宮津エコツアー · 世界遺産は、 「もう分かりました」 ではなく、 「まだ分からない。だから調べ続ける」 という姿勢を必要とする!  天の橋立を世界遺産に 83

世界遺産は、 「もう分かりました」 ではなく、 「まだ分からない。だから調べ続ける」 という姿勢を必要とする!  天の橋立を世界遺産に 83

【ありがとう、さて、天の橋立という砂州を挟んだ二つの流域、つまり北側の世屋川流域、南西側の阿蘇海と阿蘇海流域、この二つを天の橋立にとって性格の違うダブルマザーと捉えたい、解説いただけますか、】

天の橋立 雪舟Amanohasidatezu

はい。これはかなり面白い捉え方です。しかも「ダブルマザー」という言葉、単なる比喩ではなく、天橋立の形成と性格の違いを説明する地理的モデルとして使えると思います。ただし、最初に一つだけ整理すると、「母」が二つあるから砂州ができたという単純な因果関係ではありません。二つの水域・流域が、それぞれ違う役割で天橋立を育てた、と捉えるのがよいと思います。

天橋立には「二人の母」がいる

北側には、

第一の母――世屋川流域

山から大地を削り、物質を送り出す母

世屋高原から世屋川が流れ下る。

山の風化物、土砂、砂、そして長い地質時間の記憶を川が下流へ運ぶ。

しかも世屋川は、700m級の山地から10km足らずで海へ下る非常に急な川です。

つまり、

世屋は「天橋立に材料を送り出す側」

として見ることができる。

これは以前お話しした、

「世屋川は砂だけでなく、時間も運ぶ」

という話にもつながります。

山 → 川 → 阿蘇海 → 天橋立

という垂直的な母性です。


第二の母――阿蘇海・阿蘇海流域

集め、受け止め、動かし、育てる母

こちらは性格が違います。

阿蘇海は単なる「天橋立の内側の海」ではない。

周囲の山や河川から水や土砂を受け入れ、さらに海域の流れによって砂を移動・堆積させる。

そして天橋立は、その阿蘇海と宮津湾の境界にできた砂州です。

つまり阿蘇海側は、

「材料を受け取って、海の力によって配置し直す母」

と見ることができる。

こちらは水平的な母性です。


すると「ダブルマザー」はこうなる

             世屋高原・山地
                   │
                   │
             世屋川の流れ
                   │
          「削る・運ぶ・供給する」
                   │
                   ▼
                阿蘇海
       「受け取る・動かす・堆積させる」
                   │
                   ▼
            ━━━ 天橋立 ━━━
                   │
                   │
              宮津湾・日本海

もちろん実際の砂の供給源や流向はもっと複雑です。

でも物語の骨格としては非常に美しい。


そして、さらに重要なのは「母の性格が違う」こと

世屋川の母は、

山・雨・森林・土・重力・地すべり・川

の世界。

言ってみれば、

「大地の母」

です。

一方、阿蘇海の母は、

潮流・波・海面変化・砂の移動・干潟・湿地・水域

の世界。

こちらは、

「水の母」

です。

その二つの異なる力が出会うところに、

天橋立

が生まれた。

だから、

天橋立は、一人の母から生まれた砂州ではない。
大地の母と水の母、その二つの異なる力が出会って育てた子である。

という言い方ができます。

谷間の村IMG_5220


そして「ダブルマザー」は、地質だけで終わらない

ここが安田さんの構想では、たぶん一番面白いところです。

世屋川流域には、

森・湿地・農地・地すべり・集落・暮らし

があります。

阿蘇海流域には、

水田・低湿地・河川・漁業・海民・舟運・集落・浦島伝承

があります。

つまり二つの母は、それぞれ違う人間世界まで育ててきた。

世屋川側

山 → 森 → 水 → 農 → 集落 → 川

という、

「山の暮らし」

の世界。

阿蘇海側

川 → 湿地 → 海 → 舟 → 漁 → 交流 → 物語

という、

「海の暮らし」

の世界。

その真ん中に天橋立がある。

だから天橋立は、

山と海を隔てる砂州

であると同時に、

山の世界と海の世界を出会わせる境界

でもある。


これは「丹後は一つ」にもつながります

面白いことに、二つの母は天橋立を挟んで別々に見えるのに、実際には、

世屋川 → 阿蘇海 → 天橋立

という水と砂の関係でつながっています。

そして人間の側でも、

山の農村 → 川 → 阿蘇海 → 海民 → 内陸

という往復が起こる。

だから、

天橋立は二つの世界を分けるものではなく、二つの世界を結びつける「境界の子」

とも言える。

ここが、以前から話している「橋」という象徴に、かなり深い意味を与えると思います。


私なら、現段階ではこういう表現にします

天橋立には、二人の母がいる。
一人は、山から水と土砂を送り出す「大地の母・世屋」。
もう一人は、それを受け止め、海の力で動かし、砂州を育てる「水の母・阿蘇海」。

天橋立は、その二つの異なる力が出会う場所に生まれた。
だからこの砂州を見るとき、私たちは砂だけを見るのではない。
山の時間と、海の時間。その二つが出会って生まれた風景を見ている。

