両手と両足を広げ、立ってごらん
「大」
大きく、盛んなもの を表す形、
それが「大」だ、
両手を下げて両足をそろえてうつむいてごらん
「小」
腕を組んでいるからちっぽけに思えるんだ、
「大」
両手と両足を広げ、立ってごらん、
そして大きく息を吸い込むんだ
どうだい!
大鵬や白鵬にも向かえる気持ちになっただろう!
平成21年3月31日京都府景観資産に登録された宮津市上世屋の山村と里山
これについて、京都府教育庁 文化財保護課は、つぎのように紹介してくださっています。
『宮津市上世屋は、丹後半島東側山間部に位置し、成相寺奥ノ院(なりあいじおくのいん)との伝承を持つ地域です。標高200mから350mの上世屋地区は、山間部の緩傾斜地に集落と水田などの耕作地が広がり、中世の城跡も残り、近世近代にかけて付近の中心集落でした。 平成19年(2007)丹後天橋立大江山国定公園となり、第1種特別地域の大フケ湿原(おおふけしつげん)や「丹後上世屋内山京都府自然環境保全地域特別地区」等の希少な植生のほか、ブナやミズナラなどに二次林も残る里山の豊かな植生も高く評価されています。集落は主に入母屋(いりもや)造り・笹葺き屋根の民家で構成され、民俗技術として全国で唯一藤織り(ふじおり)の紡織技術も残され、平成3年(1991)に京都府無形民俗文化財指定されています。平成21年3月京都府景観資産登録され、過疎化の進む現在、「NPO法人里山ネットワーク世屋」等の活動と、宮津市、京都府関係機関と大学の連携などの取組に加えて、住民とともに現在の景観維持に努めています。豊かで厳しい自然環境とともに形成された山村・里山景観は、自然と生活・生業が一体となった貴重な文化的景観です。』

さて、概ねそうなのです。というのが、
「標高200mから350mの上世屋地区は、山間部の緩傾斜地に集落と水田などの耕作地が広がり、中世の城跡も残り、近世近代にかけて付近の中心集落でした。」この一文。
①「標高200mから350m」について
上世屋地区の 標高200mから350m付近には、いまでも、、、、が適切じゃないですか。上世屋地区は、標高6~700mの尾根スジまで里山をもっていますし、たんぼもその付近まで経営されていました。
②「近世近代にかけて付近の中心集落」について、付近の集落というのがどこをさしているのか、また、なにをもって中心というのかなどが曖昧なので、え、そんな関係なの?という反応が出そうですね。木子や松尾の方から、上世屋が世屋の中心だったという話は伺ったことはありません。

まあ、それはそうとしておいて、この景観が、「豊かで厳しい自然環境とともに形成された山村・里山景観は、自然と生活・生業が一体となっ」ているいう意味で文化的景観として貴重であるという評価はありがたいこと、さて、この景観の中心部分をなしている棚田、その保全と経営を両立させて米作りをなさっているのが『飯尾醸造」さん、そのブログ『酢を造るといふ仕事|富士酢醸造元 飯尾醸造:米を作る』※ には、その1年が生き生きと描かれています。
例えば、その2013年04月19日
いざ田んぼへ!これから田植えまでの作業は山ほどありますが、ここへ来ると何故か気が休まります。
≪畦塗り≫
農閑期は イノシシがやりたい放題、畦がボロボロです。
彼らも生きる為に必死なのでしょうが・・・場所をわきまえてもらいたい。
今年も開幕、VS 猪!
2年前までは数名の中年男子が鍬でペッタンペッタン、腰への負担は予想以上・・・なので、畦塗り機を昨年から導入。さすがに超キレイな仕上がりで楽しくて仕方ありません。
田んぼは畦が命!しっかり補修します。

