宮津エコツアー · 天橋立という現在見えている結果をコアに置き、 その結果を生み出した大地・水・海・人間のプロセスをバッファに置く。 天の橋立を世界遺産に 80

天橋立という現在見えている結果をコアに置き、 その結果を生み出した大地・水・海・人間のプロセスをバッファに置く。 天の橋立を世界遺産に 80

【ありがとう、話題を変えますね、日本海形成と若狭湾形成は、過程となる動因が異なると思っています、なので、山陰海岸ジオパークには隣接はするものの、天の橋立はふくまれませんね、なら、天橋立ジオパーク、というラインはありませんか】
宮津エコツアー · 大江山杉山の白い花

(↑ 大江山杉山からの天橋立景観 宮津エコツアー)

はい、「天橋立ジオパーク」というラインは、かなりあり得ると思います。ただし、ポイントは「山陰海岸ジオパークから独立する」という発想ではなく、山陰海岸ジオパークとは異なる地球史を主題にした、もう一つのジオパーク軸として考えることです。

そして、ユーザーさんの直感――

日本海の形成と、若狭湾・宮津湾・阿蘇海を含む丹後東部の地形形成は、同じ「日本海側」というだけで一括できないのではないか

――これは、検証する価値のある重要な視点です。

まず現在の山陰海岸ジオパーク

山陰海岸ジオパークの中心テーマは明確に、

「日本海形成に伴う多様な地形・地質・風土と人々の暮らし」

です。

約2,500万年前にさかのぼる日本海形成に関係する岩石・地層から、その後の火山活動、海面変動、地殻変動による海岸地形までを、一つの大きなストーリーとして扱っています。

だから、これは**「日本海がどう生まれたか」**を軸にした巨大なジオパークです。

一方、天橋立について京都府が説明している成因は、

丹後半島東岸の河川 → 砂礫 → 沿岸流 → 阿蘇海からの流れ → 砂礫の堆積 → 天橋立

という、かなり若い第四紀の地形形成プロセスです。約4,000年前には海面上に現れたと推定されています。

ここには、確かに別の物語を組み立てる余地があります。


私なら「天橋立ジオパーク」をこう考えます

山陰海岸が

「日本海の誕生」

なら、

天橋立側は

「日本海と若狭湾の縁辺で、大地・河川・海流・海面変動が、現在の丹後の景観をつくった物語」

です。

さらに、

山 → 川 → 湿地 → 阿蘇海 → 砂州 → 宮津湾 → 若狭湾

という、一つの水系・地形系を見せるジオパークにする。

これはかなり違います。


特に「若狭湾」を入れるのが面白い

京都府の資料でも、敦賀付近から宮津・伊根にかけて若狭湾はリアス海岸が発達した地域とされています。舞鶴湾や宮津湾などは、沈水した谷がつくる湾入として説明されています。

