地滑りの 棚田の跡に サルスベリ
天の雲 吐き出すがごと 阿蘇の海
「なかなか、夏が秋に席を譲りません。今朝も、朝から熱中症アラー放送!
人生では夏の衰えは憂うところですが、秋に席を譲らぬ夏も、いらだたしいものです。」
田は秋 いまだ夏なり 山の雲
草刈りぬ アサヒドライを 友にして
里山の プロデューサーのごと サルスベリ
旧府中街道に息ずくお宝サルスベリ
樹の下のお地蔵様に日陰をつくるかのように傘型に整えられたサルスベリ。
暑かったなあ、もう涼しくなるわなあ
『ゆく夏と 来る秋会わせ サルスベリ』
さて、江戸時代以前の渡来種と言いますから、全国には巨樹のサルスベリ。
樹種 | 名称 | 所在地 | 幹囲 |
---|---|---|---|
サルスベリ | 千代田C.Cの百日紅 | 茨城県かすみがうら市上佐谷 | 4.5m |
サルスベリ | 大石屋敷跡のサルスベリ | 東京都八王子市松木 | 3.3m |
サルスベリ | 馬瀬口の大サルスベリ | 富山県富山市馬瀬口 | 2.6m |
サルスベリ | 中村のサルスベリ | 長野県長野市桜字中村 | 3.6m |
サルスベリ | 田畑の百日紅 | 岐阜県関市上之保鳥屋市 | 4.5m |
サルスベリ | 神子畑のサルスベリ | 兵庫県朝来市佐嚢 | 2.57m |
幹周450cmのサルスベリも見てみたいものです。
丹後では、日置、妙圓寺のサルスベリ!
4本株立ちで、計測すると、90,40,70,70各cm計270cm。
なかなかの銘木ですよ。
松尾棚田の秋、夕景!
「松尾地区の棚田は、一本桜とともに宮津湾を望むことができるのが特徴で、無農薬・無化学肥料を徹底した棚田米の栽培やブランド化を行っているほか、冬季の間も棚田を湛水化することで生物の多様性を維持するなど、自然環境を保護する活動も行われています。」
この棚田は、東に向いています、もと東野という村の跡地を農地改良したものです。
その《東野の概要》
東野村は、江戸期~明治22年の村名。「慶長郷村帳」の世野村のうち。はじめ宮津藩領、延宝8年幕府領、天和元年以降宮津藩領。
市の北部で、世屋川およびその支流域、汐霧山(624m)の西麓に位置する。松尾の西方標高380m前後の地域。
幕末の草高は25石余、年貢率は定免で5割1分8厘。高掛物14石、山手運上米4斗余、稲木運上銀など4匁余。戸数6ですべて百姓、人口32(与謝郡誌)。明治4年宮津県、豊岡県を経て、同9年京都府に所属。同21年の戸数6。同22年世屋村の大字となる。
東野は、明治22年~現在の大字名。はじめ世屋村、昭和29年からは宮津市の大字。
《主な社寺など》東大明神
過疎により廃村となった。
論文「丹後地方における廃村の多発現象と立地環境との関係」によると、明治初期8戸、昭和38年5戸、昭和39年に無人化(市史によると3月)。のち新規転入1戸。
、、、、、、、、、、、、、、
この海山空の連続した農業景観を作り出したのが『新規転入1戸。』の決意、、
なにがうれして、なにが哀して、、、、と、よく言いますが、それはともかく、その決意を見守ったのが、松尾の一本桜。
花は、生きる力、、、昨年亡くなったテルミばあちゃんも、鎌で草刈りしながらそういってらっしゃいました。
こんな棚田がタイや台湾、中国には今も現役だといいます。
かって里山カメラマンを名乗った皆さん、そういうかたたちは、そちらへ流れましたね。
丹後へ大阪から来るより台湾に飛ぶ方が安い!
しかし、問題は、そこでしょうか!
