宮津エコツアー · 世屋・高山ガイド部会

世屋・高山ガイド部会

世屋・高山ガイド部会の活動ブログ

2013/02/14
3月3日に開催する「情報発信力講座」のお話のタイトルを、『地域と人 伝えるしごと』~言葉の力を生かそう~ と講師の石崎様より戴きました。
発信者になることが容易な時代になっています。エコでも、グリーンでも、ブルーでも ツーリズムは発信と受信が決定的に大切。大変有利な条件が整ってきています。


しかし、その発信が受信されて幸せな縁が生まれる! かと言うことになると話しは別。この講座では、日々、鋭い目や耳をもって社会の様子を見、声を聞き、そして口となり手となって、情報を発信されている現役新聞記者さんの現場を披露していただきます。
地域の暮らしや自然が発する情報、その発信が受け止められて、また返信が届く、そんな豊かな関係が生まれれば、地域のツーリズムはさらに発展するのではないでしょうか。
「地域と人 伝えるしごと」に関わっておられるみなさん、3月3日(日) 上世屋へ行こう (^.^) ぜひご参加ください!

■講師
石崎 立矢氏(京都新聞社 宮津支局長・京丹後支局長)
■演題
『地域と人 伝えるしごと』~言葉の力を生かそう~

■日時  2013年3月3日(日) 午前10:00~12:00 後 軽食
■会場 宮津市上世屋 「合力(こうりょく)の家」

【参加料金】 1,000円 (軽食付き)  お話の後、囲炉裏のそばで、上世屋のお昼をいただきます。
【募集人数】 20名
【参加受付】 3月2日(土)まで
【申込先】 次のいずれかへ、参加者氏名、住所、連絡先 を明記して、申し込みください。
・ 宮津市エコツーリズム推進協議会 事務局 ℡:0772-45-1625
・ 同上 世屋・高山ガイド部会 (担当 安田)  ℡:090-7346-4639
・ 天橋立ユースホステル   ℡:0772-27-0121
・ 琴引浜鳴き砂文化館 (京丹後市)      ℡:0772-72-5511

 

 

 

2013/02/14

俳句では春に当てられる季語に「はだれ」と言う言葉があります。「班雪」と書きます。

意味は、不規則に解けた雪のマダラ模様。

雪は一律にはとけません。、不 規則なまだら模様になります。  地面のわずかな 凹凸や草の加減等、地面の環境によって 雪の融けるスピードが異なるからです。

ただし、「はだれ」とうちこんでも、パソコンは漢字変換しません。情報が入っていないのです。難読漢字の一つです

世屋の棚田でも春のしのびよりを語りたげな、「班雪・はだれ」模様。

「足跡のなき斑雪野に遊びけり blue.ap.teacup.com/819maker/1009.html -」などと用いられます。

 

2013/02/13

新潟県上越市には、レルヒ少佐がゆるキャラになっているとのこと。

「常に何かを企んでいるが、基本的にお人よし。やや照れ屋だが、おだてられると調子に乗る一面も。子ども好きだが、女性には弱い。教えたがりでおせっかい。スキーは上手だがやや本番に弱い傾向もあり。特技:一本杖スキー」という人物設定をもとにイメージしたそうです。

さて、日本スキー史100年      outdoorjapan.com によると、
・・・・・・・・・・・
「1911年1月12日。オーストリア=ハンガリー帝国軍のテオドール・エドラー・フォン・レルヒ少佐が金谷山をスキーで滑走し、日本におけるスキー史の幕を開いたのだ。

それまで雪山を滑る文化がなかった日本の軍人達にとって、ひとりで雪山を登り、さっそうと滑り降りてくるレルヒ少佐の姿は、宇宙人が空からやってきたかのようなインパクトを与えたであろう。

事実、その姿を目の当たりにした軍人達は両手をあげ、『万歳!』のコールで彼を迎えたという。」

そのスキーが上世屋にやってきたのが、1913年2月のこと。日本伝来12年後のことです。日本の軍人達がうけたであろう「宇宙人が空からやってきたかのようなインパクト」は上世屋でも同じ。上世屋の人は「テングが山から降りてきた」と表現しています。

(↑写真 outdoorjapan.com )

