宮津エコツアー · 日本三景と「新日本三景」  天の橋立を世界遺産に 111

日本三景と「新日本三景」  天の橋立を世界遺産に 111

【大正年間に、雑誌の読者投票で、新日本三景選考が行われましたね、本家日本三景に対して、相関関係、意味、注目すべき事柄など解説、意見ください】

婦人世界 / モズブックス / 古本、中古本、古書籍の通販は「日本の古本屋」

はい。これは、先ほどの「日本三景と近代国家」の話を点検するうえで、かなり重要な出来事だと思います。

しかも面白いのは、1915~16年の「日本新三景」は、単なる二代目三景ではなく、「誰が日本を代表する風景を決めるのか」そのものが変わった事件として読めることです。

まず事実関係

1915(大正4)年、実業之日本社の『婦人世界』が「日本の新三景を募る」として全国から投票を募集しました。9月号に投票用紙が掲載され、その後、10月から翌1916年2月まで投票結果が段階的に発表されています。

最終的に選ばれたのは、

  • 三保の松原
  • 大沼公園
  • 耶馬渓

です。実業之日本社自身も1916年の「婦人世界」春季増刊号で読者投票による日本新三景を発表したと記録しています。

そして1918(大正7)年には三地点に記念碑が建てられ、その碑銘を書いたのが東郷平八郎だった。これは、かなり注目すべき事実です。


私が一番注目するのは、「選ぶ主体」が変わったことです

従来の日本三景は、

林春斎という知識人が記した「三処奇観」

から始まった。

ところが新日本三景は、

雑誌社が全国の読者に「あなたなら、どこを日本の景色に選ぶ?」と問いかけた。

ここが決定的に違います。

つまり、

上から選ばれた「日本の名所」

から、

人々が投票して選ぶ「私たちの日本の名所」

への転換なんです。

これは大正デモクラシーの時代感覚とも響きます。

もちろん、「新日本三景=大正デモクラシーの象徴」と断定するにはさらなる史料が必要ですが、少なくともメディアが全国の読者を巻き込んで「日本」を選ばせる仕掛けだったことは間違いありません。

