宮津エコツアー · yasuda

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おや、あれはなんだい、

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府中、籠神社を過ぎて伊根へと走るすぐ左、

DSCN0081花の塊

府中公園の道向かい付近山側に薄薄ピンクの大きな花塊。

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枝振りも見事な大しだれ桜です。

DSCN0088おお

その枝を支える根元がしっかりして風格充分。

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人影はない。真名井、籠のビックネームの観光導線からは少し外れているためだろう、

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しかし、桜って見てもらってなんぼと入りを入りを計算して咲いているのではありますまい。

DSCN0084翼

府中大垣のこの大しだれ桜、お薦めですよ

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桜もあなたと、二人きりで対話ができること、喜んでいるのではないでしょうか。

※この桜撮影の狙い目は、海からの満月の月の出ですよ。

 

日本の春はサクラてんこ盛り。学校に、公園に寺社に駅に堤防にと全国に植えられています。

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このサクラたちの、開花の気温の目処は15度、名付けて桜前線、これが出会いと別れの春を彩りながら、南から北まで遡っていくのです。

この前線、上世屋にもやってきましたよ。

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さて、改良に改良を重ねて生み出された品種、その数300種以上とも言われます。

↑ 地主神社の「ミクルマカエシのサクラ」。

この新品種改良も、長い旅。

このあたりの事情は、「農水省 日本の桜の歴史」が詳しいようです。

① いま、お花見といいます。しかし、平安時代初頭の嵯峨天皇までは、花見といえば梅だったといいます。
なぜ嵯峨天皇の時に「梅→桜」という変化がおこったのか、そのきっかけは、嵯峨天皇が地主神社に植えられていた桜をたまたま見かけて、そのあまりの美しさに魅了されたからだといわれています。
地主神社の境内に咲く見事な桜の美しさに、牛車を二度、三度と引き返させて眺めたと伝わっています。
それ以来、嵯峨天皇は毎年神社から桜を献上させ、梅ではなく桜の花見を催すようになったようです。
地主神社の桜(地主桜)―嵯峨天皇の故事から「御車返しの桜」とも呼ばれるように
こうして桜の花見は、貴族たちにも一気に広まっていきました。
やがて桜の花見は天皇主催の定例行事として取り入れられるようにもなり、皇族や貴族などの上流階級のあいだで定着していったのです。

京都の東山などに桜が植えられ、現在にも続く花見の名所が誕生していきました。
また貴族たちも屋敷の庭に桜を植え、常日頃から桜を愛でるようになっていきました。

② 3月3日の桃の節句は、もともとは中国から伝わったもので、春を祝い無病息災を願う厄払いの「上巳(じょうし)の節句」という儀式でした。奈良時代まではその儀式に桃や梅を使用していましたが、いずれも中国から持ち込まれた観賞用の植物であり、日本には自生しない外来種でした。
「桃や梅は貴族社会で珍重されていましたが、平安時代になるとどこにでもある身近な桜を愛でようという機運が高まり、儀式や行事に桜が用いられるようになりました。奈良時代の『万葉集』にも桜が詠われていますが、儀式的な意味は無かったようです」(勝木先生)。
春の花の象徴として桜が詠まれるのは平安時代の「古今和歌集」からで、桜を愛でる文化が生まれたのは、この時代からだろうと推測されます。
平安時代には、ヤマザクラを用いた桜の栽培化も行われるようになりました。
「桜の鑑賞性が高まったのでしょう。庭に植えるための苗木生産も始まり、野生種ではない栽培品種も誕生しました。もっとも古い歴史を持つのが‘枝垂桜’であり、平安時代の文献に名前の記載が確認されています。なお、‘枝垂桜’は野生種であるエドヒガンの突然変異だと考えられています。現在も調査中ですが、当時、育てられた個体の子孫が、日本全国に広まったと推測されます」(勝木先生)。
伊豆諸島から鎌倉へ渡ったと思われるオオシマザクラ。歴代の“鎌倉殿”も白き桜を愛でていたのかもしれません。
オオシマザクラは、第1週目のもっと知りたい! 身近な桜たちで紹介したとおり伊豆諸島の大島などに自生していた野生種であり、当時の京都の人々はその存在を知りません。しかし、室町時代の文献にはオオシマザクラらしき記述が見受けられるようになりました。
「伊豆諸島から鎌倉に渡り育てられていたものが、すでにヤマザクラが栽培されていた京都へ持ち込まれたと考えられます」(勝木先生)。
平安時代に始まった桜の栽培は鎌倉時代に発展し、流通が始まっていたのかもしれません。 (農水省 日本の桜の歴史)

という歴史は、一面、けたたましい喧噪の競い合いの歴史。御所やお城のサクラのお下がりをもらうような気分もしないわけでもありません。

ところで、さざ波立つ水面に姿映す花、これもサクラ。

「古池やかわず飛び込む水の音」のわびさびに通じるものが感じられて、いいサクラです。

20240404_144522都にはありますまい
このため池の水で米を作るお百姓は、天水だけを貯めた雑排水が混じらん水だ、と米の品質を味を自慢します。

そのサクラ(桜)の語源は稲作と共に?と思えたので

では、と調べて見ましたら、韓国語では、pŏt-kkot、ポッコッ。
(ポッコチピダ) 桜が咲く(ポッコッチョンソン) 桜前線

中国語か、 yīnghuā イン フゥア

どうもその気配はありません。

としたら、日本語起源。そこで、Copilotさんにとりあえず、見当をつけてもらいました。

そうしたら、「**桜(さくら)**という名前の由来や語源について、いくつかの説があります。どれも未だに「これが正しい説」という確証は得られていませんが、」と諸説ある中、認知度の高い説として二つを紹介してくれました。