また、2012年09月29日
先週末の稲刈り体験会には たくさんの方々に参加していただき本当にありがとうございました。苗作りから約5ヶ月、こうして皆さんと共に収穫を迎えられた事を大変嬉しく感じております。それと同時に、棚田の管理から解放される安堵感も込み上げて来ます。
普段は静かな上世屋の棚田も この日ばかりは賑わいを見せ、その風景を!と、多くのカメラマンも。
さらに2012年10月17日。
乾燥後は籾摺り開始。
籾殻を取り除けば いよいよ玄米がお目見え、米農家にとって至福の時。気になるのは収量、品質です。 栽培期間中に昨年の出来と比較し予想は立てるものの、やはり収穫するまでは・・・。
今年も出穂後に暑い日が続きました。昔から「日照りに不作なし」って言われますが・・・確かに冷害と言われる年は低温障害で生育が悪く不作となります。
ただ、日照り=高収量であっても、=高品質という事ではないのです。
そう、日照りにも限度があるわけで・・・日中35℃近い猛暑や熱帯夜が長く続くとストレスは多く品質的にも大きなダメージが出ます。逆に高温障害で実入り(デンプン)の少ない米になってしまい、最悪は胴割れという稲刈り前に米が割れてしまうことも。
こうなれば品質低下はもちろん減収にもつながります。
だから、暑すぎず寒すぎずです。
とはいえ、自然相手・・・人が出来る対処方法としては、水を掛け流し地温を下げてやること。高温対策に適した環境下とは?夏場でも水が確保できる、昼夜の温度差がしっかりある、など。そういった意味では、上世屋、松尾などの高地は有利な土地柄と言えるでしょう。
、、、、、、、、、、、、、、、
などなど、 米作りの喜怒哀楽はなかなか伺いしることが出来ないところです。一度ご検索をお奨めします。
世屋の景観の楽しみ方が、深まりますよ。
※iio-jozo.livedoor.biz
黒、赤、白、、、

出回る季節も秋から冬、可食部分も土の中、ニンジン・大根・ゴボウはそんな共通点をもっているのに、色はそれぞれ異なっている、
そこで、けっこう有名な話。
、、、、、、
「おばあちゃん!どうして?」
尋ねられたお婆ちゃんは知恵の回る賢いお婆ちゃんじゃった、
「それはな、おばあさんからきいたことだけど昔昔、風呂というものは贅沢なもので、湧かしたら、親戚友達を呼んでみんなにふるまったもんじゃ。ニンジン 大根 ゴボウも友達同士でなお互いにいききしておったわけじゃ。そんなとき性格というのがでるんじゃな、ゴボウは熱いのが苦手、ろくにあらいもせんと飛び出すのでくろいんじゃ、ところがニンジンは熱いのが好きなんじゃ、じっと我慢してつかるもんだで赤くなった、へてから大根じゃ、いつも私はしまいぶろでいいわと。湯加減もちょうどになったころに大根が入るもんだから、ゆっくりつかって丁寧に洗う揉んだで、色白になった、あんたら、ほんまにしょみゃあけど、ありうるはなしだわなぁ、、、いちがぶらり。」
、、、、、、
多少脚色しましたけど、これは稲垣栄洋さんが、『身近な野菜のなるほど観察記』のニンジン話でもお話されていることです。
聞く側と話す側の阿吽の呼吸でおそらく昔話はうまれるのでしょう。
さて、この野菜たち、イトトメさんで買いました。
(↑ネットから借用)
このお店については、農産物流通コンサルタント、農政・食生活ジャーナリストのやまけんさんのブログ、やまけん@出張食い倒れ日記 2014年4月21日に
『この店、お客さんの勉強会に力を入れているそうだ。チラシを見ると、包丁をもってお造りを切る教室とかオリーブオイルのテイスティングまでやってるみたい。この方向は正しい!いまの消費者は、都市部に近くなればなるほどに料理をしなくなってきている。けれどもそれが進展すると、この国は加工食品の国になってしまう。食品業界は、生の野菜や魚や肉を買って、刻んで煮たり炒めたりして食べる人をもっと真剣に増やしていかなければ、衰退してしまうよ。これ、切実な実感。』と紹介。
そんふうにポリシーのしっかりしたお店だけあって、 店頭の品揃えはさすがです。うえの金時ニンジン美人、一本250円。
ところで、畑でこんなにすらりとした上物ばかりができればいいのですが、特に栽培地がアウトドアだと、水、天候、地中の条件やら他の草との競合やモグラやネズミにかじられたりカラスにつつかれたりするわけで、とてもとてもそういう訳にはいかないのです。
たとえば!
この形のすさまじさをみると生い立ちでの格闘ブリが想像されて胸が熱くなります。「みんな違ってみんないい」考えてみてください、こっちのニンジン、二つと無い訳ですから同じような違いをもたないニンジンより高い値をつけてもいいですね。
850円、いやオークションにかければこの不敵な面構え、8500円ぐらいいくようなきがします。
この異形ニンジン、峰山荒山の交差点ふきんの無人販売でもとめられます、三本で100円なですよ。です。
2015/12/25 16:22:05 西を向いています、
その3分後
はやくにげろぉー くもなだれだー おしつぶされるぞー とさけびたいほどに雲は 町にのしかかりおしつぶすかのように北から南へ!
西高東低のときの形です。海上の雲が丹後町や久美浜町にぶつかって竹野川をさかのぼるようにしていさなごさんをこえて与謝郡へせりだして、阿蘇海が時雨れに濡れるのもまもなく。
天気図とその解説
「 上空の寒気が強まる土曜日は、北日本の日本海側で荒れた天気となりそうです。暴風や猛吹雪に警戒が必要です」 とりあえず冬です。
丹後では冬の形は雲の動きと形でわかります。
「くもなだれ」そのパフォーマンスを、選手の技を評定する体操の審査員のようにいうなら、今回の冬の形度85点 不足の10点は、技にスピード感、切れが無いこと、寒くないこと、明日の朝は雪化粧だ、そんな期待が持てない、というところでしょう。
今日はうらにし、虹日でした、
京丹後大宮駅を左の基点にして北東の方角の空に虹の架け橋。
列車がここに来ればいいなあ、と思ったのと後ろから警笛が鳴ったのとはほぼ同時。