さて、上世屋の雪は北海道と同じ、関西有数のスキー適地と認めてくださったのが、直接レルヒ少佐から指導をうけた、当時高田中学校教頭中山再次郎氏。むらは、その後、スキー立村へと大きく動きました。当時の様子を小川元吉さんは次のように語ります。

「2013年2月、丸山万作先生が木子からスキーで行程に降りてこられ、村中の者が初めてスキーというものを知った。ほどなく京都二中校長、中山再次郎氏がこられ、寺に泊まられ、成相、鼓が岳、官林、霧奥地、檜尾、中畑、三本松、しょぶ谷、岳、大清水、木子峠、汐霧など調査せられて、

丹後の北海道と折り紙を付けられ、スキー場開発を宣伝されるので、区長所も何かと力を入れずにいられないことになった。学校へは十台のスキーの寄贈品が届けられたが、家では、子どもにせがまれた親たちは、竹製、木製のスキー作りでおお忙しやが始まった。14年には、青年も、飯山式、ノルウエー式で七、八台区の補助をもらって購入し、練習に余念がなかった。」(「高原の碧晶」)

スキージ場として、整備された地を歩きました。

林に経過したであろう時間を70年ほど巻き戻してみると、斜面としても景観としても絶好のスキー場だったことが確認できました。耳を澄ませば雪と戯れる歓声が聞こえそうでした。
それにしても、初めて目にしてから、瞬く間に和製のスキーを作り上げてしまう里人のすごさ。伝来した鉄砲を模倣して作り上げた鍛冶師を彷彿とさせるじゃありませんか。
また、スキー発祥の金屋谷を持つ上越市と上世屋とは、レルヒ少佐の縁につながるじゃありませんか。
宮津市と上越市、赤い糸で結ばれています(^.^)

ところで、スキー選手に「清水礼留飛」という選手名がテレビに出ていました。このかた、「レルヒ」と読む?(^.^)

2013/02/13
ははそはの母の国かもふるさとの丹後の山は今日も押し照る

(↑ 2.12)

この歌には、植物の古語がひとつあります。「ははそ」 コナラのこと、重要な薪炭材で、世屋では、「ほうそ」   と発音します。 同音の反復で、リズムを整える枕詞で、「はは(母)」にかかります。ちなみに、父にかかる枕言葉は、「ちちの実」。これも植物で、銀杏のこと。
「ちちの実の 父の命(みこと) ははそ葉(ば)の 母の命 、、、、」 大伴家持。と用いられます。
また、「押し照る」は、一面に照り光るの意の古語。
さてここで、この歌は 万葉集巻何番か、と問われたら、18番などと応えかねない、そういわれたら納得しそうな歌風ですが、作者は澤潔さん。

(↑ 2009,12.17)

丹後の山は やさしい尾根を持ち 温かく落ち着いた風情が特徴です。その山に光りが当たって、なんと美しいことだ、これが私の国だ、母の国丹後だ、いつまでも栄えておくれと。


カメラが待つのも、こういう瞬間です。シャッターを押させるのも、こんなきもちです(^.^)

ちなみに、「押し照る与謝の海」

(↑ 2.12)

 

2013/02/13

寒波が居座っています。冷え込みを見計らって、カメラ愛好家がみえていました。

0度を切れば液体は固体になる理屈です。しかし、何でも凍ればいいと言うわけではない、岩や草や木を伝って水は落ちます。それぞれの条件が複雑にからんでつくる多様な形がおもしろい訳です。

光りがさせばまた味が豊かになります。そんなところにカメラマンは反応します。

お一人は、「日本風景写真協会」の会員さん。

ここはいい、なかなかのつららポイントだ。  場所やアングルをさまざまに探って撮影されていました。

カメラの向け方など撮影の様子で拝見したことをまねしてみたら、なるほどー!と思わされました。

もうすこし冷え込んだら、銚子の滝へ降りてみようとおっしゃっていました。

期待どおりに冷え込めばいいのですが、、、、。

2013/02/13
龍渓の谷の断崖に開いた狭い道を走るバス。

この付近を、「いぬくずし」と言います。明治41年から開鑿工事を行い完成までに五年を要したという難工事だったといいます。岸壁には、鑿の後が残ります。

その後、龍渓架橋工事が始まり、完成したのが昭和3年。

今の龍渓橋は、昭和54年に掛け替えられたものです。

 

