宮津エコツアー · 未分類

未分類

なんだ、これは?

IMG_7875

「ぼたいじゅ菩提樹」なんだそうです。

IMG_7874

細い葉の真ん中から下がる種、空に放つとくるくる伝回りながら飛びます。

丹後では与謝野町下山田のお宮さんにあります。

IMG_7873

このお社、「明境社」。

よめません、「あけさい」さんとよぶんだそうです。

もう一つの謎、

IMG_7876

天橋立に松の苗を植えたのは、ここのご祭神さん、八千本全部を一夜のうちに植えたんだと伝えられています。植林造林をする神様ということなんでしょうか、それにしても、気になるのは、一晩のうちにというところ。阿蘇海を閉ざした砂嘴がどのように出来たのか、いろんな議論がされています。地震地滑りを想定する説明もあります。この伝承はその謎にふれているのかもしれません。

 

、゜

 

冬ソナの樹に冬

IMG_3461

三本のこの樹たちの胸高周径、いずれも3m以上。環境省巨樹基準を満たしています。

IMG_3445

なかでも、周径370cmの樹は、環境省巨樹データベースに登録されている、メタセコイアの部では全国三位相当。

IMG_3435

とはいうものの、メタセコイアの場合は、この比較にはあまり意味がないようです。

「メタセコイアの化石は日本各地の新生代第三紀層に見られ、カナダ北部・シベリア・グリーンランドなど北半球の北極周辺に広く分布していた[3]。1939年に日本の関西地方の第三紀層で、常緑種のセコイアに似た落葉種の植物遺体(化石の1種)が発見された[4]。発見者の三木茂により、セコイアに「のちの、変わった」という意味の接頭語である「メタ」をつけて[5]「メタセコイア」と命名され[6]、1941年に学会へ発表された[7]。それまで発見されていたヌマスギやセコイアと異なると考え、メタセコイア属を設けた。また、落葉樹であることも推定した[5]。
当初、「化石」として発見されたために絶滅した種とされていたが、1945年に中国四川省磨刀渓村(現在は湖北省利川市)の「水杉(スイサン)」が同種とされ、現存することが確認されたことから「生きている化石」と呼ばれることも多い。
1949年に日本と皇室がそれぞれメタセコイアの挿し木と種子を譲り受け、全国各地の公園、並木道、校庭などに植えられている。」とウィクペディァ。

つまり、全国のメタセコイアはみな同い年、70歳。最高が420cm、二位380cm、、、、その差は土質とか環境だけの違いなのでしょう。

IMG_3478

金さんがここにたったのは昭和11年、1936年。金さんは83歳。メタセコイアは13歳も若いのに、これだけの樹に。この成長力ははんぱないですね。

上世屋校庭跡のこの樹のおもしろいのは、この付近の化石地層からメタセコイアの葉っぱ化石が見つかっていますから、その意味で、先祖と巡り会ったというのか、ふるさとへ里帰りしたということなのかなと思います。

「これからも成長を見守っていきたいです」

 

 

 

 

 

 

生きている化石と

 

ですょは、

丹後半島の真ん中に谷を掘り下げる宇川、

IMG_4462

野間の霰付近では、基盤の花崗岩がむき出しになっています。

これらの岩の形成は5100万年とのこと。

木子や駒倉の里を水源にし、岩を巡る水は限りなく澄んでいます。

ところが、この川の生き物に異変があるといいます。

IMG_4455

見えるはずの魚影が見えないのです。

大きなウグイが泳いでいたけど、と話を向けると、「さあそうだあな、いなくなったんだ」と。さらに、姿を消して、五、六年になる。

IMG_4458

ウグイは

「産卵は、4~6月ころの水温が11-13℃に上昇する時期に始まり、直径2mm程度で粘着性のある淡黄色の卵を、流速10㎝/s以下の緩流部で藻の付着していない小石に産み付ける。卵は、水温13℃程度で約1-3週間かかり孵化する。孵化から1年目に約5cm、2年目に10-15cm程度に成長し、2-4年目で繁殖活動を行う。」という魚。この継続を出来なくした理由。水質に問題があるとはまずかんがえられない、見当をつけているのは、最近度重なっている集中豪雨。

産卵時期に起きると卵や稚魚が流されるし、親魚も堰堤の下まで流されると、再度のぼってこれない、そう話されるのです。確かに土手には洪水の生々しい爪跡。

IMG_4469

自然界の厳しさは想像できます。しかし、それをしのいで生き続けた川の住人の一種が、姿を消したのが最近のことというのは、気になるところ。ウグイは生態系の大切な構成種、そのバランスが崩れたというのは、軽視できないかもしれません、

IMG_4474

ウグイのためにも原因を解明しておくことが大切なのではないかと思いました。

 

 

 

細川たまさんが辿ったであろう丹後の海の路、山の道を歩きます!