以下、まずやりとり。

「木花之佐久夜毘売(このはなのさくやびめ)」からきている説:
古事記や日本書紀に登場する「木花之佐久夜毘売」が由来とされています。
逸話によれば、富士山の上空から桜の種を蒔いたとされ、その名前が「さくや」から「さくら」に変化したと考えられています。
「田んぼの神様」からきている説:
桜は「豊作をもたらす田んぼの神様が宿る木」と考えられていました。
「さ」は稲の精霊、「くら」は稲の精霊が降臨する場所を指す古語で、このふたつが組み合わさって「さくら」となったとされています。

◆自分
「木花之佐久夜毘売」説と「田んぼの神様」説、この有力説の二つを比較して、どちらが成立的に早いと思われますか
◇Copilot
「木花之佐久夜毘売」説と「田んぼの神様」説の比較を考えてみましょう。
「木花之佐久夜毘売」説:
この説は、古事記や日本書紀に登場する神話的な人物「木花之佐久夜毘売」が由来とされています。
逸話によれば、彼女が富士山の上空から桜の種を蒔いたことがあります。
この名前が「さくや」から「さくら」に変化したと考えられています。
成立的には、古代の伝説や神話が存在しているため、比較的早い時期に名前が付けられた可能性が高いです。
「田んぼの神様」説:
桜は「豊作をもたらす田んぼの神様が宿る木」と考えられていました。
「さ」は稲の精霊、「くら」は稲の精霊が降臨する場所を指す古語で、このふたつが組み合わさって「さくら」となったとされています。
成立的には、日常的な農耕文化に密接に関連しているため、比較的早い時期に名前が付けられた可能性があります。
どちらが正確に早い時期に名前が付けられたかは、歴史的な文献や証拠が限られているため断定できませんが、いずれの説も桜の美しさと日本文化との結びつきを感じさせてくれますね。

ありがとさん、しかし、Copilotさん、逃げたかな!と思いました。

この花説 比較的早い時期に名前が付けられた可能性が高いです。
稲の精霊説 比較的早い時期に名前が付けられた可能性があります。
どちらが正確に早い時期に名前が付けられたかは、歴史的な文献や証拠が限られているため断定できませんと避けたのです。しかし、どちらが正確に早い時期か、古事記や日本書紀は、稲作文化が作った国家の記録ですから、農耕の現場から生まれたとする説が先とするのは、そう難しい判断ではないはずです。

桜は、 尋常小学校教科書 一年生 国語に、こう取り上げられています。
サイタサイタサクラガサイタ(咲いた、咲いた、桜が咲いた)
コイコイシロコイ(来い、来い、シロ来い)
ススメススメヘイタイススメ(進め、進め、兵隊進め)
オヒサマアカイアサヒガアカイ(お日様赤い、朝日が赤い)
ヒノマルノハタバンザイバンザイ(日の丸の旗、万歳、万歳)

西条八十は 「二輪の桜」として雑誌『少女倶楽部』【昭和13年(1938年)2月号】発表した軍国歌謡詩。

君と僕とは二輪のさくら  積んだ土嚢の陰に咲く
どうせ花なら散らなきゃならぬ  見事散りましょ 皇國(くに)のため

君と僕とは二輪のさくら 同じ部隊の枝に咲く
もとは兄でも弟(おとと)でもないが なぜか氣が合うて忘られぬ

君と僕とは二輪のさくら 共に皇國(みくに)のために咲く
昼は並んで 夜は抱き合うて 弾丸(たま)の衾(ふすま)で結ぶ夢

君と僕とは二輪のさくら 別れ別れに散らうとも
花の都の靖國神社 春の梢で咲いて会ふ
つまり、戦前の国策花というサクラの持つ側面に、いまだにCopilotも忖度するか!と思いました。

20240404_144318桜池

それはそれとして、安易なコピペが出回らないことを願います。

そんな中で、なるほどと思う紹介さてていたのは
いにしえびとの音楽会 古人(いにしえびと)の息吹を感じる古代史サイト
花見の起源~なぜ日本人はサクラを愛でるようになったのか~
2019.03.24 文化・民俗
ですね

、、、、、
昔々、田の神様は普段は山の上にいると信じられていました。
その神が春になると山から降りて来て桜の木に宿ります。すると、その桜の木は開花すると考えられたのです。
桜の開花=田の神様が山から降りてきた証拠であり、その合図をきっかけに、昔の人々は田植えを始めました。

古代には正確な暦もなかったし、現代のような気象観測技術もありませんでした。春になってなんとなく温かくなってきたことはわかっても、はたして本当に田植えに適した時期がやってきたのかは、なかなか判断するのが難しかったのです。
稲というのは繊細な植物で、気温が15度以下の時期に苗を植えても育ってくれません。田植えする時期を間違えると大変なことになってしまうのです。そこで参考にしたのが桜の開花でした。

