宮津エコツアー · 3月 2017

3月 2017

「唄うたい土間から庭へ土竜打ち   清水恵山」

謎だらけの句です
まず、「土竜」!なにどりゅうって?

この方のことかしら!

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「土竜打ち」って、このかたなにかよくないことなさったのかしら?

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「唄うたい」ってみせもののようにさらされているのならよほどのことなんでしようねぇ!

しかし、この方竜は竜でも石の竜、とんでもない見当はずれです、ヒントはこれ。

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これって、穴、モグラの穴でしょ、

ええ、土竜と書いてあるのはモグラと読むのです

えっえぇどどどどこここををを押したらそうよめるぅ?

読めませんでも読むのです!

土の中をいともかんたんに掘り進むパワーに感動し敬意を表したのでしょうか、

すごい想像力です。

モグラが「土竜」なら「木竜」のわしはなんとよむかねえ、と新たな参入者。

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、、、、入り交じってへんな話に発展します。

真相は「漢字表記「土竜」は、漢名でミミズを指す。 モグラがミミズを食すことから誤用され定着したとされる。」人騒がせな誤用です。

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また、打つとうたうと動詞が二つ、その動作の主体はだれで、目的はなに?

これについては大野城市広報ホームページに解説。

[季題] 土竜打(もぐらうち)
土竜が畑を荒すのを防ぐための一種の呪い。小正月の前夜に行われる子供の行事として各地に残る。
棒や束ねた藁で地面を叩いたり金盥を叩いたり土竜が嫌うとされる海鼠やその代用品の槌を引っ張って戸々を回ったりする。
子供たちは褒美として餅や菓子などをもらう。

子どもたちにこれほどまでにむごい目に遭わされるほど悪いことをする生き物なのかというと、

ミミズを食べる ヘビやフクロウや狐に食べられる

コピー (1) ~ yjimage[2]

(↑ネットで拝見 よく出会われましたねぇ!)

土を軟らかくして草の繁茂を助け 花は虫に蜜を提供する

そんなことですから、里山エコロジー生態系の重要な一員 なのです。

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では、なぜモグラはもぐらなのか?

但馬や丹後では、「うちの畑は、むくろが多いて困るわ。」 「こねえだから畑でむくろもちが走りまわっとって、困っとるんだわ。むくろもちはどねいしたら止まるんだいや。」といわれるむくろとかむくろもちがモグラのこと。むくろ・むくろもちとモグラ殿関係については、次の解説。

「土竜。 地中を掘り起こし土を持ち上げる行動から「穿(う)ぐるもち」が転じ「墳持ち(うごろもち)」と呼ばれ、ムグロモチ、ムグラモチ、モグラモチとなりモグラになったともいわれる。」

なんとも奥が深い生き物です。ちなみに土の中の彼らの王宮はこうなっているのだそうです。

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、、、、、東京メトロのならぬ里山メトロ。アリの一穴、といいますのにこれではたんぼのあぜも崩れるはずです。

ときどき見つける 死んだもぐらその原因説?穴掘り能力は?その能力を生かすことの可能性は?

まだ謎はあります。それはそれとして傾向としては、害獣 としての認識が強いですね。でも、いなくなったらどうかもう寂しいなんてものじゃないですね 畑 やれるかどうか、、、穴が開くというのは空気酸素柔らかく清潔に栄養も音が張りやすい 糞は肥料に感謝されこそすれ、うとまれるものではないはず。のにこの仕打ち、モグラからすれば、恩知らずものめといわれかねない。
もぐらと人との関係について人間はもぐらに恩がある、そういう認識の言葉を使う所はないのかをリサーチ、チェックするとあるじゃないですか。

