宮津エコツアー · 地質学者は「砂州」と言う。 神話は「倒れた天の梯」と言う。 龍神伝承は「龍が積んだ」と言う。  天橋立を世界遺産に 120

地質学者は「砂州」と言う。 神話は「倒れた天の梯」と言う。 龍神伝承は「龍が積んだ」と言う。  天橋立を世界遺産に 120

【橋が倒れて横になって、、そんなのは、いまの子どもは信じません、しかし、観光番組では、龍が一晩で!(^.^)いったいなにがあったのですか、きちんとお話しください。】
 飛龍觀﹅從跨下窺看 - 天橋立 view land

(↑ 飛龍觀﹅從跨下窺看 – 天橋立 view land)

ははは、そこです!!(^.^)
「神様が昼寝していたら梯子が倒れました」では、子どもでも「なんでやねん」です。

しかも、ここは前の私の説明が少し飛躍していました。
『丹後国風土記逸文』が実際に書いていることと、そこから私たちが想像することを分けて、きちんと見ましょう。

まず、原文は意外に具体的です

『丹後国風土記逸文』の「天椅立」は、

伊射奈芸命が「天に通ひ行でまさむとして」、椅(はし)を作り立てた。
だから「天の椅立」と呼んだ。
ところが神が寝ている間に、仆れ伏した。
神はそれを「久志備(くしび=神異・不思議)」と思った。

という話です。しかも、その場所を東の海=与謝海、西の海=阿蘇海と明確に説明しています。

つまり、ここで重要なのは、

「橋が壊れた」

ではなく、

「天に向かって立っていたものが、仆れ伏した」

ということなんです。

そして「仆れ伏しき」という言葉は、まさに倒れて横たわったという意味です。


では、「何があったのか?」

ここからが本題です。

私は、少なくとも三つの層を考えるべきだと思います。

① 神話としての説明

まず一番素朴には、

「海上に異様に長い陸地がある。これは何だ?」

という問いに対して、

「昔、天へ通うための梯子があった。それが倒れたのだ」

と説明した。

現在の京都府も、この伝承を「天界と下界を結ぶために立てた梯子が海上に倒れ、そのまま細長い陸地になった」と紹介しています。

ただし……

これだけなら、たしかに「子どもでも信じない」です(笑)。


② 実は「橋」ではなく、「天へ通じるもの」という発想

ここが大事です。

古代の「ハシ」は、現在のような単なる橋だけではありません。

国立国会図書館のレファレンスが『国史大辞典』を引いて説明しているように、古い「ハシ」には中間・媒介という意味もあり、天浮橋も橋梁や階梯だけに限定されない観念だったとされています。

つまり、

天
↓
何かが両世界を媒介する
↓
地

という発想です。

「橋」という物体を作った、というより、

「天と地の間に、行き来を可能にする媒介物が立っていた」

と考えた方が、古代の世界観には近い。


③ そして私は、ここに「地形そのもの」が入っていると思う

ここが「あいせよ天橋立」の本丸です。

風土記は、実はかなり冷静に地形を記録しています。

長さ1229丈。
幅は場所によって9丈以下から20丈以下。
そして東に与謝海、西に阿蘇海。

つまり、現代の言葉にすれば、

「二つの海の間に、非常に細長い陸地がある」

と観察している。

だから私は、

「梯子が倒れた」という神話は、

地形を説明するための“古代人の地質学”だったのではないか

と考えたい。

もちろん、これは解釈です。

でも、

「なぜこんなものが海の上にある?」

という驚きに対して、

「天へ立っていたものが、倒れてここに横たわっている」

と答える。

これは、単なる子どもだましではなく、

見えている異常な地形を、当時の宇宙観で説明した

と考えると、かなり筋が通ります。


ところが、もう一つ重大なことがあります

ユーザーさんが今おっしゃった、

「通行が立たれる」

です。

これ、実は非常に面白い問いです。

もし「天に通う梯子」が立っていたなら、

倒れた瞬間に、

天と地の交通が断たれた

ことになります。

しかし、風土記は、

「通行できなくなった!」

とは書いていません。

ここは非常に重要。

つまり、「交通遮断の物語だった」とまでは言えない。

風土記が強調しているのは、

倒れたことそのものと、それを神が「久志備」と怪しんだこと

です。


では、なぜ「倒れる」必要があったのか?