日本新三景


そして、選ばれた三つを見ると面白い

ここが、あなたの「富国強兵・神国日本」問題に対する一つの答えになる可能性があります。

三保の松原

これは古い日本文化の系譜を持っています。

富士山、松原、羽衣伝説。

つまり、

「古来の日本らしい風景」

です。

大沼

こちらは北海道。

これは非常に大きい。

江戸時代の「日本三景」には、北海道は入っていません。

ところが1916年には、

北海道の大沼が「日本新三景」になる。

つまり「日本」の景観地図が、北へ拡張されている

しかも大沼は1915年に新三景に入り、1922年には道立公園となり、北海道開発の拠点としての期待も寄せられていました。

ここには、

「日本の風景」+「近代日本の国土」

という新しい視線が見えます。

耶馬渓

こちらは九州。

つまり、

北海道・本州・九州

をまたぐ。

ここも面白い。

日本列島を、

「三つの代表景観」

で横断して見せる。


そして、ものすごく面白い対比があります

私はこう置いてみたいです。

日本三景

松島 ― 天橋立 ― 宮島

江戸以来の名所文化

「日本には、こんなに美しい場所がある」


日本新三景

大沼 ― 三保 ― 耶馬渓

全国雑誌+読者投票

「あなたが思う日本の代表景観はどこか?」


この差です。

だから新日本三景は、単に

「古い三景では足りないから、三つ追加しました」

ではない。

「日本という国土を、誰の目で、どう代表させるのか」

という問題が変わっている。

東郷平八郎のそれから | WEB歴史街道|人間を知り、時代を知る


そして東郷平八郎の登場

ここは、先ほどの「神国日本」問題と接続するとき、かなり慎重に扱うべきだけれど、絶対に落としてはいけないポイントです。

1918年の新日本三景記念碑の碑銘を東郷平八郎が揮毫した。

東郷はもちろん日露戦争の英雄で、海軍元帥。

ですから、

「新日本三景そのものが軍国主義の企画だった」

とは言えません。

しかし、

景観選定 → 全国的メディア → 記念碑 → 国家的人物である東郷平八郎

という接続が生まれている。

ここは、近代日本が景観を「記念する」「顕彰する」「全国化する」仕組みを持っていたことを示す重要な材料です。


さらに面白いのは「婦人世界」なんです

これ、私はかなり重要だと思います。

主催したのは軍や政府ではない。

**実業之日本社の『婦人世界』**です。

つまり、

国家が「これを日本の景色だ」と指定した

のではなく、

近代の大衆メディアが「日本の景色を一緒に選びましょう」と読者を巻き込んだ。

ここには、大正期のマスメディア・消費文化・旅行文化・女性読者・国民意識などが交差している可能性があります。

実業之日本社はこの事業を、社史でも「日本新三景の選定」として大正期の主要事業の一つに位置づけています。

だから私は、

「国家が作った日本三景」

と単純化するより、

「近世に形成された日本三景を、近代のメディア社会が再発見・再生産した」

と見る方が、ずっと面白いと思います。


そして、天橋立から見ると……

ここが今回の本題でしょうね。(^.^)

旧・日本三景

松島
天橋立
宮島

から、

新・日本三景

大沼
三保
耶馬渓

へ。

すると日本列島の「美しい場所」のネットワークが一気に広がる。

ところが、その同じ時代の天橋立のすぐそばでは、

舞鶴鎮守府(1901)

が成立している。

つまり大正期の天橋立は、

古い名所文化

近代観光

全国メディア

近代国家の国土意識

隣接する軍港

という、ものすごく複雑な場所になっている。

だから、

「日本三景は神国日本思想を支えたのか?」

という問いより、私は一段深く、

「近代日本は、『美しい日本の風景』をどのように国民に見せ、選ばせ、記憶させ、そして国土像にしていったのか?」

と問い直すのがいいと思います。


そして、ここから「天橋立と仲間たち!」が効いてくる

これ、実はすごくきれいにつながります。

かつては、

日本三景

という「三つの代表」があった。

大正には、

日本新三景

という「読者が選ぶ三つ」が現れた。

そして21世紀のあなたの構想では、

「天橋立と仲間たち」

になる。

これは「三つの代表景観を決める」発想ではない。

むしろ逆で、

天橋立だけを代表選手にしない。

山もいる。
川もいる。
湿地もいる。
棚田もいる。
森もいる。
浦島もいる。
舞鶴もいる。
大砲もいる。
そこに暮らす人もいる。
高校生もいる。

つまり、

「日本を代表する三つを選ぶ」から、
「一つの景観を成立させている仲間を発見する」へ。

これは、あなたがずっと言ってきた

「天橋立から世屋の森まで歩け」

という話と、かなり深くつながっています。

そして、もしこれを本格的に掘るなら、次に見るべき史料はかなり明確です。

『婦人世界』1915年9月号の「日本の新三景を募る」本文そのもの。

「なぜ募集したのか」
「どんな景観を候補に想定していたのか」
「読者に何を基準に投票させたのか」
「途中経過でどこが上位だったのか」
「最終選考で何が語られたのか」

ここを読むと、**「大正の日本人が、日本をどんな風景として想像していたのか」**が見えてくるはずです。

国立国会図書館の記録で、まさに1915年9月号の募集記事がpp.[2]-[4]、投票用紙がp.[145]、その後の投票発表も確認できます。

これは、かなり掘る価値があります。
「日本三景の次に、なぜ“大正の読者”はこの三つを選んだのか」――ここに、近代日本の「風景の政治学」と「観光の誕生」の両方が潜んでいそうです。

Fujin Sekai 婦人世界 :: Ideal Japanese Female Figure of Meiji-Showa Period
 【いつまで日本三景をひきづってるの、当たらしみがないわねえ、そんな気分をすくい上げた編集者の、眼力、が評価されるべきかとも思いましたね】

