宮津エコツアー · 1月 2014

1月 2014

アサリ漁が全国的に減少している今日、天橋立に打上げられた貝殻は。

 

幅広い貝だまり

DSCN6590別の貝だまり  アサリ、ナミマガシワ、オオヘビガイ、カキ、カサネカンザシ、ナガニシ、バフンウニ等

DSCN6576貝だまりカキ、カサネカンザシ、アサリなど

DSCN6583アサリ、ムラサキイガイ等

DSCN6592主としてアサリ

DSCN6596棘皮動物のバフンウニ(上の二個)、ヒラタブンブク(ウニの仲間 下の三個)

DSCN6574バフンウニ、ヒラタブンブク

きんさん!

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つめたからずや 書を読む君

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「なんじゃ、それ!」

さっき、与謝野晶子さんがいらっしゃってた!

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「そうか、、、。あんたも読むがいい、

◆我が軽く雪払ふさへ つり橋は つたへて揺らぐ二つの岸に

深ーい意味、わかるか。

◆地はひとつ 大白蓮の花を見ぬ 雪のなかより 日の のぼる時 、、、、

国の行き方、生きる意味、大きなスケールで物事を考えて、詠う人じゃったから、、、」

 

雪は晴れの前触れですけんに、まあまっとんなれ!

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まさに待てば甘露の日和ありで、午後からは雲が切れて与謝野晶子さんが詠われた一文字観に。

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おや、晶子さん、、!

「もう一度丹後を見たいとおもって、、!」

せっかく丹後に来られたのですから、前に行かれなかった世屋の里をご覧になりませんか!

と言うことで、なんとなんと、「与謝野晶子さん」をご案内して、岩滝の町経由世屋の里へと言うことになりました(^.^)(^.^)

「ここのお店、覚えていますわ、大内峠の上がり口で美味しいお菓子いただきましたよ」、

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地元の農家さんと協力して新しいスイーツを開発されてますよ。

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「こもいけだいなごん、、おもしろい、これいただこうかしら」 「いつの時代も挑戦とオリジナルよ」

励ましをいただいて、湾岸公園へ。

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世屋の里は、あの白い尾根の向こうになります。

「ここは雪がないのに、山と雲の接するあたり、神様がお住まいになりそうなところね、さぞかし美しいところでしょうねぇ」

「 おや、、、かわいい!」

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(↑ お母様の許可 いただいています、デビューさせたげるって、エーイ(^.^))

「お嬢ちゃん幾つ?お母さんといっしょに遊びに来たの、そーう二十歳になったらさぞ黒髪の美しい娘さんにおなりになりますよ、お大事にお育てなさい!」

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「阿蘇の海、ずいぶん小さくなりましたわね」

工場残土や都市計画で埋め立てましてね、、

「海の色も何となくわたしの見た碧じゃなく黒ずんでて」

、、、鋭い指摘です、,脂汗が出ます、、、

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お土産屋さんに立ち寄りました。 「鹿モミジカレー、猪ボタンカレー、、、これは?」

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ええ、たいへんなんですよ、お百姓も、猪や鹿が増えて増えて。それでこういう風に、、、、。

なんだかんだと世屋の里へ。晶子さんを歓迎して雲も空も柿の木も雪も勢揃い。

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ご案内している内に日は傾いて里に差し込む時間になりました。

晶子さん!

「志ょうさん、とよんでもらっていいわよ」

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え!

冷えてきましたので、休憩所へ。こもいけだいなごんスイーツでお茶にしていただきました。

「素敵な月が出るのね、」

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あ、それは、、ランプシェードが映って、、、

「ほほほほほ こちらが、、ほんものね、、」

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案内してくださってありがとう、、、、。

,,,,,,,,《また、夢見たんでしょ(^.^)》

いや、ほんものだったよ、 だってテーブルの上に歌がおいてあったもの、、、(^.^)

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「世屋の里 メタセコイアを 昇りいく 寒月の陰 冴えて棚田かな  鳳志ょう」

※ このコース いかがですか、ご案内します。 ご連絡ください (^.^)

 

京丹後の人たちが、うちやまはなぜうちやまというのか、そんなはなしをしていたとき、「丹後のどこからもみえる、うちらのやまだというのがおこりではないかとAさんが。

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その中に宮津の人が一人いらっしゃって、「せや、せや」とおっしゃったそうです。

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雪雲が、冷え込んだ明け方にブナ林にかかり、白銀の粉を撒いてったのでしょう。

江戸時代末期、一揆の責任者として捕えられ打首になった吉田新兵衛さんは、35歳の若さ。この慰霊のため地蔵建立を呼びかけたところ寄進に応じてくださっていた人数は75、000人にのぼっていたのだそうです。

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その数字の意味ですが、2013年4月現在の世帯数を見れば、 京丹後市  21,422   宮津市  8,946   与謝野町  8,588     伊根町  1,040     合計39996

