かぐや姫を迎えに来たときのような月が昇ってきました。

金さん、暗かろう!と手元を照らすようでした。

今夜は、どんな本をよんでらっせるのでしょう!

、、、、
「トランペットは鳴らない。人生の重要な決断が迫ってきても…それは静かにやってくる。」

Agnes De Millさんのいう「それ」のように、明月は「静かに」昇っていきました。
世屋・高山ガイド部会の活動ブログ
かぐや姫を迎えに来たときのような月が昇ってきました。

金さん、暗かろう!と手元を照らすようでした。

今夜は、どんな本をよんでらっせるのでしょう!

、、、、
「トランペットは鳴らない。人生の重要な決断が迫ってきても…それは静かにやってくる。」

Agnes De Millさんのいう「それ」のように、明月は「静かに」昇っていきました。
金さん 二つ教えてほしいんだ。
《わかることなら!》
一つ目、「にじ」と入力すると「虹」とでるけどなんで虹とかくのかということ。
《 虫偏をつかっているだろ、水の生き物は蛙カエルも蛇ヘビも神様の使いとおもっていた。 サンズイにすると江、河だろう 虹は橋ではなくて、「河」そのものの精霊だと思ったのかもしれないな。》

なるほど!もう一つ、雨が降っているところに太陽の光りが当たるとみえる、どういう仕掛けになっているかということ
《ウム!絵をかいてあげよう、※スイカぐらいのOを書いて説明してくれました、、、ここから光りが入る その時に曲がる そして通過してまた抜ける その時抜ける光りと水玉の内側が鏡のようになって反射する光がある わしらが見るのは反射した光 というわけだ。それが五色とも七色とも見えるのは、光りは波だ、種類によって波長の違う,光りは屈折する角度もわずかに異なってくる、そのずれを「にじ」と見ているわけだ。 それと奥の方にうっすらともう一つできる、あれは、水滴に入って水滴の内側で反射する光りが、もう一度、都合2回反射してこちらに届くという仕組みになっている。Did you understand?》
万葉歌人・湯原王は 月を詠むのが得意な方でした。
「 月読の 光に来ませ あしひきの 山を隔てて 遠からなくに 」

「夕月夜 心も萎に 白露の置くこの庭に 蟋蟀鳴くも」

月光に光っているのは、うらにしの雨に濡れた笹の葉です。
立冬に入り、七十二候は「地始めて凍る」。蟋蟀はもう鳴いていません。
傘がいると思います?!撮影15日pm 12:42:22 「思います。」

傘がいると思います?!撮影 12:55:09 「思います。」

傘がいると思います?!撮影 13:55:02 「思います。」

傘がいると思います?! 撮影 14:59:11 「思います。」

傘がいるとほんとに思います?! 撮影 15:11:29 「ほんとに思います。」

「ほら、ね!」 撮影 16:23:02

弁当忘れても傘忘れるな(^.^)初冬の日本海側の旅には折り畳み傘。
外国の方もふやしたいということですので!
A local proverb says: ‘Do not forget your umbrella even if you forget your lunch box.’
小春日の気持ちのいい1日でした。

月が色を帯び始めました。ススキを揺らす風もありません。

(世屋高原 11/14 16:34:08 )
平和裡に日の暮れることのありがたさ!(世屋野蕪村)、、、、、、、と思っていましたところ、、

、北西の空には魚の骨。
季節風のいたずらなのでしょうか。

(阿蘇海 11/14 17:42:03)
観光自転車のお客さんも自転車を止めて興味深そうにパチリ。
「どうかしたのか」と長いつきあいのカメラを疑いました。虹を撮ったはずなのに、

♪七色の虹がきえてしまつたの♪と虹は(赤、橙、黄、緑、青、藍、紫)七色が基本のはずなのに、どう数えても七色がない!自分の目とカメラの認識が正常なら、今日の虹は不完全な虹だ!とも思いました。