img008
その味土野へのルートについて、細川家正史に記録はありません。小説家三浦綾子さんはこう想像しました。

「敵を欺くためには、味方から欺かねばならぬ。」という幽斎のすすめもあって、玉子が城を出る姿を、家中でみたものはない。夜陰に乗じて宮津の浜から舟に乗り、伴のもの数人と、警護のもの二十名ほどに守られて、日置の浜に渡った。
略 日置の浜で、ほんの二ときばかり舟の中でまどろみ、夜の明け切らぬうちに一行は味土野に向かったのだ。途中の山道のけわしさも、並大抵ではなかった。男でもたやすく登れるところではない。

一方、小説家永井路子さんの想定した道は陸路です。。

追われるように宮津の館を出て、炎熱に焼かれながら、山肌にしがみつき、夏草のしげみをかき分けながら、この味土野の山奥にたどり着いたのは夏のさなかだった。従者に輿脇を護られて夜明けに宮津を出た一行は、暫くの間は、松の木越しに海の見え隠れする道を辿ったが、岩滝の部落から、北へ向かうと、しだいに山が迫ってきて、輿もそのあたりで棄てねばならなかった。

小説家二人の想像は違います。今回は、三浦ガラシャを採用します。

古道について、『伊根町史 下 伊根町の旧道』は、こう語ります。
「古く道路は主として山沿いにつくられ、至るところに峠があって、ほとんどが徒歩であった時代には、山道は近道ということが最大の条件であり、どんな急坂もいとわなかった。各集落を結んで、山裾や川沿い、海岸沿いの道を通って、峠を越すには近道が選ばれ、人のやっと通れる道で、道幅は一㍍足らずであり、山村では車の通れるような道路はなかった。また農村にあっては、田をつぶさないことが極めて重要であったので、平地ではずいぶん曲がりくねった道がつくられていた。道幅はせまく、荷物の運搬は人の背や肩でかつぎ、重い荷物は牛の背にのせて運んだ。旧街道筋のあちこちに、今も残る観音堂や多くの石地蔵と共に三界万霊塔、南無阿弥陀仏、南無妙法蓮華経などの碑が各地に建立されて、「道しるべ」とともに旅路の安全を祈り、峠のけわしい道の上がり下りに、道行く人々にやすらぎをあたえている。」

img009
人が「蟻」だった時代の道は、木立や藪に埋まっていますけれど、山道は近道ということが最大の条件!そんな目で見れば、たまさんの辿った道も見えてくるはず。玉さんが、先に立って道案内してくださるかもしれませんよ。

 

十月に入った内山ブナ林。

IMG_2569

「冬に向かい日照時間が減少すること、日平均気温ではなく日最低気温の低下、空気中の湿度、それらの継続日数など、種々の条件が関係して」紅葉が始まる、気温の目安は八度ということですので、紅葉の楽しみはもうしばらく先にとっておいて、今は、色とりどりのキノコが森の楽しみ。

白いキノコ(シロオニタケ!)

IMG_2602

(※外観が類似した種類が数多く、しばしば互いに混同されている。シロオニタケモドキ(Amanita hongoi Bas)はつばがより堅くて厚く、脱落しにくいことや、胞子がシロオニタケのそれよりも僅かに大きいことで区別されている。ササクレシロオニタケ(Amanita cokeri (Gilb. & Kühn.) Gilb. f roseotincta Nagasawa & Hongo)は柄の基部が徳利状に太くならず、つばより下には、さかむけ状のささくれを生じ、子実体は成熟すると次第に淡い鮭肉色~ピンク色を帯びてくる。またタマシロオニタケは全体に小さく、柄の基部は徳利状に太まらず、カブラ状に丸く膨れることで異なっている。オニゴロシオニタケシロトックリシロイボタケ)

紅いキノコ(ドクべニタケ!)

IMG_2613

(※ひだは白色。は白色でとても辛く無臭。硫酸鉄(II)水溶液と反応しピンク色に変色する。は白色。有毒。毒成分はムスカリン類、溶血性タンパク。)

茶色キノコ(?!)

IMG_2621

台風後に入ると風で落とそれた木の実も楽しい。

ナナカマド。

IMG_2614

アズキナシ

IMG_2607

これは珍しい!

 

IMG_2636

オオウラジロじゃないですか!

母樹はこれ。

IMG_2632

高山山塊で確認出来ている木は二本だけ。「冷温帯落葉樹林の構成種と思われる。府内でも産地、遺存的に残っているが個体数ともに少ない。」と京都府指定の準絶滅危惧種。

また、内山の里跡には、ミカエリソウ。

IMG_2561

ただし、これは植栽されたもの。人が去った水源の里に眠る里神様の鎮めに植えたというその気持ちは共有出来ます。

(※口丹波の山地、特に右京区京北や南丹市美山町などでは、山の斜面を覆い尽くすほど自生している場所も多く見られ、ポピュラーな秋の花の1つです。また日陰で少し湿り気のある場所なら低山の山麓から、標高924㍍の愛宕山の山頂付近まで自生しています。)

ふらっと世屋街道にはいってみなさい!