改装なった京都丹後鉄道「丹後の海」号※が、虹の下の丹後の海に向かって走って行きました。
マイナビニュースは [2015/10/30]』『京都丹後鉄道「丹後の海」について
『新しい特急車両「丹後の海」は今年度中に2編成4両を導入予定。「タンゴディスカバリー」車両を改造し、沿線自治体の補助により整備を行うという。うち1編成は間もなく登場予定で、JR京都駅と京都府北部地域(「海の京都」観光圏)を結ぶ特急車両として運行される。
同車両の設計・デザインは水戸岡鋭治氏(ドーンデザイン研究所)が担当。「海の京都」を再認識すると同時に、新しい鉄道の旅も演出する。「外観は藍色メタリック仕上げに金色のシンボルマークとロゴタイプを配し、なつかしくて上品なデザインに仕上がります」「車内は木に囲まれ心と身体で心地よいと感じる和のテイストで時間と空間をデザインすることで、豊かなコミュニケーションが生まれます」とコメントを寄せている。
「水戸岡デザイン」ならではのくつろぎの車内空間で、美しい海や森、田園風景など魅力的な景観を楽しんでもらい、京都府北部地域の観光需要の拡大もめざす。』
と。、、、乗ってみたい魅力満載ですね。ただし、「美しい海や森、田園風景など魅力的な」丹後の景観は、列車から降りてこそ。
♪京都から「旦後の海」にのってあまのはしだてまできて、あまのはしだてをあるいてわたり、籠神社にまいって、小さなバスにのったら世屋の里がまっている♪まあ、夢です。
けれど、世屋の里の側にも、「タンゴディスカバリー」車両の改造に匹敵する改造がもとめられるわけです。
お題は{「木に囲まれ心と身体で心地よいと感じる和のテイストで時間と空間か゛デザインされている」、そんな里}、、、それができれば、たとえは゛、夏は京都の大文字、冬は世屋の雪大文字、いいねいいねいいねが連鎖して、、 京都発『丹後の海」利用天橋立成相観音詣経由 世屋の里 雪大文字ツアーが現実化する、すこしはやいですが、初夢にしたいですね。
成相寺電波塔付近から西、鳥取の方角を見ている。
国名では、丹後、但馬、伯耆、いわゆる山陰道に連なる国。さて、丹後の国、中央のたんぼは五十河田んぼ、一筋の山脈の向こうに大宮町と峰山町、雲の上になだらかな山体を見せている左にいさなごさん(磯砂山661m)、右にひさつぎだけ(久次岳541m)、ここが、「ウイナラ」、わがふる里、京丹後市なのだけれども、いかにも山国!山林面積95%なのかと思うくらいの、こんないいかた聞いたことが無いですが、『里山市」だなぁとしみじみおもったことです。
ところで、左のいさなごや山右のひさつぎ岳どちらにも古代伝承、、
ひさつぐ岳は、咋石嶽の別名。『豊受大神現身の移り住まわれた地で、神代に月読命を饗膳したことにより斬り殺された土地である。今も大饗石があるがこれは饗膳を供した霊跡である。その下に御手洗滝があるが、これは豊受大神を切った月読命が手を洗った神跡と伝わる。その上には大神社 というところがある。その右の方に来迎山がある。これは月読命を豊受大神がお迎えした古跡である。切果渓(この谷の下に桐畑村あり)は豊受大神を月読命が切り果たした地であると伝わる。』
また、いさなご山には、羽衣伝説。『 8人の天女が舞い降りて水浴びをしていたそうな。これを見つけた和奈佐という翁が一人の羽衣を隠し、養女として連れ帰ったそうな。羽衣を失った天女はこれに従うしかなく、十年余り一緒に暮らしたそうな。働き者の天女が万病に効く酒をつくったおかげで翁の家は富み栄えたが、やがて心変わりした翁は天女はもともと自分の子ではないと家から追い出してしまったそうな。』
どちらも、伝わる伝承の血なまぐささ、といい、身勝手さは半端ではない。、
こんなに尋常では無いことをつたえているのは、なぜ?