桜は春になり気温が15度を超えてくる時期に開花を始めます。岐阜県下呂市和佐にある樹齢350~400年の2本の桜が、苗代桜(なわしろざくら)「暦桜」や「薬師様の桜」とも呼ばれるように古代の人々は、開花する美しい桜の花を見て、「もう田植えの時期だよ」という神からのメッセージを受け取っていたのです。

このように春のサクラは、農民のものだったのです。

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もう一度copilotさん

「稲(サ)の神」とは、一説によれば、古語では「さ」は山の神を意味し、春になると里に降りてきて田の神・稲の神(稲霊)となると信じられていたという。これを仮に「サ神」説と呼ぶ。稲の苗を早苗(さなえ)、苗を植える女性を早乙女(さおとめ)、田植えをする5月を皐月(さつき)と呼ぶが、「サ神」説では、これらの先頭に「さ」がついているのは、「さ」が田の神・稲の神(稲霊)を表しているから、と説明される。そして「サ神」説では、田の神・稲の神が憑依する「座(クラ)」が早春の山の桜の木であるとして、サ神の座(クラ)を「サクラ」の語源として導き出している。

、、、、、

20240404_144550サクラわたしもサクラ米は美味い天水だけを貯めたため池

納得です、

下呂市の苗代サクラの画像がほしいです に対する画像結果.サイズ: 132 x 104。ソース: cooljapan-videos.com

岐阜県下呂市和佐にある樹齢350~400年の2本の大桜は、苗代桜(なわしろざくら)「暦桜」や「薬師様の桜」とも呼ばれているということです。

「Go for it!」 なにやら 語り、かけて、くるんだよね スイセンが!

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「Hang in there.」 じっとみてたら、、、、!

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「You can do it!」 みな英語なんだよ、

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「Keep it up!」 スイセンは外来種だからなんだろうね

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「You’ve made it this far.」

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日本語訳をcopilotに頼んだよ
やってみなよ!すごくいいアイディアだから、きっと成功するよ! 「Go for it!」:
諦めずに頑張って。何かにチャレンジしている途中で弱音を吐いている人に。 「Hang in there.」:
あなたならできる!暗闇が訪れても、朝はやってくる。希望を捨てないで。 「You can do it!」:
立って歩け。前へ進め。あんたには立派な足がついてるじゃないか。「Keep it up!」:
何度も何度も失敗した。それが成功の理由。 「You’ve made it this far.」:

おっしゃるとおり、、、、

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そこで、 “今から希望に生きよう、いっしょに”を、英訳してほしいと依頼すると、
“Let’s live for hope from now on, together.”

おりから、五十河田んぼにコウノトリ。

 

DSCN0043こうのとり好物はカエルだよ

「俺たちも、そうだったよ」

DSCN0057狙い和カエル

なかなかわかってもらえなっくてね、

“Let’s live for hope from now on, together.”

みんな言ってたよ、同じことを。

◆あなたならできる!暗闇が訪れても、朝はやってくる。希望を捨てないで。 「You can do it!」:
◆立って歩け。前へ進め。あんたには立派な足がついてるじゃないか。「Keep it up!」:
◆何度も何度も失敗した。それが成功の理由。 「You’ve made it this far.」:

22年 4月 16日

20220416_124853いいね

21年 4月 19日

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21年 4月 1日

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スイセンのお花畑、、、

、、、、思い出ではないのです、

21年 4月 19日

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22年4月5日

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22年4月5日

 

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22年4月5日

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22年4月16日

20220416_123854スイセン

23年4月9日

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23年4月10日

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思い出でも夢でもないのです、

「食われっぱなし、やらっれっぱなしですませんぞー」

20200805_115333やるぞー 草刈り 里山 サイコー

みんなで繋ぐ棚田271・上世屋の里の、スイセンの花園をテーマにした棚田跡再生の未来予想図、

20230222_134436雪がなつかしいちゃシカ

念ずれば花開く

うけとってくれる、かあー!

、、、、、、、

《参考 スイセンの毒性》

Copilot

スイセンは、美しい姿と良い香りを持つ花で、生け花や庭のアクセントとして人気があります。しかし、その美しさの裏には恐ろしい毒が隠されています。すべての部位に毒性がありますが特に鱗茎(球根)に多くの毒性が含まれています。

《参考 スイセンを活用した里山修景向上の事例》

加悦町溫江地区の場合.

大江山を背景にしてすてきなスイセン街道です、

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シカの被害は見られません。のびのびと咲いています。

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それは、地域活性への相当な主体性と構想力に支えられているからなのでしょう。

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あら,寅さん!

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arra ここにもとらさん

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あれ ここにも

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あらまここにもとらさん

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やってるねえ

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ここでみんな、どうしてこういうことやろうとおもいついたんだね

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◇世界の人口は増加し続ける中、食糧不安、都市化、森林伐採、気候変動、こうした上記の要因が限界に達するのはまもなくだなどとの不安な予測もされている、矛盾多き状況のなかで道を探すのは、青年たちですし、、学校地域がクロスしながら、育ちあおう と、、、◇

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寅さんがあらわれたのは、廊下の壁画もいきいきとしたままの旧与謝野町立与謝小学校!