『「棚田は、急斜面の山間部ゆえに、その保全が年々厳しくなりつつありますが、環境保全の重要な役割を担っているため、これからも守り続けていくことが大切です。」』
一本桜二世が、力強くスタンバイしています、
棚田景観の価値と意義、我が国の問題として足元をしっかり見つめたいものです。
キノコシーズンを迎えた秋の森。
白いキノコ。
黄色いキノコ。
紅葉前の森を彩ります。
白いキノコは、小さな羽虫がいっぱい。香りも少しします。
黄色いキノコはよく振ったビールの栓をから噴き出す泡のような勢い。
さて、関心は、これらが、食べられるか否か!
どちらも美味しそうですが、黄色いのはアウト、『オオワライタケ』。
白いキノコは、食用可、『ブナハリタケ』。
ところで、このキノコと森との関係について、森の面白さ、楽しさを、また一つゲット、という気分にさせてくれるネタ。
地中には菌類ネットワークがあって、
それらが、木々の、互いのつながり合い、互いの認識しあい、さらに栄養の送り合いに関係しているのではないか、
ということが、科学的に証明されたといいます。
研究したのは、カナダの森林生態学者。ブリティッシュコロンビア大学 森林学部 教授スザンヌ・シマードさん。
その論文は数千回以上も引用されて世界中の森林生態学に多大な影響を与えているんだそうです。
「森では木々が、会話を交わしている(How trees talk to each other)」
どんな時にどうなるのか、木々の間の会話をどのように人間語に訳されたのか
ぜひ知りたいところです。
羽衣姉さんに斜陽、あ、!
そうか、九月、秋分が近くなっているのだ!
南北に走る大宮バイパスに向いた長方形の建物、丹後織物ホールの壁は、ほぼ東西のラインを指しています。
壁画の描かれているのは、南側の面です。
昇り沈みの位置を変える太陽、これまでは北の寄っていたのを、夏至を機に反転、南に変えてきたのです。
壁画の羽衣姉さんは、太陽が、これから、冬至で北に反転、春分すぎまでその斜陽を受けるということ、
さて、ふと思いました。
丹後に、一人取り残され、指先に旅するチョウアサギマダラを止らせ見つめる姉さん、彼女の心中や如何、
楽しいのだろうか、苦しいのだろうか、
それは想像しかないのですが、、、、これもありか!
劇作家、鴻上尚史さんの戯曲『朝日のような夕陽を浴びて2024』の帯のセリフです。
朝日のような夕陽を連れて、わたしはここにいつづける
わたしは一人
1人では耐えられないから
1人では何もできないから
1人であることを認め合うことは
たくさんの人と手をつなぎあうことだから
、、、
冬空の流星のように、わたしは一人
、、、、、
これは、丹後、いえ現代人の今の状況と同じじゃないですか。
過去の状況とモチーフに現代の状況とモチーフを重ねる、そういう意図とメッセージを持って描かれることはおおい。この壁画の作者さんたちも、そうなのだろう。
朝日のような夕陽を連れて、わたしはここにいつづける
これからは、朝日も当たります。
作家さんは、壁の向きと陽の当たり方、それも織り込んでらっしゃるとしたら、、、、
ちょっと半端なくわくわくとしながら、そうなら、谷口謙先生の詩も、このそばにおいてほしいものだと思いました。
小さな旅に出ました、サービスエリア、パーキングエリアのトラックたち。
このトラックが里と都市を繋いでくれているんだなぁ!
里と都市、爺ちゃん婆ちゃんと息子・娘&孫を繋ぐそのトラックを運転するのは人。
、、、浮かびました
『いすゞのトラック youtube』
「ドアを開けたら冷たい空気 白い息ひろがった
ポケットの中 凍える手 昨日の星に さようなら
さぁ 走り出そう 夜明けの街へ 朝がはじまる 朝がはじまる
いつまでも いつまでも 走れ走れ」
里と都市、爺ちゃん婆ちゃんと息子・娘&孫を繋ぐ歌、大谷翔平、いえ、大友翔平の歌もつかだまことの歌詞も奥居史生の曲も絶品。
聴きながら涙そうそう!