その謎は、環濠集落遺跡扇谷遺跡出土の鉄製品が解くかもしれないと、ふと思った。

(↑①)
扇谷遺跡は、画面右端、いさなご山を水源とする竹野川とひさつぎ岳を水源とするますどめ川との合流点付近、かって形成していたであろう沼地の面した丘にある。
この弥生時代前期のこの遺跡から、砂鉄系原料による鋳造品で、鉄製品導入期の希少なものと評価される全長5.6㎝ 幅3.4cm、厚2.0㎝、重さ68gの板状鉄斧がみつかっている。

(↑ ②)
その原料とされる砂鉄の入手先について、山本昭さんが、「…但馬・丹後両国の国境から丹後半島にかけての山地は、出雲国に劣らぬ砂鉄の豊富な地方である。、、、但馬・丹後国の山地に包蔵される良質で豊富な砂鉄を考えるとき、扇谷遺跡出土の鉄斧、鉄滓の関連遺構、遺物、すなわち製鉄遺跡の出土に期待するのは多くの関係者の願いであろう。」と書かれているよと斉藤さん※がしょうかいしてくださっているのをおもいだした。
良質で豊富な砂鉄が丹後国の山地には包蔵されている、、、と山本さんはおっしゃっているのです。どちらも、花崗岩とその風化した真砂土でできていて、砂鉄を多く含んでいる地質の山だ。大饗石、聖体とされる石は、鉄分を含んだ岩!万病に効く酒とは、実は鉄。炭と火を操り砂鉄を溶かして鉄にした、酒に喩えられたのは遺跡にでたような鉄製品!飛躍?なに、悪支配者を猿に、民衆を蟹にしたようなもので、許容範囲!追い出された!、そりゃそうでしょう砂鉄がなくなったということ、、、
斬り殺した、使うだけつかって追い出した等と伝えているのは、鉄 資源と技術の争奪戦ではなかったのか、、、