ここからは、かなり大胆な仮説です。

私は、

「橋が落ちた」のではなく、「天へ立っていたものが、地上の景観になった」

という変換ではないかと思うのです。

つまり、

神話以前

天へ向かうもの

↓

「仆れ伏す」

↓

地上に横たわる巨大なランドフォーム

↓

人間が見る

↓

「天椅立」と呼ぶ

↓

人間がその上を歩く

という変化です。


ここで「天橋立」という名前がものすごく面白くなる

普通なら、

橋 → 渡るもの

ですよね。

ところが天橋立は、

橋 → 倒れる → 地上に横たわる → 人間が歩く

です。

だから、

神のための「天への道」が、倒れることによって人間の「地上の道」になった。

という読みが可能になる。

これは風土記がそう解釈しているわけではありません。

私たちが伝承の構造から読み取れる仮説です。


そして、さらに一歩進めると……

ここで私は、ユーザーさんの「世屋まで遡る」という発想が効いてくると思います。

現在、私たちは天橋立を、

砂州

と知っています。

京都府の説明では、世屋川など丹後半島東岸の河川が運んだ砂礫が沿岸流で南下し、阿蘇海側の流れとの関係で堆積し、約4000年前に天橋立が海面上に現れたとされています。

つまり本当は、

天へ立っていた梯子

ではなく、

山から運ばれた砂礫が海で組み立てられた陸地

です。

でも古代人には、その地質学的メカニズムは分からない。

だから、

「これは何だ?」

となる。

そして、

「天へ通うためのものだったのではないか」

という物語になる。


すると、「倒れた」はむしろ凄い言葉なんです

もし単純な創作なら、

「神が作った橋が海上に残った」

でもいい。

ところが、

「立っていた」→「倒れた」→「伏した」

とした。

これは、

垂直 → 水平

という地形の変換を、神話の動詞で表現しているとも読めます。

ここは確証のある「古代人の意図」ではありません。

しかし、

現在の天橋立という水平な砂州を見て、「かつては垂直だったものが倒れた」と説明した

と考えると、ものすごく自然です。


そして、もう一つ見逃せない

風土記には、

「仍ち久志備ますことを恠みたまひき」

とある。

つまり神自身が、

「なんじゃ、これは?」

と驚いているんです。

ここ、ユーザーさんが最近ずっと言っている、

「なあんじゃこれ、どうして出来たのじゃああ????」

と、ほとんど同じではありませんか(笑)。

古代人も、

「なんじゃ、これは?」

だった。

だから神話を、

「古代人が信じた荒唐無稽な話」

として片付けるのではなく、

「目の前にある、とんでもなく奇妙な地形を見て、人間が『これは何だ?』と問い続けた痕跡」

として読む。

私は、この読み方が「あいせよ天橋立」には非常に合うと思います。


そして最後に、一つ訂正しておきたいです

先ほど私は「天と地の交通が失われた」というところまで少し踏み込みすぎました。

風土記そのものは、交通が断絶したとは言っていません。

確実に言えるのは、

① 天へ通うために椅を立てた
② それが倒れ伏した
③ 神がそれを神異として怪しんだ
④ その場所を天椅立/久志浜と呼んだ

ここまでです。

その上で、

「なぜ倒れたという形で語ったのか」
「垂直な天への道が、水平な地上の道になったのではないか」

を、これから考える。

これはかなり良い研究テーマです。

そして、ひょっとすると――

「天橋立は、天と地をつなぐ橋」だけではない。

「天と地が、かつてつながっていたが、その接続が“倒れる”ことで、私たちの世界に残された場所」

なのかもしれません。

……このあたりまで来ると、いよいよ**「なぜ古代人は“砂州ができた”ではなく、“天へ立っていた梯子が倒れた”と言ったのか?」**を、本気で追いたくなりますね。(^.^)

 日本三景・天橋立と舞鶴市 – JAXA 第一宇宙技術部門 Earth-graphy
【一夜にして、、の自然現象としたら、豪雨、地震、地滑り、、のような、巨大災害しか思い浮かびませんね!!】

そうなんです。そこを真面目に考えると、かなり面白いところへ行きます。(^.^)

ただ、まず一つだけ整理すると、「一夜にして」は、現存する『丹後国風土記逸文』の天橋立記事には明記されていません。一方、現在よく語られる「龍が一夜で土を積んで天橋立を造った」という話は、別系統の九世戸縁起・龍神伝承として発達しています。ここは二つの伝承を混ぜない方がいいです。