[大型トラック★のお仕事 ISUZUに乗る男が ISUZU好きに贈る ISUZUだけの動画]
これを聴きながら丹後路、秋のドライブ、お奨めです。
台風の ざわめく夏を 納めたり、、、
雨風ともにほどほどだったね、と振り返られるのも、予報が厳しかったから。
しかし、そのほうがいいです、台風に節度があるとは思えません、災害列島日本、備えが甘ければ悲惨なこともあり得ます。
さて、丹後路も秋モード。
遠方、海外からのお客様は、
気が早いですが、紅葉の成相寺は外せません。
さらにシーサイドドライブで北に走れば、九月にはヒガンバナ。
11月になれば、日置あたりは、コスモス街道。
着いた先は伊根の浦。
新鮮な魚が待っています。
一方、地元、近辺の方で、近場観光をお探しの方にお奨めは、ここ、日置から上世屋までの世屋川流域。
日置から左に、この街道に入ればおよそ『観光地』らしい案内は一切消えます。
あるのは地域絵図看板一枚とお地蔵さん数カ所。
それを寂しさというか静寂というか、それはお好み次第。
しかし、地学・ジオ的に言えばこの世屋川流域は『山陰海岸ジオパーク』の東の端に位置するのだ、と知れば、見方は変わるのではないでしょうか。
高原から、魚化石はでるは、粘土の上の黒い土は鹿児島沖喜界カルデラ噴火の際の火山灰層だは、とその実力は、知る人ぞ知るところで、日本海形成の歴史を語る谷なのです。
合わせて、近代化を拒絶したかのような世屋の里は、バルヶ岳の頂。水源の山ではあっても砂と粘土でできた、大小の地滑りを起こした跡を水田に変えた戦いの里。その戦いは、今も続きます。
この世屋川流域の、里山・奥山には、野にサンショウモ、ハッチョウトンボ、キタノメダカ、オキナグサ、ヤマザトタンポポ、ヒメザゼンソウ、里にフクジュソウ、空にクマタカ、森にナツエビネ、ツキノワグマなど京都府レッドデータ掲載の稀少な生き物が多数。
そういう意味で世屋川流域は、大地の公園『ジオパーク』に環境「エコ」を加え『エコ&ジオパーク』。
今を生きていく元気、それがツーリズムの原点なら、生き物と人との共生を保ち、未来を拓く山陰海岸世屋川流域エコ&ジオパークは近場観光の隠れた目玉。
ぜひ、訪れてみてください、生き物と人との共生のために、森で里で一緒に汗をかいていただければ、最高のデトックス、リトリート。
お土産のご用はこちらでどうぞ。
『山陰海岸世屋川流域エコジオパーク』のご案内は、世屋川流域エコミュージアムサービスで承ります。
お問い合わせください。
ジョロウグモ、、、知っとる では、メスかオスか、
メス うむ!
で、この蜘蛛のオスは、、、!
オスとメスではメダカと金魚ほどの違いがあるのが、面白いところ。
メスは、長い脚に黄色と青黒色の縞模様を持ち、腹の下には鮮やかな赤色の紋がある、
一方、オスは、色は全体的に褐色、体長10ミリメートル程度。
ここがシカやライオンとは真逆で可笑しいところ。
まず、ジョロウグモのメスはこの鮮やかな色彩は、主に以下のような役割を果たしています
もひとつは、雄雌共通で、偽装。迷彩。カモフラージュ: 自然環境の中で背景に溶け込むことで、獲物に気づかれにくくする効果もあります。ここが、
。メスを探さなくてはいけないオスは、他の生き物に食われてもいけない。
ジョロウグモのメス、オスの色彩、形は、これらの要素が組み合わさって進化してきたと考えられるということです。
さて、
獲物は、バッタ類、コオロギ、トンボ、カマキリ、大型のセミやスズメバチなど多岐にわたります。
自然の豊かなところではどこでも生息していて、風通しが良くて餌が豊富な場所に巣を作ります。
特に庭や公園などでよく見かけるとはいうものの、しかし、必ず たくさん というわけではありません。
そういう意味では ここ、上世屋、世屋姫神社付近はジョロウグモの『名所』です。
獣柵をうまく利用している様子が観察できますよ。
人と自然の織り成す典型的な共生の光景です。
女郎蜘蛛 肥ゆる川辺や 天高し
秋の風 ジョロウグモの 巣光る