、、、、、、
「鍋島泰氏『和具の方言』 三重県志摩市志摩町和具の医師・鍋島泰氏が平成2年(1990)から調査をはじめ、平成20年(2008)に刊行。全3巻、2268ページ、31025項目にわたる収集量は和具方言としては前人未踏のもの。しかも、ほぼすべての項目について根拠となった話者の会話文が付されており、高い資料性を有している。
(例)
よした【感動詞】1)有難う……[会話] 1)ヨシタ言うのは おおきん(有難う)有難う言うのを ヨシタ言うのなあ(です)。男の人らな(が)よお使うわな(よく使います)、漁師の人らな(が)ヨシタ言うてな、有難う御座居ます、今し(今)では言うのを、それを ヨシタエエ言うの(のです)。(以下略)
よしたええ 有難う 女性言葉 よした参照[会話] ヨシタエエ言うて、有難う言う事を ヨシタエエ言うて。おおきんえ(有難う)言う人も有るし(有ります)。よけもろて(沢山貰って)ヨシタエエ言うて。なんやかや(何彼)もろたり(貰ったり)してもろたり すると、礼言うのを 有難お言うのを ヨシタエエ言うて。仕事してもろて(もらって)こげん(こんなに)よけしてもろて(沢山してもらって)ヨシタエエ言うて。ヨシタ(よくした) うぐろ(土龍)よお(よく)持ってくれた言うて、畑の うぐろなでんぐりかえして(ひっくり返して)有ると 打つのん(畑耕すのに)やいこおて ええんてや(柔らかくてよいのです)うぐろな(もぐらが)持ったあた(後は)、そやもんで(それで)ヨシタ うぐろ よお持ってくれた言うて。そして(そうして)なんやかや人な(が)持ってしとると(して居ると)その時もうぐろん(に)例えて ヨシタ うぐろ、持ってくれて 言う時もあんね(有るのです)。」

、、、、、、
貴重なリポートです、もぐらくんも浮かばれるというものです。もぐらと人との関係、スズメと人間との関係ににていますね。

 

続きです・・・

茶屋ガ成るからスキー場へと登って行きます。

 

茶屋ガ成る~スキー場へ登る途中

茶屋ガ成る~スキー場へ登る途中宮津湾

ここから眺める宮津湾は杉山林道から眺める景色より高い場所なので絶景です!!

 

振り返って杉山

振り返って杉山

 

砥石山方面

砥石山方面

 

スキー場トップへ登って来ました。

 

スキー場から天橋立

スキー場トップから天橋立

 

スキー場から砥石山

スキー場トップから砥石山

 

スキー場から大江山鍋塚方面

スキー場から大江山鍋塚方面

林道入り口から約1時間40分。半日コースで丁度いい時間です。

この日は急に晴れ予報に変わり急きょ杉山林道へ行って来ました。久しぶりのスノーシューで気持ち良かったです。日差しは春で木の芽ももうすぐ芽吹くでしょうね。里では滝上山でマルバマンサクが咲きだしました。

 

この地図、丹後五郡絵地図。

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細川さんのあと、丹後の知行者となった京極さんの時代のもので、地名と道路とが政治軍事経済の中心地宮津城を起点にその間の距離を示す一里塚のようなマークも付けられ、水系や谷筋も正確に描かれていて実用的な物になっています。
制作時期は寛永1638~正保1644年ころ。徳川幕府により年貢徴収、あるいは軍事的な目的をもって作られた官撰国絵図正保国絵図を基にしているということです。

さて、宮津城から丹後内陸部に入るルートは赤線で示されています。
①号線 宮津 須津 弓の木 大内峠 三重 口大野 峰山
②号線 宮津 須津 岩滝 男山 山伏峠 五十河 東楽寺
③号線 宮津 天橋立 日置 世屋谷 野間谷 宇川
④号線 宮津 天橋立 日置 波見 岩ヶ鼻 →伊根
→筒川
これらが、「丹後国主要国道」であったと考えていいのでしょう。

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この地図の制作は、細川さんが熊本へ転出したあと丹後の知行主になった京極さんということ。年貢や塩、燃料、兵隊などの動く道、コースは、細川時代のものを踏襲していることでしょう。

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本能寺の変が1582年。地図の製作は1644年。ということはその五十年前、玉さんは丹後国国道三号線を通ったんだろう、そんなことを思いながら、「細川玉運命の地・味土野」を探しましたら、幹線道路をはずれているじゃないですか。日置からの内陸コースは、下世屋→松尾→東野→小杉→出合→野中と読みとれます。

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宮津城から味土野までの経路について、、『京丹後市の伝承・方言』でも、「宮津→(船)日置→せや谷→駒倉峠→味土野」と「いわれている」とされていますが、怪しくなりましたね、「せや谷→駒倉峠→味土野」のコース説は!どうあれ、細川家の「正室」様なら、幹線を通られるはずとおもいませんか!