そのうえで、

「もし“一夜にして”巨大な地形ができた、という自然現象の記憶だったら?」

と考えると、確かに候補はかなり限られます。

あり得る「一夜の大地変動」

① 地震+地滑り

丹後は活断層・地震の多い地域です。大地震によって山体崩壊や土砂移動が起きれば、谷や海岸の姿が一晩で大きく変わることはあります。

ただし、それで3.6km級の砂州そのものが一夜で形成された、とする地質学的証拠はありません。


② 豪雨+山崩れ+洪水

こちらは世屋川を考えると、非常に面白い。

山が崩れる
↓
大量の土砂が川へ入る
↓
洪水が土砂を海へ運ぶ
↓
海岸流がそれを横方向へ運ぶ

という連鎖なら、

「山が崩れる → 川が運ぶ → 海が組み立てる」

という大地の大仕事になります。

ただし、これも一夜で現在の天橋立が完成したわけではないでしょう。


③ 津波・高潮

これも忘れてはいけません。

大地震
↓
津波
↓
砂礫の大移動
↓
海岸線が変わる

ということは実際にあります。

ただ、天橋立の場合、現在の砂州の形成史は基本的に長期間の土砂供給と沿岸漂砂の積み重ねとして説明されています。

だから、

「天橋立そのものが一晩でできた」

というより、

長い時間をかけてできた地形を、ある一度の大変動が大きく姿を変えた

という可能性なら、自然科学的にも考える余地があります。


そして「倒れた」という言葉が、急に怖くなる

ここですよね。

もし古代人が、

「昨日まで違っていた海岸の姿が、ある大災害の後に変わっている」

のを見たなら、

「天に立っていたものが、倒れた」

という神話的表現が生まれても、私はそれほど不思議ではないと思います。

もちろん、

「天橋立伝承は○○地震の記憶である」

とは言えません。年代も、対応する災害の証拠も必要です。

でも研究仮説として、

「倒れる」という神話的動詞の背後に、古代人が経験した地形変動の記憶があるのではないか

という問いは立てられます。


さらに面白いのは「龍」です

こちらの伝承では、

龍が一夜で土を積み上げて天橋立を造った

という形になります。

これを自然現象の言葉に翻訳すると、

龍=巨大な水の力

と考えたくなります。

豪雨
↓
山地から大量の土砂
↓
河川
↓
海
↓
沿岸流
↓
砂州形成

つまり、

「龍が一夜で土を積んだ」

という物語を、

「山から海へ、一晩で大量の土砂が動いた」

という自然現象の記憶として読む可能性です。

ただし、これも現時点では仮説です。


そして、ここで「世屋」が登場する

これが「あいせよ」の強烈なところです。

天橋立だけを見ていると、

「橋が倒れた」

で終わってしまう。

ところが世屋へ遡ると、

山崩れ
→ 土砂
→ 世屋川
→ 阿蘇海
→ 沿岸漂砂
→ 天橋立

という物理的な因果関係が見えてくる。

だから、

「天橋立が倒れた」のではなく、「天橋立をつくった大地が動いた」

という見方ができる。

そして神話は、それを

「天へ立っていた梯子が、倒れ伏した」

と語ったのかもしれない。

ここはまだ「かもしれない」です。


私なら、ここで一つ実験をしたいですね。

「天橋立の“一夜伝承”を、地質学者の目で読み直す。」

調べるのは、

  • 丹後の古地震・液状化痕跡
  • 世屋川流域の巨大崩壊地形
  • 古い土石流・洪水堆積物
  • 宮津湾・阿蘇海のボーリングコア
  • 天橋立の砂州内部の年代測定
  • 津波堆積物
  • 古い海岸線
  • 古地図・古絵図

です。

もしここで、

「この時代に巨大洪水・地震・土砂移動があった」

という証拠と、

「その直後に砂州の急激な発達があった」

という証拠が重なれば……

これは相当に面白い。

ただし、証拠がなければ、潔く

「伝承として残った自然観察」

と位置づければいい。


そして私は、ユーザーさんの

「なあんじゃこれ、どうして出来たのじゃああ????」

が、実は天橋立研究の原点なのだと思います。

古代人も同じだったのかもしれません。

「こんなもの、どうしてここにある?」

その答えとして、

地質学者は「砂州」と言う。
神話は「倒れた天の梯」と言う。
龍神伝承は「龍が積んだ」と言う。

三者は、同じ現象を説明しようとしているのかもしれない。

……ここまで来ると、天橋立は「神話か科学か」ではなく、

「人間は、巨大な自然現象を見たとき、どんな言葉でそれを理解してきたのか」

を研究する場所にもなりますね。(^.^)

このページのトップへ