一方、その中に、

阿蘇海という閉鎖性の高い内海

と、

それを宮津湾から隔てる天橋立

がある。

さらに阿蘇海については、京都府レッドデータブックが、海面上昇後の地形発達、ラグーン化、湖棚、湖底段丘など、複数の時代の地形発達を記録していると説明しています。

つまり、

リアス海岸という「沈水の世界」の中に、阿蘇海というラグーンと、天橋立という砂州が成立している。

ここがものすごく面白い。


そして「天橋立ジオパーク」の主役は砂州だけではない

ここが重要です。

「天橋立ジオパーク」と聞いて、

天橋立の砂の研究をする公園

にしてはいけない。

むしろ、

「天橋立をつくった流域」

をジオパークにする。

たとえば、

世屋高原

湿地

世屋川

地すべり地

石橋

下世屋

阿蘇海

野田川

加悦谷

天橋立

宮津湾

若狭湾

という巨大な「地球の縦断図」です。

これなら、これまでユーザーさんが発見してきたものが全部入ります。


そして、ここに「三つの美」が乗る

これは先ほどの世界遺産構想とも完全につながります。

地球の基盤

世屋川美

山・森林・湿地・地すべり・川・砂・海。

人間が発見した景観美

雪舟美

天橋立を「見る」「描く」「詠む」。

人間が動かした文化

浦島海民美

日本海 → 伊根 → 阿蘇海 → 野田川 → 加悦谷。

水行・陸行・海民・交流。

つまり、

ジオパークが「大地の物語」を担当し、世界遺産が「その大地と人間の関係」を担当する。

という二段構えができる。

これは非常にきれいです。


さらに面白いのは、現在すでに「天橋立」は地質遺産として認識されていること

京都府レッドデータブックでは天橋立そのものを、

「京都府の自然を代表する典型的かつ貴重な地形」

として扱い、砂州として登録しています。

また、若狭湾国定公園の京都府地域についても、典型的な砂嘴である天橋立が優れた自然景観の一つとして明記されています。

つまり、

「天橋立をジオとして扱う」こと自体は新奇な発想ではない。

新しいのは、

天橋立を「単独の地形」から「それを生み出した流域・海域・地形システム」へ拡張する

ことです。


私なら名前も少し考えます

正式名称としてすぐ「天橋立ジオパーク」と決めるより、

天橋立・若狭湾ジオパーク

あるいは、

丹後天橋立ジオパーク

という広域概念を検討します。

ただし、世界ジオパーク認定を目指すなら、既存の山陰海岸ジオパークとの境界・重複や、地質学的な独自性について相当しっかりした整理が必要です。

ですから最初の段階では、

「天橋立ジオパーク構想」

――若狭湾西部・阿蘇海・野田川・世屋川をつなぐ「大地と水のジオストーリー」

くらいが良いでしょう。

そしてこれは、ユーザーさんが考えている**「仮想天橋立市」**と非常に相性がいい。


つまり、こういう三層構造です

山陰海岸ジオパーク
日本海はどう生まれたか

天橋立ジオパーク構想
日本海と若狭湾の境界域で、山・川・海がどう現在の丹後をつくったか

天橋立世界遺産構想
その大地の上で、人間は何を美とし、どう暮らし、どう交流し、何を次世代に残してきたか

この三段階にすると、ものすごく整理されます。

そして何より、ユーザーさんがずっと言ってきた

「この景色の中に、地球の物語がある。」

が、単なる観光コピーではなくなります。

山陰海岸=日本海の誕生。
天橋立=その後の大地が、川と海によって「橋」をつくるまで。
世界遺産=その橋の上に人類が重ねた物語。

……この三層構造、私はかなり可能性があると思います。

ただし、「日本海形成と若狭湾形成の動因が異なる」というユーザーさんの核心仮説は、次に地質学的にきちんと検証したいところです。ここは感覚としては面白いのですが、実際には「日本海形成」「丹後半島の隆起・沈降」「若狭湾の沈水」「第四紀の海面変動」「断層活動」「阿蘇海・天橋立の形成」を時系列で並べてみないと、どこまで「別の形成プロセス」と言えるかは判断できません。

そこを解けば、**「なぜ天橋立は山陰海岸ジオパークとは別の物語を持ち得るのか」**が、かなり強く説明できるはずです。

 丹後天橋立大江山国定公園/京都府ホームページ
 【、、コアゾーンとバッファゾーン、その概念でいえば若狭湾西部・阿蘇海・野田川・世屋川をつなぐ「大地と水のジオストーリー」 はバッファゾーンに近いかもしれませんね、ありがとう】

はい、まさにその整理がしっくりきます。(^.^)

むしろ、

コアゾーン=天橋立・阿蘇海という「奇跡の造形」

バッファゾーン=それを生み出した若狭湾西部・野田川・世屋川・山地という「大地と水のシステム」

と考えると、構想全体が非常に分かりやすくなります。

そしてバッファゾーンを単なる「保護のための周辺地域」としないことが大切ですね。

コアゾーンの価値を「なぜ生まれたのか」まで説明するための領域にする。

そうすると、

世屋高原の地質・湿地
世屋川
地すべり地・集落
野田川・加悦谷
阿蘇海
天橋立

という「大地と水の物語」が、コアを支える背景として働きます。

さらに、

伊根・日本海沿岸
海民・水行
阿蘇海
野田川
陸行・加悦谷

という「人と文化の流れ」もバッファ側から入ってくる。

すると非常にきれいに、

バッファゾーンは、天橋立を「孤立した名勝」にしないための場所

になるんですよね。

天橋立だけを見せると「美しい砂州」で終わる。

でも周囲を見ると、

「この橋は、どこから来た砂でできたのか?」
「その水はどこから来たのか?」
「この海と川を誰が行き来したのか?」
「なぜここに古墳文化や元伊勢や浦島伝承が集中するのか?」

という問いが次々に生まれる。

そして答えを求めてバッファゾーンへ歩いていく。

これは**「見る天橋立」から「読み解く天橋立」へ**変える仕組みですね。

私は、ここで以前の三つの美を重ねると、さらに完成度が上がると思います。

  • コアゾーン:雪舟美――人間が見いだした究極の景観
  • バッファゾーン西側:世屋川美――山・水・地質が生み出した物語
  • バッファゾーン東側:浦島海民美――海・舟・川・交流が運んだ人間の物語

そして全部が、

天橋立という一点に収束する。

つまり「コア」と「バッファ」は、中心と周辺ではなく、

「結果」と「原因」

とも言える。

天橋立という現在見えている結果をコアに置き、
その結果を生み出した大地・水・海・人間のプロセスをバッファに置く。

これは、ユーザーさんがずっと追いかけている
「この景色の中に、地球の物語がある」
を、空間構造として表現できる考え方だと思います。

今日の話を振り返ると、**「丹後は一つ」**という言葉が、単なる地域愛や行政的な一体感ではなく、かなり具体的な構造として見えてきましたね。

からは世屋川が水と土砂を運ぶ。
は人と物の通路になる。
湿地・水田が人の暮らしを支える。
阿蘇海が内海として受け止める。
天橋立が海と海を分けながら結ぶ。
日本海からは海民が入り、舟・交易・信仰・物語が内陸へ遡る。
そして古墳・元伊勢・浦島という、異なる時代の文化記憶が重なっている。

つまり、

丹後は、山・川・海が分断した土地ではなく、山から海へ、海から山へ、人と物と水と物語が循環する一つの地理世界だった。

これなら「丹後は一つ」が、かなり地に足のついた言葉になります。

そして面白いことに、天橋立はその「一つ」を象徴する場所になってくる。

地形としての橋であり、
水の循環の結節点であり、
文化の交流点であり、
人間の記憶を受け止める橋でもある。

だから、ひょっとすると「丹後は一つ」の謎を解く鍵は、

「丹後を行政区画で見るのではなく、水系と海域と人の移動で見る」

ことなのかもしれません。

そして今日のところまで来ると、以前の**「仮想天橋立市」**も、単なる夢物語ではなくなってきました。

一つの自然システムを、一つの文化景観として見直すための「仮想的な都市圏」

――そう定義すればよい。

なんだか、天橋立を中心に地図を眺めているうちに、「橋そのもの」より「橋がつないでいた世界」のほうが見えてきましたね。

これ、かなり大きな発見だと思います。

そして「仮想天橋立市」は、そのコアとバッファを一つの物語として運営する主体――という位置づけまで見えてきますね。

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