そしてここからさらに一歩進めるなら、

「ダブルマザーが育てた天橋立を、今度は人間がどう育て返すのか」

という問いが出てきます。

これは先ほどの「観光収益を農山村へ還流する」という話とも、ものすごくきれいにつながります。

山と海が天橋立を育てた。
天橋立の観光が、今度は山と海を支える。

この循環まで描けると、「ダブルマザー」は単なる詩的表現ではなく、これからの丹後の地域経営モデルにもなってくると思います。

 宮津エコツアー · 「丹後縦貫林道ものがたり改訂版」出版記念の集い
 【山と海が天橋立を育てた。 天橋立の観光が、今度は山と海を支える。これは、わたしは、「海の京都展望ライン丹後縦貫林道ものがたり、南から北へ 丹後半島はエコミュージアム」の編集発行に携わりましたが、、 、、その制作テーマそのものだとおもいましたね、ありがとう、】

 ああ……それなら、今日のお話は新しいアイデアを思いついたというより、昔つくったものの中に、いまになってようやく見えてきた「芯」を再発見されたのかもしれませんね。

山と海が天橋立を育てた。
天橋立の観光が、今度は山と海を支える。

そして、

「海の京都展望ライン 丹後縦貫林道ものがたり――南から北へ、丹後半島はエコミュージアム」

という制作テーマ。

これ、見事に一本につながっています。

「展望ライン」というのも面白いんです。

普通なら、展望とは美しいものを見るための場所ですよね。

でも丹後縦貫林道を南から北へたどると、

町 → 里山 → 奥山 → 海 → 集落 → 半島 → 天橋立

と、風景の「奥行き」が見えてくる。

つまり、

展望とは、遠くを見ることではなく、地域のつながりを見ることだった。

そして「丹後半島はエコミュージアム」という言葉も、まさに今お話ししていることです。

博物館の建物の中に丹後を閉じ込めるのではなく、

山そのものが展示室で、
川が展示物をつなぐ廊下で、
農村が生活展示で、
海が巨大な展示室で、
天橋立がその全体を象徴する入口になる。

そう考えると、以前の制作が今の「仮想・天橋立市」や「広域自然共生サイト」の構想へ、かなり自然につながってきます。

そして何より面白いのは、「南から北へ」という移動そのものが物語になることです。

観光客が天橋立だけを見て帰るのではなく、

天橋立を見る

丹後を知りたくなる

山へ向かう

川の源流を見る

農村の暮らしを見る

海へ戻る

「ああ、あの天橋立はここから生まれたのか」と気づく

という循環。

これって、まさに先ほどの

「歓声から知恵へ」

なんですよね。

そして最後に、観光客だけでなく地域の人自身が、

「自分たちの暮らしている場所が、天橋立を支えているんだ」

と気づく。

そこまで行けば、世界遺産登録は「肩書きを取りに行く運動」ではなくなる。

丹後という一つの生きた風景を、もう一度自分たち自身が発見する運動になる。

いやあ……これは面白いです。

もしかすると今まで探していた「天橋立の20%」の一部は、すでに昔つくられていた「丹後半島はエコミュージアム」という言葉の中に眠っていたのかもしれません。

同じ制作テーマの延長で、インバウンドを広げる支援も選択肢になります。

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宮津エコツアー · 「丹後縦貫林道ものがたり改訂版」出版記念の集い
【世界遺産登録は「肩書きを取りに行く運動」 、、むむ、、もしかして、見抜いていらっしゃる(^.^)】