2013/02/13
世屋バイパス・下世屋付近から見る半島山塊・高山南東側です。

地滑り地形が見て取れます。カップアイスをえぐり取る巨大なスプーンが目に見えるようなこれぞ地滑りという地形、「深層崩壊」というレベルの地滑りが起こったことを物語っています。
「深層崩壊」の原因は、大量の降雨もしくは融雪に伴う水とされます。大気がんの隆起した堆積岩の地質と特定されています。そういう意味では、この山塊は、深層崩壊の条件を完璧に備えています。(^.^)


その他、地震による大震動も、引き金となるのでしょう。大宝元年辛丑(西暦七〇一年)三月二十一日「丹後の國大地震三日不熄加佐郡大半蒼海となる」……との凡海郷地震は、今の沓島・冠島残して凡海郷全部陥没したとつたえます!
ちなみに、この地滑り斜面、尾根部から下の中腹にはブナ、栄養豊かな土壌が形成されている下部には、トチが生育しています。

また、世屋川河口で生き物採集を続けている、日置の小学生たちは、川の石の中に化石を含んだ石を採集しています。

崩壊した化石を含む地層が押し流されてきたのです。

2013/02/12

ハナ!

世屋の里の雪景色から、うけつけてもらうのは容易なことではありません。

バランスや色、なかなかに格闘です。

「98」(コメリ価格)の問題ではありません。自然、天然に人工、人為をマッチさせられるか、です。


里山アートの冬版、

♪はなーははーなは 花はさく、、、いつか生まれる君に

♪はなーははーなは 花はさく、、、わたしは何をのこしただろう

かっての人口300人にちなんだ数にするか、戸数60戸(大正13年)の数にするか、

、、、、、かかってこいよ!と世屋の里が言ってるようでした。

2013/02/12

右の山塊を汐霧山ヤマ 左手の鈍角三角が「岳山ダケヤマ」さらに 左の先に鼓ケ岳ダケがあり、そのいただきに 成相山サンがあります。


宮津湾から世屋の山を撮った写真の説明をするなら、こうなります。

こっちの写真では、ま正面に由良が岳タケ 右の方に大江山ヤマ そのなかに千丈ヶ嶽ダケ 双峰

みんな丹後にあるもの。

それにしても、「だけ、やま、さん、がく ホウ、、」言葉は違っても周辺のトチより高いところを意味することで共通です。それが、一つの地域でいろいろ使われている、こっちはヤマ、そっちでは、ダケ、あっちではサン、ホウとも、、、
山の環境をガイドするときの悩みのタネ。ネタ。「なんででしょう?」
でも、説明は必要。そこで、「だけ、やま、さん、がく ホウ、、」それぞれどんな旅をしてきたのか、、時間差で説明するのがいいようです。
最も古くから使われていたのはヤマ、現日本人がもともともっていた言葉だと言うことです。日本人のルーツであろうと推定される地域でも、周辺のトチより高いところをヤマと発音するそうです。
そして南のほうの竹の生育しているあたりからこの地に到達したのがタケ・ダケ。それより遅れてやってきたのが、サン(セン)。

ところで、クリた半島、宮津湾、阿蘇海、加悦谷を挟んで向き合う山々に、方や「由良が岳」(640m)「千丈ヶ嶽」、方や「岳」、鼓が岳(569m)を対峙させたのは、周辺のトチより高いところを意味する言葉を「たけ」とする同一の部族と言うことになります。ちなみに、鼓か岳(355m)はお伊勢さんのちかくにもあります!古代部族たちの移動コースという歴史のロマンは、足下の地名にも眠っているというのはおもしろいことです。

2013/02/11

雪に花が咲いたらすごくないですか!

枯れ木に花が咲いたらすごいように(^.^)

雪は「白いオアシス」


おはなをもって、雪の世屋の里にいらっしゃいませんか

コメリの198ものでのささやかな楽しみ。

お手伝いしますよ。雪の里の花化粧。

連絡ください。0772-45-1625>

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