ふーむ、、、但馬・丹後国の山地に包蔵される良質で豊富な砂鉄
そうかぁ、、、、中国や朝鮮から買うよりも自前で見つけて作ることが出来れば、と考えたはず、日置の浜にも砂鉄、この鉄はどこからと考えたときに、この山と谷、鉄の谷と、てつを古代の言葉ではさとかせとかはつおんしていたらしい、野間の世屋姫は世屋側からもっていかれたものと推論できなくはないのですね。
こう考えるといまでこそ、京阪神の後塵を拝する環境先進市ではあっても、古代にあっては、現代鉄文明の発祥の地なんだともいえるわけです。
(↑京丹後市 最終処分場)
歴史の目は見えないものを見る目。

(↑ ③)
見えないものが見えると、弱い者でも強くなれる気がするのが不思議です。
※ 「謎の古代氏族鳥取氏 : 鳥取氏は捕鳥の氏族か 山本昭著大和書房, 1987.12
本書は、鳥取氏は捕鳥の氏族ではなく、金属関係氏族である、という主張を考古学の立場から精査し、論証した。出雲国荒神谷の有名な銅剣出土の地が鳥取氏に由縁があることを指摘したのは、本書がはじめてである」。 Amazon.co.jp「BOOK」データベースより.
※(①②③)は、扇谷遺跡 – 邪馬台国大研究inoues.net/tango/ohgidani.htmlから引用
天皇誕生日。新聞やテレビで紹介されるお言葉、全文をネットで拝読すると。多岐にわたって気張りがされていて興味ぶかいものです。
26年、昨年は、雪弱者への配慮!「新聞に大きく取り上げられるような災害ではありませんが,常々心に掛かっていることとして多雪地帯での雪害による事故死があります。日本全体で昨冬の間に雪で亡くなった人の数が95人に達しています。この数値は広島市の大雨による災害や御嶽山の噴火による災害の死者数を上回っています。私自身高齢になって転びやすくなっていることを感じているものですから,高齢者の屋根の雪下ろしはいつも心配しています。高齢者の屋根の上での作業などに配慮が行き届き,高齢者が雪の多い地域でも安全に住めるような道が開けることを願ってやみません。」
世屋の里では暖冬裡に年が暮れていきます。
また、今年27年、
「今年は先の大戦が終結して70年という節目の年に当たります。この戦争においては,軍人以外の人々も含め,誠に多くの人命が失われました。平和であったならば,社会の様々な分野で有意義な人生を送ったであろう人々が命を失ったわけであり,このことを考えると,非常に心が痛みます。」と。そして、「この1年を振り返ると,様々な面で先の戦争のことを考えて過ごした1年だったように思います。年々,戦争を知らない世代が増加していきますが,先の戦争のことを十分に知り,考えを深めていくことが日本の将来にとって極めて大切なことと思います。」

薬~高血圧!~をもらいにいった協立診療所の待合には、『峰山海軍航空隊主要施設配置図』。
へえ、赤トンボってほんとに赤かったのだ、一時は関係者3000人を擁した、そうだったのぉ
見入っていると、診療を待っている方が寄ってきて、「訓練生が叱られている声がよう聞こえたと。空襲も見た、あの山の方角から打ち込まれたんだ、、」
「7月30日、この日は宮津や伊根もおそわれていましてな、その飛行機は、和歌山の沖の航空母艦から、近畿を横切って飛んできたんだそうですで、」と応じることができたのは世屋高原の海軍省特設見張り所学習会て゛おしえられたから。
(↑ 11/12 学習会)
私たち自身が戦争を知らない第一世代、第二、第三世代に伝えることとはこういうことなんだとおもいました。
身近なところにあるものをしっかり調査しまとめられておくことが、あらためて大事だとおもった天皇誕生日でした。
お健やかにおすごしください。