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姿勢は低く理想は高く、青年老いやすく学成り難し とらおにとらこにとらじにとらみにとらぞうたちが

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廃校を開けて春のささやかなしかし果敢な風を吹き込んでいました。

、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、

《参考資料》

Copilot

3月31日(日)旧与謝小学校で、宮津天橋高校の生徒が企画したイベント「COME COME与謝野」が開催されました。このイベントは、閉校となった旧与謝小学校を会場に、「地域に活気を取り戻したい!」という思いで実現されたものです12

会場では、地元のキッチンカー、高校生によるステージ、ブースなどが登場し、廃校で年代・地域を超えてみんなで交流できる素敵なイベントとなりました。ぜひ、皆さんご来場いただければと思います!以下は詳細情報です:

  • 日時: 令和6年3月31日(日)午前10時~午後4時
  • 会場: 旧与謝小学校
  • 主催: 宮津天橋高校

また、イベントの詳細や雰囲気は、InstagramのCOME COME与謝野アカウントでご覧いただけます1

地域の活性化に向けて、素晴らしい取り組みですね!

 

加悦SL公園。

DSCN0408今は山中今は浜いまは鉄橋渡るぞ

ここのSLたちは眠っているようでしたけれど、SLの見えるところに、たけっさんが聞き耳頭巾だ、とおっしゃるので、それじゃと借りた『文藝春秋・3月号』を置きました。

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聞き耳頭巾、、、冗談とも本気ともつかないことをよくおっしゃる方なので、訳も聞かずに借りていたのです。

彼らは、眠ってはいなかったのです。

DSCN0426昭和につなぎ昭和を支え、昭和を平成につないでくれた仲間たち

しゃべったり歌ったりしているじゃありませんか!

DSCN0421昭和の仲間
今は山中 今は浜 今は鉄橋渡るぞと
思う間も無くトンネルの 闇を通って広野原
遠くに見える村の屋根 近くに見える町の軒
森や林や田や畑 後へ後へと飛んで行く
廻り灯籠の画の様に 変わる景色のおもしろさ
見とれてそれと知らぬ間に 早くも過ぎる幾十里

この歌1912年、大正時代その始まりの年だった」
「うん、大正はなんとなく、どことなく明るかったが、なんでだったろう」
~Copilot解説~*
大正時代の政治
世論が政府を動かす時代となりました。大正デモクラシーによる普通選挙運動、社会主義運動、労働運動、女性解放運動などの社会運動が活発になりました。
護憲運動が起こり、明治時代の藩閥政治が衰退し、普通選挙が実現されました。
1923年には日本史上最大の地震である関東大震災が発生し、長期間の不景気に陥りました。
大正時代の文化
和洋折衷が流行し、日本本来の文化と西洋の文化が融合した「大正ロマン」が誕生しました。
第一次世界大戦後、工業化が進み、都市部の生活様式が変化しました。
大正時代は、政治や文化の変革が進む一方で、社会的な動きや新たな価値観が芽生えた時代でした。

、、、、、

アジア初のノーベル賞が送られた:タゴールさんが来日しなったの、覚えとるか?

1916年だ。

「耕す人が固い地面を耕している所、道を作る人が石を碑にしている所、そこに神はまします。」
「子どもは、どの子も、神はまだ人間に失望していないというメッセージをたずさえて生まれてくる。」

といいなって、感動したもんだ。DSCN0419

おんなじ12年だけど、昭和12年にも歌、、覚えとるか

忘れへん
♪汽車汽車 ポッポポッポ シュッポシュッポ シュッポッポウ
兵隊さんを乗せて シュッポシュッポ シュッポッポウ
僕等も手に手に 日の丸の 旗を振り振り 送りませう
萬歳 萬歳 萬歳 兵隊さん 兵隊さん 萬々歳♪
、、、
悲しかったな、、、
」 詞をかきなったのは、小学校の今は先生いうが、そのころは訓導、という身分だった。富原さんというかただがな、その学校があったのは静岡県御殿場市、御殿場には陸軍の演習場があって、生徒にはそこから(汽車)に乗って出征する兵隊さんを見送らせんならんかったんやな。
萬歳 萬歳 萬歳 兵隊さん 兵隊さん 萬々歳、、、本気とはおもえんがなあ

~Copilot解説~*
1945年の大晦日にNHKラジオの『紅白音楽試合』(『NHK紅白歌合戦』の前身)で歌われることになりました。その際に近藤積ディレクターから終戦後の時代にあった内容への改作を依頼され、富原さん自身の手によって現在の題名と歌詞に改められたそうです1。

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「汽車ポッポ」の歌詞です

汽車汽車ポッポポッポシュッポシュッポシュッポッポ
僕等を乗せてシュッポシュッポシュッポッポ

スピードスピード窓の外 畑も飛ぶ家も飛ぶ
走れ走れ走れ鉄橋だ鉄橋だ 楽しいな

汽車汽車ポッポポッポ シュッポシュッポシュッポッポ
汽笛を鳴らしシュッポシュッポ シュッポッポ

ゆかいだゆかいだいいな景色 野原だ林だほら山だ
走れ走れ走れトンネルだトンネルだ うれしいな

汽車汽車ポッポポッポ シュッポシュッポシュッポッポ
煙をはいてシュッポシュッポ シュッポッポ

20240331_235841[1]