しかし、話を聞いてみると、どうもとらえ方は必ずしも全世界一律に統一されているのではないと言うことなんですって。国や地域や時代によって、五色だ!といったり六色だといったり、あるいは二色だ!いやいや八色だと様々。五色というばあい(赤黄緑青紫)、六色というばあい(赤、オレンジ、黄、緑、青、紫)、二色のばあいは(赤、青)なんだそうです。カメラのせいでも虹のせいでもないのです(^.^) では、なのになぜ誰が「七」に固執したのかというとニュートンさん、「七」は落ち着きがいいから、縁起がいいからとおよそ学者らしからぬ理由なんだということ。

ちなみに、町を走る虹。

こちらは,赤、橙、黄、緑、青、藍、紫の七色。「日本」の虹。
町を走る虹、ここにも!

五色です。おや!外から紫・緑、、? でも主虹と副虹が逆というのはあってるじゃないですか(^.^)
また、 万葉集の 「伊香保ろのやさかのゐでに立つ「努自」(ぬじ)の顕はろまでもさ寝を寝てば」 東歌 この歌の、「努自」(ぬじ)、これが「にじ」のこと。当時は通い婚制。「ああにじがかかるまで彼女といっしょにいたいなあ」という意味。漢字以前の日本人が、なぜ「ぬじ」と呼んだのでしょうか、、、謎はつきません。
おまけ。、雨粒の大きいときは色の濃い細い虹が見られます。
※虹はいずれも府中付近 撮影日時 2013/11/13 15:40ころ
カニのシーズンに入った丹後路。

宙一君が訪ねたのはここ、天橋立ユースホステル。そして、おねがいしました
、「ぼくの話、ちょっと聞いていただけませんか」「ぼくをおいていただけませんか」
丹後は
そうか、うちで出すカニ料理、君のお父さんがとってこられたカニかもしれないね(^.^)

「お客さんにも紹介しましょう」と展示していただけることになりました。

宙一君の丹後出会いの旅、さらに続きます。
そんな旅する宙一君が見たもの。

海の荒れる日は、美しい虹が空にかかります。
哲学的教訓的な内容を57577のリズムを生かしてあらわしたのを「道歌どうか」といいます。
例えば 「目で見せて耳で聞かせてして見せて、やらせて褒めにゃ事ならぬなり」
さて、金さんも、自分の里山哲学を道歌で表現しました。

「音もなく 香もなく常に 天地あまつちは 書かざる経を 繰り返しつつ」
「世を捨て やまを住處と 樂しめは 月日のたつも しらぬなりけり」

「月今宵 草木もともに 光りけん さきもからすも 住處住處に」
低く垂れ込めた雲に頂きが見え隠れする山塊、

この山の頂きに息づくブナ林が、撮るなら今がいいよ、と呼んでくれました。
呼んでくれたのは、紅や黄色に色づいたブナファミリーたち。

山道に落ち葉を厚く敷き詰め、道端に並んで待っていてくれました。

大きな木も中くらいの木も、低い木もみんなみずみずしく潤っています。

ブナの森は水蒸気が水滴に変わるところから上でないと暑苦しくて耐えられなくて、風や雨も仲良し、

けれどもわたしが歩いている間は一休み、おかげでじっくりゆっくり愉しませてもらいました。

グレートサンクス、内山ブナ林(^.^)
バスが登ってきました!

バスのある光景、平地で日常のことが、世屋の里では珍しいことなのです。
今日のお客さんは里山を学ぶ若い研究者。

「世屋にバスを!上世屋、木子、駒倉、さらに味土野の住民の足を」、住民の悲願実現に奮闘された吉岡初衛さんが、バス停にたたずんでおられるような気がしました。
お客を届けたバスが下りていきます!

予約運行という形にはなりました。バスに頼る比重も変わりました。しかし、必要な現実があり、未来へ続く動脈としての重みははかりしれません。

生存権、自由権をうたう憲法がはしっているのかもしれません。まだまだはしってもらわないと、、、

日置では、ミカンが色づいていました。