IMG_2059

一人で見るのはもったいないええもんに出会いますよ

IMG_1888

今は、コスモス!

IMG_1871

倒れても、倒されても上を向いて花を咲かせるコスモスはかっこいいですよ。

 

ハイ、ジョーモン!といって指を三本たてるのが、最新のトレンド。

ピースサインは古いのだそうです、

ジョーモンは縄文、土器に焼かれている人物が三本指を立てているからと。

pM3KMQWg[1]

それはそうと、元気がでるでぇ、若い子がきてくれると!いうのは、上世屋のお百姓さん。

一緒に写るのは高校生たち。

ここのお百姓の伝える農法は日本でももっとも古い形のものだけれども、もっとも人間的で高い教育力をもっているからとクラブ活動の一環でやってきてくれたのです。

fK4kCudw[1]

米は連作可能で、一粒から芽生えた稲が株分かれして、計二千粒にもなる、また、見方を変えれば、太陽エネルギーを人のエネルギーに変えてくれるそういう意味でもっとも優れた太陽電池だとどなたかがおっしゃっていましたが、そういうことを体感していくことは、里山を守る第一歩。

_PBVMhHQ[1]

温故知新!

7yOjqBhw[2]

今だけ、ここだけ、あなただけ!

rbLWlfzQ[2]

日本の里100の里・上世屋のお百姓と高校生が出会い、稲を刈って縛って掛ける、そこに伝わる経験から生まれたいくつもの奥深い工夫を若い世代が学んだ一日でした。

 

 

秋のお彼岸、その日のために咲く!

IMG_0612

そのぶれなさ!

IMG_0621

照るにつけ降るにつけ吹くにつけ揺れるにつけ、いずれにも「異常」の修飾語がついて、気をゆるめることのできないなんともいいようのない事態に見舞われているなかでも、早くもなく遅くもなく、ぴたりと。

IMG_0655

蝶もその一徹さにぞっこん!

IMG_0933

ぶれない彼岸花にフィットする里山の景観は少なくなりました。

IMG_0987

「里山キャンパス上世屋郷・小さな花の歌記念花木園」(仮称)ではコスモスも満開ですよ。

IMG_1011

 

 

 

 

「五時間だけ開けておくからその間に見るがよい!」

IMG_0087こうもりやま

「世屋の山から宮津湾、舞鶴湾、青葉山から越前岬まで、若狭湾を展望するのにはここが一番、殿様の絶景をぜひ見せてくだされ!

この山からは、縄文の昔から徐福渡来、浦島太郎や羽衣伝説、中世の若狭動乱、北前船の往来、などが手に取るように見えるのです」

IMG_0100.jpgb4ml7j

異例の秋の長雨で、取り入れや学校行事の予定が立たない中で、蝙蝠山の山頂に立てたのは、そんな願いが通じて、こうもり山の神様が特別なお計らいをくださったのだ、と思いました。

IMG_0085

この山からの海をみることなくして、丹後と若狭と日本を語る事なかれ、百聞は一見に如かず、ぜひのぼってみてください。

IMG_0071

精進落としは伊根舟屋の里巡り、

IMG_0065

倉さんの舟屋画廊喫茶でコーヒータイム。

IMG_0131

海上タクシーで伊根湾巡り※連絡先090-8579-1002亀島丸がお奨め、

IMG_0153

向井酒造さんでの利き酒。

IMG_0228

ここでは国際交流も。

IMG_0239

フランスからだとおっしゃいました、

9月奥伊根ツアー、多くの皆さんのおかげで、催行出来ました。感謝感謝。

次回は10月26日、お題は「ガラシャと歩く丹後道」、お気軽にお申し込みください。

お問い合わせ連絡先 090-3162-4499 (NDクッキングスクール 川内)

 

 

 

 

だったのでしょう。

小町温泉からの日没、

IMG_3232

日が沈んでも涼しくならないわね、とブロンズの少女たち。

IMG_3221

この暑さは、日本だけでなく、北半球全体のもの。気象庁がみせてくれたいまの気圧配置、なるほど、高気圧に取り囲まれています!

201807230295_box_img1_A[1]

この暑いときに、火!

IMG_3342

せや高原・矢野竈では、炭焼き体験プロジェクト!

IMG_3357

しんとうめっきゃくすればひもまたすずし

伝えたい側と教わりたい側と、思いと思いとで熱く結びあった仲間たちです。

IMG_3282

八月初めに炭出しする予定で、火を燃やし続けます。

 

 

 

« Older entries § Newer entries »