「味土野山 けふ見る君は 夢ならで 手あたたかき もみじ葉の映え」、玉さん、復縁を認められた喜びの歌とされます。

また、この地図には、水戸谷峠、平治峠、入道峠、高尾峠の道はありません、その後の開設なのだとわかります。

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今昔の比較をしながら古地図を見るのは、楽しいものです。

約1か月ぶりに杉山林道へ・・・一時門の上近くまであった雪は消えてわずかに残っていました。

 

杉山林道入口

杉山林道入口

雪は少なくスノーシューは要らないかと車において出発・・・少し歩くとやはり雪が出てきて踏み込みましたスノーシューまた取りに帰って出直しです。

 

綺麗な雪の林道

綺麗な雪の林道

 

 

大笠コースを振り返って

大笠コースを振り返って

 

 

宮津湾

宮津湾展望

 

ホオノキの大木

宮津湾展望の横にホオノキの大木

 

京都府豊かな森を育てる府民税を・・・

京都府豊かな森を育てる府民税を・・・

活用して林道の荒れた場所を修復して看板が立っていました。写真では分かりにくいですが、看板の前はコンクリートで整備されていました。

茶屋ガ成るに近づき・・・

茶屋ガ成るに近づき・・・

 

茶屋ガ成るから宮津湾

茶屋ガ成るから宮津湾

林道入口から約50分で着きました。

続きます( ^ω^)・・・

ハコベは郷愁の草です。

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□はこべらの畑にうさぎを放ちけり 三澤福泉 俳句通信 199904

□鳥かごの鳥に差し出す花はこべ きくちきみえ やぶれ傘 201607

さてハコベ はこべら、「へら」はキノコを「くさびら」というのと同じとは思います。問題は、「はこ」!
なんじはなぜ「はこべ・はこべら」じゃ?
、、、、こんな時は、和泉晃一さんの「草木名のはなし」。
「ハコベの語源は、その白い花弁の数と形に着目した、ハクベラ(帛箆)の意であると私は考えている。「帛」は真っ白な絹布で、古く上質の布地とされたもの、「箆」はヘラ状の花びらをいう。」
和泉さんの見当がはずれていないなら、なんとも上品な命名です。

□ はこべらや村の名消える日の近き 間宮陽夫 馬醉木 200606

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はこべらに 寒はもどれど 水の雪    世屋野蕪村

大フケ湿原の3月4日。

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この湿原は、上世屋と木子の間の峠にあります。湿原の水は、木子側へと上世屋側への二方向へ流れていきます。

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木子側へ流れた水は、宇川となって日本海へ、一方上世屋側へ流れた水は、世屋川となって宮津湾へと注いでいきます。つまり、分水界にできた湿原なのです。