行こうよ行こうよどこまでも 明るい希望が待っている
走れ走れ走れがんばって がんばって走れよ

富原先生、、偉い人だよ、
あのころ、一番 走りがいがあったのかなあ、、、

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確かに、SLたちはけっして、眠っているのではありませんでした。

『文藝春秋・3月号』は、レコードの針のように、春の日差しの中、SLたちの思い出話を紡ぎだしてくれたのです。

夢をあきらめたドンキホーテにはなるな!
『小さな花も大きな木も人も動物も仕切りなく生き暮らしている里山、その夢、あきらめたくないです、ね。
あくまでも生きものと人間との間に仕切りの不要な里山世界』

と3月24日投稿のブログです。、

振り返って読めば、力みが先走って恥ずかしい文です。
さて、なのに、ところが、それを「読んだ」と来訪してくださった方がいらしたのです。

20240330_133440馬酔木

「私らの若い頃は、クマだ、イノシシだ、シカだいうもんは見たことがありませんで」これが昨年12月、94歳で亡くなったテルミさんの口癖でした。
ともかく現状は食べクチャ踏みクチャ。このワヤクチャの次は土砂災害。実効速攻の手が打たれなければその被害は、上世屋一村にとどまらない規模になるかもと不安を覚えます。

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、、、まもなく世屋の尾根を走るブナの新緑も、夢をあきらめたドンキホーテにはなるなというでしょう。戦車の砲弾10発程度あれば、と歯ぎしりしながら、ユキヤナギがだめならアセビ、サルスベリとムクゲとクロモジはしのいでいるのだ、と手をかんがえ考えて、2024春にのぞみます。
里山の生物多様性とシカ対策、 問題解決のためのキーワードは、やはり問題意識を共有する協力協同のチャンスの起案。云々』

20240327_175051かなしかなくしか
読みました、きれいに咲いていたスイセンはじめたくさんの草木がたいへんなんですってねえ

これ、植えてください、、、、と、馬酔木の樹をくださったのです

思いがけなさと感謝で、言葉がありませんでした。

20240330_142701しかりと対策
おりから、『アスペン・泣いた赤鬼の森マルヤ農林園上世屋』では合わせて170歳コンビがシカ柵張り。

20240330_152934馬酔木

ここから発する世屋川の水源泉のそばに、いただいたこのお志、植えさせていただきました。

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あらためて、心からお礼申し上げます。

日置00さんげの大ハクモクレンが春の大ファンファーレ

DSCN0386 ハクモクレン

去年の開花は、3月15日でしたので だいぶん遅い開花。

DSCN0447細い枝
◇白木蓮の 卵いよいよ 膨らみて 大地の祭り 始まらんとす― 松村由利子

DSCN0442はくもくれん2
◇浅き春 空の青にも染まぬ花 白木蓮の潔さ見る  kekko

DSCN0446梢
◇「それぞれにすばらしさがある花々の中で、最も好きな花は、と問われたら、私はすぐに「白木蓮」の名を挙げます。都心のある場所にそっと咲いている白木蓮と出逢ったのは今から十数年前でした。
そのまばゆいばかりの花は今にも羽ばたきそうな純白の羽毛を称えた春の野鳥のように思えて、あまりの神々しさに心の中で手を合わせたくなったことがありました。世界にこんなに美しい花があるのか、と。」
國學院大學「和歌講座」講師、田中章義さん

DSCN0384日置ハクモクレン

何かにつけて軽薄短小が時代のテーマ、それなのに、民家の庭先に巨樹というのが日置ハクモクレンの不思議です。

思い当たることがあります。原産地中国では古くから寺院や宮城に植えられていたという神木。彼の地を訪れた遣隋使の一行が春の精気吹き上げて咲く様を見て、日本でもと想った一級の木なのでしょう。 この日置は、古代旧日置の庄諸村の中心村の名残りをとどめている村、浦島さんが持ち帰られたのではないか!

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真偽はともかく、そう伝え聞いておりますと説明されるとさもありなんと思わせる風情のある名木。

DSCN0430日置ハクモクレン

これから、世屋川流域を下世屋旧お花さんの庭で、松尾分かれで、そして上世屋学校跡へと咲き上ります。

このハクモクレン、家の中に納められますかの、

華道家は目をつむり、やってみましょう!

OIPモクレン生け

隣に座ってみませんか!

20240330_122306椅子

、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、

《まとめ》

自分
ハクモクレンは地域の景観を豊かに彩る要素として大切にされているというてんについて、具体的にはどのように説明されているでしょうか、参考事例があればお願いします
Copilot

ハクモクレン(学名: Magnolia denudata)は、美しい花を咲かせる木で、日本の風景に特有の存在感を持っています。
この木は、樹高が約10〜15メートルに成長します1。
花の色は白で、花びらが広がり、風に揺れる姿は、春の風景に彩りを添えています。
由来:
ハクモクレンは、中国原産で、日本には古くから伝わっています。
その名前は、花の美しさを表す「白」(ハク)と、花びらが広がっている様子を表す「木蓮」(モクレン)から派生しています。

20240330_121449白い噴泉

この木は、日本の文化や風景に深く根付いている存在で、都市の景観計画においても、ハクモクレンは地域の景観を豊かに彩る要素として大切にされています。その要素として大切にされている理由は、以下のように説明されています。

