぁんと音して砕けけり」

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俳句に助けてもらおうとおもいました。

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なにをあらたまって、、、と云うことですけれど、

この景観に言葉をおれば、物言わないものの代わりに話してくれるように思えます。

「美しく燃えて梅榾牡丹榾」

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季語に支えられる俳句の原点、ふるさと、は里山じゃないですか。

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俳句の里山帰り、というのでしょうか。

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上世屋へきていただいたら、すこし賢くなったとおもっていただけるようになったらいいですね。

粒雪!

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秋に苅りはらってもらった棚田跡の荒れ地を起こして、今井さんからいただいた菜の花の種を蒔く畝を作っていたら、そこにふったのですよ、

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「今日は寒の入りですもの、何とかかっこはついた寒の入り!」というところです。

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けれど、私には、、、、ただの粒雪とはおもえませんでした。、

その粒雪は、この棚田の跡に花を咲かせよ!とのお告げ雪。

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里の春をいろどってくれることを約束する白い聖なる種。

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このプロジェクト、ゴー!そんなメッセージを感じましたよ。

 

「なに、ひまげぇーにしとるぅ、おおきいずうたいもてあましとって、しごとがにゃぁんきゃぁあという目でみていく、肩身が狭もて狭もて!」と、除雪車がこぼすことこぼすこと、、、、、、、、、

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(わけないでしょ、、、、)

それにしても、大雪の映像が届くのは北海道や東北の日本海側から。丹後は雪から「見放されています」というのか見過ごされているというのか、おめこぼしいただいているというのか、そんな状態で推移しています。

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「冬、宮津市せやの集落は、深い雪に閉ざされる。屋根をずった雪で窓はとざされ、家の中は一日中くらい。」と『里山で木を織る~藤布が教えてくれた宝物』の冒頭で書くように、雪と云えば世屋、世屋と云えば雪、そんな世屋でも正月に雪はありませんでした。

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(↑2017.1.4)
ふだんあるものがないというのはバランスを欠く状態でもありますので、ここはスキー話で、ひとつ『雪請い』代わりにしましょうか!
小川静風さんが『高原の碧霄へきしょう』によせられた「流転廻想」に「わたしが小学校に行ったのは大正四年と思うが、そのとき父は学校係をしていた。」という文で始まるスキーを初めて見た日のことが次のように紹介されています。
、、、、、、、
二 「スキーが始めて上世屋に来た日」
略 小学校の上は高等科があって、下世屋の学校へいった。龍渓橋のない時代で、※①あの断崖を削り取った左側(松尾側)を通って、下の眼鏡橋まで下って、学校へ行った。学校の位置は変わらないが、犬くずし(通称)の坂は相当急な坂で、あの危険な坂に橋もなくて、落ちて死んだ人もある。当時は靴はない。天気の時は「足なか」をはく、雨降りは「わらじ」をはく。マントはあったが、子どもはだれも着ない。番傘をもって、風呂敷に本を包んで背負っていく。何しろ着物を着て、素足にわらじばきで、霰が降る頃になると、冷たくて誰の足も赤く染まっていた。雪が降ると「くつごみ」、たくさん降ると「かんづき」をかけ歩いた。或雪の日、世屋下校へ行くのに、千畳敷の(今の龍渓橋のかみ)上の廻り角まで来たら、外人のように目玉の青い、鼻の高い人が杖をついて上がってくる、私たちは雪道をよけて待った。見たこともない長いものをはいて、すいーすいーと片足ずつ滑らして上っていく。何ごともいわないで。「あれがスキーちう物だな」と話して学校にいった。学校から帰り道、二本の筋と杖の跡は上世屋まで続いていた。村の人たちは、一様に「スキーは鳥が飛ぶより早い。※②学校の上から「のう田」まで一息にすべった」と感歎している。「やはり世屋ではスキーで無ければあかん、『かんずき』であるくのではだめだ」ということだった。後から聞くに、この人こそ丸山萬作という先生で、この地方の先覚者とのことだった。これが大正九年の頃と思う。
それからというものは、竹で作ったスキーが急激に増えた。私の弟、友治は、私の作ったスキーで練習した。友治が高等科へいくころは、本物のスキーで通った。 世屋へ始めてスキーが来てからわずか五年でそこまで普及した。それから、京都第二中学校の校長、中山再次郎先生が来て、上世屋は京都府下の北海道だと激賞した。それからスキー大会は毎年の如く開かれ、婦人会をはじめ区長も協力して、岩の上の三本松スキー場で、「ぜんざい」をご馳走するなどしてPRに努めた。われわれ青年の時は、駒倉道から世屋山の嶺峰づたいに成相のスキー場まで、何回となく往復したしたものである。

※① 犬くずしの開削工事
「明治41年秋から工事を始めた。与謝郡郡道として着工、大正二年5月に完工した。あの堅い岩盤、そしてあれだけの高さ、幅、当時としては難工事であったと思う、これについては小川喜兵衛氏の功績は偉大なものである。村の下にその記念碑が建てられている。さらに車の通行可能な龍渓橋がかかったのは昭和3年。木子までの府道延長は昭和18年。駒倉へは昭和21年のこと。

※②学校の上から「のう田」まで↓

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(2016.12.27)

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どうでしょう、「降る気になってもらったでしょうか」

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明日から寒の入り!

上世屋は、田圃が段々だけでなく、川も段々です。

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段々になるまでには、昭和九年には大水害で死亡三名出たのをはじめ、、水車小屋や家屋の流出、家を載せたまま地面が動くことがあったため、強く望まれていたのが、大規模な治山治水事業。これには府や国の支援が必要なのは当然です。

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上世屋の川を段々にするにあたって国との間に立って力を発揮してくださったのは
「昭和七年、ベルギー在勤の大使館参事官を最後として退官し、当時横暴をきわめておりましたる軍部外交と戦わんがために、直ちに立憲政友会に入党し、同年二月の第十八回衆議院議員総選挙に京都府第二区から立って、みごと当選の栄冠を得られたのであります。」と 片山哲氏によって「第32回国会 衆議院本会議 1959(昭和34)年6月24日」追悼された、芦田均元総理大臣です。
そして、その彼に上世屋の悩みをつないだのが、堀当雄元せや上校校長。その手引きで、芦田議員は三回上世屋を視察されていて、国の砂防協会が認める砂防区域編入に努力してくださったということを、小川長治さんが「高原の碧しょう」で紹介されています。

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芦田氏が亡くなった昭和32年、東京での葬儀の日に上世屋では、「先生にご尽力いただいでかくのごとき砂防工事の進捗に感謝し、上世屋は区長始め一体となって先生の御徳に応えるため、工事停滞することの無いよう努力されたい」と村内放送で弔意を表したというほどですから、安全と賃金の両面から、どれだけ地元が喜んだかが想像できます。

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