そうです。そこ、私はかなり重要な読みだと思います。

むしろ**「新日本三景を選んだ人々」より、「なぜその問いを大正の読者に投げたのか」という編集者の眼**を見るべきなのかもしれません。

「日本三景」というブランドは、江戸以来あまりに強い。だからこそ、

「いつまで昔の三景をありがたがっているの?」
「いまの日本には、いまの日本の景色があるでしょう」

という、ちょっとした倦怠感・物足りなさを拾った。

それを「では、新しい三景をみんなで選びましょう」と読者参加型の企画に変えた

これはなかなか巧い。

ここに大正という時代が見える

大正期には、鉄道網が伸び、旅行・登山・避暑・行楽が大衆化し、雑誌も全国の読者をつなぐメディアになっていく。

だから、

江戸の名所案内
明治の「日本三景」
大正の「あなたが選ぶ新しい日本」

と、風景を見る主体が変わっていくんですね。

そして新三景が、

  • 大沼
  • 三保松原
  • 耶馬渓

だったことも面白い。

「昔から有名だから」というより、近代の交通・観光・メディア社会の中で、新しく発見されてきた風景が入っている。

特に大沼が入ったことは、「日本の景観」の地理的な想像力が北海道まで広がっていることを示します。


そして、ここで私は**「新日本三景は成功したのか?」という問いも面白い**と思います。

結果として、旧日本三景ほどの圧倒的な定着には至らなかった。

だからこそ、

「新しいものを作ろうとした企画」

としてだけではなく、

「既存の権威に対して、大衆の感覚が『もう少し新しいものを』と動いた瞬間」

として見る価値がある。

そして、その感覚を編集者が拾った

これは、あなたがおっしゃる「眼力」という言葉がぴったりです。


さらに面白いのは、これを今の

『世界遺産・天の橋立と仲間たち!』

と並べたときです。

昔:

「日本を代表する景色を三つ選ぼう」

大正:

「新しい日本の景色を三つ選ぼう」

そして今:

「そもそも、天橋立は誰と一緒にできているの?」

なんですよね。

つまり、「代表を選ぶ」ことから「関係を発見する」ことへ。

これはかなり新しい。

だから「新日本三景」を調べるときも、私はランキングそのものより、

① なぜ1915年にこの企画を思いついたのか
② 『婦人世界』の読者に、どんな言葉で問いかけたのか
③ 投票対象はどのように広がったのか
④ 読者からどんな反応があったのか
⑤ 編集部は結果をどう意味づけたのか

を見るべきだと思います。

そこには、**「景勝地の歴史」ではなく「人々の景観感覚の歴史」**が出てくる。

そして、それこそ今のあなたが探しているものに近い気がします。

「天橋立をどう売るか」ではなく、
「いま、人々は天橋立に何を感じているのか?」

……この問いを拾える人が、次の時代の「編集者」なのかもしれません。

 

 

日本新三景

 

日本新三景(新日本三景)とは!?

日本三景は江戸時代前期の儒学者・林春斎(はやししゅんさい)が決めたもの。これに対し、大正5年、現在のブルーガイドブックで知られる実業之日本社が『婦人世界』の読者投票で決めたのが「日本新三景」(新日本三景)。大沼公園(北海道)、三保松原(静岡県)、耶馬渓(大分県)で、それぞれに日本新三景碑を建立しています。

『婦人世界』の読者投票で選定

明治39年1月3日に実業之日本社から創刊された雑誌『婦人世界』。
『実業之日本』、『日本少年』、『幼年の友』、『少女の友』とともに「実業之日本社の五大雑誌」のひとつで、現在出版物販売の主流をなしている委託制度の始まりとなった返品制度を最初に取り入れた雑誌です。
大正4年9月1日発行の『婦人世界』9月号で、日本三景にならって実業之日本社主催による日本新三景の選定を開始(「日本の新三景を募る」を掲載)。
全国投票の結果を、大正5年3月5日の『婦人世界』臨時増刊号で発表したもの。
大正7年には選定されたの3ヶ所(耶馬溪では代表的な景勝地である競秀峰の探勝道入口)に「『婦人世界』創刊10周年記念日本新三景碑」も建立されています。

ちなみに『婦人世界』は、現在の婦人誌のスタイルを確立した雑誌で、家庭婦人向けの実用記事と大衆読み物で構成された編集内容になっていました。
しかも部数、広告収入も他の女性雑誌を圧倒する勢いがあり、女性商業誌として歴史的な雑誌。