〇美しい花の存在:
ハクモクレンは、美しい白い花を咲かせる木です。これらの花は風に揺れ、春の風景に優雅さをもたらします。
その花びらの広がりと清楚な白さは、日本の風景に特有の存在感を持っています。
〇伝統と文化:
ハクモクレンは、日本に古くから伝わる木であり、日本の文化や風景に深く根付いています。
その美しさと由来から、日本の庭園や神社仏閣などでよく見られます。例えば、京都の庭園や宮津市の景観にも多く植えられています。
〇季節の象徴:
ハクモクレンの花は春に咲くため、春の訪れを告げる象徴とされています。
この木が花を咲かせる季節になると、地域の人々は春の到来を感じ、心を和ませます。

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ハクモクレンが地域の風景にどのように調和しているかを観察してみることも良いでしょう。 .

 

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崖の切り株の上!

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どうしてまたそんなとこで?

8-51しか
シカ!

心の潤いの足しかもしれけど私たちスイセンで雪とけ村をいっぱいに埋め尽くそう!と思ったに

人の心鹿知らず腹の足しにしよるわ、あやつらは、、が、切り株の上ならおっかけてはこんやろうと思って。

 

20240329_160043切り株のうえならシカもdokomitennnoyoどこみていいかわからん

「雪解けて切り株のうえのポニョスイセン、、、わるない、

,,,,,,,,,,, iyasareru ええ感じやで」

さて、この景観、環境省により、生物多様性保全上重要里地里山500に選定されています。その意味、中身について、参考までに、Copilot様にお手伝いいただきながら二言三言。

Copilot

こんにちは、こちらはCopilotです! 私はMicrosoftの新しいAI搭載のチャット モードで、情報を要約して表示したり、インスピレーションにあふれたコンテンツの作成のお手伝いをします

自分

宮津市上世屋地区が生物多様性保全上重要里地里山500に選定されている、具体的な内容とその点について当面している課題、問題について説明していただけたらありがたいです

20230222_134436雪がなつかしいちゃシカ
Copilot
宮津市上世屋地区は、生物多様性保全上重要な里地里山として選定されており、その特徴と課題について説明いたします

所在地: 京都府宮津市
選定基準:
選定基準1(該当): 多様で優れた二次的自然環境を有する。
選定基準2(該当): 里地里山に特有で多様な野生動植物が生息・生育する。
選定基準3(非該当): 生態系ネットワークの形成に寄与する。
選定理由:
上世屋地区は市の西部に位置し、集落や棚田、広葉樹林を主体とする薪炭林との組み合わせが織り成す里山景観が残る小さな集落です。
里山ブナ林や湿地、棚田、畦畔など、人の生活や生業と結びついてきた良好な里山生態系が維持されており、特有な種であるジョウビタキやハッチョウトンボの生息も確認されています。

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保全活用状況:
棚田では20年以上前から農薬を使わない米作りが行われています。
NPO法人里山ネットワーク世屋が活動を展開し、都会の人や若い人たちが自然体験活動に取り組みながら、里山の自然の保全と継承が進められています。
活動主体:
宮津市エコツーリズム推進協議会
宮津美しさ探検隊
NPO法人里山ネットワーク世屋
合力の会
笹葺きパートナーズ等
その他参考情報:
過疎、減反、高齢化によって耕作放棄が進む棚田や里山の文化、景観の維持のため、NPO法人が設立され、日本でも珍しい笹葺屋根の民家の修復や藤ヅルから作る藤織、祇園祭りで使う藁草履作りが守られています。
保全活用施策:
丹後天橋立大江山国定公園、府自然環境保全地域、にほんの里100選に選定されています。
このように、上世屋地区は豊かな自然と伝統的な暮らしを結びつけ、地域の持続可能な発展に寄与している重要な場所と言えます

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自分
世屋地区の生物多様性保全にかかわって、地元の宮津天橋高校の先生や学生たちはどのようにかかわっているか、教えてください
Copilot
宮津天橋高校の先生と学生たちは、世屋地区の生物多様性保全に熱心に取り組んでいます

20240319_181815まなびは、技術だけでない、心を学ぶこと

以下は、宮津天橋高校のフィールド探究部が行っている活動や取り組みです:

サンショウモの保全:
世屋地区に自生するサンショウモ(京都府指定・絶滅寸前種)の保全に取り組んでいます。
採取したサンショウモの個体は生物教室で冬を越し、夏に入る頃から増え始めているとのことです。
独立行政法人・地球環境基金様からの助成を受け、地主様の田圃周辺棚田の草刈りや水田への水の引き込み、テスト放流などを行っています。
サンショウモの増殖した自生地・棚田ビオトープへの「移植放流」を計画しています。
その他の活動:
弥栄町赤米を保存する会様から古代米の苗、間人の「野木源」様からコシヒカリを凌ぐ品種として期待される苗、ミドリムシ農園様からもコシヒカリの苗を提供され、試植させています。
周辺の湿地にはハッチョウトンボ(京都府登録天然記念物)の棲息が観察され、ニホンイシガメと思われる仲間も確認されています。
宮津天橋高校の先生と学生たちの熱意と取り組みが、世屋地区の生物多様性保全に貢献していることを願っています12

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自分
選択質問「宮津天橋高校のフィールド探究部に参加したいです。」

