世屋ブルーに※カナリアンホワイト

似合いますねぇ(^.^)
この花が好きなかずこさんげの土手一面にマーガレット(^.^)
※ マーガレットの原産地はカナリア諸島
世屋・高山ガイド部会の活動ブログ
♪君の名は……と たずねし人あり
その人の 名も知らず
今日砂山に ただひとり来て
浜昼顔(はまひるがお)に きいてみる
、、、、と口に出ます、、世代は隠せません!
「二反田」寿司屋さんの前。本命は世屋バス狙いだったのです、ピントを探ってもたもたしたもので逃げられてしまいました。
さて、この歌、昭和28年の発表ということです。東京大空襲をたまたまいっしょに逃げ惑った二人のドラマ。 戦争の傷の生々しく残る時代でした。空の蒼海の碧砂の白、そして花の薄紅色、、、そこに夫以外の男を思う人妻、、、これは絵になります、千葉県房総半島九十九里の群生地は有名です。
それにしても、生育地とする砂山!水が少なく、日差しが強く風も強く風で移動する砂に葉も芽も埋もれてしまう、植物にとって最悪の環境じゃないですか、、、ここもコンクリートとアスファルトの間。けれどもそこに適応できれば独占的に繁栄できる、、、、、地下茎を深く伸ばして葉を葉をツヤツヤさせて日光を反射させそして分厚くして、、なかなかやるもんです(^.^)
日暮れの飯尾醸造たんぼ。
田植えに備えて、草刈り機の音が連日、谷に響き渡っていました。写真ですから音は写せませんがたんぼは賑やかにうたいます。想像してください!音もエコロジーです。
さて、この棚田を縫うように上り下りする世屋バス!
もうこれは里山景観のなくてはならないファァクター、里山の文化というべきものじゃないですか。
。里山エコロジーの一部に根ざしてさえいるといってもいい(^.^)。
生存権を定めた憲法! がにっこりとほほえんでいるように感じます!だって人の命は地球より重い、バスがあるから安心だ、バスがあるから実家にも友人を訪ねにも行くことができるとお婆ちゃんたちはおっしゃいます。
しかし、そのことをみんながみんな「ええことです」と認めているわけでもない、なんでも賛成半分反対半分。権利は授かるものではなく闘いとるもの、乗らなくては続きません。乗りましょう(^.^)
ところで、里のたんぼの日暮れ。
こちらのたんぼもうたっています。山のたんぼとは歌い方が違います。聞き比べてご覧になってください。、
しゅんたろうさん、谷川俊太郎さんとは「おつきあい」があります、かれこれ40年になるでしょうか、
ただし「教科書」を通してのおつきあいですけれども。そうはいっても、中学校一年から三年生までどこかに俊太郎さんの詩は必ず掲載されているのです、音読なり多少の精読なりを加えるというのを毎年重ねていくと谷川俊太郎さんではなく、「しゅんちゃん」といった感じになるものです(^.^)
さてそのしゅんちゃん、長いつきあいもあってイート&ウオークについて一筆書いてくださいました。ので皆様にご紹介申し上げます。

「名前を付けるという行為は愛情と関心と敬意のあらわれであり、また名前と実体とはきりはなすことのむずかしい関係にあって、それが言語の本質の一つをなしているのは確かですが、目前の一輪の花のせいみょうさな美しさに驚きと畏敬を感ずるとき、それに名前をつけるという行為がどこか自然に対する冒瀆とも思えることがわたしにはあります。~略~花を感ずるには花という集合名詞だけで十分だというのは、星を感ずるのに天文学は要らないと思うのに似ています。一つ一つの花がそれぞれにどんなに微妙繊細に違っているか、その相違にわたしが鈍感だとは思いませんし、好きな花、嫌いな花の区別もあります。でも、花の名はイクラ覚えようとしてもすぐに忘れてしまう。しかし、山菜の名は少しずつ覚え始めています。ごくわずかな違いで食べられたり、毒であったりするからです。目で見るだけでなく食べること,体ぐるみでかかわること、それがわたしには必要なのでしょう。花に限りません、これはわたしの人間とのつきあいにもいえます。人類よりもひとりひとりの個人とかかわることでしか、わたしの言葉は現実と拮抗できないのだと思います。ちなみに、わたしの好みは派手な大輪の花よりも、小さい地味な花のほうに傾きます、そして切り花よりも野生の野花のほうに。」
どうでしたか。
ちなみにこの文章は『ひとり暮らし』草思社刊 「花」の文章です。興味のある方はそちらをお読みください(^.^)
また写真はいずれも新緑と花に埋まる小川弥生さん宅のスナップです。
世屋川にアユの魚影!
若鮎ははじめは動物性の餌を追いますので釣ることができます。そのあと苔食へと食性を変えます。縄張りを主張するので「友釣り」か網で捕ることになります。
世屋川にはそういう海陸を往来する「お客さん」への配慮が丁寧になされているとおもいきやここまで。
ここから先には行けません。
手前の段は跳びます、深みがあるので勢いが付けられるのです。奥の段くらいでも飛び越える力は持っています。しかし手前に深みがないので無理です。世屋川のアユ、もっと上流まで遡上させてやればもっと海も豊かになるのではありませんか。川の当たり前、人間の目でいうのでなく、そこで暮らす生き物の目で!というのが大切です。上世屋まで来いとはいいません、下世屋までは可能なんじゃありませんか!
かっては田を巡る稲溝・農業水路にまでアユがあふれていたと橋のたもとで農産品直販所を営む吉田さんたち里の古老は語られます。日置には元気老人が多いのでそういう川にもどそうじゃないか、タケがいっぱいある 魚道を作ってやろうじゃないか、堰堤も削ったらどうだなどと気運が盛り上がらないかと期待しているのですが(^.^)
このあたりも海だったのでしょう、
天の橋立の松越しに丹後富士を見ながらの畑仕事です。
これって「あぜのはしだて」じゃないですか(^.^)
ところで天の橋立って6000~3000年頃から形成を始めたんですって。
砂が溜まるためには宮津湾ができて、日本海の海流が半島に沿って湾の奥へと入り込む必要があります。縄文海進といってその頃は海面が今より6mも高かったのだそうです。
へぇー!と言うことは阿蘇海という内海は、今の野田川流域のずうっと奥まで入り込んでいたということなんですね。
狭い水戸口を探し当ててよく登ってくるもんだと話題の野田川鮭も、何のことはない松の頭の上を悠々と行き来していたんです。
さての連発、、、講師の飯田先生の示された一枚。
これにわたしは感動の余り泣きました、
「鮭」は土を豊かにし土に帰る魚なんですって。
土を豊かにし、土に帰る虫ってことなんだ、「蛙」って
心の中では号泣!
人間もそうなんですね「佳」(^.^)
最後の「さて」
フォトギャラリーを企てています。お近くに来られた際にはお立ち寄りください。