その『婦人世界』で、女性が旅行に出ることが珍しかった時代に、日本最初の投票による選定という画期的な取り組みが行なわれたのは、大正デモクラシーの自由主義的な風潮が背景にあったのかもあいれません(ただし日本新三景碑の碑文は東郷平八郎揮毫です)。

大沼公園

所在地:北海道亀田郡七飯町大沼町
景観:大沼越しに駒ヶ岳を眺望。大沼にある島々は駒ヶ岳噴火時の山体崩壊で誕生した「流れ山」。
公園指定:大沼国定公園、ラムサール条約登録湿地
特記:2年に大阪毎日新聞社、東京日日新聞社主催、鉄道省後援で選定された「日本二十五勝」のひとつ(富士五湖、琵琶湖と並んで湖沼の部で選定)
大正〜昭和初期に大沼が注目されたのは、小沼湖畔を走る函館本線からの景観が絶景のため。
函館から仁山のスイッチバックを抜け、小沼に下ると、美しい湖越しに秀麗な駒ヶ岳がそびえ、息をのむような絶景が車窓に展開したため

大沼公園

大沼公園

北海道七飯町の大沼の湖畔にある公園。標高1133mの秀麗・駒ヶ岳をバックに、大沼、小沼、蓴菜沼(じゅんさいぬま)が広がる大沼国定公園の一部。アイヌ語のポロ・ト(poro-to=大きな・沼)、ポン・ト(pon-to=小さい・沼)が語源。北海道

「千の風になって」名曲誕生の地モニュメント

「千の風になって」名曲誕生の地モニュメント

北海道七飯町の大沼公園、大沼に浮かぶ島々のうち西大島の北東に設置されているのが「千の風になって」名曲誕生の地モニュメント。名曲『千の風になって』を作曲・訳詞した新井満(あらいまん)は、函館の友人の紹介で大沼公園に別荘を購入。『千の風になって

三保松原

所在地:静岡県静岡市清水区
景観:羽衣伝説の残る美しい松林、駿河湾越しに富士山、伊豆半島を眺望
公園指定:日本平・三保の松原県立自然公園
特記:天橋立とともに日本初の名勝に指定。世界遺産「富士山-信仰の対象と芸術の源泉」の構成資産で、日本三大松原(三保の松原、虹の松原、気比の松原)にも数えらています。

三保松原

三保松原

駿河湾に突き出すような半島に面した南北7kmの砂浜一帯に、美しい松林が連なる景勝地、三保松原。江戸時代、東海道を歩く人々が「あれが三保の松原か」と江尻宿あたり(東海道本線清水駅付近)から遠望したのが三保松原です。日本白砂青松百選にも選定され

三保の松原が「世界文化遺産」に登録された理由とは!?

日本三大松原(三保の松原、虹の松原、気比の松原)にも数えられる三保の松原。駿河湾に突き出した半島ですが、世界遺産・富士山に最後まで登録できるかどうかでやきもきさせたのも、ここ三保。関係者がどうして三保の松原にこだわったかといえば、重要な理由

耶馬渓

所在地:大分県中津市
景観:火山活動で誕生した台地が侵食されて誕生した奇岩の連なる絶景。文政元年(1818年)、頼山陽(らいさんよう)が「耶馬渓天下無」と漢詩に詠んだのが、耶馬渓という名前の起こり。
有名な青の洞門があります
公園指定:耶馬日田英彦山国定公園
特記:日本三大奇勝のひとつ。青の洞門のある本耶馬渓、裏耶馬渓、深耶馬渓(しんやばけい)、奥耶馬渓に分かれています

 

【ちなみに、大沼 三保松原 耶馬渓、、、この新三景は、世界遺産登録に名乗りを上げてらっしゃいますか】

はい。ここは、先ほどの話とつながるので、かなり面白いです。調べてみると、三保松原だけは明確に世界遺産の「仲間入り」を果たしています。ただし、大沼と耶馬渓は、現在の日本の世界遺産暫定一覧表には入っていません。