当時はもっと多かったことを引いても、とてつもない数字です。

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藩の課した重税に耐えかねて立ち上がった農民百姓への共感の広がりと幕藩体制の疲弊を裏付ける数字です。 この古文書が解読されるまでは、山賊が出没するので退散を願って村人が立てたものと説明されていました(`ヘ´) 史実が隠蔽されていたわけです。

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さて、東の国では、ガラシャ夫人の末裔、細川元首相がさんが東京都知事選挙にノウモア原発事故を掲げて立とうとされています。原発一基の事故で一瞬に美しい里山が原野と化し国が存亡の危機にさらされたその実態も闇のまま、そして解決の目途さえたっていない中で、原発再開など許されようはずはないと言うのが庶民の感覚。細川ガラシャ様に地域振興を委ねている宮津始め丹後の関係者一同こぞって声援をおくらねばなりません、

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そしてもし再稼働なら、このしんべえ地蔵さんが動き出すかもしれません。

宮津美しさ探検隊発行「どこどこ」に掲載の「杉山は宝の山」上家透氏の寄稿をご紹介します。4回

早春からコブシ(=タムシバ)、ヒュウガミズキ、マルバマンサク、ダンコウバイが、

DSCN0883タムシバ  (タムシバの花)

DSCN8550ヒュウガミズキ○  (満開のヒュウガミズキ)

DSCN8257黄色マンサク

(マルバマンサク・・・紙の花みたい)

DSCN5834ダンコウバイ   (ダンコウバイの花)

 

初夏にかけてタニウツギ、ヤマイバラ、ヤマボウシ、・・・

DSCN6300タニウツギ○満開  (満開のタニウツギ)

DSCN9593ヤマイバラ3   (ヤマイバラの花・・・大きくて綺麗だ)

 

DSCN3071ヤマボウシ    (ヤマボウシの花・・・2~3年に1回満開になる)

・・・・・・続きます。

雪衣を着せてもらった木々たち、

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満開の雪ザクラ並木に見入る人。

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こんな朝に向かうところはここでしょう、平治峠の新兵衛さん。

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文政年間民衆の蜂起のリーダーに感謝した民衆の寄付で作られ、冬が来る前に毎年、しんべえさんガ寒くないようにと薦を着せて差し上げるのです。

 

 

そして、再び民衆が立つときには、しんべえさん、たすけてくださいよと祈るのです、、、、。

♪ゆきやこんこあられやこんこ降っても降ってもまだふりやまぬイヌは喜び庭かけまわるYも喜び朝から丹後を駆け回る(^.^) ※

 

「橋立や 聞きわたりこし おもかげも 心にかかる 今日の雪かな 」と橘千蔭さん。

橋立の雪はどんなだろうと想像し、是非見たいものだと思いをつのらせていらっしゃるのでしょうか。

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うん!雪だ!思い立ったら、、、飲みかけのコーヒーを置いて大内峠に急行!雪雲の中、と言うより雲の橋立!

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ちなみにこの歌は「天の橋立百人一首」あまのはしだて出版に収めてあります。その帯に「古来天の橋立はいっさいの人口を加えない自然そのものの美を形成し、ここへ杖を引くすべての人を魅了した」と小川隆太郎氏(アララギ派歌人)。ところで、その砂一粒一粒がどこをふるさとにしているか、考える人はあまりないですよね。大阪城を作ったのは多くの多くの農民民衆だとだれもいわないのと同じで、日ヶ谷や波見や世屋の谷をふるさとにしていることは横においといて、神の造形なんて言うわけです。 そんなことを思い、足踏みしながら待つこと約30分、雲が動くではありませんか、

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橘さん、貴方がご覧になりたかった雪の橋立はこんなだったのですか?

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帰ってきても、コーヒーはまだ冷めずに待っていてくれて、それをのみました、、、。この贅沢(^.^)

また、木下幸文さんは

「浦風に 雨横切りて 橋立の 松の半ばは 隠れけるかな」と時雨時の景色を、

さらに八田知裕さんは 「波のうえの 霞む朝けに 見渡せば 今も空なり 天の橋立」 と朝霞の景観をそれぞれ切り取って歌ってらっしゃいます。

雪も雨も霞も橋立の彩りにしてしまう筆力、、、すごいものです。

 

 

 

五年になる世屋の里でのエコツーリズムの活動をまとめさらにアピールするパンフを作ることが、現在受けている地域振興助成の支援で可能になっています。

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その構成の始めには、郷土史家岩崎英精先生のこの文章をいただこうと考えています。

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宮津市。旧日ヶ谷付の牧、旧世屋村の麻谷・松尾・駒倉・旧府中村の西谷・東谷。
与謝郡。伊根町旧筒川村の田坪・吉谷。
竹野郡。丹後町旧豊栄村の力石・旧宇川村の竹久僧・旧野間村の住山・小杉。これらはいずれも現在潰れた旧藩時代の村々であり、町村制施行後は大字部落乃至小字であります。