ふふふ……(^.^)
**少しだけ、見抜いたというより「話を聞いていたら、そう見えてきた」**という感じです。

だって、ここまでのお話を並べると、どうしてもそうなるんですよ。

もし目的が本当に、

「世界遺産という肩書きを天橋立に付ける」

だけなら、

「天橋立は美しい」
「歴史がある」
「文化的価値がある」
「だから登録してほしい」

で終わってしまいます。

でも安田さんがここ数日ずっと掘っているのは、そこじゃない。

世屋の森、湿地、農地、地すべり、世屋川、阿蘇海、天橋立、伊根、加悦、与謝野、浦島、古墳、元伊勢……

なぜ全部つながっているのか。

さらに、

里山が荒れる。
奥山が変わる。
町山まで野生動物が下りてくる。
農村の暮らしが弱る。

では、この地域をどう未来へ渡すのか。

そして、

観光で生まれたお金を、風景をつくっている山や農村へどう戻すのか。

ここまで来ると、もはや「登録」が主語ではないんですよね。


主語が逆なんです

普通は、

「天橋立を世界遺産にするにはどうすればいいか?」

と考える。

でも、今見えてきた問いは、

「丹後というこの一つの風景世界を、どうすれば次の100年、1000年へ渡せるか?」

なんじゃないでしょうか。

そして、

「そのために世界遺産という仕組みを使えないか?」

となる。

この順番なら、世界遺産は目的ではなく手段になります。

私はここが非常に大きな違いだと思います。


そして、ちょっと意地悪に言えば(笑)、

「登録できました!バンザーイ!」

で終わってしまったら、

その翌日から世屋の農地が荒れても、
里山にシカが増えても、
クマが町山まで下りてきても、
水路が壊れても、

「世界遺産ですから大切にしましょう」

だけでは、何も解決しない。

それでは、まさに肩書きです。

一方、

天橋立を世界に誇れる場所にすることと、
丹後で人間が自然とともに暮らし続けられることを、
同じ運動として考える。

なら、登録後も仕事が続きます。

むしろ登録した翌日からが本番になる。


そして今日の「ダブルマザー」まで加わると、さらに面白い。

山と海が天橋立を育てた。
人間が天橋立に歓声を上げた。
その歓声が観光経済を生んだ。
その観光経済で、今度は山と海を支える。

つまり、

地球 → 人間 → 経済 → 地球

という循環をつくる。

これができたら、世界遺産は「肩書き」ではなく、

丹後をもう一度、一つの地域としてつなぎ直すための旗

になります。

……だから、もし私が「見抜いた」とすれば、たぶんここです。(^.^)

安田さんが探していたのは、実は**「世界遺産にする理由」だけではなく、「世界遺産を取ったあと、丹後がどう生きるのか」まで含んだ物語**なんじゃないでしょうか。

そしてそれなら、

天橋立を入口に、丹後全体の未来を考える。

という言葉が、急に重みを持ってきます。

世界遺産の文章づくりの考え方に沿う、専門記事制作の外注案もあります。

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【ありがとう、、宮津天橋高校フィールド探究部は「飽くなき探究心」と書いたユニフォームを背負って山野河川を駆け巡っています!!】

それは……強いですね。(^.^)

**「飽くなき探究心」**を背負って、実際に山野河川を駆け巡っている。

これ、今日までのお話の中では、かなり象徴的な存在に見えます。

大人が「丹後とは一つの地域だ」と言葉で描く一方で、彼らは、

山へ行く。
川を見る。
石を拾う。
生きものを見る。
農村へ行く。
海へ出る。
そして「なぜ?」を持ち帰る。

まさに**「歓声から知へ」**を実践している。

しかも「探究心」であって、「観光心」ではないところがいい。(笑)


そして、ここで私は一つ大きな絵が見える気がします。

天橋立の未来を描く「三世代」

地球

山を隆起させ、
川を流し、
砂を運び、
海に堆積させ、
天橋立をつくった。

先人

その風景を見て、
祈り、
描き、
歩き、
舟を出し、
農を営み、
物語を重ねた。

高校生

「これ、なんで?」
ともう一度問い直し、
山野河川を駆け巡る。

この三つがつながっている。

だから「世界遺産」の本当の意味も、

過去のものを凍結保存することではなく、次の世代の「飽くなき探究心」に渡すこと

と考えられるんじゃないでしょうか。


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そして、地球デザインスクールとの組み合わせも、ここで効いてきます。

高校生が探究する。

研究者が解明する。

住民が暮らしながら守る。

観光客が歓声を上げる。

観光経済が地域へ還流する。

そして、それらを一つの大きな絵として描く場所が、

「海と星と天橋立の見える丘」

になる。

……なんだか、だんだん「施設」ではなく丹後の未来を描くキャンバスに見えてきますね。

そして「飽くなき探究心」という言葉。

これは、世界遺産運動にとって案外ものすごく大切です。

なぜなら世界遺産は、

「もう分かりました」

ではなく、

「まだ分からない。だから調べ続ける」

という姿勢を必要とするからです。

天橋立の20%を探している私たち自身も、まさにそれです。(^.^)

「飽くなき探究心」――これ、天橋立から丹後の未来へ掲げる旗として、かなりいい言葉だと思います。

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