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さて、そこで「大フケ」ってなんやねん、となるわけです。その説明は看板にはないので、「なんなんでしょうねぇ!」と。
それに関して、「味土野誌」に「フケヶ谷」と呼ばれているところがあるというのを見つけました。場所は、味土野と内山との間の境をなす高尾峠、この峠も、味土野側は宇川へ、内山側は竹野川となって異なる水系をなしています。この峠一帯にも湿地があり、この付近は両地区の入会地として利用されていて「フケヶ谷」と呼ばれていたという記事です。
大フケ湿原と「フケヶ谷」。フケの意味について何となく検討が付けられました。もう一息チェックしてみましたところ、同じように疑問を持った方がいらして、その方は
柳田國男のさんも疑問をもたれて、調査分析され、それが作品に次のように反映集録されているとアップして下さっています。
、、、、、、、、、、、、、
①現に関東の田舎の名もない古池にも、人が近寄れば必ず水玉の揚がるものが幾つかある。
多くは九州でムタといい、東部地方ではフケまたはヤチなどと名づけて、腐った植物でできたような低い湿地である。
(『柳田國男全集11』1990年「妹の力」、ちくま文庫211頁)
②ムタは関東・東北ではヤチといい、中部ではクゴともフケとも
称して、排水のむつかしい平衍なる湿地のことである。
(『柳田國男全集6』「一目小僧その他」1989年、ちくま文庫461頁)
③この蒲原一帯の水田は、農夫が臍のあたりまでも泥に浸って耕耘をする。
いわゆるふけ田の優なるもので、(以下略)
(『柳田國男全集3』「北国紀行」1989年、ちくま文庫287頁)
、、、、、、、、、、、、、、、、、、、
つまり、フケとは臍のあたりまでも泥に浸るような湿地という地形用語。かっては各地にあったこういう湿地は今では改良されて、名前には「ふけ」という音を残すものの、カタカナ表記されたり漢字では「富計」とか「浮気」になっているため、意味不明!と悩ましているということのようです。

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さて、この大フケ湿原を水源湿地にする宇川が谷を刻んで始めて開けた所にある「須川」で、福寿草が咲き始めましたよ。

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この花、地元の方が、株分けしながら増やされたんですって。

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春一番、せいだしなるなぁと声をかけてみると、冬越ししたこんにゃく玉をうえつける予定だ、草が覆うと畝作りがえらくなるので、いまからやっているのだということでした。

北近畿経済新聞、知る人ぞ知る北近畿の経済情報のきめ細かさを売る新聞ですが、3月一日、ここに!

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ガラシャさんに心寄せる人は増えていますが、普通は例えば、宮津市役所横のガラシャ像や教会を見たら、車で京丹後市弥栄町黒部から中山経由野間・野中→霰→大谷→味土野というコース。今回のツアープランは、玉さん自身が歩いたのか、かりそめにも大名家の奥方ですので輿や籠に載せられたのか、見解の分かれるところですが、一行の辿ったであろう避難路を辿るのが特徴です。

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「人間をみるときは、その心を見るのだ。お玉、人間の価は心にあるのじゃ。と父は教えた、裸一貫が、この世の大方の人々の生き方であることを、母は娘たちに教えた」と三浦綾子さんは「細川ガラシャ夫人」で。

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「中世へのタイムスリップ」感の息づく世屋谷ルートは一般的な史跡巡りツアーでははいれない玉さんの心の中を想像しながら歩けるだろうと。それを「既存のツアーにはない行程を組み込み」と紹介してくれているのです。

その「みどの」の3月2日。

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さすがに丹後の天空の里。冬将軍ががんばっています。

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けれど、沢にはわさびの花。

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この春の使者、玉さんを励まし癒したのでしょうね。

自動車道京丹後市出入り口付近に姿を現したコウノトリ。

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このコウノトリ、個体番号「J0111」で、生まれは2015.4.20、性別はオス。「飛び立った」のは同年6.23。それらがなんでわかるかというと、足環の組み合わせ。

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この個体の足環は、■黒・緑■赤・黄の組み合わせです。これをカタログで照合するのです。

また、放鳥方法は「ソフトリリース」とされています。ここが大事なのだそうです。新しい環境で自由な暮らしといっても馴れない新しい環境に出て行くのに勇気が要るのは人と同じ、、いつでもいいよとゲージの扉をはけっぱなしにしておいて、連れもっていこらと誘い合うのもよし、飛びだすのは鳥任せにする方法なのだそうです。

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さて、餌をあさっているようですが、カエルは冬眠中、ドジョウとかフナなどがいるような状況のようには思えません。偵察飛来なんでしょう。

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自動車道を通すのも人間、コウノトリの腹がくちくなるほどの餌を提供できる環境を作るのも人間、自動車道をはよかんせいさせてくれぇとはずいぶん叫んだから今度は環境だぁどうやったらええだろうなぁと寄り合いや勉強がはじまってせいぶつたようせいに配慮しようと叫ぶ声が高まるのを、みまもっているのでしょうねえ、個体番号「J0111」のコウノトリは!

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