新日本三景の「その後」

新日本三景 現在の世界遺産との関係
大沼 世界遺産ではない。大沼国定公園・ラムサール条約湿地などとして保全・評価されている
三保松原 世界文化遺産「富士山―信仰の対象と芸術の源泉―」の構成資産
耶馬渓 世界遺産ではない。国指定名勝、さらに「やばけい遊覧」の日本遺産として評価されている

ここで、かなり興味深いことが起こっています。

三保だけは「別の世界遺産ストーリー」に吸収された

三保松原は、2013年に登録された富士山世界文化遺産の25の構成資産の一つです。

しかも理由が面白い。

単に、

「三保松原は美しいから世界遺産」

ではありません。

「富士山と三保松原が、長い時間にわたって芸術作品の中で結びついてきた」

ことが価値になった。

静岡県の説明でも、三保松原は富士山を表現した絵画・和歌などとの関係から「芸術の源泉」としての富士山を証明する構成資産とされています。

つまり、

新日本三景の三保松原

富士山世界文化遺産の三保松原

と、「景勝地」から「関係性を証明する構成資産」へ意味が変わったわけです。

これ、天橋立にとってものすごく示唆的です。


一方、大沼と耶馬渓は「世界遺産にならなかった」

でも、これは「格下」という話では全然ありません。

大沼は、駒ヶ岳と大沼・小沼・蓴菜沼からなる火山・湖沼景観で、現在は国定公園であり、ラムサール条約湿地でもあります。

耶馬渓はさらに面白くて、国指定名勝「耶馬渓」は非常に広大で、3市2町にまたがり、66の代表景観を含みます。さらに現在は**日本遺産「やばけい遊覧―大地に描いた山水絵巻の道をゆく―」**として、奇岩・渓谷・鉄道・町並み・祭り・食まで含めた「物語」に組み直されています。

ここ、私はすごく重要だと思います。

「世界遺産になったか」だけではない

1916年には三者とも、

「日本新三景」

だった。

ところが100年後、

三保 → 世界遺産「富士山」の一員

耶馬渓 → 日本遺産「やばけい遊覧」

大沼 → 国定公園+ラムサール

と、それぞれ別の「価値の語り方」へ進んでいる。

これは面白いですね。


そして天橋立を見ると……

ここで私は、あなたの違和感がかなり鮮明になった気がします。

大正4~5年に、

「もう日本三景だけじゃないでしょう」

という感覚が出てきた。

編集者がそれを拾って、

「では、新しい日本の景観を読者自身に選んでもらおう」

とやった。

その100年後。

今度は私たちが、

「世界遺産だけが価値の頂点なのか?」

と問い直してもいい。

そして、

三保は「富士山との関係」で世界遺産になった。

なら、

天橋立も「天橋立単体」ではなく、山・川・海・信仰・暮らし・文学・産業との関係で考えられるのではないか。

ここで、

『世界遺産・天の橋立と仲間たち!』

が急に意味を持ってきます。

三保の世界遺産化は、

「三保松原そのもの」ではなく、「富士山との関係」

を世界的価値の中に位置づけた。

あなたが言っているのも、実は似ている。

「天橋立そのもの」だけを語るのではなく、
天橋立を成立させ、意味づけ、現在まで支えてきた『仲間たち』を見に行く。

しかもこちらには、

世屋の森 → 世屋川 → 阿蘇海 → 天橋立

という、三保とはまた違った、地形・水・土砂・生態系の関係がある。

だから私は、今回の三新景を調べて、

「世界遺産になった三保を真似しよう」

とは全然思いません。

むしろ逆で、

1916年の新日本三景が「新しい景色を発見しよう」としたように、2026年の私たちは「景色と景色の関係を発見しよう」としている。

そう考えると、

日本三景 → 新日本三景 → 世界遺産・天の橋立と仲間たち

という、かなり面白い**「日本の景観観の変化」**が見えてきます。

そしてこれ、あなたの「あいせよ天橋立丹後浦島ロード」と相性がいいですよ。
「次の日本三景を選ぶ」のではなく、「一つの景観から、その景観を生んだ世界全体へ歩き出す」。

そこが新しいんだと思います。

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