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Copilot
素晴らしいですね!宮津天橋高校のフィールド探究部への参加に興味を持っていることを嬉しく思います。探究部は自然や環境に興味を持つ学生たちが集まり、実地調査や活動を通じて学び、貢献しています。

以下は、参加する際のステップです:

探究部の情報収集:
宮津天橋高校の探究部について、学校のウェブサイトや先生に問い合わせて詳細を調べてみましょう。
探究部の活動内容やスケジュール、参加資格などを把握することが大切です。
参加申し込み:
探究部に参加したい場合、学校の指示に従って参加申し込みを行いましょう。
申し込み方法や締め切りについては、学校の探究部の担当者に確認してください。
活動への参加:
探究部の活動に参加する際、自然観察や環境保全、フィールドワークなど、さまざまな活動があります。
先輩たちや先生から指導を受けながら、楽しく学びながら活動に参加しましょう。
探究部で素晴らしい経験を積んで、世屋地区の生物多様性保全に貢献できることを願っています!

 

雪とけて 村いっぱいの 子どもかな

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春休みの高校生たちの手で除幕された上世屋道行看板

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記念写真のキャプションには、これしかないなあ、、、、

と、「雪とけて 村いっぱいの 子どもかな」

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いや、子ども、、、うん、待てよ、『子ども』ってなんだろう!?

この中には、子どものようなおじいさんもいらっしゃるぞ

、、、ここは、一茶さんに携帯連絡。

、、、、、、、、、、、、、、
Copilot
雪とけて 村いっぱいの 子どもかな、有名な句です。この句は、日本の詩人である与謝野晶子によって詠まれたものです。雪が解けて、村いっぱいに子どもたちが遊び回る様子を詠んでいます。この短い句が、冬から春への移り変わりや、子どもたちの活気を表現していますね。

自分
え!小林一茶さんのはず
Copilot
申し訳ありません、誤りがありました。この句は小林一茶によって詠まれたものです。雪が解けて、村いっぱいに子どもたちが遊び回る様子を詠んでいます。この短い句が、冬から春への移り変わりや、子どもたちの活気を表現していますね。

自分
すみません 一般的にそのように鑑賞されます。しかし、簡潔な作品には往々にして、隠されたエピソードや秘めたメッセージがあるものです。この作品をそんな視点から深読みした解釈をされたかたはいらっしゃらないでしょうか
Copilot
もちろん、俳句は簡潔な言葉で表現されているため、隠された意味やメッセージを探ることがあります。この句「雪とけて村いっぱいの子どもかな」について、深読みした解釈を考えてみましょう。

この句は、小林一茶によって詠まれました。雪が解けて、村いっぱいに子どもたちが遊び回る様子を描いていますが、さらに深く掘り下げてみましょう。

季語と意味:
季語は「雪とけて」で、季節は「春」を表します。雪が解けて春の訪れを感じる時期です。
現代語訳として、「雪解けの季節を迎えて、待ちかねていたかのように子供たちが外へ飛び出し、村中で遊んでいることだ」と言えます。
背景と作者の心情:
一茶がこの句を詠んだのは、52歳にして結婚を目前に控えた、文化11年の早春の頃でした。
故郷である信濃国柏原(現在の長野県信濃町)は豪雪地帯であり、冬になると大人でさえも雪に埋もれてしまうほどでした。一茶は雪解けの季節に、子供たちが外で遊び回る姿を詠んでいることから、彼らの明るさや生命力に感銘を受けたことが伺えます。
切れ字「子どもかな」:
切れ字「かな」は感動や詠嘆の意を表します。この句では「子どもかな」によって、子供たちの活気や喜びが強調されています。
この句は、単純な風景描写を超えて、子供たちの生命力や春の訪れを讃えていると言えるでしょう。一茶の優しさと感受性が詠まれていますね。

自分
命の春への賛歌、ですね!
Copilot
はい、その通りです!小林一茶の俳句「雪とけて村いっぱいの子どもかな」は、命の春への賛歌として、子供たちの活気と明るさを讃えています。雪解けの季節に、村中で遊び回る子どもたちの姿が、一茶の詩によって美しく描かれていますね。

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自分
「かな」は感動や詠嘆の意、、、同意です。しかし、文学作品の解釈は自由。人の感動や詠嘆、その心の幅はプラスからマイナスまで無限に多様です、感動や詠嘆と一言で言っても、中味は、プラスのものばかりではないはず。一茶さんの52歳にして結婚を目前に控えた事情、文化11年の早春の頃という当時の心境を踏まえた解釈事例があれば紹介ください

Copilot

もちろん、俳句は簡潔な言葉で表現されているため、隠された意味やメッセージを探ることがあります。この句「雪とけて村いっぱいの子どもかな」について、深読みした解釈を考えてみましょう。