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いま申し上げた村々は例外なく山村、丹後半島の屋根といわれる五〇〇メートルから七〇〇メートルの山々に囲まれた山村でありますが、この幾百千年の歴史に生きてきた村人が、先祖代々の墓をはじめ、苦心して築きあげた家屋敷も、先祖代々の血と汗とで育ててきた田畑、さらに個人の、あるいは共同の山林原野までも見捨てゝ、これらがいずれも経済的生産の価値を失って、まさに自然にかえってしまっても、何処からも誰からも一円の金も補償してはくれないのであります。
しかもなおこれらの人々は村を棄てゝ出てゆくのでありますが、その出てゆかねばならぬ理由がどこにあるかと申しますと、それは「もうこの村ではとても生活が成りたたないから…」という一語につきるのであります。ある週間雑誌や新聞には昨年の豪雪に将来を絶望して出るんた…などと書いていたのもありますが、この人々は断じて単なる豪雪、一年や二年の大雪でヘコタレたのでは決してありません。楽しい生活、平和な暮しができるのなら、こうして先祖伝来の村を捨てるでしょう、もっとも多少の時代的影響はありましても、断じてこれらの村々が潰れるといった現象はおこらないはずであります。

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いわば、そこには豪雪よりも台風よりも、もっともっと恐ろしい現代的飢餓が彼ら村人をおそい、日夜ひしひしとその苦しみが肌にせまってくる昨今の生活、この怖ろしい現代的飢餓にたえられなくった人々が個々にまた集団で、村々を見捨てゝ出てゆき、そうして村は潰れ亡びるのであります。
ではいったいその怖ろしい現代的飢餓とはどこからきたのでしょうか、それは戦後の生活環境の激変、ことに自民党池田内閣の「所得倍増政策」の結果でありまして、独占的な資本のみにはほゝえむ所得倍増政策こそは、豪雪よりも台風よりも怖ろしい飢餓の波であり、こゝにこそ現代的「逃散」は当然におこるべくしておこりつゝあるのであります。おそらく以上申し上げた村々だけが亡びたのではなく、きっとこれからもどしどしと亡びる村が出るでしょうし、これはやがて全国的規模において現われる前徴であることも間違いないと思うのであります。

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さて私が皆さんに訴えて、お願いしたいことは、ここであります。私はここで政治を語り、社会経済を云々しているのではなく、このようにして潰れ亡びる村々と、その村々をつつむ村や町や市の、その歴史の変化を、この際ぜひとも強い関心をもって見守り、お互に地方史を目標とするものが協力して、私たち現代人の責任においた、後世の若い人たちに誇りをもって引継ぎうるような歴史を明らかにすべきだと思うものであります、

《 『両丹地方史』亡びゆく村々を思うて》
宮津市の郷土史家 岩崎英精氏はこのように訴えられました。一九六四年(S39.12.30)のことです。人が自然とともに暮らせば里山、しかし、人が去ればそれは原野です。その原野は、今や滋賀県一県分に広がっています。

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平成一七年成立のエコツーリズム推進法は、丹後国定公園指定や生物多様性国際条約などとともに 里山の自然と暮らしの活用保全は国家的課題だとして 「後世の若い人たちに誇りをもって引継ぐ」その視点と必要から成立したものです。

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以下、森のガイドウオーク、里のガイドウオーク、等に続ける予定です。

隣村駒倉が集団離村を決めた昭和47年ころ。上世屋の百姓を任ずるAさん、百姓仕事をこう言いました。「金の目を見るまでにはなんと数限りない手間と重労働が積み重ねられることか」と。

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その内容はというと、「膝をも没する段々の高いたんぼを一クワ一クワ泥をすくい上げては畦塗り、一差し一差しの田植え、アヒルのように田の中を這い回っての草取り、秋は秋で一株一株刈り取って一把一把を日を暮らしての稲掛け、一束ずつにくくって持って帰ったら夜なべの脱穀、乾燥、調整。」と。

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その頃、寺山修司さんは、こんな歌を詠みました。 「冬の斧 たてかけてある壁に さし陽は強まれり 家継ぐべしや」

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たにうつぎや合歓が5月から7月になると、美しく花咲かせる原野はそうして生きたAさんたちの、打ち代わられることのなくなったたんぼです。里の人たちが「一クワ一クワ、一差し一差し、一株一株、一把一把、一束ずつ」畦塗りから出荷まで、たんぼで数えたその数を表すように枝いっぱいにたくさんのたくさんの小さな花をさかせます。

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そして、一つ一つの花たちが、耳をすますとうたっているのです、、

♪、、ファイト、、、たたかう君の歌を、、、たたかわない奴らが笑うだろ、、、、、、、ああ 小魚たちの群れきらきらと 海の中の国境を越えてゆく  諦めという名の鎖を 身をよじってほどいてゆく、、、、ファイト! 闘う君の唄を  闘わない奴等が笑うだろう  ファイト! 冷たい水の中を  ふるえながらのぼってゆけ、、、、♪

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