この句は、小林一茶によって詠まれました。雪が解けて、村いっぱいに子どもたちが遊び回る様子を描いていますが、さらに深く掘り下げてみましょう。

季語と意味:
季語は「雪とけて」で、季節は「春」を表します。雪が解けて春の訪れを感じる時期です。
現代語訳として、「雪解けの季節を迎えて、待ちかねていたかのように子供たちが外へ飛び出し、村中で遊んでいることだ」と言えます。
背景と作者の心情:
一茶がこの句を詠んだのは、52歳にして結婚を目前に控えた、文化11年の早春の頃でした。
故郷である信濃国柏原(現在の長野県信濃町)は豪雪地帯であり、冬になると大人でさえも雪に埋もれてしまうほどでした。
一茶は雪解けの季節に、子供たちが外で遊び回る姿を詠んでいることから、彼らの明るさや生命力に感銘を受けたことが伺えます。
切れ字「子どもかな」:
切れ字「かな」は感動や詠嘆の意を表します。この句では「子どもかな」によって、子供たちの活気や喜びが強調されています。
この句は、単純な風景描写を超えて、子供たちの生命力や春の訪れを讃えていると言えるでしょう。一茶の優しさと感受性が詠まれていますね。

自分
なるほど、、、そうでしたね、、、52歳の結婚 、、、結婚は、春のイメージ、一方、52歳は高齢、冬のイメージです、また、子どもはイヌに子、冬でも外に飛び出すのです。そのような状況を踏まえての解釈をいただけたら嬉しいです、、、。
Copilot
もちろん、小林一茶の俳句「雪とけて村いっぱいの子どもかな」には、その背後に隠された意味や作者の心情があります。この句を、52歳で結婚を迎えた一茶の状況を踏まえて深読みしてみましょう。

季語と意味:
季語は「雪とけて」で、季節は「春」を表します。雪が解けて春の訪れを感じる時期です。
現代語訳として、「雪解けの季節を迎えて、待ちかねていたかのように子供たちが外へ飛び出し、村中で遊んでいることだ」と言えます。
背景と作者の心情:
一茶がこの句を詠んだのは、52歳にして結婚を目前に控えた、文化11年の早春の頃でした。
故郷である信濃国柏原(現在の長野県信濃町)は豪雪地帯であり、冬になると大人でさえも雪に埋もれてしまうほどでした。
一茶は雪解けの季節に、子供たちが外で遊び回る姿を詠んでいることから、彼らの明るさや生命力に感銘を受けたことが伺えます。
切れ字「子どもかな」:
切れ字「かな」は感動や詠嘆の意を表します。この句では「子どもかな」によって、子供たちの活気や喜びが強調されています。
この句は、単純な風景描写を超えて、子供たちの生命力や春の訪れを讃えていると言えるでしょう。一茶の優しさと感受性が詠まれていますね。

自分

ありがとうございます参考になりました
Copilot
どういたしまして!もしさらなる質問やお手伝いが必要な場合は、お気軽にお知らせください。お手伝いできることがあれば喜んでお手伝いいたします。

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自分
お言葉に甘えて、、、この句にものたりない印象があるのがなぜかわかりました、雪とけて、、、の句、それです、とけて、を 例えば「とかし」とか「とかす」にしたら解釈はどうなるでしょうか
Copilot
もちろん、俳句の解釈は多様であり、言葉の微妙な違いによって異なる意味が生まれます。それでは、「雪とけて」の「とけて」を「とかし」または「とかす」に置き換えた場合の解釈を考えてみましょう。

「雪とかし」の場合:
「雪とかし」は、雪が溶ける様子を表しています。この場合、雪が解けて春の訪れを感じる季節の風景が描かれています。子供たちが外で遊び回る姿は、雪解けの喜びや明るさを強調していると言えます。
「雪とかす」の場合:
「雪とかす」は、雪を溶かす行為を表しています。この場合、雪を溶かす行為が詠まれているため、より具体的な動作が描かれています。子供たちが雪を溶かすことで、春の到来を喜び、活気づいている様子を想像できます。
どちらの解釈も、子供たちの生命力や春の訪れを讃えている点は共通していますが、微妙なニュアンスの違いがあります。一茶の詩は、さまざまな視点から楽しむことができる素晴らしい作品ですね。

自分
ばしょうさんもカエルの句の最終の決定稿までにいろいろ試みをなさったことを思い出しました。きっと、一茶さんもそうだったのだろうと思います
Copilot
確かに、俳句や詩の創作過程は、作者がさまざまなアイデアや言葉を試行錯誤しながら最終的な決定稿に至るものです。小林一茶も同様に、自身の詩作に対して熟考し、雪、村、子ども、この三つを軸にして、とける、とかす、微妙なニュアンスを追求したことでしょう。詩人たちは、一言一句に込められた思いや感情を大切にしていますね。

自分
ありがとうございました
Copilot
どういたしまして!もしさらなる質問やお手伝いが必要な場合は、お気軽にお知らせください。お手伝いできることがあれば喜んでお手伝いいたします。

、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、

さて、フィールド探究、今日のお題は、クロモジ蒸留フルコース。

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木はまだ冬姿の林に分け入り、枝先に新芽をほころばせたクロモジの採集と粉砕と蒸留。

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部のOBや山の命を恵みに代えよう、というテーマに協賛して活動される皆さんもサポート参加。

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それぞれの経験、アイデアを交流しあって、アスペン・泣いた赤鬼の森、ここがさながら1日、「里山クロスワークセンター」

雪は、溶かすものだ!

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そこで、記念の集合写真のキャプションは「雪とかす 村いっぱいの 子どもかな」。

次回は4月1日、ジャガイモ植え付け、源流の森川整備です、関心のある方もどうぞ、ご参加ください。

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